2017 年11 月30 日
2017 年11 月29 日
横綱審査に「精神論」を
今回の相撲界の事件で、残念ながら、やはり外国人は相撲に馴染まないのでは、と思ってしまった。 現実には知らないけれど、講談なんかで出てくる「雷伝為衛門」や、大ファンだった「栃錦」などの時代には「しごき」ということはあっただろうが、それは「強くなってくれ」という「愛の鞭」だったと思う。 それが、今回の場合は「行儀を正す」ということではなく「鉄拳制裁」という行動だったのではないだろうか。 確かに加害者である人も間違いなく悪いのだけれども「先輩を立てる」という姿勢が必要不可欠な「礼儀」だろう。 横綱審議委員会のメンバーは良く知らないけれど、その中に与党代議士がいるということから「強くて勝てれば資格あり」という風潮があるのではないか。 「心・技・体」のうち最初の「心」が抜けているのでは、ヒールでしかなかろう。 相撲素人だけれども、相撲ファンである私は、そんな人間には「即刻退場」願いたいものである。2017 年11 月28 日
読書感想文
昨日に引き続いてになるが、偶々ブログの休日だったりしたのでしようがない。 今回は、内容的には随分と難しいものである。 「『教行信証』を読む 親鸞の世界へ」(山折 哲雄 著 岩波新書 刊)である。 8月初めから約3カ月半余りで読み終えた。 私の住んでいるところは、住民人口に比べて、お寺の数が多い街で、門徒であろうと、宗派が違おうと(キリスト教や新興宗教は別として)子供の頃からよくお寺に行き、出るお菓子が目的で、聞くともなしに説教を聞いていたものである。 在職中の電車の中でも「親鸞」という本を何度か読んだ。 それはそれとして、この本の内容は、実に分かりにくいものだった。 これは本が悪いのではなく、薄くて安い本だからと選択を誤った私の責任である。 内容は「教」「行」「信」「証」をどのように親鸞が理解したかと言うものである。 ところが、読んでいて、「へぇー」と思ったことがいくつかあるから、それを紹介して感想文とさせて頂こう。 何人(なんびと)も(「悪人においておや」という表現がある様にどのような悪人でも、という意味)全て死後は極楽へ行く。 ところが、極楽には2種類あって「本当に菩薩と言われるような人の所と、我々一般の凡夫が行くところがある。 そして、行きっ放しではなく、娑婆と行ったり来たりするのだという。 それを、菩薩様が行くところを「真仏土」、凡夫が行くところを「化身土」と分けている。 そして「行く」ことを「往相」、娑婆に帰ることを「還相」というのだそうである。 これが「門前の小僧」的な解だと、お笑いください。2017 年11 月27 日
読書感想文
「なるほど!そうだったのか 『宛字』の語源事典」(杉本つとむ 著 日本実業出版社 刊)を朝の音読で読み切った。 5月の末から約半年かかって読み切った。 感想は「とっても面白かった」という所だろう。 以前にも何度か紹介したけれど、小学校4年生頃までだったろうか、我が家は、多分祖母の時代からだろうが、母も主人として「貸本屋」をやっていた。 夜、寝床に好みの本を持ち込んで、読みながら寝たものである。 リタイアする前から、首都圏での通勤で、乗り換えの関係で座れることが多かったので、雑学的にいろいろな本を読んだ。 そんな中に、今では「宛字」と言われる漢字の使い方があったので、多分同級生よりも「読み方」は知っているつもりだったが、この本に出合って、完全に「叩きのめされた」と言う感じである。 ISBN番号が振られているから、場合によっては本屋さんで探せるかもしれない。 日本の旧国名、外国の著名人、カタカナ用語、浄瑠璃や歌舞伎のタイトル、外国名などがとてもじゃないけれど読めないものが多い。 勿論「覚える」という気持ちは最初から無いので、単に「楽しく」学習しただけである。 それにしても、半年間、毎朝の楽しいひと時だった。2017 年11 月24 日
詐欺メール
