「混浴」
昭和45年頃の話である。
場所は特定されると困るのだが、ぜひ詮索しないで欲しいし、今ではその面影が全くなくなっているから、ここで書くようなことは起こっていないだろう。
長期出張で、夕食ではなく、いつものように、お酒付きの遅い膳を用意してもらっている間に風呂へ入ることにした。
そうした時である。最初は子供の声がして女の子もいるようだがさほど気にならなかった。
ところが入ってこられた中に当時はまだ50代だろうと思われるお婆さんが「今晩わ」と言って入ってこられた。
正直なところ戸惑ってしまったが、その後子供のお母さんと思しき人も入ってこられたのである。
「お酒は後で燗したものを持っていきますから」との挨拶である。
どこを隠すこともなく、と言うより子供の世話に手を焼かれているのである。
当時の私は23歳で、新婚だったから、暴れようとする息子を何とか宥めながら、会話だけは(多分)澱みなく交わして上がった。
これが混浴の最初の経験である。
その後も何度か一緒に入り、それが普通になってしまったので、息子も暴れることはなかったし、そんな雰囲気でもなかったのである。
その後何度か「混浴」と言う風呂に入ったが、「かつて女性だった」人との会話は、時々際どい話題にもなるが、息子を宥めるほどのことはなかった。
でも、何歳になっても、この手の刺激は「行き過ぎ」にならない程度に楽しみたいものである。
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投稿者:つねちゃん
at 09 :25
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「鏡」
我が家の脱衣室には鏡はない。
浴室には十分に全身を映す鏡があるのだが、ナルシストでもないので、全身を映してみるなどと言うのには考えが及ばない。
それに対して銭湯には大きな鏡がある。
現在、目標体重を75Kgにしようと思って、少しずつだけれど減量作戦をしているが、遅々として進まないのが現状である。
まだ在職中の時に「あなたのBMIとしては70Kgだ」と言われたことがある。
当時は今よりも多くの酒を飲み、不規則な食事と偏食だったのだが、糖尿や血圧が高いなどとは言われたことが無かったので、健康診断の前日でも「いつも通りにしていないで、数値が良くっても、それで満足できないだろう」と嘯いているくらい「健康体」だった。
それで「それならそれくらいにしてみてやろうじゃないか」と変な目標に向かって努力し続けて、69Kgという数値を達成した。
ところが、そうなったときに確か忘年会だったと思うが、大きな温泉だったので、さぞかしスタイルは良くなっているだろうと、脱衣室の大きな鏡を見た。
ガッカリを通り越して、ゲンナリしてしまった。
「骨皮筋エモン」と言う自分が写っていたのである。
お伽噺ではないけれど「鏡よ鏡、本当に美しいとはどんなスタイル」と問うてみたいようなものである。
それ以来BMIという数字は信用せずに、自分なりの目標を立てている。
鏡を見るのは、髭剃りをするくらいだけである。
まだまだ時々剃刀で切ってしまうことがあるのだが。
投稿者:つねちゃん
at 08 :48
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「浴室サービス」
この言葉を聞いての感想と言うか即座に思い当たる人は、大体二つに分かれるのではないだろうか。
一つは、マッサージなど筋肉が温泉で緩くなった時に施されるケアである。
もう一つは、特殊浴場でされるサービスである。これについては追記に簡単に書いておくが、決して武勇伝ではない。
ということで、前者の方の話題である。
最近は家族と一緒に行く機会が多いので、その手のサービスは受けたことがないが、単身赴任などの時に、時々そんなサービスがある銭湯(当時はまだスーパーという肩書はなかったような気がするが)へ行き、「垢すり」や「揉み解し」サービスを受けていた。
確か1,000円位だったと思うが、間違いなく筋肉の凝りが取れたりしたので快適だった。 最近は、他人様に揉み解してもらうのではなく、岩盤浴、砂風呂、遠赤外線などがあり、それなりに健康的なものなのだろうが、残念ながら行ったことはない。
こんなサービスがあったよ、という情報があれば、どれくらい気持ちが良くなるのかを教えてほしいと思っている。
あと二日で、「お風呂シリーズ」は終わります。
来月は「落語シリーズ」でやりたいと思っています。
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投稿者:つねちゃん
at 09 :05
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「髭剃り」
最近のスーパー銭湯には、必ず無料の剃刀が置いてある。
しかしながら、そこでの剃刀は、家から持参するから宿泊しない限りは使ったことはない。
私自身は、昔から髭は薄い方で、当時坂本九が歌う「僕には髭がある」という世界とは相当離れていた。
勿論だからと言って髭剃りや剃刀(当時は両刃のものを持っていた)は持っていたが、そんな次第だから次に使う時にはほとんどの場合錆が来ていて、刃を替えなければならなかった。
