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2005 年8 月31 日

街の八百屋さん

今日は831(やさい)で「野菜の日」だそうです。日本では最近は「飲む野菜」とかいうのが氾濫していますが、ベナレスの街角の八百屋です。茄子・玉葱・ピーマン・ジャガイモ・カボチャ・豆・トマト・ブロッコリー・芋とかを売っていました。カリーの材料です。明日のブログでカリー料理を紹介しますよ。八百屋



投稿者:ぴるぜんat 22 :39 | 日記 | コメント(3 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月30 日

タイトルを変えました。

「コックの独り言」というタイトルで、タイムリーな話題や料理やお酒にまつわる独断的な薀蓄を交えながら、偏見を持って世界の街の大衆食堂の料理と味を書いていこうと考えていましたが、お店ではもとよりメールでもブログの内容に関しての沢山のご意見をいただき、根が優柔不断な者ですから方向が変わってしまいました。軌道修正を指向していくためにもタイトルを「ぴるぜん@ブログ」に変えさせていただき、アクセスいただいております皆様に飽きずに覗いていただけるよう努力していきます。    店主軽薄  VIKING



投稿者:ぴるぜんat 21 :36 | 日記 | コメント(4 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月29 日

子供は親を選べない

ジャイプールの街角での2枚です。昼過ぎにスクールバスから降りてきた金持ちの子息と思しき一団です。デジカメで写してモニターの画面を見せてやったら、狂喜乱舞していました。健康そうで子供らしい明るい小学生達でした。
もう一枚は早朝にゴミをあさっていた暗く不健康そうなホームレスの子供の一団です。みんなで小麦粉を水で練って薄く焼いたチャバーティーと豆のカレーの朝定食を食いに行きました。ミルクと砂糖としょうが入りの紅茶(チャーイ)もたのみ、大枚Rs.100(250円)程の出費でした。ジャイプールの街にはいたる所にホームレスが溢れていました。子供2


子供1



投稿者:ぴるぜんat 22 :38 | 日記 | コメント(4 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月27 日

誇り高いグルカの民

グルカ族というのは、「現ネパール王国(グルカ朝またはシャハ朝)を建設したインド系民族で、18世紀以降ネパールを支配した。イギリスと・・・」云々と本には書いてありすが、彼らは「ひ弱なヒンドゥー教徒をイスラム教徒の脅威から守るために居てますねん。」と言っていました。写真の彼の頭髪は2メートルにもなり、洗髪が大変だとも言っていました。頭髪は一度も切らずに、ターバンを巻いているのが特徴です。「あの勇猛果敢なグルカ兵でおますか。」と聞きますと、「よう知ってはりますやんか。」と破顔していました。自慢げに携行しているナイフを見せてくれました。
「街の名の語尾にプールと付くのがヒンドゥーの都市で、バードと付くのがイスラムの都市やねん。」とも教えてくれました。なるほど、イスラマバードはイスラム教の都市で、ジャイプールはヒンドゥー教の都市だということです。
写真の彼らはバスの運転手と車掌と警察官です。インドの人口の1割がグルカ族で、軍隊や警察や一流ホテルのドアマンや警備の仕事に就いているそうです。
プライドが高く、彼らの口からは一度も「バクシーシ」という言葉を聞きませんでした。ターバンを巻いているばかりに、危険な目にあうことも多いとも。
グルカ族



投稿者:ぴるぜんat 14 :07 | 日記 | コメント(8 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月26 日

真相は王位継承争い ?

