パッと使う(2)
土日祝日はお休み、としていたのですが、日にちの勘定を間違えてしまったようです。
で、これでケチケチ運動の最終です。
多分これを始めてからすぐに全てをやったとしても、貯まるのはわずかでしょうし、まだ全く貯まっていないのが現状ではないかと思います。
それを感じてもらうのが当初からの目論見でした。
でも、一つでもいいから続けて1年経ってみて「何だったんだろうなぁ」と思ってみてください。
多分有形無形の「貯まり」があるはずです。
でも、大きな期待は決してなさらないでくださいね。
だって、折り込みチラシの活用でも述べたように、手間暇かけて1枚の原稿用紙を作ったとしても、どれだけ贔屓目に見たところで、1枚/1円にしかならない訳です。 印刷に掛かるインク代や電気代を考えると、とても「儲かった」と言う感情にはならないのです。
でも、果たしてそうでしょうか。
そんなことから、パッと使う、と言ったところで1年でせいぜい100円玉1個くらいかもしれません。
でも、それを「パッと使う」のです。
落語の処でも話したかと思いますが、大好きな噺家の一人の「枝雀」師匠の説の通り「緊張と緩和」なのです。
お金はそうではないかもしれませんが「貯める(た)」と言う緊張感と、「使った」と言う緩和の差を十分に感じてはいかがでしょうか。
ここまで読んで「なんだ、つまらない」と思われる方も多いでしょうが、少なくとも、リタイア後10数年、私はこのことで幸せを感じてきています。
決して「枯れ果てた人生観」などは持ち合わせておらず、今でも「肉食的」(実際には中々難しい状況はありますが)で、色と欲と銭には感受性が強い凡人なのですが、それでもこんな気持ちが持てることが楽しいのです。
来月のテーマは「宗教」にしたいと思っています。
投稿者:つねちゃん
at 08 :54
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パッと使う(1)
今月は連休の関係でスタートが遅れましたが、それなりに「しみったれた、ケチケチ運動」を羅列してきました。
今日と明日で、「パッと使う」事にしたいと思います。
貯めるばかりでは、体重もそうですが、何事も決して良いことになりません。
かつて、友人の一人がリタイア後、株式投資をネットでやりました。
私は良く分かりませんが、一時期はかなり「儲かった」と言っていましたから、それなりに「貯まった」のでしょうが、何しろ「生き馬の目を抜く」と言うような変動で、休む暇が無かったのだそうです。
で、昨年聞くと「もうやめた」と言っていましたが、利益のほとんどが無くなったのだそうです。
そういう意味では「パッと使う」を地で行ったのでしょう。
それはともかく、今日は「使う前の準備」です。
みみっちいことばかりだったろうと思いますが「これをやったら貯まるぞ」と誰彼に言うのではなく、一つでもいいから「自分でやる」事です。
調理の関係などは「私食べる人」と構えて人に「やれば良いよ」と言っていたのでは、まず決して、絶対に「貯まりません」。
自分で楽しみながらやって、僅かずつ貯めるのでなければならないのです。
でないと「なんだこれっぽっちしか貯まらないのか」ならまだしも「やり方が徹底していないから貯まらないのだ」と責任を擦り付けることになります。
自分がやって貯めたからこそ「パッと使う」楽しみの準備ができるのです。
投稿者:つねちゃん
at 08 :42
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春菊、金時草を再生させる
鍋物の季節ではないけれど、この時期安価で手に入るし、自分で育ててもあまり虫の被害にも遭わず、手軽に作れるものの一つに「春菊」がある。
今年は我が家でもプランターで栽培しているから、直接このテーマがヒットしているかと言えば、そうではないが、従来やっていたことで、冬場でも家の中で直接暖房の風が当たらず、それなりの温度が確保できるところであれば、出来ることである。
買ってきた春菊は、大概の場合「葉」の部分だけを食べられるのではないだろうか。
残った茎はどうされているだろうか。
葉の部分を食べて、茎を培養土に挿しておくと、驚くほど再生しますよ。
