2016 年6 月30 日
2016 年6 月29 日
雪国での太陽光発電
太陽光発電システムが流行り始めてもう何年にもなるが、いまだに私の買いたいシステムが出てこない。 耐用年数を言われても、それまで私が生きていられるのかどうなのかも疑問であり、残念ながら確たる我が家の継承者はいない。 蓄電して売電できると言うが、確かにそれで幾ばくかの収入が得られたとしても、それで特別何か余計に買えたりと言う魅力も購買欲も少ない。 それよりも、毎年の雪おろしである。 冬季の発電能力がどれほどか分からないけれど、それを屋根雪の溶融に使えば、毎年起こる雪おろし事故による被害も少しは減るのではないだろうか。 足りなければ通常の電力を使えばよかろう。 それに維持費については、殆ど説明されていない。 雪や雨には春の黄砂を含めてたっぷりの埃が混ざっているはずで、受光効率が下がるであろうことは素人でもわかる。 「一度設置すれば売電で耐用年数分収入がある」は全く嘘ではないだろうけれど、あまりにも無責任な言い方ではなかろうか。2016 年6 月28 日
外草摘み
幸いにして畑の作物はそれなりに適度な雨と気温で順調に育ってくれている。 と同時に、目的外の植物も成長している。 一般的に言うならば「雑草の摘み取り」と言うことになるが、ずいぶん昔から「雑草」と言う言葉が嫌いで、釣りと同じで「外草」と言っている。 それはともかく、それの摘み取りもたいそうな仕事である。 広い所は草刈機でやるのだが、すぐそばに大切な野菜が育っているとそうもいかず手作業になる。 先日あるラジオ番組で「草は伸び放題にしておけば自然に淘汰される」と言うような説を聞いた。 その時は「それもありかも」と思っていたが、実際にやりだすとどうも違うことに気が付いた。 その人は目的外の草を殲滅されようとしているような、自分で実際の園芸作業をなさっていない方なのではなかろうか。 私は素人園芸だけれど、殲滅させるなどとは思っていない。 害虫に目的外の草を食べるついでに野菜の方も食べられてしまうので、野菜が収穫できる間だけは申し訳ないけれど寄り付かないように、という気持ちで摘み取っているのである。 その説を話していらした方の経歴などは存じ上げないけれど、私はその方が現実的だろうと思っている。2016 年6 月27 日
読書感想文
朝の音読の一つで、2月26日から読み始めた「(一日15分の)知的散歩術」(栗田昌裕 著 廣済堂出版 刊)を読み終えた。 私の散歩歴は結構長い。 一番よくやったのは、1週間に1日と言うテンポ(天気が悪い日はやらなかった)の「東京散歩」だったろうか。 それに合わせて読むとこの本は「なるほど」と思う所が多い。 しかしながら、リタイアしてからの散歩(エクササイズを含めるか否かは別にして)ではこの本は残念ながらほとんど参考にならないのではないかと思った。 東京散歩のタイミングは、単身赴任だったこともあり、土曜日曜のうちどちらかより天気のいい日は洗濯物の日にして、余った時間は無料の体育施設通いだった。 そのどちらかをほとんど終日散歩に充てた。 杉並区に寮があったので、最初はその近く、徐々に範囲を広げて、そのうちに電車で目的地の拠点駅まで行き、そこから始める。 当時は今ほどコンビニがあったわけではないが、お昼はスーパーに立ち寄り、簡単なお握りや寿司と缶ビールを1本。 都内には小さな公園が所々にあり、その木陰で缶ビールと一緒に昼食を摂る。 そんなことだから、自然に景色や名所を場合によっては有料でも入って見学した。 著者が書かれているように「五感」をフルに使っての散歩だった。 リタイア後は、最初はエクササイズ中心の散歩で、歩こう会と言うのにも入って約5年近く続けたが、だんだんテンポに物足りなくなったのと、ある程度の効果が出たので、しばらく止めた後、今度は「物見遊山」的な散歩を楽しんだ。 著者の書かれていることは理解ができるけれど、とてもそのように多角的な散歩は私はお勧めしない。 最初は時間や歩数に関係なく「そぞろ歩き」から始められて、目にするもの、聞こえる音などを気軽に楽しみながらやられることをお勧めしたい。2016 年6 月24 日