皇帝シャー・ジャハーンは、愛するムムターズ(タージ)が亡くなった後も、タージ・マハルを建造はしましたが、政治や遠征にも力を尽くし、ムガール帝国の絶頂期が続いたそうです。しかし、彼の晩年に皇子達の王位継承争いが起こり、三男のアウラングゼーブが兄弟を殺して父をアグラ城の一室に幽閉し、王位に就いたのです。そして、ムガール帝国の繁栄は衰退の一路を辿ることになります。
写真はアグラ城とシャー・ジャハーンが幽閉されていたムサマン・ブルジュ(囚われの塔)です。ヤムナー河沿いにタージ・マハルが遠望できます。
ま、ここでもリクシャワーラーの客引き攻勢とバクシーシ(喜捨)の要求には閉口しました。
アグラ城


ムサンマン・ブルジュ



投稿者:ぴるぜんat 12 :19 | 日記 | コメント(3 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月25 日

愛妻家 or 恐妻家

「私が死んでも絶対に浮気は許さへん。」とムムターズ・マハル(愛称はタージ)が言ったかどうかは知る由もありませんが、1631年に妃が死に、世界中から膨大な量の貴石と職人を集めて、22年の歳月と天文学的な費用をかけて1653年に完成しました。そして、「自分用にもう一つ造るねん。」と聞かされたら、「勘弁してや。」ということになりますよね。貴石を埋め込んだ精緻な象嵌細工や、大理石の浮き彫り細工は見事な物です。国力が傾いたのも頷けます。1983年に世界遺産に登録されました。マハルの入り口


レリーフ



投稿者:ぴるぜんat 20 :27 | 日記 | コメント(6 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月24 日

金遣いが荒い親父を息子が監禁

アグラ城から見た、タージ・マハルの遠景です。ヤムナー河という川が流れていますが、シャー・ジャハーンはこの川を挟んで対岸に黒の大理石で自分の墓を建てて、白大理石のタージ・マハルと橋で結ぶことを計画していたそうです。息子のアウラングゼーブにとってはたまったものではありませんでした。で、親父を皇帝の座から下ろして、アグラ城のムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)に幽閉してしまったのです。失意のシャー・ジャハーンはこの塔で7年後に死亡し、タージ・マハルの中にある妃の墓棺の横に並んで葬られました。貴石で象嵌された豪壮な妃の墓棺と質素な墓棺の2っが安置されています。タージ・マハルは墓所なのです。
アグラ城からマハル



投稿者:ぴるぜんat 22 :47 | 日記 | コメント(8 ) | トラックバック(0 )

そんなに愛していたからといって・・・

ムムターズ・マハルが、「タージ・マハル」と変化したもので、宮殿(マハル)という意味ではないのです。マハル(宮殿)と呼ばれていますが、実はムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーンの王妃ムムターズ・マハルのお墓です。22年もかけて国力を傾けてまでこんなお墓を造ってしまったんですよね。タージマハル


タージマハル2



投稿者:ぴるぜんat 13 :39 | 日記 | コメント(3 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月23 日

恐妻家ののんべい様のために ?

「心が洗われる」と言っていただきましたので、もう一枚ダメーク・ストゥーバの写真を掲載します。
6世紀頃に建造され、一部は破壊されていました。この塔の周りを回って礼拝している、黄色い袈裟を着た坊さんや巡礼者がいました。21日に掲載した瞑想場のセンディーちゃんの奥にも黄色い法衣の膝が見えますでしょ。サルナート



投稿者:ぴるぜんat 21 :32 | 日記 | コメント(6 ) | トラックバック(0 )

喧嘩を売る !

昨夜、「イギリスから来てるねん。」というお客様が、「イギリスのパブではな、自分のグラスを逆さまにするという事は、酒はもうええねんという意味ではのうて、パブに居てる誰でもかまへんから喧嘩を売るということやねん。」と言っておられました。「もし、喧嘩を売りたなかったら、絶対にグラスを逆さにしたらあかん。」と。「ほんまですか?」と聞き返しましたら、笑っておられましたが、本当なのでしょうか。

投稿者:ぴるぜんat 20 :46 | 日記 | コメント(5 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月22 日

時給は10円

インドシルクの機織職人です。「いくら貰うてはりますのん?」と聞いてみましたところ、「Rs.40でおます。」と。「高給取りですやんか。」と言いますと、「時給やおまへん。日給ですがな。」と。機織職人