少なくとも3度くらいは活用できます(我が家の実績)。
金時草、と言う葉物をご存じだろうか。
沖縄へ旅行に行ったときに、同じものだったので、名前を聞くと「ハンダマ」と言われた。
兎も角金時草と言う名前は「加賀野菜」と言うことで、この辺では使われている。
この金時草も、春菊と同様、と言うよりももっと簡単で見た目綺麗に再生させることができる。
水栽培を活用することである。100均などで適当な入れ物を買ってきて、葉を食べた後の茎を、できればほんの少しだけ液肥(これも小容量のものが100均にある場合がある)を混ぜた水に差しておくだけでよい。
寒さや霜に弱いので、冬季は残念ながら成長は殆どしないけれど、霜に当たらない処で保存しておけば、来春には再生する(我が家の実績)。
買ったものが無農薬かどうかは分からないけれど、「自分で育てた」と言うものはそれだけで美味しいものである。
投稿者:つねちゃん
at 09 :26
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大根はすべて食べる
最初にお詫びしておこう。
このテーマは、第一日目に設定していたものである。
でも、誤解を招かないようにと、第一日目は「序章」としたためにこの日に移動させたものである。
と言うことで、食べ物の一番トップに自作であろうが、買ったものであろうが、大根は大好きなものの一つである。
人参と同様に、ほとんどすべてが食べられる。
食べられない部分は、葉の付け根の部分であるが、今のところ、細く千切りにしたりして試してみたけれど、残念ながら「筋」が気になって美味しくないので、生ごみ処理機経由で肥料になっている。
こんな工夫があるよ、と言うご意見があれば、ぜひご教示願いたいものである。
冒頭に申しあげ通りで、内容がダブっても面白くないので、大根につき、と言うことで書かせていただく。
皮をむくときに、少し厚めに剥くのが、皮を捨てないことの一つのコツである、と思っている。
一つは「こんなに剥いたのだから、捨てるのが勿体無い。何か細工して使おう」と言う意識が自然と湧いてくる。
で、金平仕立てにするのである。
薄い皮だけよりも歯ごたえがあり、美味しく食べられる。
先日夏大根として6本分の種を撒いて、双葉が元気良く成長してきている。
これからが楽しみである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :56
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水をケチる
私の家事のうちに「お湯を沸かし、お茶を沸かす」と言うのがある。
前日に沸かしてポットに入れておいたものはほとんどの場合「使い切る」と言うことはなく少し残っているのである。
さて、それをどうするか。
まずはまだ温かいのでもこれも家事の一つの「味噌汁作り」に活用する。
量は1Lである。
それでもまだ余る時には、昨日飲み切れなかったポットのお茶を別容器に移動して、其処へそそぐ。
汲み置いた水を薬缶に入れて、お湯を沸かし、少し薬缶に残ったお湯にポットに注いだお湯を足し、足りない分を汲み置いた水で満たす。
薬缶一杯はポットに入りきらないので、孫の分を取り分けてから残った分を退避した別容器に入れる。
これで完璧に汲み置いた水や残ったお湯を使いきっている。
将来地球的に「水不足」になるとの報道もある。
まさか私らの生きている間、わが国がそうなるとは思わないが、今から「出来るだけ」だけれど、ケチケチ精神で水を大切にしてゆきたい。
それにしても、周りに山らしきものが無い国でも「川が流れている」ことに驚いた。 水不足の前に、澱んだ水を何とか綺麗にする技術と、やはり海水の真水化が期待される。
そして、日本の紙おむつの技術で砂漠をすべて緑の草原にすれば、自然体系は大きく変わる心配はあるが、「水の星地球」になれば、いろんな「良いこと」が期待できるのではないだろうか。
おっと、ケチケチ精神から少し外れてしまったようだ。
投稿者:つねちゃん
at 08 :08
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電化製品のヘルプデスク
