毎朝のルーチン運動
メタボの解消が当然の目的だけれど、それに加えて横着なのは「何時までもスタイルのいいお爺さん」で、「昔の服がいつまでも着られる」と言う経済性の希望もある。
で、良く言う所の「筋トレ」はまずやらない。
ちょっとそれに近いのは「スクワット」「腹筋運動」それに「エキスパンダー」だろうか。
でも、回数からすればとても筋トレとは呼べないくらいのものだ。
お腹マッサージと身体のリンパという所を擦ることで便通を良くし、足上げと腹式呼吸で脂肪を活性化していることくらいか。
これにたどり着くまでは、良い意味での回り道はいろいろとした。
でも、朝やるので、時間が限られるから、自分が好きでないものや効果が認められないものはどんどん淘汰していっている。
健康雑誌を時々買って、運動の新陳代謝を測っているのだ。
今月も今日で終わり、次回の健康法の紹介はいつ出る雑誌になるだろうか。
マンネリはつまらないから、そんな楽しみもある。
投稿者:つねちゃん
at 07 :45
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政治ネタは好きじゃないが
ブログで政治ネタを呟いたところで「そんな政治家を選んだのはお前らだろう」と言われそうなので、いわば「天唾」もしくは「天罰」でしかないのだろうから、ここで書くのは極力控えてきた。
ところが、最近は目に余るものがある。
法律学者じゃないから適切な判断かどうかは分からないが、何らかの隘路を見つけて(もしくは解釈して)後方支援かどうかなども判断せずに、戦争や紛争にかかわれば、現在の自衛隊委員だけでは賄え切れなくなるだろう。
だからしょうがなく「募集」しなければならなくなり、応募者が少なければ「強制」と言うことになろう。
「徴兵」ではなく「強くお願いして合意が得られた」とでもなんでも「理屈膏薬」の類の論理になるだろう。
我々団塊の世代はよほどのことが無い限り「お願いされる」ことは無いだろうが、息子の世代はどうだろうか、孫の世代はどうだろうか、と考えるとやはり心配が間近に感じられる。
とは言ってもこれも「天唾」か。
投稿者:つねちゃん
at 06 :41
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食べ物の番組は嫌いだ
どこそこへ行ってこんな美味しいものを食べてきました、と言うような番組は、どうにも好きになれない。
旅行番組でも、同じようなシーンが出てくる。
たった二人くらいで行っているのに、船盛りのものが出てきて、果たして食べきれるだろうか。
よしんば食べられたとしても、それだけでお腹がいっぱいになってしまうだろう。
いやいや、嫌な点はそれが無駄になるというのではない。
何人かで行って皆が口々に「美味しい」と絶賛するのである。
今まで何度もグループ旅行をしたけれど、中に必ず「私はこれが余り好きでない」ならまだしも「いや、これは嫌いだから食べない」と言う輩がいたものだ。
異口同音に、それも十分に味わえるはずがないほど、口に入れたとたんに「美味しい」を連発するシーンは、誰が見ても不思議を通り越して気味悪くなるのではないだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :25
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父の日のプレゼント
今年のプレゼントは、先日孫がお手伝いしているときに割らしてしまったご飯茶碗の後継だった。
メタボでそれなりにダイエットを心掛けていることとを配慮してか、今までの物よりも少し小振りになっていることに感謝の気持ちが湧く。
模様は、私の好きな「唐辛子」だけれど、毒々しい赤ではなく、青なので、気を付けなければ唐辛子と分からないくらいであるが、見たとたんに好きになった。
感謝である。
今でも愛用している父の日プレゼントは、昭和61年に当時15歳になる少し前の生意気盛りだった長男からもらったデスクミラーである。
今も私の前に掛って私を写している。
勿論30年近く経つのだから、鏡の周りは剥げてきているが、実用的には十分であり、毎朝笑顔を見せてくれる。
割らした孫には「形あるものはすべて無に帰す」のだからあまりに心配することはないと言い聞かせ、なぜ割るような事態になったかだけは考えていてくれと言っておく。
どちらも、感謝しながら大切に使っていきたい。
投稿者:つねちゃん
at 06 :49
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銘酒の大量生産