投稿者:ぴるぜんat 21 :08 | 日記 | コメント(9 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月21 日

鹿野苑(サルナート)

お釈迦様が初めて説法をした、初転法輪の地です。ベナレスから北へ10キロ程の所にあります。リクシャワーラーと交渉して、オートリクシャで往復Rs.100(250円)とチップRs.20(50円)でした。
写真はダメーク・ストゥーバです。ストゥーバというのはサンスクリット語で「土を盛った物」という意味ですが、「仏塔」の意味につかわれています。遺骨(仏舎利)を土を盛った塚に埋めて崇拝したのがストゥーバの始まりだそうです。卒塔婆というのはこのストゥーバの漢訳です。ダメーク・ストゥーバ



「何してはりますのん?」と聞きました。カナダから来てたセンディーちゃんでした。「瞑想してるの」と。瞑想



投稿者:ぴるぜんat 22 :19 | 日記 | コメント(6 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月20 日

猫が不吉な動物 ?

朝、ゲストハウスの親父が出掛けて行ったとおもったら、「猫がいてた。猫を見てしもうた。朝から縁起が悪いやんか。」と、血相を変えてあたふたと帰ってくるや、仏壇にお供えをして、お参りをしてまた出掛けて行きました。女将さんが言うには、「猫を見ると不吉なことが起こりますねん。」と。

シヴァ神の乗り物は牛です。だからインドでは牛を大切に扱っています。で、以前にもこのブログで紹介しましたヒンドゥーの神であるシヴァ神とパールバティー女神の子供のガネーシャ神(頭は象)の乗り物はネズミなのです。そのネズミを追いかけるからと、猫が忌み嫌われているのだそうです。ガネーシャ神は商売繁盛の神様で、日本の「招き猫」のように商売屋の店先には必ずお祀りしてあります。
写真のガネーシャ神の足元を見てくださいな。ネズミがいてます。あ、歯抜け爺さんのコメントのおかげで大阪弁になってしまいましたがな。
ガネーシャ神 2



投稿者:ぴるぜんat 20 :55 | 日記 | コメント(7 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月19 日

サイクルリクシャー

ベナレス(ヴァーラーナスィー)の空港に着いたとたん、リクシャワーラー(客引き)が砂糖に群がる蟻のように集まってきます。値段交渉が言葉に表せないくらい煩わしいのですが、この街の足です。機内で客室乗務員に相場を聞いておいたのですが、最初は3倍から5倍くらいの値段をふっかけてきますよ。サイクルリクシャー




オートリクシャというのもありますが、値段はサイクルリクシャーの3倍程です。速度にはかないませんがサイクルリクシャー(人力車)の方が、快適ですよ。オートリクシャー



投稿者:ぴるぜんat 21 :47 | 日記 | コメント(6 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月17 日

ガンガーの水位

この写真は、2月の乾季に撮ったものです。雨季の増水時にはこんなにも水嵩が増します。下流で煙の上がっているのは、前にも紹介しました火葬場のマニカルニカー・ガートです。ガンガーの水位上昇



投稿者:ぴるぜんat 14 :14 | 日記 | コメント(8 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月16 日

送り火

お盆の間、ご先祖の霊が家族と一緒に過ごしました。そのご先祖の霊を送り帰す「精霊(しょうりょう)送り」のために、16日に、焙烙でおがらを焚くのが「送り火」です。
送り火の一つに京都五山の大文字焼きがあります。。
焙烙(ほうろく)は仏壇屋で、おがらはスーパーや花屋で求めることが出来ます。
おがらは、麻の皮をはいだ後の茎を乾燥させたものです。