最近になって、確かにかつてのお役所の「修理部品の確保時期」(とされる)7年以上経過して十分寿命を全うしてくれた電化製品の買い替え時期が立て続けである。
昔から電化製品については、人一倍早く理解して「何か分からないことがあったら聞いてくれ」と嘯いていたし、事実的確に回答していたことがある。
しかしながら、最近の製品はかなり高度な機能を内在しており、とても一筋縄では理解できない。
つい先日も「炊飯器」が8年余りの期間を経過して、どうにも使えないとのことで、家内から相談を受けて買い換えた。
もとより炊飯については家内の方が数段上の知識を持っているので、銀シャリと玄米くらいの差は理解できるものの、お強を炊く、お粥を炊くおよびその他の区分についてはほとんど分からない。
で、分かっているところは別として、分からない場合は「0120」で始まるメーカーのヘルプデスクに電話を掛けて教えを乞うことにしている。
この時のケチケチ精神は、私が一番下手な「時間節約」に寄与することである。
「下手な考え休むに似たり」でいくらマニュアルと睨めっこをして考えても、出てくる知恵は然程のことではなく、時間ばかりが徒に過ぎてゆくことがかなりの確率で防止できる。 ぜひともわからない場合にお勧めする。
話は別になるが、最近のラジオで「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」というフレーズを時折耳にするが、「聞くは一時の恥」は確かにそうだが「知らぬは末代の恥」だと信じて疑わなかった。末代の恥である。
投稿者:つねちゃん
at 08 :07
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ノートの端切れ利用
もうそろそろ底を尽きかけているが、親子と言うのはやはりどこか似ているようで、父の遺したものの整理をしていて、驚くほどの「使いさしノート」が出てきた。
また、息子も高校時代のものや大学時代のものも同様に出てきた。
父には確認しようもないので、いわば無断でだが、息子には確認して書いてあるものは残す必要はないから、使える部分は使ってもよいとお許しを頂いた。
もちろん、私の残した分は在学中もそうだが、その他日記の使っていない処や、リタイアしていくつかの講座に通った時に使っていたノートやルーフリーズなども出てくる、出てくる。
そんな訳で、折り込みチラシと同様に原稿用紙を両面に印刷して「書き写し」の用紙として使っている。
整理し始めた時には「こんなに使えるものだろうか」と驚くほどだったが、かれこれ10年以上も使っていると、冒頭にも書いたとおり、「底を尽きかけている」のである。
これはバラバラにしているとごみ程度にしかならないが、このようにして使うと、1枚1円として勘定しても相当の額になったと思う。
ケチケチ精神は、元々「塵も積もれば山となる」であるから、今後も続けて行きたい。 ノートをすべて使い切る、と言うことは、私の場合、考えられないから。
尤も、それだけ無駄をしているということにもなるのだが。
投稿者:つねちゃん
at 08 :32
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パチンコの保留玉
最近は滅多に行かないが、TVのパチンコ番組は好んで見ている。
その中で時折「この台なら楽しめそうだ」と言う台が見つかると、それから約1カ月ほどしてから近くのパチンコ屋を覗き、1円パチンコになっていると少しだけ(1,000円を限度)座って弾くような状況である。
一頃は「何が何でも(大分酔っていても)一日一度はやらなければ」と言う調子だったから、隔世の感がある。
それはともかく、最近の台のほとんどが「ルーレット方式」であり、同じ数字や模様がそろえば「当たり」と言う方式である。
そのために「ルーレット1回分」が「保留玉」として記憶されるのだが、平常の場合は大体4個までである。
ここで、みみっちいことだし、それならやらなければいいのに、と言われることを承知であるが、4個まで保留玉が溜まると、弾くのを一時的に止めてしまう。
確かに回転権を得るところに入ると、数個の球が「入ったよ」の代償として出てくるのだが、昔のように「稼ぐぞ」と言う気持ちではなく「いかにして長く楽しむか」に視点が行っているので、そのための「停め」である。
