2016 年10 月31 日
2016 年10 月28 日
園芸作業も一段落
今年は玉葱も250本余り、蚕豆も12粒、大根はそれなりに育ちつつあり、残念ながらやはり何かが拙いのだろうが、白菜やキャベツはまだ丸くなっていない。 葉物野菜はどうしても虫の巣になって、それなりに少しずつ改善はされているようだけれど、格闘の連続である。 蕪も小蕪だけれど、それなりに育ちつつあり、これが冬の漬物に重宝する。 私の大好きなハバネロは、夏の天候がいつもと様相が大分変わっていて、赤くなった実が10個ほどしか取れなかった。 青い実だけが沢山成っていたけれど、今まではそのまま処分していたのだが、ネットの情報で「種が激辛」という情報に出会い、昨日種だけを取ってオーブンで加熱乾燥させて、ミキサーで粉末にして「激辛白唐辛子」を作成した。 作成途中からも激辛の臭いが体にまとわりつく。 でも、夕食にほんの少しだけ使ってみたのだが、期待どうりに激辛で美味しかった。 せっかく栽培して、途中になったものでも、どうにかして使ってあげることが、植物への供養になろう。 もっともこれは、私だけしか使わない調味料である。 そんな訳で、今年から来年にかけての園芸作業は、ほぼ完了である。 後はリンゴと栗の剪定が雪解けから始まる。2016 年10 月27 日
日の出が遅くなった
今日は特別なイベントが無い日で、久しぶりに4:30少し前に起きたので、天気も曇りだというから、散歩に出かけた。 新聞を取りに行ってトイレを済ませてベッドの中で読み終えて、ベッドで横になってやる運動はしっかりとやってから、起き上がっての腹筋運動などは割愛して。 久し振りだったので、忘れ物などが無いか点検していると、肝心の歩数カウントの役目をするスマホが見当たらない。 みんなまだ寝ている時間なので、呼び出して迷惑をかけてもいけないのでそのまま出かけた。 私の様にズボラではなく、時間通りに散歩される方々にも気軽に挨拶して通り過ぎてゆく。 コースは「30分前後」と思っているので、慣れた道である。 それにしても、出た時は5:30頃でまだ真っ暗である。 少し前まではこの時間になると天気にもよるが、かなり明るかったものだが。 帰りに畑に立ち寄り、昨日植えた玉葱の苗がほとんどすべて屹立しているのに「今日もいい日になりそうだ」と安心して帰ってきた。 「良いもの(こと)探し」の散歩になって、朝から気持ちが良い。2016 年10 月26 日
読書は楽しい
読書感想文を今まで書かせてもらっているが、元々「乱読」なので、取り立てて「これ」というものは無いが、朝、ベッドで新聞を読み、その後幾つかの運動をやった後で、少しずつはっきりした意識の中での「音読」は最近は「癖」と言うよりも「楽しみ」になっている。 そんな中で、まだ、読み始めたばかりだが、「自警録」(新渡戸稲造)と菜根譚(吉田豊訳、解説)がある。 勿論どちらもその通りにやっている訳ではないし、今までの来し方を顧みると、恥ずかしさにめげることもないではないが、そんな中でも「これは、今の自分なら多少はできているのではないか」と思うようなものがあって、楽しさがより一層高まってくる。 正直、これで一日のスタートがハッピーな気分になってくる。 今のところどちらも私の勝手な推薦書である。 ちなみに、菜根譚は以前に一度「読み切った」ことがあるが、在職中であり「何か仕事に役立てることが無いか」という思いが先に立っていたような気がするので、これほどの思いが無いが、リタイアした今はほんの少しだけだけれど、同感を覚えるものがある。2016 年10 月25 日
読書感想文
昨日に引き続いてのタイトルだけれど、勿論対象の本が違う。 朝の音読で使っていた本だが、昨日の本とはまるで違う遭遇の仕方だった。 この歳になっても「まだ男」と言うのは変わらないようで、基本的に助兵衛である。 そんな訳で、もう半年ほど前だったろうか、新聞に書評が出ていて「これは絶対に読みたい」と思って偶々5月に東京へ行く機会があり、八重洲のブックセンターでも探したのだが、見つからなかったものである。 「フロントで尋ねれば」という意見もあるだろう、勿論並みの本ならすぐにそうしていたのだが、タイトルを見ればお分かりいただけると思うが、やはり口に出すのが恥ずかしい。 