また、本来不器用なので、剃ると大抵どこかに傷が残る。
それが嫌で、あまり剃らなかったともいえる。
かつてのドリフターズのコントだったかで、床屋の見習いが風船を台にして髭剃りの練習をするものがあったが、笑っている自分を「ほんとにそうだよなぁ」という風に見つめている第三者としての自分を常に思っていた。
最近は齢と共に白い髭が混じり、ゴマ塩髭になって、自分でもみっともないと思うので、気が付いたら剃るようにしている。
勿論そのためにわざわざ洗面台でやることはなく、風呂以外は電気剃刀の世話になっている。
投稿者:つねちゃん
at 08 :39
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「味噌汁サービス」
最近は手軽で安価な温泉を使うのが通例になっていて、それなりに満足しているのだが、在職中の特に忘年会となると、団体割引なのかどうか知らないけれど、結構豪華な温泉宿を使ったものだった。
若かった、と言えば言い訳でしかないが、宿につけば、すぐに麻雀を始め宴会が始まるぎりぎりまでやって、宴会が終わったら、どこかの部屋で二次会か麻雀ということになり、せっかくの風呂に入るのは、もっぱら朝風呂だった時がある。
そんな時、酔いも程よく醒めて出てきた時に「一杯どうぞ」と出される味噌汁は味の如何を問わず美味しいものだった。
安価なところを使っては経験がないけれど、あれは是非やってほしいものである。
「金を出せばやる」と言われると躊躇してしまうのだが。
投稿者:つねちゃん
at 06 :27
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「体重計」
我が家の脱衣室に置いた体重計は、ずいぶん前から使われなくなっていたので、現在は私の居室で毎朝私だけが測っているだけである。
購入時は、みんながそれなりの興味と思惑があって、測っていたのだが、さほどの変化も無くなり、興味も失せてしまったのだろう。
銭湯の脱衣室にも必ず置かれているので、湯上りの後は必ず測ることにしている。
今年の目標の一つに「体重は75kgを達成し、維持する」というのがあるので、湯上りで水分が抜けるだけ抜けているので、当然1kgほどはいつもより減っているので、湯上りと相俟って気分が良くなるのである。
勿論一過性だと分かって居ながらもである。
ところが、この体重計も精度がまるで違っていることがある。
一度測る前に表示を確認しなかったこともあるが、いつもより5Kgほども減少していた。
サウナに入ったせいかなどと考えても見たのだが、正直気分が良かった。
ところが、出てから忘れ物に気が付き戻った時に、誰も乗っていない体重計が0よりも下の目盛になっていた。
とんだ糠喜びだった。
今朝時点の体重は80.0、目標にはまだまだほど遠そうだ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :40
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「脱衣かご」
昨日の続きのようになるが、時々目にするのが、脱衣所にある「脱衣かご」である。
それも、鄙びた温泉宿で大体は籐で編んだもので、「今日おろしたの?」と聞きたくなるほど綺麗なものに出会うと、それだけで気持ちが良くなる。
夕食前だったら、食事の全てに気配りがなされているのではないかと、探してみたくなり、美味しさに一層興をそそられる。
ぜひ一度そんな場所に遭遇してみるとお分かりいただけると思う。
それとは反対の場合が、残念ながら往々にしてある。
籐ではなく、針金入りのビニールで作られたものなどは、その色使いに怖気を催したりする。
番台が設えてなくとも、それなりの人がいて無言のうちに「どこで脱いでも、間違って持っていかれる心配はありませんよ」とでも言ってくれてるような雰囲気があれば、それだけでゆっくり、のんびり、心置きなく入浴時間が過ごせるのではないだろうか。
それらがお金がかかったりするというのであれば、言葉通り「風呂敷」を各自に渡してもいいのではないだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :46
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「下足箱」
さだまさしの歌だったかと思うが、好きな女の子の出席番号があり、風呂屋へ行ってもその下足番号が空くのを待っていて、ほかの番号に入れなかった、という趣旨の歌詞があった。
仄々とした思いは、私にも当然それほど固執したわけではないが、あった。
少し前までは、四や九はやはり避けて使っていたが、最近はむしろ好んで使うことが多いかもしれない。
趣味の一つにアマチュア無線がある。
そこでは「CQ CQ」と呼びかけるのが通例である。
これはまさに「4,9」だから何も気にすることはない。
アマチュア無線に脱線ついでに「4649」というのがあり、これは「よろしく」と読む。
本題に戻すが、最近の下足箱にはしっかりと鍵がかかるようになっている。