大文字
鳥居


妙


船



法

左大文字




京都五山の大文字焼きとは東山如意ヶ岳(大文字山)の「大文字送り火」、松ヶ崎西山(万灯籠山)、松ヶ崎東山(大黒天山)の「松ヶ崎妙法送り火」、西賀茂明見山(船山)の「船形万燈籠送り火」、大北山の「左大文字送り火」、嵯峨水尾山(曼荼羅山)の「鳥居形松明送り火」の五山を総称したものです。

投稿者:ぴるぜんat 18 :36 | 日記 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月15 日

母なるガンガー

ベナレスの旧市街の西岸には84のガートが連なり、喧騒を極めていますが、対岸(東岸)にはただただ荒涼たる草地と砂地が雄大に広がるだけで、何もありません。
巡礼者は日の出前にガートに集まり、母なるガンガーに身を浸して、対岸から陽が登のを待つのです。写真には撮りきれませんでしたが、ヒンドゥー教徒でなくても感動の一瞬でした。ガンジス河


早朝の沐浴



投稿者:ぴるぜんat 21 :43 | 日記 | コメント(5 ) | トラックバック(0 )

奈良にも大文字

知ってますか?
大文字焼き(送り火)は京都五山の送り火が有名ですが、古都『奈良』にも15日大文字にも現れるんですよ。
奈良の大文字


 昭和三十五年八月十五日、奈良県内の戦没者役三万人の慰霊と供養を目的に、恒久平和を祈念する行事として開始された。
大文字送り火が行われる高円山は、かつて聖武天皇が離宮を営んだ地であり、山麓に殉国の英霊を祀る護國神社を抱える山として選ばれた。
午後六時から、奈良公園・飛火野で大文字慰霊祭が執り行われ、春日大社宮司が斎主となって神式の祭典が開始される。次いで七時からは市内34ヶ寺の僧侶による仏式の慰霊祭が行われ、奈良県出身戦没者三万余柱の英霊の法名が声高らかに読み上げられ、遺族および一般の焼香が行われる。
午後八時、慰霊祭の進行とともに大文字に点火され、三、四十分燃え続ける

投稿者:ぴるぜんat 14 :44 | 日記 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月13 日

ダシャーシュワメード・ガート

ガンジス河に沿って連なる84のガートのほぼ中央にあります。階段を登っていくとその先に、ベナレスの守護神であるシヴァ神をお祀りしてあるヴィシュヴァナート寺院の門前町へと続く繁華街(ダシャーシュワメード ロード)があり、多くの巡礼者で溢れかえっていました。
前に紹介しました、火葬場のマニカルニカー・ガートはここから500メートルほど下流にあります。もう一つの火葬場のハリシュチャンドラ・ガートは1キロメートル以上の上流にあります。「久美子の家」も700メートルほど上流にあります。

ダシャーシュワメード・ガート



投稿者:ぴるぜんat 23 :31 | 日記 | コメント(4 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月11 日

久美子の家

バーンディー・ガートの横というか、上というか、そばというかにあるゲストハウスです。奥さんは日本人です。かなり古い建物ですが、屋上からのガンガーの眺めは最高です。外壁に「久美子の家」と黒のペンキで描かれています。
で、宿泊料金ですが、シングルでRs100(250円)でした。もっと安いドミトリー(大部屋)ですとRs40(100円)です。あ、目の前にガンジス河という雄大なバスが付いていますよ。

久美子の家



投稿者:ぴるぜんat 14 :48 | 日記 | コメント(9 ) | トラックバック(0 )

ケーダール・ガート

このガートは火葬場のガートではありません。南インドとの結びつきが強いケーダールナート寺院があり、そのため、カラフルなサリーの南インドの巡礼者が沐浴や先祖の霊を供養しています。華やかなガートという印象でした。
ガンガーの水位が上昇しても沐浴できるようにと、永い階段状のガートが特徴です。ケーダール



投稿者:ぴるぜんat 14 :14 | 日記 | コメント(4 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月10 日

