ある意味自由で気ままにおつきあい
宗教も最後に何を書くべきか悩んだ。
あまり立派なことを書いても自分の説にはなかなかならないだろうし、当然そこまでの知識もないから、それはやめることにして、このテーマにした。
先日で地下鉄サリン事件から20年が経過したが、まかり間違っていれば、私にも最寄駅が神谷町のお客様がいらしたので、ちょうど出張中だったから行っていたかもしれなかった。
それも宗教なのだろう。
尤も「私たちは最後まで反対してきました」が、結局は与党の言いなりになったしまった団体の後援組織も宗教なのだろう。
それに対して何かしているかと聞かれたら、自信を持って「何もしていない」と答えるだろうから、あまり大きなことは言うつもりはない。
長い間自分の家の宗教は何だったかを調べて、できる範囲で付き合いしていけばいいのではないだろうか。
世界に目を向けると、同じ宗教人同士が争ったりしているが、それは残念ながらまったく理解できない。
だから、それが原因で戦争などはやはりすべきでないだろう。
私の狭い知識で言うならば、やはりどの宗教でも「平和が一番」と思っているのではないだろうか。
小異を捨てて大同につけ、などと偉ぶったことは言える立場ではないにしても、やはり「人の殺し合い」を認める宗教には加担したくないものである。
先日も書きましたが、来月および再来月のテーマは「旅行」にさせていただきます。
投稿者:つねちゃん
at 05 :54
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不許葷酒入山門
禅宗という意味での宗教の一環として覚えているのが、先に述べた「隻手の声」と同様(違うのかもしれないが)と勝手に思っているのが「不許葷酒入山門」というものである。 禅宗のお寺には多分殆どこの標識が何らかの形で表明されているが、どうも禅宗に限らないものらしく、明らかに宗派の違うお寺さんでも見かけたことがある。
「葷」と「酒」は「山門」に持ち込んではいけませんよ、という意味だそうで、最初のうちは「酒」はわかるが、「葷」の意味がよく分からなかったものだ。
辞書によると、辛い/臭い草、大蒜、韮などの類、生臭いもの、という意味でさっぱり「入ってはいけない」ということの理解ができなかったものである。
話は突然横道にそれるが、現在の私は大蒜が大好物であるが、初めて大蒜というものを意識して食べたのは、結婚してからだった。
母はかつて薬局の娘として育ったから、そのせいかもしれないが、家で食べることはまずなかった。
横浜へ出張に行った際に初めて人に勧められて、恐る恐る食べたのだが、何とも美味しかった。
それから病み付きになってしまったのである。
話を元に戻して、やっぱり大蒜は強制剤ということで、それが健康を通り越して修行の邪魔になるということに気が付いたのはそれから大分経ってからだった。
やはりお寺は修業の場だったことに、いまさらながら気が付いたという笑い話である。
来月のテーマは「旅行」にしようと思っています。
でも、多分夏休みもいただくつもりなので、2か月にわたってのテーマになると思っています。
投稿者:つねちゃん
at 12 :50
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読経は確かに健康に良いようだ
いろいろな「お経」があり、概して「坊主」は長生きが多いようだが、こんなお経を仕事とはいえ、毎日何度も唱えていると、どうしても健康的な呼吸法になるのだろう。
私もそれにあやかりたいと思ってはいて、時々「正信偈」を仏壇の前で唱えてみるのだが、とても家じゅうで聞こえるほどの声は出ない。
まだ人に聞かれて自信が持てるほどではないので、恥ずかしさが伴うからだろう。
また、DAP(Digital Audio Player)を聞きながらでないとどうしても節が違ってくるのが自分でもわかり、恥ずかしいという感情よりも不謹慎にも「面白いなぁ」と思うと同時に自嘲の笑いが出て続かなくなるからである。
でも、結局は「家出の中での作業」なのだから、特別外に聞こえさせることもないので、発声法は健康にいいことは十分知っているので、徐々にだけれどやっていきたいと思っている。
在職時の部下などへの訓示の一つに「言いたいことがあったら、『人に聞こえるような大きな声』で」というのが私のモットーだった。新入社員時代に先輩からきつく言われたことである。
投稿者:つねちゃん
at 21 :04
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地獄と極楽
23日から家内と旅行に行ってきますので、お休みします。26日に再開します。
基本的に、生半可的な理解であることは十分に知っているし、そうではないという誹りも受けるだろうが、仏教と言うものは「死後に極楽に往生(往きて生まれる)できるように」と言うのが主眼のような気がする。
