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2008年03月13日

祝>日本学士院賞受賞

今朝の地元新聞第一面に、本市(城端)出身の中井直正筑波大教授に日本学士院賞が贈られることが決まったと報じられていた。めでたいことである。
======以下、3月13日付北日本新聞より抜粋=======
日本学士院賞に12日決まった筑波大教授、中井直正さん=南砺市千福・城端出身、茨城県つくば市=は、銀河中心にある巨大質量ブラックホールの存在について最初の確証を得た研究者として知られる。(以下、中略)
中井さんは「城端小、城端中時代は星空がきれいで、毎晩、夜空を観測していた」と振り返る。
船舶通信士になろうと親や教師の反対を押し切って香川の工業高専へ進んだが、「天体を愛する気持ちが膨らみ」、関西学院大に編入。苦学して名古屋大大学院、東京大大学院に進んだ。国立天文台野辺山宇宙電波観測所長などを経て現職。電波天文学を専門にしている。
ブラックホールはあまりにも重力が強く、光でも脱出できない天体。世界で確認された7つの巨大質量ブラックホールのうち、4つを中井さんの研究グループが観測した。最初のものは、りょうけん座M106銀河※↓の中心にあり、太陽の3900万倍もの質量がある。
※M106系外星雲

M106(NGC4258分類Sbp)眼視等級8.6等 写真等級8.9等 視直径19.5'×7.0' 距離1300万光年
[撮影データ]2004年4月21日22時21分〜22時39分頃
改造EOS kiss_D(ISO感度800設定)
BORG製12.5ED屈折直焦点+同社×0.85RC使用(f=680mm)
高橋製NJP赤道儀(STVによるオートガイド)

中井さんは平成4年、口径45mの電波望遠鏡で「不思議な電波」を見つけ、正体を突き止めようと米国にある電波望遠鏡を使って調べた。ブラックホールは光では観測できず、電波を使い、できるだけ近い位置を特定して周囲の状態を調べる。「富山から、大阪にいる人が持つシャープペンシルの先まで見分けられるほど高い精度の望遠鏡を使った」と言う。
銀河中心に巨大質量のブラックホールがあることは以前から想定され、観測したという報告もあったが精度は低かった。
中井さんは平成6年に観測を終え翌7年、科学誌ネイチャーに論文発表。ブラックホールである確率を従来の10万倍も高めた画期的なものだった。
=======以上、3月13日付北日本新聞朝刊記事より抜粋=====
本市、城端地域は、古くから「天文」と関わりの深い地でもある。
★江戸期の天文学者「西村太冲」
富山県の天文歴史関係資料より抜粋
西村太冲は明和四年城端町に生れた。元の姓を蓑谷氏。天文暦学を志して京都の西村遠里の門に入り、その後継者となって、西村姓を名乗った。のち大阪の麻田剛立に学び、その高弟の一人に数えられた。寛政十一(一七九九)年、加賀藩明倫堂の講師に招かれたが、一年で辞して城端に帰り天文暦学研究にいそしんだ。文政四(一八二一)年再び加賀藩に召され、金沢分間絵図の作成、時制の改革、彗星の観測等に指導者的役割を果たし、天保六(一八三五)年五月、金沢で没した。享年六十八才。墓は金沢野田山にある。北陸の地に、当時の最先端をいく天文暦学理論と観測技術・機器をもたらした功績は大きい。
城端町教育委員会

★城端町立中央公民館の渾天儀(城端町)
富山県の江戸時代から明治時代の天文資料より抜粋
 中心に地球の模型がある漆塗りの説明用の木製渾天儀。文化9年(1812年)、西村太冲の親戚で門人の小原治五右衛門一白作。外側の環の直径は約40cm。極軸の一軸で黄道環、白道環が回転する。「亜細亜人一白作」・「文化九年壬申立秋」の銘がある。文字は六合儀の天経環に北極・北極出地三十六度・嵩高距夏至一十二度半、夏至日道地高七十七度半・赤道春秋二分日道地高五十四度・冬至日道地高三十度半・南極・南極入地下三十六度、地平環に方位・宮による方位・国名による方位、三辰儀の天経環に黄赤大距二十三度半・黄道軸・黄赤軸距二十三度半、黄道環に二十四節気・二十八宿、四遊儀の天経環に白道・黄白大距五度半、白道環に正月望から十二月望まで十二種がある。
高岡の渾天儀に似るが、回転軸が少ない、地球の地図が古いという特徴がある。

投稿者:Ken28at 22:16| ローカルな話題 | コメント(0) | トラックバック(0)

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