2018 年1 月31 日
2018 年1 月30 日
TVでインターネット
我が家で2番目に古いTVは、インターネットが見られるのである。 もう10年以上も前に買ったものではなかったろうか。 一般のページを見ている時には全く気が付かなかったのだが、孫の発表会がアップされていると息子から連絡があり、PCで確認すると、小学校1年生なのに自分で作曲したものをエレクトーンで弾いている姿に、涙こそ出なかったが、成長に感激した。 ところが、皆で見られるようにと、インターネット機能付きのTVで見ると、「このブラウザには対応していません。バージョンアップしてください」と表示された。 メーカーのヘルプデスクに掛けてバージョンアップの方法を聞くと、「わが社独自のブラウザなのでバージョンアップはできません」と言う返事に驚いた。 余程自社の製品に自信があるのだろうが、これは自信ではなく「老年者の頑固」と言いうものだろう。 かなり信用してそれなりに高価だとも思いながら付き合ってきた会社だけれど、今後は一切買わないことにした。2018 年1 月29 日
893と894
多分「普通の人」にこの二つの数字を見せても、意味が分からないだろうと思う。 なぜかリタイアして15年以上も経つのに、ふと思い出した数字である。 だから、使っていた時は20年ほど前になるだろう。 それも、ある特定の同僚との間でだけで、彼は人に「こいつが、俺より上の894だって」と言い回っていたけれど、それほど人には受けなかったようである。 少しやんちゃで、博打に興味のある人だったら「893」と聞けば「縁起の悪い数字、約にも立たないもの」ということになるだろう。 そう、「やくざ」につながり、オイチョカブなどの世界では「8+9+3=20=0=ブタ」と言うことになる。 最初は、関西の893と北陸の893と、同類のプロジェクトに参加していた者は、「二つ名」で読んでいたものである。 お客様も当然知っていて、むしろ好意的に使って頂いていた。 ところが、「両雄並び立たず」はどこの世界でも同じで、ある時、「これから俺は894で行くよ」と相手に宣言した。 「894」は「薬師(如来)」につながることに気が付いたからである。 その時は仏教などほとんど知らなかったから、いい加減なことを言ったものである。 20年ほど前のことをふと思い出すのも、高齢者の楽しみだろうか。 勿論彼とはリタイアするまで仲が良かった。2018 年1 月26 日
ネックウォーマー
もう10年以上も前になるだろうか、衣料品の量販店で見かけた「ネックウォーマー」。 確か300円ほどであったと記憶する。 偶々床屋へ行った後で、家内について行った店でである。 正直「こんなに薄いもので、果たしてどれだけの効果があるものだろうか」と半信半疑よりも「疑」の方が多かったように思うけれど、価格がそんなものだから「駄目元」で買ったのだが。 今年の冬は、加齢のせいも無いとは言えないけれど、今までよりもずいぶんと冷えたように思う。 その時に思い出して、抽斗から引っ張り出したのだが、大分草臥れていたものが出てきた。 すっぽりと被ると、結構防寒に役立つことを実感した。 それから、外出用として、今度は多少「人目に立っても見っともなく無さそうな物」ということで、1000円余りだったと思うが、自信をもって買った。 家に居る時の物と、使い分けしているが、決して高価なものではなくとも、防寒には頗る便利なものである。2018 年1 月25 日
書き写しの自己満足
現在書き写しの道具として使っている本は、「暮らしの知恵袋」と言うものである。 読了しての読書感想文を書くのは多分来年以降になるだろうが、それは別として、年明けから暫くして「こうしてはどうだろうか」ということがある。 文章自体は非常に読みやすく、平易なものであるから、実際にその知恵を使うかどうかは別にして、「漢字を多用化しよう」と思ったのである。 因みに今日漢字化したものは、「みそ」「さじ」「ぬる」「かんぴょう」「うまく」「むく」「じゅうぶんに」「ふた」「やわらかく」「しゅうまい」「たまねぎ」「まぶす」「しょうが」「こむぎこ」「からしじょうゆ」「たれ」「にんにく」だ。 その中で、「干瓢」と「垂れ」は電子辞書で引いたけれど、後はすべて覚えていた物を脳みその抽斗から出したものだ。 決して自慢にはならないから、あくまでも自己満足なのだが、ナントも楽しい。2018 年1 月24 日