正直「必要悪」なのかもしれないが、ナントも味気無い思いがする。
落語の「湯屋番」をはじめとして、確かに昔間違って穿いて行かれた経験は私も持っているが、それだって一つの「洒落」だったのではないだろうか。
そんな洒落が通じる世の中であってほしいと思うばかりである。
かと言って、温泉で「脱ぎ捨てスリッパ」はやはり水虫などの心配があるので、私は少し離れたところで脱ぐようにしている。
投稿者:つねちゃん
at 06 :55
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「牛乳」
「風呂上がりに一杯」というと、大概の大人は「やっぱりビールだろう」ということになると思う。
ビールがあまり好きでない(理由は後で書くつもり)私でもこれには賛同する。
でも、昔、牛乳というものがあまり好きでなかった私にとって、銭湯での風呂上がりの牛乳はやはり何とも言えず美味しく飲めたものだった。
リンゴジュースやオレンジジュースなどもあって、時々それも飲んでみたが、やはり、その時だけは牛乳だった。
そして、飲むポーズが決まっていた。
腰に手を当てて、牛乳瓶を一気にラッパ飲みするのである。
同級生だけでなく、大半の大人の人も、同じようなポーズだったと思う。
今は内風呂なので、ビールもいいのだが、「直ぐに」という訳にはいかないので、結局落ち着くとウィスキーのオンザロックになってしまう。
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投稿者:つねちゃん
at 07 :04
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「待合室(スペース)」
先日も触れたが、昔の町内にあった銭湯にも、狭いとはいえ、将棋や囲碁時によっては花札をやっている人、またそれを見ている人などが屯するスペースがあった。
そんな銭湯が少なくなって、統合されたかのように町はずれにスーパーとは言えない程度の銭湯ができた。
友人がやっているところにも、確かにそんなスペースがあるのだが、漫画を読んでいる子供などが少しいるくらいでとても「屯する」場所にはなっていない。
これは決して銭湯側が悪いのではなく、客にそんな「ゆとり」がなくなっているのだろう。
風呂が終わったら、帰って何か「やらないこと」が待っているのだろう。
それが、最近のスーパー銭湯には「もう何もしなくていいよ」と思わせるような場所が設えてあるところが多い。
炭酸泉や露天風呂等の温浴施設ばかりではなく、そんな雰囲気にするスペースがあれば、もっと人が集まるような気がするのだが。
いやいや、これはリタイアメントの私が言うことである。
当然反論はあるだろう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :52
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「脱衣室」
家の脱衣室は、暖房が入れられることになっているが、両親がいた時には予め入れておいて、ヒートショックが無いように気を付けていたが、私らが老年と言われる齢になった今では、ほとんど入れたことがない。
銭湯の脱衣室は、当然のごとく「暖かい」のである。
最近の銭湯はすべてロッカー式になっていて、安心という意味ではそうなのだが、ナントも味気がない。
そんな時、時々旅館で泊まるときの脱衣室は、昔ながらである。
何だか解放感かもしれないが、別の意味で安心感が得られるのが楽しい。
幸いにして、盗難などの被害にはあったことがないからだろう。
やはり「脱衣」というのだから、開放感が一番ではないだろうか。
東京へ出張で行ったときに、宿が取れなくて、サウナへ入った時に、私が間違えたのだが、隣のロッカーが私の持っている鍵で開いたのである。特別なことにはならなかったが、ナントも怖いことである。
やはり解放感という快感ばかりでは、だめなのだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 08 :14
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「スーパー銭湯」
このテーマを思いついたのが、このスーパー銭湯に入っていた時だった。
それも「炭酸風呂」に入っている時だった。
今まで何か所かのスーパー銭湯に行ったが、最近では、時々評判を聞いて行く処はあるが、大体行くところが決まってきた。
何が決め手か、と聞かれてもさほどの優位性があるわけではないが、強いて挙げれば、上がって着替えて暖簾(いわば一つの結界だろうか)をくぐって出てきたときに、ゴロリと横になれる畳敷きの場所があることだろうか。
そこで冷たい飲み物をゆっくりと飲み、体の火照りを治めることができることだ。
「お湯以外じゃないか」と言われるかもしれないが、これがなんとも気持ちがいいのである。
人好き好きだから、もちろん独善的意見だけれど、そんな我儘も許されてもいいだろう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :45