かつて一度だけ、それもお猪口で1杯だけ飲んだことがある、日本だけでなく世界的に有名になった「獺祭」と言うお酒。
当時私は、飲み会の席の余興ではあったけれど、結構利き酒で当てたものだった。
ところが、量が少なかったからか、ほかの酒で酔っていたせいか分からないが、正直味の方はほとんど覚えていない。
評判がいいので、蔵を増設して大量生産になるそうだ。
かつていろいろな日本酒を出張の度に「土地のもの」と言うことで美味しく味わった。
でも、少し経って行くと、味が変わっている。
理由はいろいろあるようだけれど、結果的には「ブレンド酒」になっているのだった。
具体的な名前は営業妨害になるから言えないけれど、「昔あんなに美味しかったのに」と思いながら飲む酒は、なんだか気の抜けたように感じてしまう。
やはり私には地元の余り名のないお酒で、一般的には「安酒」が合っているようである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :37
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ボールペンを使い切った
シャープペンシルの芯は、使い方にもよるだろうが、比較的「短命」であり「使い切った」と言う感覚は余りないのではないだろうか。
それに引き換え、ボールペンはなかなか「長命」でもあり、使い切ると「本当に長い間ありがとうございました」と言う気持ちになるのは、私だけの感覚ではないと思う。
一番ボールペンを使っていたのは、何度か紹介したけれど「品質管理」と言う仕事に就いた時だったろう。
ともかく常に赤いボールペンを持って「ここが悪い」「ここはこう記述すべきだろう」などと指摘して回り、正直「好かれる仕事」ではなかったものの、それなりに成果も上げ、罵声を浴びせた人からも、後になって感謝されたこともあった、という良い思いを持っている。
当時は3か月くらいしか持たなかった。
先日「書き写し」で使っているボールペン(勿論黒)が中が見えるようになっていて完全に使い切った。
久しぶりに「快感」であった。
なかなかできない「断捨離」だけれど、使い切ったうえで感謝して「捨てる」と言うことはナント気持ちのいいものかを久しぶりに味わった。
勿論ペン先は金属なので、本体のプラスチックと切り離して、分別して捨てた。
少しでも「より気持ちよく」ということで。
投稿者:つねちゃん
at 06 :38
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朝は一度スッポンポンに
寝不足だったりで体内時計を目覚めさせるのにはなかなか難しいものがある。
随分昔に流行った(と自分では思っている)「ノーパン健康法」で、実際にやったのは「ノーパン睡眠」だった。
ちょうど単身赴任時代だったので、誰にも気兼ねが無い。
また、当時は出張が多い仕事だったので、ホテルで朝を迎えることも多かった。
その頃からだったと思うが、部屋着と言うかパジャマ風のものは上から被るだけのものだった。
自然にパンツは明日用のものを穿く訳にもいかないのでノーパンだった。
最近ネット上でノーパンの勧めと言うような記事が出ていた。
それもいいが、朝起きたら一度すべてのものを脱いで「スッポンポン」になってみてはどうだろうか。
冬場は難しいかもしれない(私は冬でもやっている)が、やってみると結構気持ちが良いし、朝日を浴びられる場所であれば、完全に体内時計が調整できるだろう。
健康的かどうかは知らないけれど、清々しさは保証できる。
投稿者:つねちゃん
at 06 :11
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一日の反芻のための小遣い帳
シングルになると、いやいやそうではなくても、リタイアすると「兎も角節約」と言うことが先に立って、いわゆる「銭の亡者」と言う風になりかねない。
そうではなく、もちろん十分ではないだろうけれど(お金なんてどれだけあっても多すぎるという感覚は持たないものだから)「ケチケチ精神」を発揮し、時によると「出すものも出さない」と言うようなことになりかねない。
それでは困るだろう、出す時は思い切って出し、節約するところは節約する、と言うのが「身綺麗」になることだと思う。
そういう点でも「小遣い帳」を毎日付けてはどうだろうか。
それも、できれば、翌日になって付けるのである。
忘れることも多いだろうから、忘れないうちに付けておこうねと言う気になるのは十分理解できるが、それをあえて「翌日」に思い出しながら付けるのである。
そうすることによって、昨日の反芻ができて、脳活の一つになる(と思う)。