昨日、久しぶりに「詐欺メール」が届いた。 差出人は、それなりに名前の通った金融機関である。 30万円余りの請求である。 勿論購入した覚えはないので、富山県警察に情報として届け出た。 それにしても、自分のメールアドレスは、このブログからでも、ホームページでも公開しているから、今までもいろいろな迷惑メールが届いていて、「サーバーでの削除」の対象になっているのはかなり多いのだが、今回のは、新規である。 メールのプロパティで見ると、あて先は自分だけではなく、同じプロバイダーに加入の数人に届いているようである。 その金融機関は、今でも利用していて、キャッシュカードは作っているが、クレジットなどは作っていない。 差出人を「サーバーでの削除」対象として、登録して、一段落だと思っているが、久しぶりにハラハラした。2017 年11 月22 日
量子コンピューター
AI、スパコンと同じように、興味がある「量子コンピューター」。 従来の「1ビット」が「0と1の2値」しか持てないのに対して、まだ学習中であるが、「量子の向き」によって「多値」が持てるのだという。 また、情報伝達のスピードが、「電気」よりも早いのだという。 絶対温度が低い環境でしか実現できなかったことが、最近は常温に近い環境でも出来るのだとも聞く。 それらの結果、現在のスパコンの数倍以上の処理能力補発揮するのだという。 知識がこれほどしかない私だけれど、これだけでも十分に興味を惹く技術である。 私が現在興味を持っているこれらの3つの技術が、兵器などではない、純粋な「平和利用」で発展すれば、我々「ヒト」にとって、必ず「恒久平和」がもたらされるのではないか。2017 年11 月21 日
忘れていた
最近、食べ物が美味しいことと合わせて、畑作業もやることが無くなり、運動も寒さなどでサボり気味である。 それが原因だということは、解り過ぎるくらい分かっているのだが、スーダラ節の歌詞の一節どおりである。 で、思い出しながら再度挑戦しようと思っているのが「貯筋運動」である。 当然激しいことは年齢を考えた言い訳でやらないようにして、「継続は力なり」ということで、軽い運動を継続することで良い項目がないか、探しつつある。 言葉自体はどこかの大学の先生によるものだろうが、ネットで調べると、わんさか出てくるので、ずぼらな私が飽きずに続けられるものを探している。 スクワットも、一時期やっていた「自立」の方法ではなく、椅子を使ったものに、等の工夫をしながらできるもの。 一人で文句を言いながら探しているのが、楽しみでもある。2017 年11 月20 日
投書の整理
2003年から一昨年までの投書を、まとめてお世話になった方や知人に「押し送り」しようと編纂中です。 ところが、誤字・脱字くらいならまだいい(と自分勝手に思っている)のですが、支離滅裂とまではいわないけれど、同じようなテーマに「真逆」ではないけれど、いろんな「変な見方」をしていることに気が付いて、汗顔の至りである。 正直「もう辞めようか」と何度も思ったし、多分これからも思うのではないだろうか。 でも、「これも自分の人生だった」のだと思うことにした。 そう思うと、意外に楽になる。 いつだったか、ある小説家の方が「自分の恥を隠し通して、小説など書けませんよ」と言われていたことを思い出した。 こんな時には、記憶の奥の奥にあった、自分に都合のいいことを思い出すものだが、確かにそうである。 殺人を犯さなければ、殺人事件小説など書けないのと同じである。 出版は来年初めになるだろうが、これからも何度か「都合のいい」記憶を引き出そう。2017 年11 月17 日
電池の液漏れ