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「銭湯」
先日も書いたが、昔ながらの銭湯は今では希少価値であり、身近にはもうとっくになくなっている。
町内に銭湯があり、一番楽しかったのは、「獅子舞祭り」の期間だった。
20日近く前から午後7時から9時まで練習する。
そのころ「子供は9時に寝なさい」というのが町内中のルールだったので、町内の大人がどこの子供であれ、ルールを外れる子供を叱りつけたものだった。
ところが、この期間だけは許されたのである。
また、練習に参加した子供はお風呂がタダになったので、自分の町内だけでなく、周りの町内の踊り子たちも一斉に集まるのである。
賑やかなことこの上なく、「ウルサイ」と笑い顔で叱られても、まるで意に介さなかったのである。
そして、そんな中でも「銭湯でのルール」というものを大人が教えてくれた。
当時はシャワーは上がり湯の場所にしかなかったのだが、頭を洗って桶に汲んだお湯で流す時も、周りに飛び散らないように、とか、最初湯船に入るときには一言声をかけるとか、熱かったり、冷たかったりする湯水はタイルの上に流さず、必ず溝に流せとか、その他いろいろなことを自分の子供でなくても叱りつけながら教えてくれたものだった。
今は残念ながら自分も大人としてしないが、全くそんなことはなくなっている。
シャワーで頭を洗う際、どこに飛沫が飛ぼうがお構いなしである。
こんなことをボヤイテいるのも、年寄りになったなぁ、という反省でもある。
投稿者:つねちゃん
at 06 :34
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「内風呂」
今では内風呂が「当たり前」になっていて、だからこそ「銭湯」が貴重品化されている。
一時期好んで見ていたTV番組に、「昔ながらの銭湯」というものを渡り歩いている人が全国をまたにかけて紹介しているものがあった。
中でも、歴史が残っているのは、やはり「東京」をはじめとする「首都圏」である。
現在の家に越したのは昭和38年の暮れで、それまでは町内に銭湯があったので、当時は風呂嫌いだった私も二日おきくらいに行っていた。
行けば必ず同級生がいて、風呂の中だけではなく、着替える間もいろいろな話題で賑わったものである。
そんなに広くはなかったが、将棋を指す大人や、時には花札を広げている人たちも見た想い出がある。
当時の内風呂は、シャワーがなかった。
でも、話す賑わいはなかったが、下着一枚になって風呂へ行き、裸同然で上がってきて、すぐに「寝間着(パジャマなどという代物ではなくである)」に着替えて、自由に遊べたことだったろうか。
もっとも、高校生だったから、子供じみた遊びではなく、それなりの遊びを楽しんでいたように思う。
最初は少し寂しかったけれど、慣れてくると一人風呂の楽しみもそれなりに工夫できた。
今では、エコキュートで、好きな音楽も聞きながら、孫を入れる必要もなくなり、誰に気兼ねすることもなく、のんびりと過ごせているのは、まさに極楽である。
投稿者:つねちゃん
at 08 :43
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「打たせ湯」
今はあまり見かけないが、あまり強くない、というか、落下の水圧だけなのだろうが、適度な指圧効果があるのではないかと思うのが、この「打たせ湯」である。
でも、正直自分がやっているときは、ほとんど気が付かなかったのだが、やっている人の姿を見て「あまり格好良くはないなぁ」と思ったのは事実である。
指圧してほしいと思うところに落ちてくる湯を当てたいと思うのは誰もそうらしく、必然的におかしな格好になってくるものである。
あれで湯が落ちていなかったら、下手なパントマイムを見ているようだと、やっている自分を第三者としての自分が俯瞰していると思うと、なんだか滑稽に思えてくる。
しかしながら、実際の効用は別として、「気持ちがいいのは間違いない」のだから、ある銭湯に行けば必ず数分間は「打たれて」来る。
どれだけ格好が悪くても、それがあるところは「混浴」ということがないので、女性から見られることはないから、パントマイムも何のそのである。
時々「ズキン」と刺激を受けることがあるが、「エッ」と思うだけで、そのポイントがよくわからない。
でも追及しないようにしている。
マゾ的ではないが、時々打たれて少しでも煩悩が追い出されてくれれば、などと勝手なことを思いながら打たれている。
投稿者:つねちゃん
at 09 :04
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「寝湯」
お湯の泉質ではないが、浅くてほかの湯船から比べると少し温度が低いところがある。
最初は何だろうと思ったけれど、見ていると私よりも高齢の人が入ってすぐに寝られたので成程と同じようにした。
これがなんとも気持ちがいいのである。
お湯の量は、寝たら体が丁度被るくらいで、タオルを枕代わりにして入っていると、時間を忘れてしまう。
ここで寝ても溺れることはないから、すこぶる安心である。
尤も何かで聞いたが、風呂に入って寝るというのはやはりまずいのだそうであるが。