このことは、パチンコだけではなく、いろいろなところに「これ以上は、今やっても無駄」と言うことがあって繋がるのではないだろうか。
大体の場合は、真剣になり過ぎて気が付かないのだが、時折第三者として自分を俯瞰してみると「何も今やらなくても」と言う気がしてくることがあるものだろう。
ケチケチ精神は、このような処にも「気づき」を与えてくれる。
投稿者:つねちゃん
at 08 :44
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新聞の活用
新聞を読んでいても「ケチケチ精神」を生かす読み方があると思っている。
喜怒哀楽を伴って読むことである。
先日投書したのは、このテーマを思いついたのが原因だったか結果だったか順は忘れたが、まさにその内容だったので、新聞に掲載されたものを転記しておこう。
原文よりもプロが手を入れたのだから、少しは品が良い文章になっているのではないだろうか。でも、主旨としては全く変わっていないのである。
新聞を読んで楽しい記事探し
残念ながら、毎日の紙面には、楽しく笑えるような記事が新聞紙上をにぎわしていることはめったにない。しかしながら、嫌な気持ばかりで新聞を読んでいても面白くないので、つとめて「楽しい、きれい、笑える記事」を探すようにしている。大概は小さな記事なので探す必要があるが「楽しみを探す」と言うことは決して嫌なことではない。嫌な記事には、それなりの感覚を持ちながらも、楽しいことには文句なく笑うようにしている。ささやかな私の新聞の楽しみ方である。
ここでは、楽しく笑えるような記事について書いているのだが、もちろん文中にもあるようにそんな話題ばかりではないのが現実である。
それを黙々と読むのではなく、怒ったり、悲しんだりもして読むのである。
すると同じ新聞購読料から受ける感動が倍以上にも感じられるから、やっぱり一つの「儲けもの」であろう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :52
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折り込みチラシの活用法(2)
諸姉・諸兄に置かれても、同じように折り込みチラシを活用されているのではないだろうか。
昨日の活用方法とは別に、これからの季節ウィスキーをオンザロックや氷入りの水割りで、グラスで飲まれることが多くなるのではないだろうか。
そんなときに必要なのが「コースター」である。
今までは家内の趣味のパッチワークで使っていたのだが、長く使うと布と縫い物と言うことで、どうしても「よれよれ」になってしまう。
そんなとき「使い捨てコースター」を孫達が作ってくれるのが最適である。
何回か作ってくれているうちに、孫達も考えて、折った姿がチラシのできるだけ綺麗な写真や模様が現れるようにしてくれている。
これなら少しくらい結露が滴って、よれよれ状態になったとしても、気軽に取り換えられる。
お金には換算できないが、孫と爺婆との交流素材としてはかなり有効である。
尤も、これがいつまで続くかが少し心配ではあるが。
投稿者:つねちゃん
at 08 :22
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折り込みチラシの活用法(1)
娘が生まれた昭和48年頃の「オイルショック」で新聞紙面も減少したけれど、折込チラシが殆ど無くなった時代とは、まるで雲泥の差の如くに、折込チラシが無い日が無いくらいである。
両面印刷してあるものは、家内をはじめとした女性陣が折り紙で捨てられるごみ箱にして再利用しているが、とてもすべて使えるものではない。
それでも「勿体ない」精神は生きているので、そういう意味では「ケチケチ行動」である。
私が行っているのは、裏が白紙になっている物の活用である。
A4よりも広いものは、B5の用紙サイズに父の遺した「ペーパーカッター」を使って綺麗に切断して、それにPCで作った20x20の原稿用紙を印刷して、書き写しの用紙にして使っている。
1か月も貯めると、だいぶんの量になるり、随分と助かっている。
