2019 年10 月31 日
2019 年10 月30 日
足踏み健康法
寝てから朝までの間に、3度は確実に起きるのが常だった。 妹の連れ合いに「これは効く」と教えられて、半信半疑ながら、100均でプラスチック製の疣疣が付いた青竹を買ってきて、始めてから、約半年過ぎて、3度起きることは殆ど無くなって、今では1度が殆どになっている。 人間は「欲張り」なもので、それならもう少し良くならないか、と言う事から、以前何かで見た「足裏の壺」と言うものをネットから探して、プリントアウトして、その個所を意識して続けることにした。 体重をもう少し減らしたいので、ここ10か月くらいで、便通を良くして、成果としては2Kg弱であることから、あまり難しくない丁度土踏まず的なところを中心に始めている。 年末までどの程度の効果があるだろうか。 途中経過だけれど、腹囲目標の85cmは月の約2/3位の日で達成できている。2019 年10 月29 日
デスクダイアリーを購入
先日、家内のお供で本屋さんへ行ったときに、来年のデスクダイアリーがあったので、購入した。 毎年の事だけれど、意識して来年を内容を覗くことはしないようにしている。 「来年の事を言えば鬼が笑う」と言う事を信じているわけではないが、これからその覗いた日まで、どの様に状況が変わるか分からないのだから、むしろ「楽しみに待つ」と言う事の方を重視するからである。 毎日の信条として、朝ぶつぶつと呟く言葉は「昨日まで元気で過ごすことができました。今日も元気で起きることができました」である。 それから、朝のルーチンの中でデスクダイアリーで「暦」を見て、箴言などを見ることが楽しいのだから。 先に知ったから出来ることなど、たぶん殆ど無いのだから。2019 年10 月28 日
毎日やることがある幸せ
私の予定は、忘れて他人様に迷惑が掛からないようにと、自分自身に課している日課などでいろいろなところに書いてある。 月末頃に新聞に折り込まれている「暮らしのメモ」、携帯のスケジュール機能、デスクダイアリーそれに、毎朝立ち上げるPCのOutlookと言うソフトである。 そのどれかにほぼ9割に近い程度にイベントが書かれているので、今の所幸いにして「忘れての迷惑」は無いと思っている。 ところが、それが一つの「習い性」になっているので、その何れにも、一切イベントが書かれてない日が、やはりある。 そんな時に、以前は「何かしないと」と言う時間貧乏性の癖が治っておらず、少しばかり焦ってしまった。 ところが、最近は「これも生きている幸せの一つ」と思うようになっている。 本を読むのもいいし、クイズ番組や健康番組、お笑い番組を時間無視で楽しめる好機であると思えるからだ。 これで大分「時間貧乏性」から縁遠くなったかな。2019 年10 月25 日
耐久消費財
長らく使っていた長靴が、とうとう水が漏れてしまうようになってきた。 畑の耕作、切り株の整理、生木の伐採などに使い、町内有志で行っている桜の植樹においては、雑木の伐採や草刈り機による作業と手刈りの作業、被害こそなかったけれど、それなりの豪雨の時にも大いに活躍してくれた「愛用の品」と言うか「不可欠な品」と言うべきものだつたので、かなりの思い出のある品物だった。 でも、残念ながら「消費財」と言う事で、感謝しながら退役してもらうことにした。 当然無くては成らぬものなので、久し振りに長靴を買いに行った。 作業長靴の所には、いろいろな謳い文句の物が並んでいたのだが、年金暮らしの所為か、どうしても「安い物」に目が行ってしまう。 ところが、値段が倍半分の関係なのに驚いた。 最初は、半分の値段で2足買えれば長持ちになる、と思って一度は選択したのだが、ふとした事に気が付いて、やはり1足で長持ちするものに決めた。 必ずしも「安物買いの〜」と言う事は思わないけれど、前の物と同様に、しっかりと愛着を持って使いたい。2019 年10 月24 日
祝日の意味
今年限りの祝日となった「即位礼正殿の儀」は、世界で和暦を使っているという日本だけの儀礼だろうけれど、それはそれでいいと思っている。 それはそれとして、サンデー毎日の身としては、祝日の意味はあまり持たない。 むしろ「そうでない日の方が観光地は空いている」と言うくらいで、観光地の人には申し訳ないような気がするけれど、その程度である。 それにしても、「月日が固定」の祝日は、それなりに意味があると思うのだが、「ハッピーマンデー制度」とかで、毎年の如くに月日が変わる祝日は、果たしてどんな意味があるのだろうか。 子供たちに、きちんと説明できるのだろうか。 それと同様に、各地のお祭りの日もそうである。 和暦と言う意味にはそれなりに親しみを覚えるのだから、観光客目当てだけの祝日やお祭りと言う意味での「祭日」は意味なく動かさないでほしいと思うのは、身勝手だろうか。2019 年10 月23 日
