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2006年05月27日

高落場山(その1)

昨年の医王山自然観察会に続き、今年はかつて城端と五箇山間の重要ルートであった朴峠越えの観察会に参加してきました。
若杉集落跡より約30分、かつて五箇山への物資運搬のため石畳が敷かれた坂道を上ると唐木峠に至る。

唐木峠で左に上り、高落場山登山道へ..急な上り道。
(直進すると40分程度で人喰い谷を経て朴峠に至る)
◆若杉村◆(観察会資料より)
若杉村には、多いとき30軒の家があった。ここには五箇山の人たちが山越えで運んできた和紙、絹糸、麻、石灰等の五箇山の産物をおろし、代わりに城端から運ばれてきている米、塩等の生活物資を背負って帰った。このように、城端と五箇山間の品物の中継所の役割を果たしていた。
また、明治25年まで、若杉に番所が設けられており、通行する人々や品物に怪しいものがないか検査したり、流刑人の逃亡を防ぐ働きをしていた。
五箇山の人々が泊まる宿もあった。人々はそれぞれ泊まる宿が決まっていた。
若杉では五箇山の人たちが、いつ山を降りてきてもよいように一晩中灯りをともして交替でこの人たちに接したと言われている。
若杉には荷物を運ぶ牛が5頭居た。この牛のことを御用牛と呼んでいた。
若杉村は昭和41年廃村となった。

↓マンサクの枝をねじって合掌造の柱などを止めるのに使った。

ねじられた部分が乾くと強く締まる性質を利用した先人の知恵である。

昨年はブナの実の大豊作で、山道脇にはブナの若い芽が..

モミジハグマ↓(葉の形が..)

◆石畳道◆
若杉から唐木峠までの峠道は北斜面で、日中でも薄暗く、峠に向かって真っ直ぐな登り道となっているため、雨の日にはこの道は川となる。
また、道は赤土で滑りやすい。そのため、近くの谷間にある表面がザラザラしている石を約110cm幅で敷き詰めてある。
石畳道は若杉から梨谷までの間に点々と見られ、往来の人々や牛が踏み締め荷物を運んだ昔のことが偲ばれる。
↓視界が開け、南砺の平野が見える↓

No.1(若杉〜唐木峠〜)はここまで..【続く】

投稿者:Ken28at 23:34| ローカルな話題 | コメント(0) | トラックバック(0)

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