我が家産の香辛料
2013年に栽培してパウダー状にしておいたハバネロが、最後の瓶詰になった。
激辛なので、一度にそんなに使うことはなく、多分今年一杯くらいは持つと思っている。 十分に乾燥させてあるので幸いにしてカビなどの発生もないようである。
昨年豊作だった「鷹の爪」も形のままのものとパウダー状にしたものが十分残っているが、こちらはうどんやそば、ペペロンチーノなどに結構多く使うので、今期の収穫があるまでは何とか持ちそうである。
野菜の類は結構早く消化するが、この手の香辛料は少し作っておくだけでかなり重宝する。
昨年のハバネロはまだ冷凍保存してあり、これも底をつきかけているハバネロラー油と気候を見ながらうまく乾燥させてパウダーとして加工する予定である。
ハバネロも鷹の爪も今年も栽培が楽しみである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :34
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上司気取りクレーマー
初めて聞いた言葉だったが、それと似たようなことを自分がやっているのではないかと思った。
その記事の詳細は忘れたが、明らかに品質不良と判断できる製品へのクレームだったとのことで、良品を送ることで一件落着と思っていた販売店に「何故そんなものが出荷されたのか」「どんな検品作業を行っているのか」などと顧客が切り込んだという。
まさにこのことは「根本原因追及と再発防止のためには、何故を3回繰り返せ」と命じてきた経験を持つ私には我が身のことのように思えてしまった。
自分の経験則から出た顧客の言葉だったのだろう。
正直よく理解できる。
話はこれで終わりではなく、何とか「出荷」「検品」についての説明で納得してもらったら、今度は「品質保証に関する社員教育」にまで論理が発展したという。
現職でその場の責任者だったら、私もやったかもしれないが、クレームはクレームとして指摘させてもらうけれど、それ以上のことはやはり厳に慎むように気を付けたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :45
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台所助手卒業(1/23に投稿した)
朝食の味噌汁づくりはまだ私の責任範疇にあるが、夕食の助手は殆ど解放されたようである。
小学生の孫が二人で頑張ってくれるので、味覚が少し違う私はオミットされるわけである。
また、それで家内と娘が二人の孫にそれなりの「家庭の味」を伝えているのだから、私も疎外感と言うものはない。
私は私なりに「私の味」を目指せばそれなりに楽しいのである。
家庭の味ばかりではなく、包丁やまな板などの道具の使い方なども教えているようである。
時々「飾り」が付いていることがあるけれど、これは孫の発想らしく、微笑ましい限りである。
これは1月23日に新聞投稿したものですが、今日現在採用されていません。
投稿者:つねちゃん
at 06 :26
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馬鹿げた質問
人質として捕まった人に関して、官房長官に「身代金は払うのですか」という質問が出ていた。
何とも馬鹿げた質問ではないだろうかと、素人ながら思った。
「はい、払います」とでもいう答えを期待したのだろうか。
それとも「絶対に払いません」との答えを期待したのか、いずれにしても質問する側の見識のなさを感じてしまう。
そんな人が「知る権利」と大上段に構えてみても、傍から見ている人は白々しさを感じるだけではなく、白眼視さえするのではないだろうか。
在職時に、上司から言われたことに「逃げ道を与えて問い詰めよ」というのがあった。
そうでないと、結果として「窮鼠猫を噛む」と言う為体(ていたらく)を演じて逆転してしまうことがあるからだ。
粋がって追求するのではなく、相手を慮って議論すべきは記者に限ったことではなかろうが。
投稿者:つねちゃん
at 06 :54
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ペーパー選挙権
なるほど、それが投票率低下の一要因かも。
18歳から選挙権を与えようという検討がなされていると薄々は聞いていたが、正直なところ孫がそれになるまでの将来を見通すことはできないので、ほとんど無関心だった。