お盆って何のこと

お盆(盂蘭盆会)について
 盂蘭盆(うらぼん)とは、梵語の「ウラバンナ」の音写ですが、意味は「アバランバナ」つまり倒懸(とうけん・さかさ吊り)で、通常は単に盆といわれています。この盂蘭盆会にその由来を説いた「仏説盂蘭盆経」の教えにより、後には先祖供養の行事となりましが、倒懸の苦を受ける死者のために祭を行い、三宝に供養して、その苦を免れしめる行事です。この行事はインドの古い農耕儀礼としての「ピンダの祭」、すなわち死者祭祀・祖霊祭祀と仏教の夏安居の終了に際する僧院の自恣供養会との習合したもので、それが中国に伝来されるに至って、生者(父母・六種の親属)の供養にまで拡大されるようになりました。
 我国では推古天皇14年(606)7月15日に斎会を設けたのが始まりとされていますが、本格的には斉明天皇3年(657)7月15日に、飛鳥寺(元興寺)の西に須弥山の像を作り、盂蘭盆会を催したのが初めてでしょう。聖武天皇天平5年(733)からは、盂蘭盆会の供物を大膳職の管掌と定められ、以降、平安時代には盛んに行われました。
 我が国で行われている盆行事は、中国から伝来した行事と、我国固有信仰とが習合したものであることは明らかであり、「ぼんがま」といって屋外にカマドを築き、そこで煮たきして会食する習俗が、今なお残っていることから考えても、祖霊を迎えて共食をするという古い信仰形式がこの習俗の基盤をなしており、それはまた、正月行事と非常な類似をみせているものです。
盂蘭盆会法要



投稿者:ぴるぜんat 21 :44 | 日記 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月7 日

火葬場の一つの マニカルニカー・ガート

「宝石の耳飾」という意味です。このガートは火葬場のガートで、写真のように24時間、火葬の煙が立ち込めています。上流の方にもう一箇所のハリスチャンドラ・ガートという火葬場のガートがあります。次回はそのガートの写真を掲載します。
で、壁も屋根もないので、見知らぬ誰かの遺体が焼かれていく過程を、赤の他人が傍観してても誰も咎める人はいません。テルテル坊主のように布で覆われた遺体が竹の梯子のようなもので担がれて次々とやってきます。そして、まずガンジスの水に浸されます。それから岸辺に組まれた薪の上に載せられると、頭を剃った遺族が火をつけるのです。遺体を包んでいた布が焼けると、手や足が動き出します。パ〜ンという音と共に脳漿が飛び散ります。そして2〜3時間で灰になってしまいます。火葬場の仕事が職業のドーム・カーストの人が遺灰をガンガーに掃いて流します。そしてまた次の火葬が始まります。
死の風景は、何の感傷もなく、即物的でただ焦げ臭いだけでした。マニカルニカー・ガート



投稿者:ぴるぜんat 00 :15 | 日記 | コメント(4 ) | トラックバック(0 )

2005 年8 月6 日

夏のバーベキュー会へのお誘い

恒例の「夏のバーベキュー会」を明日、7日にやります。場所は河北潟放水路東側の砂浜です。能登海浜道路内灘料金所の海側の砂浜です。金沢医科大学裏から、河北潟放水路に架かる水門橋を渡った左側にある内灘マリーナ先の砂浜です。お分かりでしょうか?午前11時30分頃からスタートしたいと思っています。グリーンのテントを2張り張っています。店長はじめ、ぴるぜんのスタッフが居ますのですぐにお分かりになると思いますよ。セイリングやクルージングや水上スキー等もお楽しみいただけます。ご参加くださいね。
アサヒビールをはじめ、お取引させていただいています業者の方々からのご協賛で、飲み物も食べ物も豊富にあります。手ぶらでご参加いただいて結構です。チップ等のお気遣いも不要です。お待ちしています。

投稿者:ぴるぜんat 21 :30 | 日記 | コメント(1 ) | トラックバック(0 )

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