「エロチック日本史 下川耿史 著 幻冬舎新書」である。 ね、口に出すのは恥ずかしいでしょう。 神話時代から昭和時代まで、歴史を追っていろいろなエピソードを鏤めてある。 思いもよらないものが、エロに繋がっていたとか、混浴は神代の昔から「当たり前」だったのが、明治になって外国人が揶揄したことから禁止になったとの話など。 ぜひ興味を持って一読されてはどうだろうか。 時折新聞の広告に「いつまでたっても男と女」という宣伝があるが、LGBTを非難する気は全くないけれど、イザナギ、イザナミの「成り成りてなり合わぬところをなりあわぬところに貫いて塞ぎたまえ」と言うところから始まっているのだから、いつまでもお互いに求めあうのが自然なのだろう。2016 年10 月24 日
読書感想文
朝の音読で読み終えた「腸スッキリ!」健康法 藤田紘一郎著 PHP文庫。 この本は数年前に購入して、夢中になって読んだ本である。 とはいっても、200ページ余りを約3カ月かけて読んでいる。 この本は、いわゆる「私を読んでください」と本屋の棚から訴えかけていた本である。 当時から体重が気になりかけていたので、何とか痩せられないかという課題を毎日常に抱えていた時期である。 読み始めたのが何年かは記録していないが、10月下旬から1月下旬に掛けてである。 痩身術と言うのは、それまでにも何冊か読んだけれど、基本は簡単なのである。 消費カロリーよりも摂取カロリーを減らせばいいのである。 ところが、この本が呼び掛けてくれたのは「そろそろお正月も近いし、美味しい御馳走はもとより、美味しいお酒が飲めますよ」と言う時期から、だろう。 だから、今でも続けているが、なかなか効果が出ないのは「食べて痩せる」ということを基本にしているからである。 確かに、そのままの言葉をタイトルにしている本も何冊か読んだけれど、そこにはほとんど「お酒」が入っていないのである。 で「食べて飲んでしっかりカロリーを摂取して、排せつ経路を改善すればいいのではないか」と思って、呼びかけに答えたのである。 簡単に言うと「ウンチ学」の本である。 お酒のつまみになりそうな物も食べられて美味しい時を過ごせる、かもしれない。2016 年10 月21 日
朝の蜘蛛
混乱して覚えているのではないかと思うが、私の頭の中で「朝の蜘蛛は殺すな」と言うのと「蜘蛛の糸」ではないだろうか。 後者は実際にその小説を読んだが、前者は「親から言われた」ということでしか覚えていない。 こんなことを思うのは、今朝ベッドで横になって新聞を読んでいる時に、視界に蜘蛛が現れたことからである。 最初のうちは、親の言いつけ通り「何も悪さをするわけでは無かろう」と気にしないように努めていたのだが、やはり新聞の字面を読んでいるとその視界の中で動くものがあると正直不愉快になってきた。 親にも蜘蛛にも悪いが、電撃殺虫器と言うものを使って退治させてもらった。 ティッシュで包んでゴミ箱へ行ってもらった。 そこで、やはり気になってネットで調べてみた。 朝の蜘蛛は良い予兆で、夜の蜘蛛は悪い予兆との俗信であるとの答え。 殺してしまったらどうするかについてが一番気になる所である。 「心の中で手を合わせておくとよいでしょう」という言葉が有り難かったし、実際にそうしたことで、少しだけ心の平安になった。 合掌。2016 年10 月20 日
楽しい麻将大会
在職中麻雀は娯楽だったし、ゴルフなどの交際術を持たない私にとってはお酒とともに交際の道具だった。 そんな訳で、ずいぶんと長い間麻雀と親しんできた。 無様なこともあれば、それなりに武勇伝もあるが、それは紹介するのは憚れると思うので止めておこう。 リタイア後は年に一度研修所時代の同期生の飲み会で宴会が始まる前の小一時間ほど談笑しながら楽しむ程度だった。 今年になって、ある人から「いろんなイベントをやっても、集まるのはほとんどが女性で、男性が集まるものは無いだろうか」と相談され、時々新聞で見る「健康麻将」を勧めてみた。 その人のご苦労もあり、先日「大会」を開くことになり、参加させてもらった。 成績は散々だったけれど、殆ど初面識の人が多い中でも、和気藹々とした雰囲気の中で楽しむことができた。 まだ学習中という方もいらしたが、どんどん増えてほしいものである。 「運三技七」と言う人もいたり「運九技一」と言う人もいたりだけれど、如何様などとは縁のない世界で運に任せて楽しめればいいと思い、今後も続けていきたい。2016 年10 月19 日