私は「おめでたい人間」
佐藤愛子さんの本は、図書館で立ち読みしたくらいで、まともに読んだことは無いから、批判めいたことを書く気はない。 ところが、長寿を「何がめでたい」と言われると、タイトルだけで反発してしまう。 先日も彼女よりも10歳ほど若い方、ということは、私よりも10歳年上ということになるが、新聞に投書されていたが、「感謝しながら生きて行く」とあったので、少しホッとした。 でも、子供の頃には「正月を迎えたら一つ歳を取る」と言われ、そう言うものだと信じていた時代があった時に、お正月を迎えることに「おめでとう」と言われることは嬉しかったし、こちらも、言外にではあるが「一年何とか乗り切ったね、おめでとう」と言うものだと思ってきた。 古希を過ぎて、来年は(正月に来年のことを言うのは「鬼が笑う」のは承知の上でだが)6回目の年男になる。 やはり一日でも長生きできることは「おめでたい」と思うのは、私が「おめでたい人間」の証しなのだろうか。 これに「健康で」が付けば「御の字」である。 おかしくもあり、おかしくもなし、である。2018 年1 月23 日
フェイクニュース
米国大統領のフェイクニュースは、いろいろと評判になっているが、正直そこまでのことについて実態を知らないから、あながち賛成も批判も出来ない。 ところが、時折「これは完全にフェイクだろう」と言うような発言が国内で聞こえることがある。 発言主は、どうも「一時期の人気者で、死んでいるか生きているか分からないような人物」であることが多い様な気がする。 どうも、どこかの国のトップのように「私を無視しないで、もっと私の言うことを聞いて」とあらがっての言動のように見聞きするのは、私の偏見だろうか。 ところが、その人に輪を掛けた「増幅器」のような行動をするのが、マスコミと言うメディアであるような気がしてならない。 マスコミと言っても、新聞、TVラジオばかりではなく、最近、このブログなども含めて「一億総放送局」の状況を呈しているのだが、やはり「節度」を守らなければならないのではないか。2018 年1 月22 日
張り手でないと勝てない
いろいろな殊勲を得てきた大横綱が、休場することになった。 彼自身は「好きな力士」ではなかったけれど、強さは確かに相撲人気を支えていたのではないかと言う意味で、ヒーローだと思っていた。 でも、やはり「満身創痍」となってでも続けてほしかった。 最近はそうでもないけれど、一時期「アンチ巨人」がさも野球通のように思われた時があった。 ところが、良く聞いてみると、どうも本音は「大の巨人ファン」だということが言葉に滲み出ている人が、結構多く居た。 ヒーローは「強すぎる」ことで「ヒール」と言われることがある。 これは巨人に限らず、相撲界でも「憎ったらしいほど強い」と言う力士が多いことでもよくわかるだろう。 そうであってこそ「真剣勝負」なのではなかろうか。 在職中よく言われた言葉に「職位が人を造る」と言うのがある。 今までやっていたこと、今まで通りにやっているなら、職位にそぐわないと言われることを指している。 発言でも、文章にでも言われた。 強いことは必要だけれど、やはり「職位」に沿った強さでなければいけなかろう。2018 年1 月19 日
読書感想文