私も毎日それを実行している訳ではなく、ついつい「その日のうちに」と言うことになるのだが、何時もの様に「できるだけ」と言うことでトライしている。
約1年ほど続けて、振り返ってみると「自分のお金の流れ」がおのずと見えてくる。
そのうえで「これは居る/要らない」を整理したりすると、一石二鳥になると思うのだが。
投稿者:つねちゃん
at 07 :59
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高齢者に「創造的な仕事」を
意外と「プログラミング」と言うのは面白いかもしれない。
先日から音読を開始した本からのヒントで思いついたことである。
巷間2030年問題と言う話題が聞こえてきている。
まだ昔の思いがあるのかもしれないが、あくまでもIT業界での話題である。
最近は何でもかんでもと言って良いくらいロボット試行になっていて、人間はロボットに任せられるところは任せるべきだ、と言う論理である。
かつて所属組織のトップが「汗は機械にかかせろ、君たちは能を使え」と言うような趣旨の言葉があった。
当時は大賛成だった。
と同時に、かなり偉い人とお酒を飲んだ時の話題で「人間が出来てロボットに出来ないことは」との問いがあり、少し(?)飲んでいた私は臆面もなく「それはcreation(創造)だと思う」と発言して、その人と意気投合したことを覚えている。
確かにロボットとの住み分けはいくつも課題があるが、人間を「淘汰する」と言うことだけは起こしてはならないと思っている。
話題が反れたが、高齢者に「プログラミング」と言う創造的なことを覚えてもらってはどうだろうかと言う提案である。
昔、コンピュータ初心者(今から仕事にしなければならない人たち)によく言った言葉だが「二次方程式を解くプログラムを作って見たまえ」だった。
公式は示してあるのだが、意外と難しいものである。
でも、それが解けた時の本人の喜んだ顔が今でも忘れられない。
そんな所から「創造的なもの」が出てくるような気がしてならない、と思うのは考え過ぎだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 07 :56
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「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」
ネット新聞を読んでいて出会った言葉である。
小学生時代から、高校卒業までの12年間、我々の年代は「兎も角詰め込め」と言う学習指導方針だったのではないだろうか。
当時の私自身はあまりそんなことは気にしなかった。
国語は貸本屋をやっていたことから、今でも覚えているのは「南総里見八犬伝」を何度か繰り返して読んだことから、漢字は調べながら読んだことが幸いしたのだろうが、成績は良かった。
理科は近所にラジオを作る人がいたので、電気だけには興味をもって自然と学んだが、生物や鉱物などは全く駄目だった。
算数・数学は父が学生時代の教科書があり、それを読んでいて興味を持ったので、割と良かった。
社会は特に歴史は発生年を覚えるのがたまらなく嫌でいつも成績は下から数えるだけ。
なぜか小学5年生くらいだったろうか、英語を話す人が近くにいらしたことから興味を持つようになった。
ことほど左様に「すぐ役立つ」こととは縁遠い環境だった。
でも、標記の言葉に出会って、なんだかホッとしている。
投稿者:つねちゃん
at 06 :18
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パソコンの操作を覚える前に
今やパソコンは「手放せない機械」になっているのが現実ではないだろうか。
特別教える資格など持っていないが、基本的にはボランティアで「御用聞き」程度に解る範囲内でサポートなどをしている。
残念ながら使う言葉はカタカナ英語であるから、電話などでの対応の時に困ることがある。
請われてやっている講習会でも「すぐに覚えなくてもいいのです。何度も繰り返しているうちに自然に覚えますから」と言っている。
しかしながら、ダウンロード、(アン)インストール、(右/左)クリック、メニュー、タブなの基本用語はやはり覚えてほしい。
でないと、話がかみ合わなくなるから、誤解から違ったことを伝えることになる。
この項は、最初は投書にしようと思って書き始めたものである。ところが、書いているうちに「講師の我儘だなぁ」と思い始めた。
だからこのブログをお読みいただける人なら共感が得られるのではないかと思って、こちらにしたものである。
