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2012年11月30日

帰宅

 列車の中で睡眠をとって、家で、布団で寝て、合わせて睡眠時間を足らせようと思ったのだが、ほとんど眠れなかった。
 新幹線は、約1時間なので、寝過ごしたらと不安で眠れず、はくたかに乗ったら、頭はぼおっとしているのに、眠れない状態になり、それでも、直江津の記憶がなくて、気がつけば糸魚川だったので、1時間ぐらいは寝たのだと思う。
 家に着くと、12時だった。風呂のお湯が残っていたので、ちょっと浸かってから寝た。でも、4時に目覚めてしまって、鬱々とするうちに6時、いつもの朝になってしまった。

投稿者:at Sushiat 06:12 | 日記 | コメント(0)

2012年11月29日

東京駅

 西武線で、高田馬場を目指す。
 終点の新宿まで行けばどうかと思うが、どうやらそれだと、乗り換えが面倒らしい。
 ふつうは、各駅停車に乗って、途中で急行などに乗り換えるのだが、いきなり急行に乗れたので、ラッキーと乗っていく。
 高田の馬場が近づいて、Suicaで乗ってきたが、今度は富山への乗車券に切り替えなくてはならないことに気づく。しかし、乗り換え改札を通らざるを得ず、流れに乗って歩きながら、考えてしまった。
 結論は、新宿で中央線に乗り換えるときに、駅の窓口で相談することだった。
 あっけなくSuicaの方を解除してくれ、普通乗車券で東京へ向かう。
 しかし、東京で、今度は、新幹線改札で引っかかってしまった。そして、越後湯沢でも、機械改札は抜けられないとのことだった。なるほど、新しいことを学ぶことができたぞ。以前、バスで東京へ行って、池袋駅でSuicaを使おうとして引っかかったのは、そういうことだったのだ。Suicaで入って、普通乗車券で新幹線に乗ってしまったせいなのだ。
 とにかく、無事東京駅に着き、職場へのおみやげも買って、無事帰途に着ける。

投稿者:at Sushiat 20:01 | 日記 | コメント(0)

子どもたちのところへ

 高円寺から中央線で八王子方面へ。快速電車が、何か事故があったとかで遅れ気味で、しかも、快速とはいいながら各駅停車だった。結構時間がかかった。子どもたちのところに着いたら、5時20分ほどだった。
 バイトがあるとかで、いないかと思ったら、2人ともいた。しかし、風邪気味で、学校を休んでいたとのこと。
 ぶらぶらと時間を過ごすうちに、6時20分になったので、東京駅に向かうことにして、子どもたちの家を出る。
 まあ、風邪気味だったとはいいながらも、それなりに元気そうな顔を見られたのは、ほっとした。

投稿者:at Sushiat 18:25 | 日記 | コメント(0)

お葬式

 近い親類でなければ、だいたいは、お通夜に出て、葬式は失礼することが多い。考えてみると、葬式にまで出席したことがほとんどなかったことに気づく。ましてや、東京の葬儀事情は初めて体験する。
 故人は弟の奥さんの父である。結婚式でお顔を見たきりで、顔もおぼつかない。
 式場へ行ったが、故人の奥さんの顔が分からないし、お棺の中の故人の顔は、全く見覚えのない顔で、式壇の写真を見て、ああそうだったと記憶が戻ってきた。
 喪主の長男さんは、見覚えがあったので、ちょっとほっとする。
 参列者は、ごく少ない。故人の直系の遺族が少ないので、我々姻族の方が多くなってしまった。祭壇も簡素なもので、でも、故人もその長男も大企業にお勤めなので、お花の名前がなかなかのものである。
 式そのものは、1時間。その後、お棺に花を入れて故人を送る儀式があり、出棺。
 斎場へ行って、お骨になるのを待った。こんな大都会の住宅地に斎場があるかと思ったが、狭い道をくねくねと行くと、大きな斎場があった。そして、その規模の大きさに驚く。また、次々と遺体が運ばれてきて、焼き場に入っていく慌ただしさに驚く。
 炉に入れると、控え室で、茶菓を取りながら待つ。控え室で同じテーブルには、故人の隣に住んでいたというご夫婦が着いたので、お話する。弟のお嫁さんの幼少の頃からを知っていて、山歩きが好きで、富山の山にも来たことがあるそうだ。今は所沢に住んでおられるそうだ。
 40分ほどで骨になる。きれいに骨がある程度形を残して焼きあがった。係員が説明をしながら骨を壷に納める。
 その後、式場に戻って、初七日の法事をし、精進落としの食事をいただいた。
 その後のこともあるので、4時で失礼してきた。予想以上に時間がかかった。ちょっと疲れた。