比例代表
今までの参議院選挙では、さすがに地方での立候補者にはほとんどいなかったように思うけれど(大都会は別にして)、比例代表という所にはタレントなどが各党の「看板」「人寄せパンダ」的に沢山顔を並べられていた。 正直あれだけ人気を取った青島幸雄を初めとしてそれらの人に一票を投じたことは無いが、結構上位に並んでいたから、当選する人も多かった。 残念ながら、それらの人が「活躍」したと言う話は聞いたことが無い(のかもしくは私自身が聞くことを拒否していたのかもしれないが)。 今回もそういう点ではどうかと一人一人眺めてみたが、私自身が知らないだけかもしれないが、かなり減ったのではなかろうか。 運動選手としては応援もしてきたし、好きだった柔道界のプリンセスだった彼女も、諦めたようで、個人的には「良かった」と思う。 なにも「政治のプロ」にばかり任せろと言う意味ではなく、それなりに政治と言うものを理解して上でなら良しともするが、殆どの人がそうでないから言うのである。2016 年6 月23 日
党首討論
この時期によほどうまく書かないと「批判」になるので、投書ネタにはしない分、こちらで書かせてもらう。 先日ある民放の党首討論番組を家内と飲みながらぶつぶつ言いながら見た。 一時期「電波を止めるぞ」と脅された局である。 若い司会者が「異論がある場合は挙手の上でお願いします。時間などの関係で必ずしも当てられるとは限りませんが、ご理解願います」と前置きして始まったが、案の定、現政権もしくはそれ寄りの人の映る時間がそれ以外の所と比べると(別に計った訳ではないが)長い、長すぎるのである。 正直また「止めるぞ」と言われるのを恐れたのだろう。 これではどこかの独裁政権と同じではないか。 こんな勢力がまかり通るのであれば、そのうち「自分に都合が悪い」ことであればいくらでもいちゃもんを付けて、最悪なら「投獄」と言うことにまで発展しかねない。 「不適切だが、違法ではない」と言う論理がまかり通るのであれば、警察も裁判所も要らなくなるのであろう。 尤も、いつも思うのだが、この論理は「天つば」だと言うことになるので、私自身も大きなことは言えないのだが。 驚いたのは、翌日の某新聞に、その党首が「不公平だ」と怒っていると出ていた。 どこまで自分だけの言うことを聞けと言うのだろうか。2016 年6 月22 日
読書感想文
これも就寝前読書のうちの一冊である。 「父親からわが子に贈る70の言葉 斎藤栄著 三笠書房刊」である。 第一章 わが子よ、もっと大きな人生を夢見よ、 第二章 ”わが子の青春”に父親は何を与えられるか、 第三章 「父の胸中のこの熱い思いを知れ」、 第四章 君の”人生設計”にこのことだけは言っておきたい、 第五章 君の”人生の賽”は今投げられる。 いずれの項目にも「そうだなぁ」「そうかなぁ」「息子に自信をもって残せるか」と言う気持ちが交錯して、正直なところ複雑な気持ちで読み進めた。 諸氏は如何だろうか。 自信を持って「これが俺が残す言葉だ」と言うものをお持ちだろうか。 わが子にではないけれど、退職するときに部下などに感謝の気持ちを込めて配った図書カードに次のように書いた。 と思って1枚だけ残しておいたカードを探したが見つからないので、覚えていることを並べると 「人生万事塞翁が馬 されど 人事を尽くして 天命を待つ」だった。 だが、著者の「あとがき」を読んで、なんだか納得した。 母子家庭ではなかったものの、父と面と向かって人生議論などした覚えはなく、職場も半官半民で似た様なもので、あるとき職位的には私が上になった時からは特にそうだったように思う。 著者の言葉に従うならば「今まで体験し考えてきたうえに立って、真理ではないし、他人に押し付ける気もないが、子供たちが成人した後に何げなく読んでくれさえすればそれでよい」。 この日記もブログもそのように邪魔にならない程度に残ってくれればそれでいい。2016 年6 月21 日
読書感想文