7月中旬から、就寝前書き写しとして始めたものである。 「超訳 ブッダの言葉 エッセンシャル版 小池龍之介編訳」である。 「超訳」とあり、筆者が「私の言葉で訳した」と書かれているように、現代語としての平文になっている。 ほとんどが約200〜300文字で結ばれているので、読みやすく、理解しやすい文章になっている。 ただし、筆者自身の思い入れも入っているので「エッ」と思うところが人によってはあるのではないだろうか。 本、と言うものはなんでもそうだろうが、自分の意に沿う所とそうでないところ、また程度の差こそあれ、反発を感じる所もあるのは、しようが無いものだろう。 そういう意味で、気軽に横に置いて置き、退屈しのぎに読む本としては、面白いのではないだろうか。 仏陀の言葉をその様に捉えること自体「不信心の表れ」と誹られるかも知れないが、一凡人としては許されるのではないだろうかと思う。 少なくとも、私の感想では、「特効薬にはならないけれど、トランキライザーには十分になる」と思った。 そういう意味でご一読をお勧めする。2018 年1 月18 日
つまらない「人間とAI」
当初はチェス、そして将棋や囲碁の世界で、「人間とAIの対局」が話題を呼んでいる。 リタイアして15年もたった今でも「電脳」と言う世界には興味があり、それなりに学習もしているつもりだが、この話題が出る度に「つまらない」と思うのは、少し学習した人なら同じ思いではないだろうか。 深くは知らないので違うかもしれないが、電脳を構築するためには、人間ができないほどの対局数をこなして、試行錯誤を繰り返して、最善手を見つけることで出来ているはずだ。 研究と言う意味では、大いに興味があるけれど「勝負」と言う成果には全く興味がない。 決して「負け惜しみ」ではないけれど、生身の人間が同じようなことを繰り返しても、電脳に勝てる訳が無いのである。 だって、「人間は『忘れることができる』脳細胞を持っている」からで、それが「人間味」なのだから。 そう言う意味で、興味を持っている話題に「忘れることができるコンピューター」がある。 こちらの方が人間味があると言うものではないだろうか。2018 年1 月17 日
書き写しに追記
書き写しをやり始めたのは、もうずいぶん前になるが、苦痛になった時もあるが、やらないと「忘れ物」をしたように気持ちが収まらない。 勿論、旅行などに出かけて「やらなくてもいい」時があると「明日は神様がくれたお休みだ」と自分に言い聞かせるので、それはそれで整理が付くのである。 最近、ボケ防止の一つとして、欄外に「日付と曜日」を書くようにした。 起きて直ぐに「昨日までありがとうございました。今日も一日頑張ります」ということで、カレンダーに丸印を付けるので、忘れることは殆どないのだが、それでも、日中「え、今日は何日だったっけ」とふと思うことがある。 諸兄諸姉はそんなことがないだろうか。 今では、携帯があるので「見れば済む」のは間違いがないが、やはり「覚える」ということも大切にしたいと思ったからの所作である。2018 年1 月16 日
地元選手
基本的に自分ができないからだけれど、自分でやるスポーツと言うものは、好きではない。 だけど、やはり「見るだけ」はそれなりにほとんどのスポーツが好きである。 そんな中で、やはり「地元選手」については、応援したくなる。 石川県も「北陸」と言う括りでは「地元」である。 今回の松井選手の野球殿堂入りは、やはり嬉しい。 また、ゴタゴタがあったけれど、地元力士は関係していないし、今後もそうであってほしい朝之山と遠藤には一日一日が期待と応援である。 だけど、自分でも「嫌な性格だなぁ」と思うのは、リアルタイムで見たくないということである。 なぜか、リアルタイムで応援すると、負けることが多いからである。 勿論気のせいだとは思うし、友人知己からも「お前ひとりくらい、どうってことないよ」と言われるので、頭では分かっているのだが。 事後でもいいと思う、こんな応援者が居ても良いのではないだろうか。2018 年1 月15 日
幸せなニュースを探す