だから、現世は地獄のような苦労があるけれども、来世には極楽往生できるのだから、辛抱して信心せよ、と言っているようである。
仏教が伝来したころには、戦国乱世の時代だったろうから、それもある意味尤もだったのだろうが、現世においては、やはり少し意味が違ってきているのではないだろうか。
どうも、その辺を十分に理解させないで、形式仏教だったり、葬式仏教だったりしているのではないだろうか。
現代人のほとんどは、私も含めて近視眼的に刹那に生きる、と言う人が多かろう。
来世などは地獄に行ったところでその身は死んでしまっているのだから、痛みや苦労は分からないのではないか、ならば、現世での利益追求が先である、と言う論理だろう。
正直なところ、いろいろな本を読んだり、お経の解説書を読んだり、まれに説法を聞くことがあっても、残念ながらその辺が理解できていない。
でもしかし、「分からないから探求の楽しみがあり、付き合いもできている」と言うのが本音である。
本日で「乱世を生きる 蓮如の生涯」笠原一男著 教育社刊の音読を完了した。
でもまだわからないなぁ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :21
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お墓
最近の「葬儀」の後は、「納骨」と言うことの代わりなのかどうか知らないけれど「散骨」と言うのがあるそうである。
現在我が家のお墓の管理団体に一般役員と言う形で名を連ねて、お盆前の掃除などに少しだけだけれど協力させてもらっている。
父の納骨の時に、随分久し振りにお墓の納骨部屋(正しい言い方かどうか分からない)を開けた。
小さな骨壺があり、その時になって「あぁ、そうだった」と次男の葬儀もささやかに行い、納骨したことを思い出した。
毎月の命日は思い出して、仏壇に手を合わせ、毎年のお盆には思い出すのだが、亡くなった仏さまにはなんとも不信心の極みである。
その他には、祖父母の骨壺、父の妹さんの骨壺、そして両親のものが置かれてあり、幸いにして、まだ綺麗なままになっている。
行く行は私らもこの中に入るのだろうが、さて、その後の代はどうなるのか、分からない。
最近のデジタル社会では、ネットでのお墓まいり、と言うのもあると聞く。
TVでやっていたが、そのお寺さんのサイトに入って、自分を証明すると、位牌が出てきて、お経が流れる、と言うのである。
確かに、夏の墓掃除などは必要なくなり、便利ではあるが、そうなると、一種の「行事」となっておよそ「宗教」とは関係なくなるのではないだろうか。
最近は「葬式仏教」と言われ、その時にしか関係が無いと思われているとの話も聴くが、今一層のお寺さんの工夫を望むだけである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :50
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観音寺
良く分からないのが、このお寺さんの存在理由である。
昨日のように門徒寺は、仕方なくかどうかは別にして、お付き合いさせ頂いているのだが、観音寺と言うお寺さんは、毎年人数分のお札を持って来られて、その対価という訳ではないのだろうが、多分「お布施」に相当する額をお渡ししている。
宗教、と言うよりも仏像に関する図書や番組の解説を見聞きすると、「すべからく皆の言うことを聞き分ける仏様」だというから、仏教伝来の功績のあった、聖徳太子の逸話の如く、何人の話でも一度に聞いて、それなりの対処をしてくださっているのだろう、と思うばかりである。
近くの観音寺では、昔、「地獄・極楽図」と言うのを展示して、お坊さんが怖く楽しく解説(絵解きと言ったように思う)してくださり、それが結構面白く、楽しく、また地獄の様子が怖かったのだが、「怖いもの見たさ」だったろうか、毎年の如く通っていたものである。
何度も出てきて恐縮だが、好きな噺家の枝雀師匠の「地獄八景亡者戯」という噺も、かつて観音寺での解説が背景になっているから、ナントも楽しく聴けて理解できそうな話である。
ちなみに、我が家の座敷の床の間に8月に掛ける掛け軸は「観音様」の姿のものである。 父が買ったものだが、その姿とお顔はやはり見ていて何となく落ち着く。
南無観世音大菩薩。
投稿者:つねちゃん
at 06 :27
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門徒寺
「門徒(もんと)」と言う制度は、どうも江戸時代くらいに始まった制度らしいが、詳しくは別に調べるほどの気持が無い。
当時の邪教だった「キリシタン」への入信を管理するために「お寺」に民を管理させたようである。
ここまでは「なるほど、そんなこともあったのだろうか」と歴史に疎いながら感じるだけである。