最後には「ねぇ、ご同輩」と付け加えたい。
投稿者:つねちゃん
at 07 :49
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南無阿弥陀仏は人間を変えられるか
就寝前読書として、3月から始めた表題の本を昨日読み終えた。
浅学非才な私から言うと、結論的には、仏教書に共通していえると思う趣旨である。
また、多少哲学的な言い方になるけれど、次の様ではないだろうか。
「変えられるように変えられたい変えられないように変えられる」と。
この短い文章でも同様だけれど、読む人や読む境遇などによって、意味が違ってくると思う。
とんち話なのか、笑い話なのか、はたまた哲学なのか、それとも詐欺の口上なのかの「明日は雨が降る天気ではない」と似たようなことではないだろうか。
決してこの本だけではなく、仏教書全般がそうだという気持ちは全くないが、わずかな期間しか生きていられない「人間(この本では、ひと、とルビを振っている)」だから、そんなことがあってもいいのではないだろうか。
「幸せや不幸せと言うものはこの世にない。その人が、その事態をどう受け止めるかでそれが決まる」と言う言葉は私が好きな言葉の一つである。
この後継の本としては、まさに仏教シリーズである「仏教入門」にした。
「入門」は大好きな言葉の一つである、そういえば放送大学でもこの名を冠した講座を(途中からだけど)先日から受講している。
何事も「始める」ことは楽しい。
投稿者:つねちゃん
at 06 :27
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二十歳の老人、八十歳の青年
今月から交代した音読の本、平成元年に発行された「さわやか育老法」と言う本で出合った言葉である。
要は「物理的な時間や年齢で老若は判断できない」と言う意味である。
これと似たような言葉は今までも何度も聞いたような気がするが、その時は「俺はまだまだ若い」と信じ込んでいたし、現に現在のようなメタボの症状も一つもなかったから、思い切り仕事に打ち込んでいた。
勿論成功ばかりではなく、自分の失敗ばかりでなく、部下の失敗の責任もあった。
それでも「元気溌剌」だった(はずである)。
10数年前にリタイアして、両親を見送ってからは「燃え尽き症候群」ではないが「これからはのんべんだらりと暮らそう」と思っていたし、今でもその延長上である。
本では「情熱を持たなくなったら老人」とある。
はてさて、現在の私の「情熱」とは何だ、と考えさせられる言葉であった。
いろいろあるけれど「これ!」と言えるものは何にもないような気がする。
考えよう。
投稿者:つねちゃん
at 06 :30
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孫の呼び名
ネットのクイズコーナーで出会った「孫の呼び名」。
孫の子供は「曾孫(そうそん・ひまご)」であることくらいまでは「常識の範囲内」と言うことで知ってはいた。
「玄孫(げんそん・やしゃご)」もまだまだ「少し広い知識」と言うことで読めるし、意味も分かる。
次が「来孫(らいそん)」。全く分からない。やしゃごの子で、自分から5代目の孫のこと。
そして「昆孫(こんそん)」。当然順番から言うと、やしゃごの孫と言うことになる。ここで6代目である。
「仍孫(じょうそん)」。その子と言うことから、やしゃごのひ孫と言うことになる。ここで7代目。
「雲孫(うんそん)」ここで終わりらしく「雲の様に遠い関係の孫」と言う意味だそうでこんな漢字を当てているようだ。
さて、私が解るのは、前述の通り「やしゃご」までだが、諸姉・諸兄はどこまでご存知でしたか。
いやー、やっぱり学習って楽しいものですな。
投稿者:つねちゃん
at 06 :10
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姪と話した
少し疎遠になっている姪と電話で話す機会があった。
用件が済むと「伯父さんは父と同じ喋り方をする」と言う。
色々な関係で子ども時代の期間よりも長い間疎遠になってから相当経つが、「三つ子の魂い」だから、そんなに変わるものではないと説明し、人にはそれぞれその時々で「どちらの道を選ぶか」で違ってくるものだと話した。
話しているうちに、自分にも言い聞かせているような気持になった。
同じ高校を卒業して就職先が同じだった親友も今では全く違った人生だし、会社の研修所で2年間仲良く過ごし、いわゆる「同じ釜の飯」を食った友人もそれぞれ違った人生を過ごしている。
幸いにして年に何度かは旧交を温めている。