枝豆の収穫
一昨年、家内と娘と孫が行ってきたと言う、南砺市で開催されていた「丹波黒大豆枝豆収穫大会 」へ行ってきた。 実は、昨年、私も初めて行く予定だったのだが、その直前に怪我をしてしまったので、家内なども行かなくなってしまっので、その罪滅ぼしである。 雨が心配されたが、幸いにして11時前に到着して、1mの長さのロープで可能な限りの茎(枝先だけで摂るのは禁止)を束ねられることで、そのロープの借用量が入場料と言う事である。 見事なほど広い枝豆畑には、すでに多くの先客がいらしたが、こちらも負けじと収穫して、ロープに差し込めるだけの茎を差し込んだ。 それからは、家内と3人で「実外し」である。 これがまた結構大変である。 私らが殆どの実を外し終わる頃に、雨が本降りになってきた。 気温は低いが、それだけの作業をやると、汗びっしょりである。 計ってはいないが、多分4Kgくらいの収穫があったのではないだろうか。 帰宅後、家内と娘の作業になるが、虫食いの物などを選別すれば、もう少し減るだろうが、間違いなく美味しい枝豆がしばらく味わえそうである。2019 年10 月21 日
サボりが多くなった
毎朝のルーチンは、ベッド内運動、起きてからの運動をはじめとして、書き写しから音読とよほどのことが無い限り続けている。 夜は9時頃から、家内と撮りためたビデオを観ながら、日本酒1杯とウィスキーの水割り2杯を約2時間ほど掛けて飲んで、部屋に戻って書き写しと音読をルーチンとしてやって、11時頃に寝ていた。 ところが、最近寒くなった所為なのか、加齢の所為なのか、お酒が程よく体を癒してくれているのか分からないが「今日はサボろう」と言う事がどうも多くなってきているようだ。 以前ほど「忘れてサボった」と言う事ではないので、惚けにはまだ少し時間があるのだと思うが、それにしても辛抱が効かなくなってきているのは事実のようだ。 自重しながら「細くとも長く」続けていきたいと、今一度気を引き締めたいものである。2019 年10 月18 日
そろそろ年賀状の季節
請われてやっているPC講習会でも、受講生5名のうち3名迄が「年賀状の準備」に入った。 毎年年賀状の本を買う人は、まだ購入していなくて、「目移り状態」であるが、少しは「凝ったもの」と探しておられるようだ。 今までは、裏面だけを自分で撮った写真で、「出す人の区分ごと」にデザインを考えられているようだけれど、あて名書きが大変で、それを少し指導すると、その便利さを認識されて、満足気であり、先日ようやく今までのノートにある住所録をPCに移行された。 ネット上には、無料のイラストなどがふんだんに載っており、「ゆっくりと探そう」と言う方もいらっしゃる。 でも、印刷だけじゃ寂しいから、できれば「一言を自筆で」と勧めている。2019 年10 月17 日
熱いお茶が良い
気温がだんだんと下がってきており、昨日は毎日薬缶で沸かして、水道水で冷やしてから、冷蔵庫で冷やしたものを飲んでいたのを変更して、薬缶で沸かして自然に暫らく置いて措いてから、それなりに飲める程度の熱さの物を飲むことにした。 また、昨晩はかなり冷えたので、夜のお酒は、日本酒1杯とウィスキー2杯と決めている。 今までは、日本酒はさほど味の良いものではなく、「薬としての1杯」で、冷蔵庫で冷やしておいたもので、ウィスキーは氷入りの水割りだったのだが、日本酒は少しだけ良いお酒を常温で、ウィスキーは汲み置いた常温の水で割って飲んだ。 やっぱりこの時期は「熱いお茶」が良いと思う。 これからも暑い日が戻ることがある、と天気予報は言っているが、その時はペットボトルの物にしよう。2019 年10 月16 日
たまたま時期が合っただけか
朝ルーチンの中で、書き写しと音読をやっているのだが、現在音読している本の一つに「ことわざに強くなる本」と言うのがある。 終わってからまた「読書感想文」で紹介はするが、今日読んだ中に偶々だろうが、次の二つのことわざが出ていた。 「四知(天知る、地知る、吾知る、人知る)」と「天網恢恢疎にして漏らさず」である。 短い解説には、この本が書かれた頃なのだろうか「ロッキード事件」について書いてあった。 勿論その事件は良く知っているが、この時点でこの言葉に会ったことで思いつくのは「原発に関する金銭などの授受」だろう。 まさか、これだけ大きな会社の会長や社長などや、自治体の助役と言う立場の人がこのことわざを知らなかったわけでは無かろう。 勿論、双方共の「取り巻き連中」もだれ一人知らなかったわけではないだろう。 知らなかったとすれば、そんな役員を選んだ方が責められ、知っていてやったとしても同様に取り巻き連中にも、何らかの余禄があったのだろう。 結局馬鹿を見たのは住民と消費者だったと言う訳か。2019 年10 月15 日