読書感想文
朝の音読で使っていた本である。 著者は、高校時代の英語の教師だった人である。 以前にもここで書いたような気がするが、私たちの時代の工業高校の英語の授業は、中学2年生程度までのレベルであった。 ただ、この教師の好きだったことは、「単純なことでもいいから、そう思うのなら『空で言えるように』することだ」という論理だった。 今でも覚えている教科書の最初の文章は「I am a student now」だったと思う。 「Student」は「Study」「する人」という意味だとの教えは楽しかった。 2年生の頃だったろうか、氏が「お寺さん」だったと知った。 そういえば、風貌はそんなだったけれど、県からの要望で外国人が来県された時には対応されいたとも聞いているから、それなりのレベルだったのだろう。 授業以外で覚えているのは「音楽鑑賞会」だった。 クラシックは当時苦手だったけれど、洋楽にはかなり興味が深かったので必ず行ったものだった。 ある時に今で言う「イントロクイズ」で、「君住む街で」というタイトルを当てて、ドーナツ盤をもらったことだった。 その氏の「随筆集」である。 以前買った時にも読んだようで、所々に折ったページがあったが、ある意味で少しだけ宗教というものに触れたいまとなって、読んでそれなりに考えさせられるものだった。 脳梗塞を快癒されてからの随筆だと聞くと、猶更「負けていられない」と思わされるものだった。 当然追いつけるものではないが、せめて足元にも縋れればと言う思いである。2016 年10 月18 日
私なりの勝手な「禅」
禅に関する本を書き写しや音読で何冊か読んだけれど、やはり難しいことは分からない。 でも、先日何かで聞いたか読んだか忘れたけれど「あるがままに」「それで良い」という言葉を禅とは関係ない所で聞いたような記憶がある。 その時には「それもそうだなぁ」と勝手な理解をしていた。 ところが、いささか尾籠な話になるけれど、先日トイレに入っていて気が付いた。 私は家でトイレに入る時は、以前にも紹介したと思うけれど、洋式トイレなので「座って」することがもう習慣になっている。 そんな時である。 小用を足す時とそうでないときには、自然と姿勢が違うことにである。 「小便をするときは、自分が思った格好でするが良い、大便をするときも同様に自分が思った格好でするが良い。『それこそが自然であり、禅ではないか』ということに」。 持病はあるし、かつて怪我をしたこともあるが、幸いにして表面上は五体満足である。 怠惰や安易に流されるということではなく、自分ができる自然な姿こそが禅につながるのではないだろうか。2016 年10 月17 日
改めてカードの多さに気づく
在職中には、金融関係のシステムにも携わってきたので、当時からプラスチックマネーについては、それなりに理解もし、活用してきた。 ところが、それがどんどん広まってくるのと、種類が多くなってきたので、なるべく数を増やさないようにしてきたつもりである。 ところが、地元にいるとスーパーの物、本屋さん、コンビニ等々「ポイントが溜まったらこんな特典がありますよ」と言われるがままに受け入れてきたが、車での移動が多かったので、持ち歩くのがそんなに苦にはならず、そのまま使ったり使わなかったりしていた。 今回の東京行きについて、まさかそのためにポケットを膨らませて行く訳にも行かないので、必要最小限にして見たら、なんと数枚に収まってしまった。 スマホにすれば持ち歩かなくても良くなるよ、という話も聞くが、紛失した時のことを考えるとなかなか踏ん切りも付かない。 はてさてどうしたものだろうか。2016 年10 月14 日
幕張へ行ってきた その6