最近では、犯罪団体をはじめとして、いろんな「宗教?」が林立して、元が何なのかが分からなくなっているが、「門徒」と言う制度だけはまだ存続しているのが不思議である。
前にも述べているが、元々「宗教心」とは縁のない生活だったから、長男であったことから、家系の継続と言う中でそれも継続している、と言うのが本音である。
さりとて、別の宗教に魅力などは感じたことが無い。
そんな制度だから、本来なら「昔からのしきたりで、変更することなどないはず」であるが、我が家は門徒寺を父のまだ元気だったころに、近くのお寺さんに変更した。
距離的に近くの方が何かと便利だ、と言うのが父の考えだったのだろうが、どうも後で聞くと、そればかりではなさそうである。
十分に理解・納得している訳ではないのと、元の門徒寺への非難になるので、この辺で止めておく。
近しい従兄弟の家も、何かの理由で、昔からの門徒寺を変更したと聞く。
はてさて、果たしてこの制度はいつまで続くものなのだろうか。
門徒寺を少し強く意識するのは、やはり「葬儀」などの場合「どこに頼むか」を考えなくていいことくらいだろう。
息子の世代に、果たして引き継ぐべきかどうか、今から考えておかなければならない。
投稿者:つねちゃん
at 06 :43
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お寺さんとの付き合い
なんか一つのテーマに絞ると、同じようなことを繰り返し書いているような気がするが、まぁ「徒然」と言うことでお許し願いたい。
両親が健在な時には、月忌参りに来られるのは、両親の齢に合わせたような高齢のお坊さんが来られていた。
だから、と言う言い訳にしかならないが、その場でどんな話題がなされていたのかは、家内が時折(しようが無しにと言うことだろうが)同席していたらしいが、やはり一般の「世間話」だったのだろう。
少しずつ仏教と言うものの本を読み漁っていると、どうも本来はそうではないようである。
お坊様と言うのは、現在読んでいる「乱世を生きる 蓮如の生涯」と言う本にも随所にみられるが、仏恩(ぶっとんと読むそうだ)報謝のことを中心に話し、少しでも弥陀を信じさせることだそうである。
もちろん、その前には自分が本当に信心を持っていることが前提だそうである。
ところが、こちらも代が変わり、お寺さんも代が変わったのだろうが、父の逝去後はそれでも私よりも少し年上の住職さんが来られていて、仏恩報謝の話ではないにしろ年代的に話題が合っていた。
ところが、最近は私の息子と同年代の「若様」が来られて、まるっきり話題が合わない。
残念ながら、このままではだんだんお寺さんとの付き合いも希薄になっていくのではないだろうか。
さりとて「どうすればいいのか」に対する答えは持ち合わせていない。
両親が居た頃、お盆とお正月には、お寺さんに「挨拶」に出かけていて、車で送迎したが、今はその付き合いも全く無くなっている。
投稿者:つねちゃん
at 06 :17
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正法眼蔵
これはあまり一般的ではないものだろうか。
正式名は「正法眼蔵随聞記」という禅宗なのだろうかの、書物である。
何度も出てくるが、「般若心経」に執心していた(「無」を学んでいるのに、「執心」と言うこと自体がまるで本末転倒と言うべきなのだろうが)尊敬する先輩から「これも読んでみたら」と言われ、その当時「そのうち読んでみよう」と言うことで、買って「積読」にしていたものである。
正信偈も自分として「大体わかった」と適当に切り上げて、父の遺した書物などを整理していた時に見つけたものだった。
禅宗と言うものは、どだい難しく、とても理解できないのは、かつて「哲学」と言う教科を習ったけれども、先生の話が楽しかったことを覚えているだけで、全く理解できていなかった。
一冊ではとても理解できずに、その解説書と言うものを3冊購入した(今あるからそう思っているだけで、記憶的には殆ど無い)。
それでも「継続は力なり、読書百遍、おのずから意通ず」と言う好きな言葉の如く何度か繰り返して読んだが、やはり分からなかった。
で、内容はほとんど覚えていない。
禅の言葉で、随分昔に習ったので、いまだに覚えているのは「隻手の声」である。
理屈は難しいものがあるようだけれども、それは別にして、「人間は一人では生きていけないものだと知れ」と心得ている。
投稿者:つねちゃん
at 08 :02
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正信偈
さて、いよいよ「浄土真宗」と言う宗教に近い話題になる。
般若心経と同じように「入門」としては「正信偈」が最適だと知らされたので、最初に手に取った「お経」である。
正式名は「正信念仏偈」と言うらしく、親鸞の「教行信証」の中の・・・こうなると、だんだん分からなくなるのでやめる。