投稿者:at Sushiat 16:10 | 日記 | コメント(0)

高円寺へ

 12時から高円寺でお式ということで、東京駅からまっすぐ向かえば、10時40分頃に着く。しかし、ちょっと空腹を覚え、できれば、東京駅のような大きな駅で、着替えも済ましておきたい。
 まずは、軽食をとれるところを探した。席もあるパン屋を見つけ、そこでサンドイッチを食べる。その後、トイレに入って着替える。個室が詰まっていて、参ったなあと思ったら、ちゃんと着替えのコーナーがあった。
 さあ行こうと思ったら、昨日から来ていた母から、高円寺で待ち合わせようとメールが入る。言われた待ち合わせ時刻ぎりぎりに着く予定と返事を返したら、あっちは、それよりちょっと遅れそうだと返事をよこす。
 中央線ホームへ行くと、ちょうど特別快速が来た。これはラッキー。中野で乗り換えて、高円寺に着く。
 母を待つ間。みどりの窓口を見たら、帰りの切符がここで取れそうだと気づいた。式の終了が3時と聞いた。できれば子どもたちの顔を見に行きたいので、万一遅れた場合を考え、午後8時の最終列車に決めて、切符を買う。クレジットカードで買おうと思ったら暗証番号を聞かれた。ぱっと思い出せなかったので現金買いに切り替えた。

投稿者:at Sushiat 11:05 | 日記 | コメント(0)

定刻通り

 定刻通りはくたか1号が到着し、出発、魚津、直江津、越後湯沢と行く。黒部ではなく魚津とは、そんなに重要な駅とは思わなかった。
 気がつくと、十日町、もうすぐだなと思うと、長い長いトンネル。それを抜けると、少しばかり雪をかぶったスキー場の山が見えた。
 越後湯沢では、改札を素通りして、新幹線ホームに向かうことになっていた。機械の故障か、時間的にさばききれないためか。
 Maxとき310号は、2階立てで16両編成、東京までノンストップ。ものすごい輸送力だと思う。それにしても、大宮にも止まらないというのは初めてである。
 越後湯沢のあたりは、本当にどんよりとして暗い暗い空だったが、しばらく行くと、陽光が実に鮮やかになる。いつもながら、この季節の日本海側と太平洋側の違いがすごいと思う。

投稿者:at Sushiat 09:28 | 日記 | コメント(0)

東京へ

 思いがけなく親戚の葬儀で東京へ行くことになった。
 決まってから、仕事の段取りをつけるのにてんてこまいだった。列車のチケットを予約したり、東京での行動計画を立てるのも、いろいろ調整があって簡単ではなかった。JR西日本の予約システムは、2年前に大阪へ行ったときに使ったが、要領を忘れていて、とまどうばかりだった。
 昨晩は、予約したチケットを取りに駅へ行った。何のことはない、簡単だった。
 そして、今朝は、家内に送ってもらって駅に来た。
 駅に来てびっくりしたのは、なにやら美しい合唱曲が構内に流れている。最初はクリスマスソングかと思ったが、どうやら合唱コンクールか何かの曲集のようだ。何となく心が優しくなれる。

投稿者:at Sushiat 06:25 | 日記 | コメント(0)

2012年11月24日

家へ向かう

 志賀町から羽咋市に向かい、そこから氷見に山越えして、160号線、8号線と走って帰る。
 羽咋から、氷見への分かれ道さえ間違えなければ、大丈夫と思ったが、走れど走れど、羽咋に着かない。ふと気づくと、ナビに使っていた携帯電話の電源が切れていた。
 車のバッテリーから電源をとりながら、再起動させる。そして、案内に従って走る。かなり遠かった。さらに、羽咋市内では、渋滞気味で、ようやく氷見へと向かったはよいが、道の右側の店に入ろうとする人や、ミニバイクのおばさんに行く手を阻まれて、かなり時間を食ってしまった。
 山越えの道でも、初心者マークの軽ワゴンが、ゆっくりめに走るので、のろのろだった。
その軽ワゴンも氷見の町が近づくと左折していき、ようやくマイペースで運転できるようになったら、氷見市民病院が見えた。もうすぐ160号線と合流できるとわかったときは、ほっとした。
 その後は、快調に進んで、7時前には家に到着できた。
 長い一日だった。