以前にもエアコンのリモートコントローラーの電池の液漏れで、書いたことがあったが、今回は同じ液漏れでも、全く予想もしなかったところで影響が出た。 予定していた集金が、無くなったので、そのまま玄関の引き出しに入れておいたのだが、交際費で使うことになり、引き出してみたら、5000円札の一部が、その液漏れで腐食していたのである。 正直なところ、予想もしていなかったし、そんなところに電池が入ったものがあるとは家内ともども知らなかった。 外部から雨水などの形跡はないので、引き出しをすべて出してみて分かったのである。 夏の間(多分昨年のだろうと思うのだが)孫が使っていた外出用の虫除けだった。 こんなになるとは思っていなかった。 ともかく、金融機関で交換してもらえるだろうということで、まずは葉書を買う必要があったので、郵便局へ持って行ったのだが、ここでは駄目で、信用金庫で替えてもらった。 それにしても、電池の液漏れは油断ならないものであることを今更ながら知った。2017 年11 月16 日
なんだか隠し事ばかりの世の中
日馬富士の事件に関しては、素人ながら「もう駄目だな」と思っていたが、訴訟を上げた貴乃花親方が「知らなかった」と言っていて、日馬富士の親方も「詳細は知らなかった」と言いながらお詫びに出向いている。 協会の幹部方も「大したことではないと思った」と頓珍漢な答えである。 これじゃ、結局「有耶無耶」に終わってしまって、「みんなが悪いのだから、罪人は居なかった」ということになり、再発防止などは「夢のまた夢」ということになるだろう。 片や審議が始まった「加計問題」についても、半官半民に居た私としては「議事録こそが唯一の証し」ということで育てられてきたのに「全官」の人々にとっては「都合が悪いことは無かったこと」という風になっているのだろうか。 いずれにしても、相撲界も政界も、いつか誰かが言った「洗濯」が必要なのではないだろうか。 リセットを唱えた人もいらしたのだが。2017 年11 月15 日
お茶のポット
暑い時に、手軽に携帯でき、さっと飲めるためにということで、ワンタッチ式のポットを常用していた。 幼稚園児ではないけれど、肩紐が付いたもので、随分重宝していた。 仕様的には「冷用」とあったが、外界との温度差をそのまま伝える訳では無いだろうと思い、少し冷ました温いお茶を入れて、そのまま継続して使っていた。 ところが、やはりこの時節、熱くは無くても「暖かい」お茶が欲しくなる。 ところが「冷用」なので、すぐに冷めてしまう。 今度は「温冷用」と言うものを買った。 蓋はワンタッチではないけれど、その分暖かさが随分長く続くし、一々コップに注がなくても、「ラッパ飲み」スタイルで使えるので、春先までは、これが重宝しそうである。 どちらもステンレス製なので、簡単にダメになることはないだろうから、長く付き合いたいものである。2017 年11 月14 日
読書感想文
「そういうふうにできている」(さくらももこ著 新潮社刊)である。 ご存じのように「ちびまる子」の作者で、当然女性である。 前回読んだ本と同様に、私の考え方と同様な「のほほん 仄々」とした内容だと、中身も見ずに朝の音読に加えた。 ところが、読み始めてしばらくしてから「選択を誤った」と感じたが、「乗り掛かった舟」ということで、約1カ月半かけて読み切った。 まえがきも、あとがきもこの本独自なのか「付記」と言うものも、それなりにしっかりと読んだ。 女性の妊娠から出産に関するエッセーである。 何故途中で止めなかったのかというと、私だけではない男性にも「産みの苦しみ」と言うものがあったのではないか、ということからである。 多少自慢的に言うと、あるシステムの「発想」「企画」「提案」「稟議」「差し戻し」そして「検討開始を承諾」「予算提案」「基礎調査開始」「設計のための組織化」「協力会社との調整」「社内調整」そして漸く「本格設計の開始」「利用システムとの調整」「設計・製造」「提供とサポート」などの段階を踏んだことであった。 出産とは違うだろうが、「誰だってそれなりに苦労しているのだ」と思ったからである。 リタイアした今、そんなことには遭遇することもないし、正直遭遇したくも無いのだが。 それでも、細かく見れば、毎日がその連続である、と思うと、何だかこの本にも共感を覚えるし、ただ漫然と過ごすよりは楽しいではないか。 後継書は、ももこさんから少し離れて「浄土三部経」のうち「観無量寿経」である。 記録によれば、今度が4度目になる。 そろそろ終わるのが「教行信証」なので、その後継には仏教から少し離れてみようと思っている。2017 年11 月13 日