市販の紙に換算すると、ざっと1枚1円くらいだろうから、2カ月で250枚くらいになり、1年では1,500円位になるのではないか。
ここでようやくお金の換算が出てきた。
わずかの金額でしかないが、年間それだけの「パッと使う」が実現できる。
投稿者:つねちゃん
at 08 :23
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お魚は大体は骨まで食べる
私は肉類よりもどちらかと言えば、魚類の方が好きである。
最初に米国へ出張に行ったとき、朝食は別として、昼食と夕食は殆どが肉類だった。
接待と言うほどの扱いは受けていないけれど、紹介や誘ってくれるお店がほとんどそれだった。
さすがに最初は「これが米国の肉かぁ」と驚くとともに美味しく頂いたが、3日目には嫌になってしまった。
外れついでに、昔の住まいの筋向いに大きな魚市場があり、早朝に見に行ったりすると「ほれ、これ食え」と分厚い刺身を頂いたことも好きになった原因の一つだろう。
話を本題に戻して、目刺し、柳葉魚(シシャモ)などの小魚と言われるものや、鯵の干物などの小骨などはすべて食べる。
さすがに鯛や鱈、ホッケ(魚偏に花と書くのだが、表示されない)などの大骨はそのままでは食べられないが、時折だけれど、天日でカラカラに干して、ミキサーで粉にして、塩などを混ぜて振りかけにして食べたこともある。
諸姉・諸兄は「ウナギの骨」を食べられたことがあるのではなかろうか。
多分醤油などのたれをつけて焼いたもので、つまみなどとしても売っている。
ことほど然様に「出来るだけ」だけれども、魚は骨までも食べるようにしている。
無理せずに食べて見られてはいかがだろう。
カルシュウム不足は怒り易くなるというから、その防止にもなるのではなかろうか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :35
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ブロッコリーは表皮を除いて食べる
ブロッコリーはどのような部分を食べられますか。
大概は頂点の部分を茹でて食べられるのではないでしょうか。
私の友人で、胃潰瘍だったかの診断を受けて、ブロッコリーの馬鹿食いで直したと言っていた奴がいます。
それはそれで大した奴ですが、ブロッコリーにはそれなりの治癒力を助ける成分があるのではないでしょうか。
昔私はどうにもあればあまり好きではなかったものです。
本題に戻して、肉料理などやそのままサラダでも我が家では出され、孫達も喜んで食べています。
もちろん薬効はともかく、私も好んで食べます。
さて、問題は、残された茎の部分ですが、どのように処分されているでしょうか。
最初のうちは表皮の部分も刻んで、とチャレンジしましたが、完全に駄目でした。
で、「果たしてどの部分までなら食べられるのだろうか」と探索することにして、固い表皮の部分を徐々に剥いて行きました。
そうしてたどり着いたのが、随分細くなりましたが、芯の部分が柔らかく、美味しく食べられることに行きついたのです。
その後家内や娘の協力で、もう少し薄く剥いても大丈夫だと分かりました。
かくして、大部分とまでは言えませんが、かなり食べられることが、今では「ジョーシキ」として我が家で通用しています。
固い部分は残念ながら出汁も出なさそうなので、生ごみ処理機で乾燥させて、しかる後に畑の肥料になっています。
投稿者:つねちゃん
at 09 :00
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キャベツは芯も食べる
キャベツはどのようにして食べられますか。
私の得意技は、やっぱり炒飯の具ですよね。
ざっくりと切ってマヨネーズや塩で食べるのも美味しいですし、大阪当たりの「つけ焼き屋」ではそのままスプーン代わりにソースをすくうというのも経験したことがあります。
単身赴任時代に「独身寮」という所にも約2年滞在していて、若い人(私もまだ40代で随分若かった)と一緒に年に二度の草刈りの後BBQ大会をやりましたが、焼きそばに使うのでキャベツを買ってくるのが常でした。