投稿者:at Sushiat 19:20 | 日記 | コメント(0)

アリス館志賀 

 どうということはない施設なのだが、今回どうしてもここに立ち寄りたかった。
 北前船資料館から、約一時間。ひたすら車を走らせて来たが、ほとんど閉館時刻だった。
 今話題の原子力発電についての北陸電力の広報施設である。少し手前の志賀原発へつながるゲートのところには、パトカーが待機していて、ちょっと物々しかったが、こちらは、ほのぼのとしたものである。不思議の国のアリスをキャラクターにして、原子力の宣伝をしている。
 残念ながら、施設をじっくりと見る時間がなかった。子どもが小さいころに、一度連れてきたことがあって、基本的にその頃と展示などは変わっていなかったようだ。

投稿者:at Sushiat 17:10 | 日記 | コメント(0)

輪島市天領黒島角海家

 当初、予定に入れていたが、この後帰ることを考えると、あまり時間はなさそうである。やめておこうかなと考えつつ、羽咋の方へ向かって走り出すと、程なく北前船資料館の案内があった。通り過ぎて、やっぱり見ておこうと思って戻る。駐車場がわからないので、道路沿いの空き地に車を止める。
 少し坂を上がっていくと、角海家の住宅があった。潜り戸のようなところを入ると、学生の団体のような人たちが、説明を受けているところだった。ついでにと一緒に話を聞く。
 座敷の脇の海を望む小窓が印象的である。また、下に土蔵が作られていて、そこへ行き来する土作りの階段などもある。土蔵の中では、数は少ないが、立派な美術品が公開されていた。
 北前船資料館の方は、今は、閉館中で、角海家でお願いすると開けてもらえるらしい。ついでに、学生団体について、見に行く。立派な山車や、北前船の道具などが飾られていた。しかし、いよいよ、この後の予定が気になってきたので、早々に失礼する。

投稿者:at Sushiat 15:30 | 日記 | コメント(0)

総持寺祖院

 旧門前町、今は、輪島市門前の総持寺祖院へ向かう。永平寺と同じ、曹洞宗の本山である。総持寺の方は、明治時代に横浜市に移転し、能登の方は、祖院ということになっている。
 昔一度来たことがあるが、あまり明確な記憶はない。
 輪島から、山道をひたすら走ると、総持寺の案内とそば祭りの看板が並んでいる。どうも境内でそば祭りをやっているような感じである。
 行ってみると、駐車場案内のお兄さんが、隣の高校の空き地に車を誘導してくれた。聞くと、門前町で、そば祭りをやっているのだそうだ。寺を見てから行こうと思い、まずは寺の方へ進む。本堂は大規模な修復工事中で、その代わり、足場が見学コースに組み込まれていて、屋根の様子などを見ることができる。それ以上に、本堂にあった開山住職の木像やらんま、将軍の位牌などが、別室に移されていて、特別に間近で見ることができる。これはラッキーだった。
 しきりに震災復興と書いてあるので、東北震災に募金援助をしているのかと思ったら、能登地震で、この寺自身が大変な被害に遭ったのだということがわかる。
 立派に修復が終わった頃にまた来たいなと思わされた。
 そば祭りは、もう店じまいの雰囲気だった。それでも、そばを食べて、そばおにぎりを買う。

投稿者:at Sushiat 14:15 | 日記 | コメント(0)

漆芸美術館

 市街地を通り抜けた静かなところに、漆芸美術館はあった。
 見学している間、客は私一人。展示室を出る頃に中高年のご夫婦が入ってこられた。展示は、アジア各地の漆芸についての紹介だった。学術的な興味がなければ、ちょっと退屈。輪島塗について解説している展示室があって、なるほどと思わされることがあった。
 1階のショールームに輪島塗の食器が展示してあった。その値段にびっくり。お椀一つが15,000円ほどするのでは、ちょっと買えないなあ。

投稿者:at Sushiat 13:10 | 日記 | コメント(0)