就寝前読書で「仏様の履歴書 市川智康著 水書坊刊」を読み終えた。 47の菩薩様や仏様などの功徳が解説されている。 御本家としては「釈迦牟尼仏」から「多宝如来」までの6体。 分家筋としては「聖観世音菩薩」から「虚空蔵菩薩」までの14体。 御本家をお守りされるのは「不動明王」から27体。 父を見送るまでは「単なる遺物」としてしか見ていなかった「仏像」だけれど、それからいろいろと仏教関係の本を読んでいたが、それでもこの本で初めてお名前を知る仏像が多くあった。 名前を言われただけで思い出すのは、お釈迦さま、阿弥陀さん、観音さん、お地蔵さん、お不動さん、寅さんからの帝釈天、鬼子母神、七福神の弁天様、大黒様、一度は会うのだろう閻魔様、石松代参での金毘羅様、あちらこちらでお目にかかるお稲荷さん、八幡様くらいだろうか。 この本は、しばらくは置いておこうと思っていて、時々思い出したら「どんな仏様だったっけ」と紐解いてみようと思う。2016 年6 月20 日
やはり素晴らしかった金色堂
旅行シリーズの最後になるが、最終日にはこれも期待の一つだった中尊寺金色堂を拝観した。 何年か前にNHKのハイビジョン映像で見たことがあったけれど、やはり現物はそれなりに素晴らしいものだった。 仏教系の本を何冊か読んではいても、殆ど思い出させないほど立派なものだった。 「松島や」の俳句の様に、とても口や文章で表現できない(その能力が私にはない)ものだったので、勿論写真などは撮れなかったけれど、その分記憶に深く残っている。 かつて私もそうだったと思うが、高校生らしき団体がいて、その中の数人が、説明を聞いてから5分ほどで集合場所に集まってきた。 これには引率の先生とガイドさんが「もう少し時間をかけて観てきなさい」と叱っていた。 興味のない人にはそんなものなのだろうが、必ずしも宗旨が同じではないけれど、その綺麗さと神々しさには仏教徒の端くれでしかないけれど、圧倒された。 外国人も見かけたけれど、彼らはどのような感銘を受けたのだろうか。 東北新幹線、北陸新幹線、あいのかぜ鉄道、娘の迎えで無事に楽しい旅を終えられたことに感謝である。2016 年6 月17 日
津波被害を思わせる
三陸鉄道南リアス線に乗って釜石から盛駅まで太平洋の景色を楽しんだ。 このように書くとさぞかし太平洋の雄大な景色とリアス式海岸の入り江を想像される人が多いだろうが、事実は相当に違っている。 確かに太平洋の景色と入江は綺麗だったのだが、それは「遠目」でものを見ているからであり、事実はまだあの津波被害が間近に見られるのである。 幾つかのホームには「ここまで来ました」と言う表示が残されていて、事実の凄さに驚いてしまう。 乗務員の人から話を聞いたが、言葉少なではあったけれども、訥々とした言葉の中にも多数の知人を亡くされた思いが滲み出ていた。 幸いに我が家は津波とは縁遠い所にあるが、天変地異はどんな時に起こるか分からない。 昨日も今回の旅行で素晴らしい感激を受けた函館で震度6弱の地震があったと報じられ、それが観測できていない断層だとのことである。 これを機にもう一度孫なども含めて話し合ってみたいものである。2016 年6 月16 日
雨にも負けず
このフレーズを聞くとすぐに次のフレーズが口ずさむのが、我々の年代ではないだろうか。 旅行も4日目の最初の見物場所が「宮沢賢治記念館」だった。 残念ながら、元々文学少年ではなかった(貸本屋だったのに、この手の文学はほとんど興味が無く、もっぱら少しエロチックな『南総里見八犬伝』などが中心の大人の本、ばかりだった)ので、『銀河鉄道の夜』(乗った電車はSL銀河だった)や『風の又三郎』『注文の多い料理店』などは名前だけは辛うじて知っている程度だった。 ところが、このフレーズで始まる「雨ニモ負ケズ」と言う詩は、今ではかなり覚束なくなっているが、一時期はそらで最後まで言える位に諳んじたものである。 時には自分を鼓舞するように、時には涙しながら、そして時には部下を思いやりながらと言えば格好付け過ぎるかもしれないが、いろんなときに口をついて出た詩である。 ほとんどすべてのフレーズが時により好きだけれど、一番好きなのは、最後のこの部分である。 「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」2016 年6 月15 日