丸1個買ってくるのですが、当然芯の部分は残る訳で、一杯(イッパァーイ)飲んだところで、誰かが言いだした「キャベツの兜焼き」を食わせる一種の罰ゲームで盛り上がったりしました。
それからもうずいぶん経ちましたが、キャベツの芯は食べられます。
炒飯の具はもちろんですが、薄く切って少し塩をして漬けると、酒のつまみの一品になります。
また、少し乱暴と言うか手抜きでは、少し厚めにスライスして、直火で焼いて、好みの味噌をつけても美味しいです。
一つのコツは「よく噛む」事です。
間違いなく美味しいです。
大体は私の場合「おつまみ」になりますが、ある女性から聞いた話では、やはりスライスするのですが、ネットに入れて出汁を取るのだそうです。
尤もこの場合の出汁殻は捨てるというので、少し違うのですが、うまく煮立てるとよい出汁が取れるそうですよ。
投稿者:つねちゃん
at 08 :12
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人参はすべて食べる
園芸高校に在学中の頃、先生から「人参はすべて食べられる」と聞いていた。
随分前になるが、最初の転勤で神奈川の藤沢市に住んだことがあるが、当時水虫でこそなかったものの、足が異様に臭くなり、随分困っていたのだが、ある時「人参の葉を乾燥させたものを靴底に入れておくと、効果がある」と聞かされた。
周りには一面の人参畑があり、農家の人に「葉を少し分けてもらえないか」と頼むと「いくらでもあるから持っていきな」と言われた。
天候も良い日が続き、少しでも湿気があると、臭いがきつくなるのではないかと、家内にも協力してもらい十分に乾燥させてから、靴底に入れてみると、随分効果があったことを覚えている。
これは人によって違うかもしれないので、やる時は少量で試されることをお勧めする。
その後何度かの単身赴任生活をして、人参も調理してずいぶん食べた。
ところが、皮をピラーで丁寧に剥き、綺麗になったところだけを使った。
勿論は葉が付いていても捨てていた。
尤も都会では人参の葉は付いて売っていることは殆どない。
ところが、園芸高校の先生の言う通り、確かについた泥は丁寧に落とすが、葉はこの辺の郷土料理かもしれないが、私の大好きな「ヨゴシ」で使う。
皮は時々は剥くことがあるが、剥いたものは、刻んで炒飯の彩として使う。
後でも出てくると思うが、基本的に「根菜類」は捨てるところが無いので、富山県での活動なのかもしれないが「食べキリン」に随分寄与していると思っている。
投稿者:つねちゃん
at 07 :09
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序章
随分と長いお休みを頂いた。
幸いにして、この期間中に家内、私、そして下の孫も無事に誕生日を迎えることができ、それぞれ楽しく嬉しいプレゼントも頂いた。
で、先月ご案内の通り今月のテーマは「ケチケチ運動と使い方」と言うことにしますが、「使い方」ではなく「パッと使う」にしたいと思っています。
それはさておき、どうしても「ケチ」と言うと「出すものを出さない」とか「人とまともに付き合わない」、「溜めるだけで使わない」と言う残念ながら悪いイメージを持たれるのではないだろうか。
ここでは、そんなことではなく「使えるものは徹底的に使って、無駄な出費をしない」と言うことである。
そんな事だから「稼ぐ」と言う意味では全くなく(自分にそんな才覚があると思っていないから)溜まる額なんてたかが知れている。
それでも「塵も積もれば山となる」で「塵も積もらなければ山とならない」とよく冗談にして言ったのだ。
その「塵の山」もいつまでも溜めていてもしようがないので「ここぞ」と言う時には思い切って「使う」と言うより「散財」するのである。
多分、明日から以降に紹介することで、溜まることは殆どないと思うが、それでもよくよく考えれば「塵」のように溜まっていることに気が付かれるだろう。
そうすることで、多分気分がすっきりすることになると思うし、私がそうなっている。
全てとは言わないが、一つでも二つでもやって見られればいいのではないかと思っている。
今日は序章なので、ここまで。
投稿者:つねちゃん
at 08 :17
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