便座が冷たい
毎日必ず何度もお世話になっているトイレだし、以前にも書かせていただいたが、家では小用の時にも必ず便座に座って用を足している。 ところが、最近になって「えっ」と思ったのは、便座の冷たさだった。 このところ、台風の話や、自分のパソコン環境などの件で、いろいろと気に成ることがあった所為か、殆ど気に成らなかったのだが、つい先日「なんだこの冷たさは」と思ってしまった。 我が家の便座には温度の調節機能があり、それが4段階に切り替えられるようになっている。 当然のごとく、今までは「夏モード」で最低の温度になるようになっていたからだけれど、これを2段目に調整したので、暫らくはこれで行けると思うが、10月も中旬なのだから、来月からは3段目にしようか。 序に、当然ながらお尻洗いに温水も出るようになっているのだが、その温度も2段目にした。2019 年10 月11 日
ハバネロを確保
例年ハバネロとジョロキアの実は、収穫できた実のうち元気そうな物から種を取り、ここ数年楽しく味わっていた。 それが、今年は何やかやに紛れてしまって、種を撒くのが遅くなってしまい、現在実はそれなりの大きさになったのだが、色が赤くならないままなのである。 それでも、食べると、普通の鷹の爪などよりも相当辛いのだが、やはり赤やオレンジなどになったものとは、違う。 残念ながら、来年は苗を買おう、と思っていたのだが、地産地消のマーケットで、見つけたのである。 そんなに需要の有るものではないからだろうが、3袋がひっそりと並べてあった。 当然買い占めた。 それで早速、もうほとんど払底していた「ハバネロラー油」を作った。 やはり作り立ては辛くて美味しい。 生産者の方に直接連絡して、追加で分けてもらえることになった。 これでまた1年充分に楽しめる。2019 年10 月10 日
季節は巡る実感
今朝飲んだ「ゴーヤジュース」で、今年の我が家産のゴーヤは、基本的に「全て」食べ尽くした。 最初の頃は、定番の「ゴーヤチャンプル」であり、「醤油漬け」「塩揉み」など、家内も娘も「手を替え、味を替えて」美味しく仕上げてくれたが、生産量がかなり多く、毎日では飽きてしまう。 それで、ネットで調べると「ゴーヤジュース」が良いと出ていたので、早速ワタと種を取り除いて、バナナと一緒に牛乳でミキサーにかけて飲むのである。 そのうち近所の奥さんから「ワタも種も一緒に飲んでいるよ」と言われ、再度調べ直すと、ワタや種に実の皮以上のビタミンCが含まれていると出ていたので、「ビタミンCは若さの維持」とばかりに使った。 何より、輪切りにしたものを冷凍保存して、長く持たせることが可能だから、棚の整理は1か月以上前にしたが、今日まで持ったのである。 健康にどれほどよかったかは、検証していないから分からないが、「悪くは無い」と言う事だけで十分満足である。 せっかく実ってくれたゴーヤさんにも感謝を込めながら。2019 年10 月9 日
ダメ野菜の利用
今年は、畑の陽当たりの関係で、期待した茄子は思うほどとれなかったが、ピーマンの所は陽当たりが良く、予想以上に沢山収穫できた。 ところが、以前にも報告したように「蜂刺され」で、あまり積極的に肥料やり等も行わなかったせいか、そこそこ実は大きくなったけれど、家内に言わせると「硬い」と言うので、孫たちも大好きなピーマンの肉詰めは、最近作れなくなってしまった。 それでも、腐っているわけではないので、一昨年買って、ふとしたことで手を切ってしまったので、あまり使っていなかった「微塵切り器」に登場してもらって、ピーマンを四半分に切り、種を取って微塵切りにした。 ところが、これは今年は随分と上手くいって、その名の通り「微塵状態」になった。 こうなると「硬さ」と言うのはあまり気に成らなくて、冷凍保存しておくことによって、これは孫も好きな「ピーマン・紫蘇の実漬け」が作れるし、私の大好物の「炒飯」にも季節を問わず使えそうである。 そろそろ処分時期になるので、小さい実も含めて、感謝を込めて、とことん活用させてもらおうと思っている。2019 年10 月8 日
新車経験(その6) 乗り心地
軽四だから、仕様がないよ、と言われると間違いないのだが、今回初めての「苦言」である。 クッションが以前の普通車と比べて大分悪い。 田舎ではあっても、そこそこの道はきれいに舗装されているし、そんなに悪路と言うところは無いのだが、結構あちらこちらで、舗装を剥がしての工事が始まっているのである。 だから、距離的には短いのだが「悪路」がある。 その時の衝撃は、やはり「えっ」と思うようなことがあるのだ。 そのうちにはドローンの技術を使ったりして「空中自動車」等も出来るから、今の軽四にそれを望むことは正しいのかどうか分からないけれど、矢張りドキッしてしまう。 その反面、これは、購入前からの魅力だったのだが、座っての姿勢で、頭上から天井までの隙間が、今までとはずいぶん高くなっているのは気持ちが良い。 差し引きの結果は乗る人にもよるだろうが、私は今の所天井高の高さが少し勝っている。2019 年10 月7 日