CEATEC見学、かつての上司(以後は「氏」)との再会などとは言っても、結局東京見物なのだが、身体が少し疲れたけれど、気分的には良かった。 家内が同行したのは、行きは東京駅まで。 コインロッカーに荷物を預けて、私は再会場所の銀座へ。 家内は、5月に来た時にまだ見足りないところがあるというので谷中へ。 かつて知ったる、と言うほどは知らないが、それでも船橋、藤沢に通算10年ほどいたて、都内へは何度か来ていたので、建物や地下鉄などはずいぶんと変わってはいたが、「方向感覚」としては然程薄れていなかった。 今でも日本の最高地価なのかどうか知らないけれど、鳩居堂前で待ち合わせ。 氏の知人がやっているという中華料理店で食事。 私が辛い物好きだと伝えてあったので「麻婆豆腐ランチ」だった。 「辛さは調整してくれるよ」と言われたが、激辛にしてもらって食べられない場合は自分も悔しいし、お店の人にも悪い、最も悪いのは氏への感謝に対する気持ちだった。普通の辛さだったけれど、十分に満足できる辛さだった。 家内との待ち合わせは4:30にして、東京駅の「銀の鈴」である。 ここはいつもの待ち合わせ場所なので迷うことはなかった。 夕食はホテル近くの昔ながらの焼き鳥屋。 女将さんと若女将さんに女の子一人の店だった。 翌日は私は幕張へ、家内は様子も大分変わっただろうと鎌倉見物と江ノ電乗車。 夕食は娘家族が先日東京へ来た時に「美味しかった」と言うので紹介してもらった、新宿の「ラムしゃぶの店」だった。 この歳になると「食べ放題」と言われても魅力を感じないが、少し物足りないくらいが美味しさを引き立ててくれた。 翌日は、台風を心配して、1列車早くしたおかげで無事に家で台風を迎えた。 家について始めて「今回の旅は良かったなぁ」と言う感覚になる、これこそ旅行の醍醐味だろう。2016 年10 月13 日
幕張へ行ってきた その5
AIは今後どうなっていくのだろう。 そして、それを人間がうまく使い切れるのか、それとも「指示待ち人間」になるのか。 今回のデモンストレーションで、いいか悪いかは別にして、非常に「素人分かり」したのがシャープだったのではないか。 シャープ自体はいろいろと課題があるとしても、それは別である。 離れて暮らしている若夫婦が、お母さんの誕生日に招待をして、ご馳走しようという設定である。 お母さんの好みは、昨日や今朝食べたもの、飲み物は、季節や気候は、自宅の冷蔵庫の在庫は、物置の在庫は、それでできる献立はどんなものがあるのか。 もっと彩を添えるためには何が不足していて、注文するにはいくらほどなのか、産地は大丈夫か、等々いろんなことを考えて挙句にレシピまで提供してくれるのである。 楽観的に考えるならば「これは便利」ということになろう。 これには当然いたるところにセンサー技術がありIoTもフル活用である。 果てさて、現在不足ながらも調理を含めた家事の一部を担当して、それなりに信頼されている私としては、とても使う気持ちになれない。 諸姉・諸兄は如何だろうか。 この延長線を考えると、便利を通り越して、AIが人間をこき使う、という世界にならないか。 技術はいつも「光と影」を持つ。2016 年10 月12 日
幕張へ行ってきた その4
IoTで「成果」をアピールしているのは、大概が「大企業」であることは、いつも同じだが、そんな中で今回は少し違った様な気がした。 IoTを実現するためには、ほとんどすべての「T(物)」に必要なものがある。 それは「センサー」である。 ところが、センサーはそれ自体は小さくて、薄くて、目立たないものであるし、それが逆だったら誰も使いたがらないことになる。 そして、それを作っているのが「中小企業」であったような気がする。 帰ってきてからのニュースだけれど、韓国のサムスン電機がリコールで回収したものから発火するという事故が起こった。 バッテリーが原因だと思ったので、その製造会社を変えたというのである。 これだって、「中小企業苛め」ではなかろうか。 そういう点で、今回の展示会では、センサーを熱心に説明する何人かに出会い、説明を聞いた。 聞いているだけで、その人や会社の意気込みを感じられた。2016 年10 月11 日
幕張へ行ってきた その3