移動中の食事
かつて無線仲間には長距離ドライバーを生業とされている方が数名おられたが、そのほとんどの人は「移動しながら食事をとることは基本的にしない」と言われていた。 身体が資本なので、食事は必ずできるだけ景色の良い所で車を留めて、ゆっくりと時間をかけて行い、終わったら運転席の後ろのベッド(一度だけ乗せて見せてもらったけれど、かなりゆっくりした広さだった)で30分程度の午睡をするのが習慣だったと聞いた。 一時期流行った「トラック野郎」の映画ではあまり記憶にないシーンだった。 今回の旅行中の昼食は、一度は完全に「移動中の電車の中」で、もう一度は道の駅の駐車場の車の中だった。 物見遊山だからそれも一つの楽しみだと言う企画だったのかどうか知らないけれど、客の年齢を考えてもらえれば、午睡は無くてもせめてゆっくり足を延ばして休めるような場所での食事であってほしかった。 昔の駅弁は、一つの郷愁ではあるけれど、それとはまた別だろう。 決して苦い経験と言うようにクレームをつけるつもりはないけれど、意見としては申し上げてもいいのではないかと思い、書いて提出してきた。2016 年6 月14 日
素晴らしかった百万ドルの夜景
ホテル到着が少し遅れたのか、たまたまそのホテルがかなりの混雑だったこともあり、到着後風呂に入る間もなく、アルコール抜きの夕食を相席を頼んで摂ってから、函館山行きの観光バスに乗り込んだ。 私らにとっては今回の旅行の大きな目玉だった。 ガイドさんの話によると、昨日は山がガスっていたので、ほとんど見えなかったし、平均するとうまく見えるのは50%程度の確率だと言う。 以前に北海道の宗谷へ来た時もそうだったけれど、前日までは天候は最悪と言うことで、その反面私らが来た時にはまさに「打って付け」という天候に恵まれた。 風が適度に吹いていて、夜景は一点の曇りもなく、人ごみに押されながらも素晴らしい景色を堪能できた。 何枚も写真を撮ったけれど、むしろ今でもその当時のことが脳裡から消えていない。 旅行を通じてすべての日が天候に恵まれたけれど、やはりこの日が最高だった。2016 年6 月13 日
途中駅のサービス
五能線の能代駅で、面白い企画に出会った。 能代と言う地名からすれば、秋田音頭で知られるように「能代春慶」だとばかり思っていたので、塗り物が駅に陳列されているのだろうと思っていた。 ところが、能代工業高校のバスケットボールが強豪だと言うことで、駅のホームにバスケットゴールが設えてあり、スローインで成功すると記念品が頂けるとの事前アナウンスだった。 リゾート快速と言うことで、ずいぶん長い間停車していたので、乗客の殆どの人が挑戦された。 勿論物見高い私も挑戦して、幸いなことに一発で成功した。 記念品は電車が「ブナ号」だったので、?の木片にブナ号乗車記念の焼き印が押されたものだった。 コースターにでも使えるものである。 たぶん費用的にはそんなに掛かるものではないだろうが、これからのローカル線のヒントになることだろう。 地域の鉄道も(ここはJRだけれど)民営化が進んでいくことだろうが、何かこんな事でも各社で考えておられることだろうと頭が下がる思いだった。2016 年6 月10 日
三内丸山遺跡
当初予定にはなかった場所である。 乗り継ぎ電車の時間の都合で数時間の余裕ができた結果、訪れた。 地元で何度か説明を受けたけれど、正直あまり興味が無かった「縄文時代」の遺跡である。 ところが、さすがに規模が大きく、説明者も学術的なことばかりではなく、適当なジョークも踏まえての解説にはついつい引き込まれてしまった。 しかしながら、説明者自身も「まだ4年くらいですよ」と言われていたので、それなりに考古学への興味があったのだろう。 地元の遺跡はここに比べると規模的には小さなものなので、なかなかそれだけの説明ができるようにはなっていないのかもしれない。 家内が「地元にもあります」と言うと、よくご存じだったようで、私らの知らないことまで解説をしてくださった。 古代遺跡については、大概言われるのは「こんなに遠くの人とも交流があったのですよ」であるが、そこで通信屋としての興味で「言葉の違いはどのように克服したのですか」と聞くが、残念ながら今まで納得できた答えを得ていない。 以前にも家内と特別目的地を決めず「方面」だけで出かけたことがあったけれど、旅の一つの喜びはこんなところにもあるのではないだろうか。 哲学的にいう訳ではないけれど、約70年の生涯でも似た様な気がして、一瞬楽しく思えた。 人生みな旅。2016 年6 月9 日