でも、暫くしてこれは「お経」ではなく「詩」みたいなものだ、と聞かされた。
まぁ、どうでもいいや、どのみち「お経の入門編なのだろう」とあまり疑うことをしなかった。
月忌参りの時のほとんどがこの読誦で占める。
これはどうもお釈迦様の言葉を音から中国の漢字に直したものではないようで、苦手だった漢文調だけれど、説明を読むとそれなりに意味が分かった。
飽くまでも「文章としての意味」であるから、意味しているところまで読み解けたわけでは決してないのだが。
で、般若心経の時の要領で録音して風呂場での鼻歌気分でやってみたが、般若心経の時と年齢が大分多くなっているのと、それと比べると「長い」ので暗唱できるほどにはなっていない。
でも、何度かそんなことをやっているうちに「聞くのが嫌」ではなく、「心地良い」までは行かないけれど、何となくすんなり耳から入ってきている、と言う気分に包まれている。 果たしてこれが信心かどうかは全く分からないけれど。
投稿者:つねちゃん
at 08 :34
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般若心経から始まったのか
今までも書いてきたが、私の「宗教」と言うのは果たして「般若心経」から始まったのであろうか。
確かに何度か書いてきたように、それを「宗教=お経」として見たかどうかは別にして、何度も聴いて、唱えて、暗唱できるようにもしたし、散歩の時の「呪文」のように使ったこともある。
しかしながら、今ここに至って「始まりは何だったか」と自問すると、やはり子供の頃の環境だったのではないだろうか。
お菓子欲しさ(当時は甘いお菓子は何物よりも子供にとって嬉しいものだった)で寺に行ったものだったから、幾つかの御本尊も見ていただろう。
それから、この節を書くようになって、子供の頃から60年を経過して、もう一度「始まりは何だったか」と言うと、やはり父の葬儀が「宗教」としてのお付き合いの始まりだったのではないだろうか。
先日も書いたが、いまだに「分からない」けれども、「正面切っての」と言うほどではないにせよ、それなりに宗教と言うものに向き合っているような気がする。
もちろん、宗派としては、長男としてもさることながら、長い付き合いである「浄土真宗」で、それ以外はほとんど目を向けていない。
ちなみに「般若心経」はこの宗派とは別なものであるとも知った。
俗に「葬式仏教」と言われるように、そんなときだけのお付き合いが主流になっているとも聞くが、その後は毎月の「月忌参り」がある。
父の13回忌と母の3回忌は少しずつ調整して親戚の方々にも集まってもらって一緒に弔った。
母の13回忌が出来るかどうかは少し不安があるが、その前にどうしてもやっておきたいのは、生後三日で亡くなった次男の50回忌である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :33
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無意味な「なむあみだぶつ」「ナンマンダブ」
このタイトルを見られたら「なんとも無礼な」「結局何にも知らないのだろう」と言われるだろう。
それは承知の上だが、さて、果たしてそのように言われる方々は、本当にこのことをご存じなのだろうか。
その意味するところ、その考え方などなど、私にはまだまだ疑問ばかりが多く、良く分からない。
「南無」「阿弥陀」「仏」と分けて考えて、一つ一つを解き明かしていけば、何となく人に説明できそうな解説が、あちらこちらに出ている。
でも、果たして「南無」は、どうしてそうなのか。
本来お釈迦様が言われたかどうか知らないけれど、口から発した「音」を中国に伝わった時に単なる音を漢字表記にしただけであろう。
「南に何にも無いよ」と言うことは、北をはじめとしたその他の方角には何かがある、と言う意味なのだろうか。
だからそれを目指せということなのか。
決して「ケチ」をつけている訳ではなく、素直に「分からない」と言っているだけである。
「分からないから面白い(不謹慎と言われるかもしれないが)」。
また、葬儀などのお坊さんにとっては「正式の場」である時に「ナンマンダブ」と唱えられるのを聞くことがある。
省略形なのだろうか、それとも漢字を意識しないで、むしろ原音に近いとでもいうのだろうか。
タイトル通りに「無意味な」は確かに言い過ぎかもしれないが、何か「口先だけ」が罷り通っているような気がするのである。
投稿者:つねちゃん
at 07 :16
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実はまだほとんど分からない宗教
このテーマになってまだわずかでしかないのに、結論じみたことを言うのは、だいぶん気が引けるのだが、多分いつまでたっても同じことだと思うから、まず自分の不甲斐なさを先に紹介しておきたいと思っている。