今回のCEATECの謳い文句はIoTとAIだった。 正直どちらにテーマにも興味があったので、かつての上司との再会も楽しみだったけれど、むしろこちらが本命だった。 正直、今まで近くにいた頃は「見てるだけ」だったのだが、今回は自費出張であるから、それなりに興味深くテーマを選んでパネルディスカッション(以下パネル)とキーノートスピーチ(以下キーノート)も聴きたかった。 開場は6区分されており、パネルとキーノートは別会場だった。 パネルの開始は10:30からで、展示会場への入場は10時からだったので、パネルを優先した。 大学の先生が司会進行で、同じ大学の別の先生、NTT及び富士通の人だった。 その前に、私としては意外だったのは「初音ミク」を売り出しておられる人だった。 確かに音楽だけではなく、色々な要素を取り込まなければこれからのAIは成り立たないだろうということは理解したが、それにしては時間がかかり過ぎだと思った。 継いでのパネルは各パネラーが時間の制限をまるで無視したかのように持論をまくしたてるものだった。 一つ一つは理解はできるものの、トータルとして「今後のAIは」という意味では内容に深みが無いようなものになった。 私が聞き手かったことは「AIの光よりも影」ということで、質問したかったのだが、司会の方で「所属会社名と氏名を」と言われてまさか「浪人です」とも言い難く、だんまりを決めるしかなかった。 ましてや、シャープの女性が質問なさったのだが、「シャープは未来よりもすぐに金のになる様な解決策を求めていますよね」との前置きには愕然とした。 まとめて言うと「従来のAIは「特化型」であり、今後は「汎型」になるだろう、とのこと。 私なりに簡単に言うと「世間話ができるAI」ということになろうか。 少し長くなるが、もう一つのIoTである。富士通の会長が話されたが、私なりに取りまとめて言うと「交通、農業、製造、医療、ビジネス全般にわたること。 その目的は『豊かなコミュニケーションと充実した長生き人生に資する』ものだろう」とのことだと理解した。 正にIoTからIoE(Internet of Everything)の時代へ移行の息吹だと感じた。2016 年10 月7 日
幕張へ行ってきた その2
今回の目的はもちろん「CEATEC japan 2016」の見学であるが、もう一つは、ずいぶん昔になるけれど、かつて二度上司として仕えた人が「会ってお話ししたいね」という嬉しい言葉だった。 在職中は人事のトップとなり、請われていくつかの大きな会社の社長から相談役にまでなられた方で、とても近しくお付き合いできるポジションの人ではなかった。 酒好きな私に下戸な氏。 強いてあげれば「麻雀」だけだった。 健康麻将ではなく、酒、煙草、賭けが付きまとうものだった。 でも、何故か楽しく、骨肉の争いというほどではなかった。 20年近く前からは年賀状だけの付き合いだったのに、5年ほど前に個人出版の本を寄贈してくださった。 たまたまその翌年に我が家でも驚くほど栗の大収穫だったので、送らせていただいたのが今回の再会につながった。 氏は現在海外からの移住者のサポートをボランティアとして活躍なさっているとのことで、やはり私とはスケールが違うのだが、全く偉ぶった風は無く「同僚」という意識での楽しい会話ができた。 美味しい中華料理で気が付くと約束の3時間が経ってしまっていた。 どうしても「かつての上司、部下」という意識が出てしまう私だが、これからは歳の上下を含めて「同輩」という意識で皆さんと付き合っていきたいものだと、痛感させられた。2016 年10 月6 日
幕張へ行ってきた その1
3日にも書きましたが、久しぶりの出張兼物見遊山で東京、幕張、東京と駆け巡ってきました。 暫くはこの件で書かせてもらいます。 東京へ行く時か、あらかじめ飲み会が決まっている場合以外は電車を利用しないのですが、久しぶりに電車、というか最寄り駅の石動駅を利用しました。 長距離の電車を利用する場合の一つの行動は「新聞を買う」ことです。 勿論記事は読むのですが、それだって50分もあれば読み切ってしまいます。 読み切ったページから実は靴を脱いだところに「足置き」として使うのです。 ところが、その売店が無くなっていました。 ほとんど利用しない私が言うのもおかしなものですが、やはり駅には売店がほしいですね。 以前にも突然売店が無くなっていて、大の用を足したくても紙の自動販売機もなくて、ずいぶん往生したものです。 今回はそれは無かったのですが、売店が売り上げ目的だけだというのではなく、「利便提供」ということでも置いて貰えないものかと思いました。 出発前の「思い」です。2016 年10 月3 日