読書感想文
2018年11月5日から、就寝前ルーチンの書き写しの本として約1年近くかけて使った本である。 「漢方が教える 実践養生訓」 平野滋著 雄鶏社刊。 これと並行して、養生訓の原文を朝の音読として使っているが、進行速度も違うし、殆ど項目の同期が取れていないので、終わってみた現在、正直言って「全く理解できていない」と言う状態である。 勿論、書き写しの目的は、何度も言うように「指先の老化防止」が主であるから、内容の理解は二の次、三の次なのではあるが、この本はそれを見事に「実践」させてくれた物だった。 内容的に悪い事ではないのだが、この本は多分父が購入したものだろうが、かつて大きな薬局に臨時雇として勤務していた父でも、ビタミンなどの種類と効用などは多分珍紛漢紛だったのではないだろうか。 私はそれよりももっと遠くにいるのだから、最初のうちは「へぇー」そのうち「とても覚えきれない」そして「結局これは一般人が読む本ではなく、その道を目指す人の読む本」と言う諦めで、最後には「どうにか苦痛共々やり終えた」という感じの本である。 だから、一般人には決してお勧めしない本だった。2019 年10 月4 日
自画自賛を間違えて理解していた
例によって書き写しで学習したことであるが、読者は「自画じさん」を漢字でどのようにお書きになるだろうか。 「じさん」には「自賛」と「自讃」の二つの漢字をあてるようだが、私はこれを知るまでは「自賛」の方しか頭になく、「手前味噌」と言う意味しか知らなかった。 いわば「軽蔑」的な意味でしか理解していなかったのである。 ところが「自讃」の方は少し意味が違うようである。 自分で描いた絵に自分で「讃をする」と言う意味で、「解説」を書き加えることであると言う意味がある、とのことである。 決して、一時期のピカソの絵のような、抽象画に「これはこういう意味で書いたものである」と言う注釈を加えると言うのではなく、「このように見て、感じてもらえれば、より一層自分の言いたいことを分かってもらえるのではないだろうか」との意味であるとのこと。 「讃」には「助ける」と言う意味もあるそうだ。 学習って、いつまでたっても楽しく面白い。2019 年10 月3 日
久しぶりに見通した朝ドラ
昔は、職番環境も、朝ドラの開始時間も合っていた所為か、「善光寺参り」のように「見るのが当たり前」的に見ていたが、それからすると、今回の朝ドラは、ビデオも駆使して、全てを見通した。 評価はいろいろとあるようだけれど、私個人的には「十分満足できた」と言う思いである。 でも、正直、最初の3回くらい迄は、リアルタイムで見てはいなかったのだが、病院の待合室で初めて見てから「病みつき」と言うような感覚で見始めたのである。 その一つの要因は、私自身分かっているのだが、主人公の幼少時の俳優さんが「あまり美人でない」ことがある。 そんな主人公が、苛まれているのに、一所懸命頑張っていることに共感を覚えるからである。 ずいぶん以前になるが、おしんの時もそうだった。 挫けそうになってもめげず、その時その時を精一杯に生きている姿は、美人俳優さんでは、どうしても共感が持てない。2019 年10 月2 日
料理は脳活にピッタリ
以前にも同様な趣旨で書いたような気がするが、今回この記事を書くきっけかになったのは、就寝前書き写しで使っている「漢方が教える実践養生訓」 平野滋著である。 原文通りに写すと「『料理」は脳の老化防止にピッタリ!」である。 これ以上原文を写すと、著作権に触れるかもしれないので、これからは私の実体験による創作である。 長女が生まれるとき、家内と息子を実家に帰していたので、約4か月、基本的な朝夕食の賄いはあったけれど、休みが続くと休み前の夕食から休み終わりの朝食までは「自炊」と言う生活を足掛け7年と言う期間で、それなりに料理の楽しみを知っていた私である。 現在は自分の朝食は自炊状態である。 栄養の偏りは無いだろうか、昨日や今日の家内などが作る夕食とダブらないだろうか、味付けは昨日と変えているか、材料はあるのか、等々いろいろと考えなければならないのだが、それがまた楽しい。 まさに「脳活」に効果的である。 あくまでも二人の主婦の邪魔にならないような配慮もしながら、楽しい脳活生活である。2019 年10 月1 日