35歳の姪御と話していて、なんだか自分を邂逅しているようで、楽しくなってきた。
投稿者:つねちゃん
at 08 :16
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補正しながらの生活
今まで「こんなものだ」と数分速かった時計もそのままにしていたが、やはり何か都合が悪く感じて、補正した。
電子的な補正ではないから、秒単位での差はあるだろうが、幸いそんな一刻を争うような生活とはもう縁が無いゆったり気分の生活を過ごしている。
そんなことをして思いついたのは、自分の生活は、果たして補正しているだろうか、と言うことである。
何も哲学的なことではなく、「少しの不正」も「まぁ、良いや」で済ませていないだろうか。
何もすべて今すぐ直せるものではないけれど、これからは気が付いたら秒単位のような少しの狂いは許容範囲としながらも、できるだけ補正しながら生活していきたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :19
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幸か不幸か「戦後の生まれ」
団塊の世代真っただ中のベビーブーマーである。
色々なネーミングで議論を呼んでいる法案で、どうもきな臭い匂いがするのは私だけではなかろう。
そんな中で過ごしてきた「戦後の生まれ」だが、子供のころは「貧乏人が服着て歩いている状態」。
学校ではいつも「すし詰め状態と詰め込み教育状態」。
そして就職しようにも「いずこも狭き門状態」だった。
今の子供や孫のことを考えると、どう理解するかは人それぞれだけれど「雲泥の差」と言っても過言ではなかろう。
でも、山へ行き「アケビのホロ甘さ」を楽しんだり、川で小鮒やナマズを釣って食べたりと言う幸福もあった。
中でも「兵役」と言う不幸が無かったことが最大の幸せだったと思っている。
投稿者:つねちゃん
at 08 :16
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韮は便利
プランターで韮を栽培している。
冬越しが水や肥料の関係でうまくいかなかったのか、4つのプランターのうち3つが細いままになっている。
以前は「太いのがあるから良いや」とあまり気にもしなかったのだが、今年は「こうなったのは自分のせいで、韮が悪いのではない」と思いを切り替え、細いものは細いなりに収穫した。
3つ分のプランターだから、それなりの量がある。
直ぐに使い切るには多すぎるのである。
ところが、やった方はご存じだろうが、収穫したらなるべく早く使わないと「足の速い野菜」なので、すぐに駄目になってしまう。
そこで、今年は綺麗に洗って、3cm位に刻んですぐに冷凍庫での保存にした。
あれからもう2か月以上経つが、凍ったものを適宜つかみ出して、そのままだったり、再度刻んだりして使っている。
味も悪くないし、市販の冷凍食品の様で日持ちもいい。
私にとって韮は快便の材料である。
これから辣韭が出てくるが、冷凍韮が無くなったら、そろそろ伸び掛けている韮もまた収穫して、辣韭と一緒に快便生活を過ごそう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :16
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耐久消費財の売れ行きが落ちている
車に代表される「耐久消費財」の売れ行きが落ち込んでいる、と言う報道が目についた。 統計的な見方が悪いわけではないはず、と言うのは、私も分野こそ違え品質管理と言う視点で色々なデータを統計的に分析したので、理解はできる。
だが、「耐久消費財」と言われると「売れなくなるのは当然だろう」と言う理解をしてしまう。
でないと「耐久」の意味がなくなるだろう。
「久しく耐えて使える」ものなのだから、よほどの技術革新か機能的な向上が無ければ、買い替えないだろう。
我が家でも、最近娘が結婚した14年前に買った冷蔵庫の調子が悪くなったので、買い替えを検討中だけれど、そんなサイクルで物を考えるべきで、一律的に「統計」を振りかざすのには、なかなか合点がいかない。
投稿者:つねちゃん
at 07 :49
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「上空間」を活用しよう
基本的に「本」と言う物質は大好きである。
確かにいろんなものが「電子」と言う形に変わり、私もその一端を担ってきたのだが、それでもなおかつ現在も毎月多分数百をくだらない活字媒体での出版がなされているのだろうから、愛着は拭えない。
