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2006年05月26日

越中山田駅

本日、勤務先からの帰路、表記駅舎の踏切遮断機が..(暇なのでコンデジで撮影)
JR城端線キハ
2006年5月26日20時過ぎ頃/CanonIXY_D400(最広角側、露出オート)
#残念ながら「忍者ハットリ」車両ではありませんでした..。
=====以下、昨年10月13日付エントリィ「JR忍者ハットリ号?」の再掲です=====
本日昼過ぎ、JR城端線踏切で遭遇..正式愛称名不明のため、勝手に表題を付けました。
ハットリ1
愛称名どころか、この気動車(ディーゼル)の型番(キハ?)も不明..というわけで、
勝手ながら、ここは専門家ゆうひぶたっくすさんのブログ
TBさせていただきました。m(_ _)m
#で、突然ですが、あらん限りの知識を..「追記をみる」へどうぞ。

【城端線】=「高岡」←→「城端」間、約30km余。単線、電化予定無し。JR西日本
[沿革]
前身は、中越鉄道(「伏木」−「城端」間)。県内で一番早く開通した鉄道路。
北陸本線よりも早く開通した。砺波地方の山村一帯から生糸や繊維製品などを伏木港へ運び、輸出するためであった..。
地元名士が私財をなげうって完成させたと言われている。(現在、そのような政治家見当たりませんねぇ..残念)
明治〜大正にかけては日本海側と太平洋側の生産高や人口にそれほど差がなかった時代。
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(横着して車内から撮影したため↓フロントガラスに乱反射しハットリ号が台無し)
ハットリ0
(忍者ハットリ号の由来は、作者、藤子フジオ氏が高岡市と氷見市の出身であるため)
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その後、北陸本線が開通し、国鉄時代へ..中越鉄道は、氷見線(高岡−氷見)と城端線となる。
他県と結ぶ北陸本線は電化と複線化がなされたが、氷見線、城端線は単線のまま今日に至る。
さらに時が過ぎ、国鉄からJR西日本へ..もちろん国鉄時代から城端線は赤字路線。クルマ社会の影響ですが、客がないからと本数を減らし続けたために衰退化と赤字に拍車をかけたことも否めないと思います。


現在、北陸3県では新幹線早期着工&開通を悲願としていますが、並行区間となる在来線の行く末が気になります。
新幹線が走るようになれば在来線切り捨ては目に見えているからです。
北陸線が切り捨てられれば、支線である城端線や氷見線の運命はさらに悲惨な結末を迎えるだろうと思われます..
で、そこまでして新幹線にこだわる必要があるのでしょうか?。しかも、工事費用は殆ど受益者=地元負担..。
現在、高岡駅から特急で北陸線、ほくほく線経由。越後湯沢で上越新幹線乗り換え3時間半で東京に至ります。
長野新幹線を延長して北陸新幹線が完成すれば乗り換え無しで東京へ出られるようになりますが、時間的にはせいぜい2時間程度ではないかと思います。
(#もっと早い時期に開通させるべきだったんでは?というのが本音..今更ねぇ..)

投稿者:Ken28at 21:58| ローカルな話題 | コメント(0) | トラックバック(0)

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