最近の銭湯には、お湯がなく、板が暖かくなって、露店の横にあるものもあるが、今はさすがに寒いが、この時期以外にはよく伸びている。
好き嫌いはあるだろうが、一度横になって目をつむってみたらどうだろうか。
羽化登仙、とまでは言わないが、そうして「何も考えないひと時」は言うに言えない気分に、私はなる。
投稿者:つねちゃん
at 08 :40
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「薬湯」
リタイアして、両親を見送った後で、時間的に余裕ができたことと、私もそうだが、家内も足腰に痛みを感ずる時があり、しばらくあちらこちらの銭湯を経めぐり歩いた。
そんな時に、大概の銭湯に「薬湯」というものがあり、最初はそのむせ返るような臭いに辟易したのだが、いろいろな種類の薬湯に浸かるうちに慣れたのだろう「臭い」が「匂い」になった。
そうなると効能書きを読む気持ちになり、精神的にも安定感を催すというから、だんだんとその匂いが好きになってきていた。
そうなると勝手なもので、その効能を確かめながら入浴を楽しむことになる。
なかなか自分の目的(これが自分でもはっきり意識できないのだが)に合わせた薬湯を探すことができない(週替わりとかで変更になるから)が、鰯の頭も信心から、と言うではないか。何でもその効用が自分に合うのだと信じれば、漫然と入っているよりも、効果があろうというものだ。
投稿者:つねちゃん
at 08 :23
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「サウナ」と「水風呂」
ずいぶん昔は「サウナ」は嫌いなものの一つだった。
今思えば原因ははっきりしている。
いわば「食わず嫌い」だったのである。
何故なら、サウナがある場所へ行くのは、帰られなくなったくらいに飲んでいたせいであり、そこで入るのは、温い温度の風呂ばかりだった。
やはり飲酒での風呂は事故があった場合を考えると、敬遠していたのである。
辞める5年程前だったろうか、何かの会議の後で、サウナでも引き続き議論してから飲むことになり、順序が逆だったので、初めてサウナに入ったら、後の(本来好きではない)ビールが美味しく飲めたことが病みつきになった。
それ以来(飲んだ後では入らなかったが)行くと毎回10分近く入っていた。
最近は温度にもよるが5分は少し辛い。
でも、すぐ後の飲酒はできないけれど、気持ちが良いことはこの上ないので、止められない。
でも、大分の人がすぐ後に入られる水風呂だけは上がった後でも入ったことはない。
夏の時期にサウナに入る前に水風呂に入って涼を取ったことはあるが、後ではない。
精神的にも肉体的にも「心臓が弱い」のである。(^◇^)
投稿者:つねちゃん
at 07 :55
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「炭酸風呂」
時々行くスーパー銭湯にそれがある。
5分浸かっていれば、炭酸の効果で血流が良くなり、その結果いろいろな良いことがあると効能書きに書いてある。
その効能書きをゆっくり3度ほど読むと約5分になるので、それを習慣化している。
血流がよくなるということは、記憶したことがすぐに流されてしまうことにも通ずるようで、今思い出せと言われても全く出てこない。
家でも「パブ」とかいう入浴剤を使ってその効果を少し楽しむが、測ったことはないが、5分は持たなく泡になってしまうのではないだろうか。
いずれにしてもいくつかの自然の温泉でもあるようなので、悪いことではなかろう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :07
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「露天風呂」
ながい間お休みをいただきましたが、本日から「テーマシリーズ」ということで、しばらく続けたいと思っています。
当面(一応今月の、ということにしておきたいと思っています)のテーマは「お風呂」です。
で、その最初が「露天風呂」です。
はじまり、はじまりぃー。
お風呂で好きなのは「露天風呂」である。
それも雪がチラリチラリと降る中で、近くに人がいるけれども顔も見えないような湯煙の中、というのが一番いい。
それでも、そんな中で話はするのである。
「何処からいらっしゃいましたか」がまず発端であり、その声で男性か女性かもわかり、訛りや声質で、年齢なども想像できる。
「いい湯ですねぇ」でつなぎ、「お先に」で別れる。
頭寒足熱という言葉通り、気分は極楽である。
何もそのために出掛ける必要などない。
内風呂で窓を少し細目に開けて、首までゆったりと湯に浸かっていれば、それで済む。
話し相手はいないけれど、DAPを防水袋に入れて、イヤホンで聞いていれば、似たような気分が味わえる。
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投稿者:つねちゃん
at 08 :45
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