「あれも読みたい、これも読もう」とついつい身近に置いておき、結局は「積読(ツンドク)」になってしまっているのが、昔ほどではないけれど残っている。
しかしながら、これもまた「上空間」の利用に他ならないのだが、今回のテーマは、それとは別で、いろいろなものに紐をつけて「ぶら下げておく」と言う意味での「上空間」の利用方法である。
これはやってみると、意外と効果的である。
積んどくと違って「ざっと見まわす」だけでいろんなものが「見付かる」し、掃除の時に一々移動させなくても済む。
加齢による「物忘れ」の予防や防止にもつながるのではないか。
どちらが先になるか分からない時代だが、何時までもベターハーフが居て注意してくれる訳でもないから、自分でできるだけのことはするような方法の一つになろう。
投稿者:つねちゃん
at 06 :12
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ミニ旅行徒然記(姫路城)
平成の大修理が完了した姫路城が二番目の目的地だった。
元々歴史と言うものには、自分の勉強不足を棚に上げて「年号だけを覚えさせる歴史の教え方が悪い」と嘯(うそぶ)いていて、嫌いな科目の筆頭だった。
だから、姫路城や千姫と言うキーワードには全く無感動だった。
ところが、船橋から中野へ通う電車を利用したころ、西船橋駅からは大概座れたので、先輩から「読んでみろ」と貸してもらったのが最初で、出張族での移動時には図書館から借りて、最後には自分で買い揃えて読んだのが「徳川家康」だった。
その中で秀忠、千姫の生涯に少し感動したので、その点から姫路城が記憶に残っている。 前置きが長くなったが、2001年に家内と旅行の途中で立ち寄ったが、工事中で殆ど見ることができなかった。
それが今回は「白鷺」の名前の如く、見事なものだった。
添乗員さんの指導で「兎も角天守まで急いで、降りてくるときにいろいろ見た方が良い」とのことだったので、その通りにしたが、天守からの眺めをはじめとして、漆喰の白さが際立って見事な仕上がりだった。
昨日の竹田城とは違って整備されてはいるが、急な階段をのぼりおりしながら十分に堪能できた。
降り切った時にアナウンスが入場制限を告げていた。
勧め下手な私だが、漆喰の白さが見事なうちに訪れられてはどうだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :47
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ミニ旅行徒然記(竹田城)
今日と明日は、予定していた稿を繰り延べて、先日行ってきた旅行について書かせていただきます。
両親を見送ってもうまる4年がたちますが、リタイアしてから、ショートステイなどの介護保健のお世話になりながら、続けてきた「結婚記念日(近辺の日にちでの)旅行」で行ってきました。
今回は昨年計画していたけれど、旅行社の都合でコースが催行されなかったことと、今年も少し日付が違うけれど申し込んだけれど矢張り催行されなかったので、今回のコースも申し込んだ時点では「あなた様が最初のお客様です」と言われ、催行が危ぶまれていて「その時は仕方がないから自家用車で行こう」と腹をくくっていたのです。
でも、結婚記念日が5月30日で、29日から30日の一泊二日でグッドタイミングでの催行でした。
前置きはここまでとして、目的の最初は「日本のマチュピチュ」(これは現地の人が名付けたのではなく、観光客から出た言葉だそうです)の竹田城でした。
昨年だったと思いましたが、家内と久しぶりに観に行った映画「あなたへ」のシーンとなった場所でも人を呼んでいるようです。
足にあまり自信が無いと言っている家内は「近くまでバスで行けるそうだから」と気軽な気持ちだったようですが、なかなか簡単ではありませんでした。
でも、結果から言うと家内も私も十分に満足でした。
パンフにあるような風景は見られず、高倉健が立った場所にも入られず、天守台にも上ることはできませんでしたが、周りの風景や気候、ガイドさんの説明などで十分堪能できました。
元々「あそこは良かったよ」と言う紹介はしない(出来ない)私なので、審らかに書けば書くほど興が削がれると思ので、書きませんが、自分の都合に合わせて行ってみてはいかがでしょうか。
過大な期待を持たずに行けば、それなりの感銘を受けると思います。
投稿者:つねちゃん
at 08 :56
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