トップニュース
昨年の夏ごろから、自分勝手な「今日のトップニュース」を日記の最初に書くようにしてきた。 勿論、思いつかないことも度々ある。 だけど、新聞やネットニュースでトップになっている記事が、必ずしも私のトップニュースに上がるとはならない。 だって、それは事実をライターや会社の方針などで、フィルターに通してのものだから「私の」では必ずしもないからである。 ということで、最近の米国大統領の各国訪問自体は、全く載らない。 勿論、たびたびここでも書いたが、決して「世捨て人」を気取っている訳では無い。 貿易や軍事費などの問題は、直接間接的に影響が出てくるだろうが、「私のトップ」にはならないからである。 あっていいような、悪いようなことが混ざるのが世の常だけれど、ぜひとも「良いことばかり」であってほしいと思いながら、記事を探してみている。2017 年11 月10 日
保険金殺人に死刑判決
細かいことはよくわからないし、知る気にもならないが、高齢男性を連続で殺人したとの判決で「死刑」が出た。 死刑の廃止継続の議論はあるけれど、やはり一般人としての感覚では、裁判員と同様に妥当だろうと思う。 犯人は私と同年齢である。 認知症で青酸を飲ませたかどうかわからないと、弁護側は控訴したようだが、果たして「本当にそう思って」の弁護だろうか。 米国では、何でも裁判になり、「クロをシロにした弁護士」はそれなりに高名を得て、その後の報酬が高くなるとの話を聞いたことがある。 万が一、そんなことのために弁護しているのだとすれば、むしろ「自分に問う」ということをぜひやってみてもらいたい。 裁判はドラマなどでしか見たことの無い、素人の勝手な感想である。2017 年11 月9 日
出版は大変
以前にも書いたかもしれないが、新聞へ投稿したもので、採用されたものがもう300通近くになっているので、自費出版をと考えている。 本格的なものは、経済的な面から断念して、昔温泉街などで売られていた「エロ雑誌」的なものになるだろうと思っている。 ところが、やり始めると、今更ながらだけれど「誤字・脱字」がわんさか気が付く。 挙句に、大分以前のものは、掲載された新聞をスキャナーで読み取っているのだが、「読み取り間違い」や「主にカタカナの『小書き』が普通の文字になっている」こともあったりする。 ともかく今は、曲がりなりにも体裁だけを整えているが、頼もうとしている友人がやっている印刷屋は年末にかけて年賀状の仕事などが忙しく、当初考えた「年内に」はかなり難しくなっている。 でも、読み返していると、それなりに自分の足跡が分かり、楽しい思い出になる。2017 年11 月8 日
健康番組
メタボリックシンドロームの渦中にある身としては、健康番組はほとんどビデオに撮って欠かさず視聴していた。 過去形の文章になるのは、いい加減飽きたからである。 ビデオを再生して、テーマが興味があれば、音声が聞き取れるくらいの早送りにして、見るが、それ以外はテーマを見た途端に削除してしまう。 また、早送りで見ても、解説などの中に「大変です」というような表現が出た場合は、その時点で削除してしまう。 当初は当然そんなことはなく「大変です」と言われると、学校時代に「此処は試験に出ます」というような感覚で、しっかりと見たものだが、最近のこの言葉は「脅し」とでもいうようなものであるからだ。 サプリメントや特定の医者にかかる必要があって「お金がかかる」ものには全く興味がない。 時折「これは簡単にできますから」というのもあるが「習慣づければ」ということであり、その習慣が中々続かないのである。 だから、殆どのものは最近は見ない。2017 年11 月7 日
冬支度