般若心経が宗教かと言う疑問はまだあるが、当時はそれなりに暗唱できるくらい繰り返し、解説本は図書館を利用して大分読んだので「無」と言うことがわずかだが自分なりに理解することができたように思う。
「我に固執せず」と言うのが私なりの結論だった。
正しいかどうかは論のあるところだろうが、私なりの当時の理解で、仕事に困った時にも、単身赴任中だったこともあり、自室で繰り返し声に出して自問自答して、翌日にはそれなりに「晴れた気分」で出勤したものである。
そういう意味で、随分「お世話になった」と言う気持ちだった。
リタイア後、我が家の宗教である「浄土真宗」に然程真剣ではないものの、それなりに時間を使っている。
最初は「正信偈」だろうということで、テープを買い、その内に「お風呂でやろう」と言うことで、デジタルオーディオを買った時から湯船で繰り返して聴いて、時々口に出して唱えたりしたものである。
ところが、ある時から、それは「お経ではない」と言うことが耳に入り、それから今でもまだ細々と続けているのが、「浄土三部経」と言うものである。
これはとても繰り返し聴いても覚えられるものではないので、区切りが適切かどうかは分からないが、自分なりの区切りをつけて、一日一度読んでいる。
ところが、正直なところ「全く意味がつかめない」と言うのが本音であり、テーマタイトルのごとく「分からない」につながっている。
でも、少し前から「分からないのが楽しい」と思えるようになってきた。
いろいろな先人も、高僧と言われる人も、同じ宗派でも理解が違うようなことも聴いているから、真に「お釈迦様」の言ったことを理解している訳ではないのであろう。
凡人は凡人の如く、勝手に理解すればいいのだと思っている。
投稿者:つねちゃん
at 05 :54
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在職中の宗教
在職中には、以前に述べた異業種交流会とブームに感化された般若心経を少しかじったくらいで、およそ「宗教」とは関係が無い生活を送っていた。
もちろん、家族同伴での首都圏(神奈川、千葉)への移住と杉並区や津田沼という所での単身赴任生活の間も、お盆には帰省していて、墓参りも家族と一緒に行っていたし、その前には墓掃除もしていたので、全く関与していなかったわけではないのだが、およそ「宗教」と言うよりも「定例行事」と言うくらいにしか意識していなかった、と言うのが本音である。
しかしながら、意識したかどうかは別にして、北海道から九州まで、出張で飛び回るような仕事だったので、仕事の合間があると、有名な「お寺さん」を巡ったことは多かった。
最初は「お城」だったのだが、一国一城令が布かれてからのもので、すぐに見飽きてしまった。
そこへ行くと、宗派は別にしてお寺さんではいろいろな話を聞かせてもらって、それぞれ感心したりしたものだった。
それが宗教心だとは思わないが、どこかに子供の頃の思いがあったのだろう。
最初の米国出張の時にも名前は忘れたが、ステンドグラスの見事な教会へも行き、日本語での解説をしてくださった話にも耳を傾けたものだった。
果たして宗教だったか、単なる観光だったかは別として。
投稿者:つねちゃん
at 06 :49
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子供の頃の宗教
昨日も書いたように、子供の頃には「宗教」と言うものに「理解」と言うことは全くと言っていいほどなかった。
しかしながら、周りの大人がそうであったように、また、最初の頃に言った様に、環境的に「お寺さん」との付き合いが日常的にあったことは覚えている。
昨日の話での「幻燈」では、お釈迦様がいらしたり、観音様や、阿弥陀様など、いろいろな仏様の紹介が主であった。
また、最近はあまり見ないのだが、「地獄・極楽図」と言うものが、ある季節になると必ず掲示されて、毎年「怖いもの見たさ」と、解説されるお坊様が変わって、怖く話されたり、極楽の楽しさを話されたりしたのを楽しみで行っていた。
そんな訳で、いろいろな地獄図を見て「怖いなぁ」と言う気持ちになったり、極楽図を見て「ナント楽しい所なのだろう」と思ったりしたものである。
少し学校などでの学習だったかで「蜘蛛の糸」の話を見聞きすると、その落差と自分の我儘さにも少しだけ気づかされたものでもあった。
尤も、幸か不幸か、私の場合は「一時」だけの記憶で、過ぎたらすぐに忘れてしまったので、全くと言っていいほど「切迫感」と言うものが無かったのは事実である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :39
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山号寺号