輪島の朝市

 漆芸美術館へ向かう。市街地の方へ近づくと、温泉街の狭い道に入りそうだった。案内に沿って左に曲がると、海沿いの広い土地を通る道だった。道に沿って、道の駅のような広い駐車場を持った施設があり、そこを抜けると、商店街のようなところにさしかかった。
 見ると、朝市をしている。朝市に行くらしい人々の駐車場があり、続々と人々が歩いている。ちょっと立ち寄ってみたい気持ちになる。よく見ると、12時までは駐車料金がかかるらしい。後20分ほどで12時になる。そこまで待てばただということかと思ったが、それは、つまり、朝市が終わってしまうということだと気づく。とはいえ、300円払うのがもったいないので、海沿いの広い駐車場に車を停めて歩く。
 それでものんびり構えていて、ちょっとラーメンが食べたくなって、道の駅のようなところで、いっぱい食べる。
 その後、朝市の通りに行ったときは、11時50分を過ぎていた。通りは、店をたたむ人の流れになっていた。それでもゆっくりと構えている人々の店をのぞいて歩く。
 無性に貝の干物が食べたくなって、1軒の前で立ち止まったら、売れ残った貝を、全部入れて、そのほかの貝も、少しおやつにおまけしてくれた。
 通りを来た方に戻っていくと、先ほどまであった店はほとんどなくなっていた。どうやら、12時までに撤収する約束になっているらしい。

投稿者:at Sushiat 12:20 | 日記 | コメント(0)

奥能登揚げ浜塩田

 輪島へ向かって道を戻る。
 途中、塩田と書かれている体験工房のようなところがある。先を急ごうかなと思いつつ立ち寄ってみる。
 塩屋さんである。外には、実際に塩づくりをしているらしい場所があるが、今はシートをかぶっている。その脇には、体験コーナーらしきものがある。どこかの家族連れが、砂地に塩水を撒こうとして失敗して自分に水を掛けていた。
 店の隣に塩釜という看板があるので、のぞいてみたら、どこかのご夫婦が、ご主人らしき人に話を聞いていたので、私も入ってみる。
 大きな釜があって、塩水らしきものが入っている。今は、一度炊いて、ゆっくりと冷ましているところらしい。部屋の脇の木箱に、にがりを抜いているところだという出来立ての塩が入っていた。ちょっとなめさせてもらう。塩なんだけれど、塩辛くない。これをさらに溶かして煮詰めてを重ねて精製していくらしい。一年に実際に塩を天日干しできるのは80日ぐらいで、後は、釜で煮詰めたり精製したりの作業なのだそうだ。今は、タンクに精製途中の塩水を入れて、そこから汲み出しては冬場にも仕事をしているらしい。
 その後、店の方で、完成品の塩をなめてみたが、さっきなめた塩とは違って、やっぱり塩辛かった。

投稿者:at Sushiat 11:20 | 日記 | コメント(0)

時国家

 田鶴浜から有料道路に入って、輪島には、9時頃着いた。高速といっても、ずっと対面通行なので、スピードを出すのが怖い。しかも、結構カーブがきつい。
 高州園ホテルが見えたときは、うれしかった。
 そこからが遠かった。
 白米の千枚田でトイレ休憩。風が寒い。売店の人たちは、偉いなと思う。
 いよいよ、交差点を曲がって、時国家である。時国家があって、すぐに、上時国家があって。ずいぶんと開けている。以前の記憶では、細い道を入って行ったように思う。2軒の距離がもっとあったような気がする。そう思って、さらに奥に入っていったら、かなりさかのぼってしまった。記憶違いのようだ。
 素直に道を戻って、上時国家にはいる。だいたい、こんな立派な坂を上った記憶がないのだ。
 受付はおばあちゃんだった。その奥、狭い部屋の中では、こたつに入った2人のおばあちゃんが編み物をしている。実にのどかな景色だ。
 お座敷は大変立派だった。しかし、庭の方は、ちょっとあれた感じがした。掃除のおばさんが、草取りをしていたので声をかける。なんといっても寒い。これからの季節、大変だと思う。冬は、予約のあるとき以外は閉鎖されるらしい。さもありなん。
 上時国家と下時国家の由来を読んで、下時国家に向かう。
 入り口は開かれており、庭に自由に入れる感じ。人影はなく、静かだ。資料館に先に入る。部屋の中は明るいのだが、電灯がつかない。電源が切られている様子。
 母屋の方に向かう。元は隠居のための屋敷だったとのことで、造りは小さい。その割には、安徳天皇の塚があったり、いろいろな役職だったらしいことが書いてあったりする。資料によると、ほんの200mほどの違いだが、かつては、加賀藩と富山藩とに分かれて支配を受けていたらしい。
 若いお姉さんが売店兼事務所から出てきて迎えてくれた。上時国家以上にここは寒く。いろりの大きな薪だけが暖房で、部屋はすべて開け放しなので、本当に寒い。案内の放送を聞いて、見学する。ついでに、当地のうどんといしるのたれを買う。