ホテルの料理
最近は殆ど「バイキング方式」である。 私にとっては、至極便利な方式である。 なぜなら、出張が多かった身にとっては、大概の場合、前夜には懇親会が開かれて、「人見」が一つの役目でもあったので、それなりの人と酌み交わして談話する。 だから、それなりの量のお酒を飲むので、朝は大体「脱水状態」になっている。 バイキングになる前は「和食」か「洋食」の選択を迫られた。 当然のこと、「米食が好き」な私は和食を選択するのだが、味噌汁をお替りするのが常だった。 勿論ビジネスホテルでも朝シャワーをすることで「酔い覚まし」の効果はあったが、即効薬にはならなかった。 そんな時に「定食スタイル」ではなく、「軽食」と言うことで、ご飯、味噌汁、海苔にせいぜいあって「納豆」と、パン、ミルク、ジュース、バターなどを選択できる方式に変わった。 その時に飲んだ冷たい牛乳(ミルクと言う言い方は正直あまり好まないのだが、一般的に使われているのでそれに準じている)がナントもすっきりさせてくれたのである。 だから、和食で牛乳が2杯飲めるこの方式が好きである。 ただし、今回の場合、ほとんどすべてがこれだと正直閉口してしまう。 4回のうち1回の朝食が、牛乳も飲める(フリードリンク制)和食であったことが嬉しかった。2016 年6 月8 日
旅行のメンバー
この項の最初にも書いたが「フルムーン夫婦の旅」と銘打ったものである。 年齢の範囲は良く分からないけれど、いずれにしても私などは「若い方」に入っているようであった。 ご夫婦ともにしっかりしている人、どちらかが少しハンディを持っていらっしゃる方などである。 私などは、家内が言うには「お酒を飲んでいないときはしっかりしているけれど」と言う方で、他人様のことは言えないけれど、これに類する組もいくらかあった様である。 でも、15組30名が最後(私らとあと一組は大宮で下車したのだが)まで大きな出来事もなく楽しく終えられたのが素晴らしかった。 「終わり良ければ総て良し」である。 ボックス席でお話しさせていただいた方、露天風呂で神戸の震災に遭われた方の体験談、正直殆ど名前は覚えていないけれど、皆さん楽しい方ばかりだった。 少し「オヤ?」と思ったのは、バスの出発時刻前に全員集合になったことで、今までは大概何人かが遅れて出発時刻が遅れる様なことだったのが、一切無かったことだった。 歳をとると気が急くのか。2016 年6 月7 日
旅行初日
持参するものは前日までに何度かの家内の点検を受けて準備完了だった。 当初の予定では娘に車で駅まで送ってもらうつもりだったが、出勤時に合わせるとあまりにも駅での待ち時間が長くなるので、天気も悪くなく(曇り空で気温も然程高くなく)駅までは下り坂であるから、歩くのに苦も無く、ゴロゴロと中身は着替えだけの軽いキャリーバッグを転がして出掛けることになった。 「まだ時間があるな」と油断したのが慌てる原因となったのだが、ネットニュースを見て過ごした。 それでもまだ時間があったけれど、家内が「もう行こう」と言うので15分ばかり早めに家を出た。 10分ほど偶の家内との会話を楽しみながらの散歩だけれど、ふと気が付いたら肩に下げるバッグを忘れたことに気が付いた。 家内にバッグを預け「先に行っていて」と言い置いて慌てて家に戻り、準備してあったバッグを抱えて慌てて家内を追った。 どうにか駅の少し前で追いつき事なしを得たが、どうもこの時にかいた汗で、電車の中の冷房などで少し風邪気味になってしまったようだ。 旅行2日目まで少し頭痛がした。 早すぎる準備万端はどうも鬼門である。2016 年6 月6 日