何かどんどん「宗教」から話題がそれて行くような気がするなぁ。まぁ、それはそれでいいとしよう。
タイトルを見て「ははぁーん」と思われる方は、それなりに落語をご存じなのだろう。
いろいろな山号寺号があるが、落語では、「寺でない山号寺号を並べて見な」と言うことから始まる。
持っている落語の本から少し引用しよう。「按摩さん揉み療治、漬物屋さん金山寺、時計屋さん今十時、お乳母さん子大事、お巡りさん棒大事」で最後が、「あっ、南無三、し損じ」と悔しがりながらも口説くのに対して、丁稚が「だんなさんよい感じ」。
話が大分それたが、元に戻して、お寺さんのことを「○○寺(じ)」とはあまり呼ばないで、「○○さん」と呼んでいた、今でもほとんどの場合そうである。
その時に「さん」が「山」だとはまるで知らなかった。
昔の家の背戸続きに「長福寺(ちょうふくじ)」と言うお寺さんの背戸があった。
これを「ちょうこっさん」と呼んでいたし、その表向かいにある「大念寺(だいねんじ)」は「だいねっさん」だったようにである。
宗派とは関係なく、夏休みなどの夕暮れ時、宗教に関する集いがあり、其処で「幻燈(多分今の若い人はほとんど知らないだろうが、スライドショーとでもいえばいいのだろう)」があり、大人に対する「説教」に近いものが開かれた。
子供同士で情報交換があり、幻燈のタイトルや内容はそっちのけで「あそこのお菓子は美味いぞ」「お茶じゃなくて冷たいジュースが出るぞ」と言うことで、三々五々集まってははしゃいでいたものだが、それが何かしら宗教と言うものを身近に感じさせた行動だったろうか。
もちろん、私は一度しか行かなかったが、「教会」でも似たようなイベントがあったが、歌を歌わされるのが嫌でその後行かなかった。
投稿者:つねちゃん
at 08 :59
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わが町はお寺さんが多い
昭和38年に市制がしかれて「小矢部市」となったので、「市」としてはどうかわからないし、昔の「石動町」と言う単位でも果たしてこの論がまかり通っているかどうかは知らないのだが、子供の頃から、周りに「お寺さん」が多かったことが印象に残っている。
今は少し高台の「住宅地」に移動したが、旧の「細工町」という所にも、四つのお寺さんがあった。
その内、今は一つが無くなって、一つは区画の整理のためか、同級生の住職は居るが、旧の町ではなくなっているので、二つのお寺さんが残っている。
知っている幾つかのお寺さんは無くなったけれど、いまだに昔その広場や墓場で遊んだお寺さんは健在である。
そんな中でも、「宗教心」と言うのは殆ど目覚めることが無かったのは、不思議である。 何かの時にはお菓子などももらい、昔は葬式はたいていお寺さんで行われたので、お菓子などをもらいに行った餓鬼だった。
市の歴史を学んだ時に少し質問したけれど、合点がいくほどの解説はなかった。
でも、住民が少なくなっているのは事実で、当然門徒としての人も少なくなってきているのに、健在なのが不思議である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :44
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宗教というテーマについて
基本的に「宗教」と言うものを意識したことは、父の逝去後もあまり自覚したことはなかった、と言うのが本音である。
成人する前から、毎年のお盆の墓参りは家族そろって行ったし、結婚後子供を連れていった時の写真も数枚残っている。
その時には、事前に父と墓掃除をしに行ったことは当然の如くであった。
しかしながら、その後も、家に月忌参りに来られた時、大体は居なかったが、居ても同席してお参りしたことなどまるで記憶にない。
在職して大分経ってから、管理職にもなっていたこともあり、一つのブームで「無になる」と言うのが流行ったことがあった。
当時「異業種交流会」と言うものも一つのブームで、何度か出かけたが、その中に宗教系の方がいられたのは覚えている。
しかしながら、その時かじったのは「般若心経」くらいだったろうか。
でも、何だか「無になれ」と言うことを押し付けられているようで、期間的にはそれなりに長いことやったが、果たして「宗教」としての行動だったかは意識していない。
そんな私が、このテーマについて書くのだから、多分に「それは間違っている」との指摘が多かろう。
と言うことで、門前の小僧の足元にも及ばないが、凡人の凡人としての飽くまでも「やっていることと感想」と言う意味で書かせて頂きます。
しばらくの間、お付き合いいただければ幸いです。
最初に本音を晒しておきます。
投稿者:つねちゃん
at 08 :28
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