投稿者:at Sushiat 10:45 | 日記 | コメント(0)

給油

 氷見を走りながら考える。今ガソリンは、満タンから10Lほど使っている。今日の旅程は350キロほどだから、ぎりぎり足りない。給油が必要だ。
 このあたりは、だいたい、ガソリン代が139円である。この後、七尾のほうへ行ったら、たぶんこれより高いだろう。今のうちに給油しておいた方が絶対よさそうだ。よし。と思って、セルフのスタンドに入る。
 12L入った。

投稿者:at Sushiat 07:30 | 日記 | コメント(0)

出発

 ナビで旅程を計算すると、輪島までは、255分かかるとでた。4時間以上とは大変なことだ。実際は、それより速まるだろうが、朝6時には出た方が良さそうだ。
 そう思っていたのに、結局出発は、6時50分だった。この時間では、近所のガソリンスタンドで給油していくこともできず、本当に中途半端だ。
 しかも、夜中に目が覚めてしまって、何となく寝不足で、頭がぼおっとしている。

投稿者:at Sushiat 07:03 | 日記 | コメント(0)

2012年11月23日

ドライブ計画

 能登へ行くなら、輪島に行こう。漆芸美術館というのがある。
 そそぎ海岸というのも行ってみたいな。
 千枚田も見られたらいいな。
 この際、総持寺にも行ってみたい。
 地図を見ていると、北前船の資料館もあるようだ。
 行きたいところをピックアップしてみた。
 さて、肝心の時国家はと見ると、なんと、輪島よりも遠かった。それもかなり遠い。輪島から時国家の途中に千枚田があり、時国家のちょっと向こうにそそぎ海岸があった。
 まず、時国家へ行って、そこから輪島に戻って、門前に戻って、というルートで行くことにした。

投稿者:at Sushiat 21:53 | 日記 | コメント(0)

能登への旅

 平清盛を見ながら、平家物語を読み返したり、登場人物について調べ直したりしている。その中で、平時忠が平家滅亡の後に能登に流罪になっていることに気づいた。
 あれ、能登に、時国家という平家の流れを汲むお屋敷があったはずだ。あれって、時忠の子孫だったりするのではないか。そう思うと、行ってみたくなった。
 行くのは初めてではないが、行ったのは大昔である。下時国家というのと上時国家というのがあった。どっちかが立派で、どっちかがちょっと小さかったはずだ。
 ちょうど三連休である。ここで、行ってみてもいいだろう。そう思って、計画を立てた。

投稿者:at Sushiat 21:23 | 日記 | コメント(0)

2012年11月18日

音楽フェスティバル

 行っている教会で、子ども達の発表会として始まったのだが、例年なかなか参加者がいない。そういう自分も出たことがなかった。しかし、せっかくの機会だから、やってやろうと思って、曲を準備して練習してきた。
 ジブリの映画音楽を集めた。CD伴奏付きの楽譜があったので、そこから曲を選んで、携帯音楽プレーヤーに伴奏を入れて、練習してきた。
 教会でも、ミニプラグからスピーカーに音を流すことができると聞いたので、それでやるつもりだった。
 ところが、いざやってみると、途中で接触不良を起こしてしまった。焦ってしまって、5曲やるつもりを1曲カットして、4曲披露した。
 家では、弱音器を付けて音を小さくして練習しているので、普通に演奏したときの音量や響きがいまいちつかめない。でも、今日わかったことは、結構よく響くということだ。
 演奏はいまいちで、失敗もいろいろあったが、次に続くよい機会になった気がする。
 今度は、クラッシックの少し長めの曲にチャレンジしてみよう。

投稿者:at Sushiat 17:41 | 日記 | コメント(0)

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