我が家の「冬支度」の最大で最後のことは「雪囲い」である。 それ専用の柱を物置から引っ張り出し、桟も取り出す。 もう長い間使っている、ビニール製の波トタンが張られた、戸板も20数枚取り出して、場所ごとに区分けする。 柱と桟はあらかじめ決められた穴を合わせ、順序良く並べてボルト・ナットで組み立てる。 それが終わったら、波トタンが張られた戸板をこれも順序良く、決められた穴に止めるのである。 そして最後には、小屋根などに柱の頂上部分を紐で結わえて完了である。 文字に書くとこれだけだが、それが結構大変である。 それでも、男性2名、女性4名で、賑やかにワイワイ言いながらの、楽しい「冬支度」である。 ところが、今年は、ビニールの波トタンが、経年劣化と視界を遮ることから、透明の物に変えたせいで、大工さんに持って来てもらって、現地での調整作業が残っていたので、それを組み立てながらやることで、約3時間かかってやり終えた。 家族団らんは、そういう訳で今年は「お休み」になったけれど、来年からまたできるのだから、今年は透明波トタン越しの雪を眺めて明るい部屋でゆっくり冬越しを楽しもうと思っている。2017 年11 月6 日
読書感想文
就寝前の読書材料として、昨年の9月21日から、使って来た「一日一禅 秋月 龍? 著 講談社学術文庫 刊」である。 「まえがき」からすべてを読破した。 ただ、残念ながら、終わってみれば「単に読んだ」というだけの結果になっているような気がする。 確かに、このブログでも「読み齧り」として横着な引用をした覚えがあるが、読み終わってみると、ナントも残念に思えてしようが無い気分である。 しかしながら、スッキリ感だけはあるので、今回が最初で最後になるかもしれないが、いい思い出になった。 三段論法的に言うと、第一は「何だか分るような気がする」、第二が「何だかだんだん難しくなってきたなぁ、でもめげずに読破しよう」、最後の第三は「全く分からない。」ということである。 研修所時代に「哲学」という単位があり、週一回で、1時間半の講義を、半年間受講したことがある。 勿論単位取得の「試験」もあった。 同様に難しかったような気がするが、追試験だけは受けなくてすんだ。 でも、今回は「独学」であるから、誰も書いてある以上の説明もしてくれないし、質問も出来ないのだから、全く困ったものである。 偶には、こんな分野の本も読んでみるのも一つの「精神修養」になるのではないかというのが読後感である。2017 年11 月2 日
読み齧り
朝の音読で使っている「菜根譚」からのネタである。 「つけ焼き刃の世捨て人」。 私自身は、このブログでも何度か書いているが、決して「世捨て人」という意識はない。 しかしながら、この節で言っていることは、それを看破するものだった。 今年になって、何度かこのブログでも呟いていることに「もう70歳なのだから」と言うものがある。 「だから、何なんだ」と詰問された場合に用意している反論は「そんなにもう無理しないで、自由気ままに生きていればいいじゃないか」ということだったのである。 この節では、それを「世捨て人」」と称しているようである。 「表彰なんて望んでいない」「これ以上の昇進・出世も必要ない」などと「特別な欲望はない」ということを主張すればするほど「もしそうなったら良いのになぁ」ということであろう、と指摘しているのである。 言われてみれば、確かにそうであり、このブログも、時折採用される投書も、「自己顕示欲」の塊である。 でも、正直に言わせていただければ、「苦労せずに」名誉欲もある、自己顕示欲、人気、お金その他諸々の欲望は、全くと言っていいほど捨てている訳ではない。 でも、それはあくまでも「苦労せずに」という前提が基本である。 そんなことで、欲が満たされるのであれば、それは、ある意味で「不可抗力の事故」のようなものではないか。 そのように考えれば、ネタで困って悩んでいるのは、苦労ではないという変な理屈になるのだが、それは「変」であっても私は一向にかまわない。2017 年11 月1 日