新聞を初め、テレビやラジオ、ネットニュースなどでは、否が応でも「大きく、大変(嫌な)」ニュースが多い。 そんな中で、今年の目標ではないけれど、「良いニュースを探す」ことに努めたいと思うようにした。 大きな見出しには、残念ながらだけれど、決してならないニュースにも、微笑ましいもの、今後の希望につながるものなどが、「探すと」結構多いものであることに、今更ながら気が付いたからである。 昔は猫がペットとして我が家にいたが、私自身は残念ながら好かれることはなかった。 でも、その仕草はシャンシャン程離れていなく、ちょっと手を伸ばしさえすれば触れる位置に居たから、何気ないことが楽しい。 そんな動画ニュースも楽しいものである。 そんなニュースを「目を皿にして」探し続ける一年にしたいものである。2018 年1 月12 日
まだ確立していない
例年は、鏡開きの日の前までには「今年の目標」を確立しているのだが、今年はあまり思いつくことが出てこないので、中々確立しないでいる。 いや、そうではなく、昨年と同じような物しか思い浮かばないので躊躇しているからである。 孔子の言うように「七十は耳順」と言う様に他人様の言われることは素直に受け取って、波風を立てないで生きていければいいのだろうが、まだまだ「若気の至り」と言うものが残っていて、反発したくなる自分が居る。 だから、逆のその反動として「怒らない」ということが一つにはあるのだ。 これは「怒ってみたって、事が収まる訳でもないし、相手がこちらの言うとおりになってくれる訳でもない」と言う、ある意味での「諦観」なのかもしれない。 まぁ「正月中に」ということにしておこう。 そういう意味では、以前にも立てた「慌てない」ということも一つになるだろうか。2018 年1 月11 日
読書感想文
読書というより、左手での書き写しを終えた本で、「菜根譚」(中国古典百言百話1 吉田豊著 PHP文庫刊)である。 内容については何度かここで紹介しているので、今回は「左手書き写し」という意味で、この本を書き写した感想ということになる。 書き写しの用紙は、新聞などの折り込みチラシの裏面をB5版に切って、Wordで原稿用紙を印刷して使っている。 基本的な設定はA4判の用紙になっているのだが、折り込みチラシはなぜかB4判の大きさのものが多いので、それを半分に切って使っている。 左手書き写しについても、以前から何度か紹介したが、右手でやっている時と少し違うのは、「しっかりと書く」ということではないだろうか。 良い意味で「慣れ過ぎていない」ことからかも知れず、ボケ防止運動としては、効果があるのではないだろうか。 今度の完了は12月30日だった。 切りが良かったので、後継本は決めてあるのだが、正月三が日はお休みにさせていただいた。 付箋を付けた項目は次の通り。 ・平凡だが守りにくい三つの戒め ・円満な人間関係を育てる四つの教え ・公職者への戒め、家庭人への教え ・安らぎは近くにあり 果たして、今後どれだけ心に残っているだろうか。2018 年1 月10 日
読書感想文
「仏教のことば 早わかり事典」(宗教文化研究所所長 ひろちさや監修 主婦と生活社 刊)を2016年年初から右手の書き写し材料として使い始めて、ほぼ丸2年掛かって書き写し終えた。 終ってから、著者というか監修者の名前を見て、在職中を含めて今まで何冊か読んだ宗教関係の本の著者として知っていた名前だったことに気が付いた。 出版社が「主婦と 〜」ということから、父が買ったものではなく、母が買ったものではないだろうか。 ISBN番号が付いていて、昭和62年初版になっているから、そんなに古いものではないようだ。 尤ももう20年以上も前のものではあるが。 何しろ分厚いもので、とても私の能力で「かいつまんで」でも説明できるものではない。 でも、「非常に読みやすい」本だったことは確かだし、書き写しをしていても、やたらめったら仏教用語が出てくるものではなかったから、そんなにのめり込むこともなかった。 でも、特定の宗派に偏ることなく、述べられているので、そういう意味では「仏教の全体像」を垣間見るというだけの価値があるのではないだろうか。 是非一読をお勧めしたい本の一つである。2018 年1 月9 日
パチンコのラッキー過ぎ
年末の忙しい中の息抜きで、散歩がてら、トイレ休憩でパチンコ屋に行った。 トイレ借用料と思って、空いていた台に座り、弾き始めたのだが、そのうちに隣の小母さんが「やったー!」と小声で話しかけてきた。 見ると、確率変動という次回の当たりが保障されたような当たりだった。 私もそれなりに当たっていたので、「良かったね」と言っていたのだが、そのうちに小母さんの方が、最高の当たりである「777」の当たりになった。 一緒に喜んであげたが、、私の方もそれなりに当たっていたので羨ましいとは思わなかった。 ところが、おばさんの方は「777」がどんどんと続くのである。 私もそろそろ「羨ましい」と思い始めたが、それよりも小母さんの方が「気色悪い」と言うのに驚いた。 確かにそれだけ続くとそう思うことも理解できた。 1パチで甘デジだから、それまで使った分を差し引けばそんなに儲かった訳では無いとのことだった。 でも、チャンスタイムを途中で止めて帰られたが、私もそれなりに儲かったけれど、こんな感覚も大切にしたいものだと思った。2018 年1 月8 日
「親」と言う漢字の意味を(11/17に採用された)
最近はあまり言われなくなったけれど、かつて児童の事件が起こるたびに、「うちの子に限って」という言葉が聞かれたことがある。 神奈川県座間市で発覚した事件の発端の一つがそうであったのではないだろうか。 「子どもには最大限の自由を認めて、すくすくと伸ばしていこう」という教育方針も分からないではないけれど、それは「放任する」ことではないだろう。 親は今一度「親」と言う漢字の意味、「高い木の上に立って見失うことがないようにしっかりと見ている」ことを知るが必要があるだろう。 このことは、親ばかりではなく、近所のおじさんやおばさんの協力も必要不可欠だろう。 できれば「追記」もご覧ください。追記をみる
2018 年1 月7 日
「毀傷しない」を心がけていよう(11/07に採用された)
「身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始め也」は孔子の言葉として、それなりに、守ってきたつもりだった。 毎朝の書き写しの材料の中にも似たような言葉が出てきたので、しばらくぶりに思い出した言葉だった。 いつ聞いても思い出しても「ハッ」とさせられる言葉ではないだろうか。 別に論語に心酔しているわけではないけれど、良い言葉だと思いませんか。 人は、基本的には愛し合った夫婦の間から生まれてくるのである。 自殺などはどんなことがあっても許されることではない。 70歳を過ぎた老いぼれの酒飲みが言う言葉ではないかもしれないが、自然に断れないお迎えが来るまでは「毀傷しない」ことを心がけていよう。2018 年1 月6 日
結構毎日忙しく 楽しみでもある(2017/11/1に採用された)
リタイアするときに、先輩から「すぐにやることを決めておけよ、でないとすぐにぼけるぞ」と言われ、直後は父の介護などがあったので、忘れていたが、見送ってからその言葉を思い出し、幾つかのボランティア活動にも参加していた。 それも約15年続いたが、当初から「70歳まで」と決めていたので、今はそのほとんどからもリタイアしている。 今になって「あれもやりたい、これも」と、結構毎日忙しく過ごし、それが楽しみでもある。 あくまでも「自分の世界」だけれども、それでも毎日、他人様にも自分にも感謝の連続である。2018 年1 月5 日
乗車客より降車客の増加(2017/11/12に採用された)
新幹線を利用したのは、今までに3回である。 最初が新高岡駅からの乗車だった。 石動駅から2回の乗り継ぎで、帰りも同様だった。 他の2回は乗り換え1回で済む富山駅を利用した。 新高岡駅への「かがやき」停車を求めるイベントがあったのは知っていたものの、打ち上げ花火のごとくでは長続きしないだろうと思って参加しなかった。 随分前に友人との話で、「乗車客より降車客の増加」と話したことがある。 時間はかかるだろうが、高岡で降りたいというイベントを考えて、末永く地道に続けて歴史を作り、その上で、城端の祭り、氷見の魚などを絡めて行くのが良い方法ではないか。2018 年1 月4 日