ところが、先日表記の報道に気付かされた。
主に地方出身の都会の大学へ行っている人のことらしいのだが、住民票は故郷に置いておき、選挙の度に帰るほどの関心を持たないから結局「棄権」ということになるのだという。 確かに一番最初に都会に住んだ時には「米穀通帳の写しが必要ではないか」と母が心配してくれたのだが、今ではそんなことを思う人自体が亡くなっているから、全く関係ないのだろう。
住民台帳カード(正確かどうかは知らない)があれば個人の特定ができるのだから。
個人の存在は認識できたとしても、実際の行動が伴わなければ、選挙権というものもほとんど無意味になってしまうのではないだろうか。
それこそ、ネット技術を多用して「どこでも選挙できますよ」という方法を早急に確立すべきではなかろうか。
今のIT技術をもってすれば、そんなにお金もかけず容易いことだと思うのだが。
投稿者:つねちゃん
at 06 :40
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セックスレスの数値に驚く
少子化時代の昨今だが、やはり男女ともに「(セックスを)したくない」ということがあるとの数値が報道されていた。
既婚者に置いてもましてや未婚者に置いてもその低さに驚いた。
特に、男性が「面倒くさい」という理由がトップであった。
その分を仕事に打ち込んでいるとか思うと、それなりに立派だなぁ、思うけれど、どうもそんな風にも思えない。
そんな人は、仕事に置いても少し困難なことに当たれば「面倒くさい」と諦めてしまうのではないだろうか。
教育ママパパの影響で、自分たちがいやらしいことをして生まれた子供には、そんないやらしいことに一切触れさせようとしないというのが間違っているのではないだろうか。
正しい「性教育」を適正な年齢になったら積極的にやるべきだろう。
勿論合わせて「恋愛論」も同時並行でやることは欠かせないが。
投稿者:つねちゃん
at 07 :58
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難しいけれど「平常心」
昨年10月頃から音読の一つに加えた本に「21世紀に生きる 人を動かす 名言名句集」(世界文化社 塩田丸男、鈴木健二監修)がある。
一日見開きページを音読している。
正しく知っている言葉もあれば、意味を違えて覚えているものもあり、納得したり、反省したりである。
また、今年から始めた書き写しの一つに「一日一禅」(講談社学術文庫 秋月龍?著)も「知っていそう」と言う言葉としては、数こそ少ないが同様な言葉が出てきている。
その中で数えた訳ではないし、まだ全部を読んだり、書き写したりした訳ではないけれど、最も多いのではないかと思うのは「平常心」ということではないだろうか。
在職中のいろいろな研修の中でもこれは言われた。
だけど、誓って言えるのは「自分ができないこと」だったから部下などに教訓めいた言い方をしたことはない。
理屈では分かっているし、ここ一番の時に自分に言い聞かせたことも度々あったが、残念ながら実行できなかった、という反省ばかりだった。
リタイアした今、誰と競うわけでもないし、幸いにしてそのような場面に遭遇していないので、遅きに失したという感じはあるものの、僅かでも心得たいものだと思っている。
投稿者:つねちゃん
at 09 :01
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便利だけれど、品が無い
先日あるTV番組で、ひっくり返しても蓋が落ちない急須が便利だと紹介されていた。
私も単身赴任時によく経験をし、そのうち何度かは壊れないまでも縁が欠けたりして、買い直した経験がある。
それなら「破損しないように」ということで耐熱プラスチックの急須を購入したこともあったが、なんだか「味気なく」て結局陶器製のものに戻った。
そんなことから考えると、今回の製品紹介は意外というよりも「実際の経験をしていない人」の発明品なのだろうと思ってしまった。
そんな急須で目の前でお茶を淹れられたらはたして美味しいでしょうか。
和食が世界遺産に認められたのは良いけれとど「味」だけではなく、その所作の一つ一つが遺産を形成していると思うべきだろう。
TVでは、老若男女が「便利だわぁ」という声ばかりだったけれど、これも報道の意見誘導だろう。
投稿者:つねちゃん
at 07 :45
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自分は良い事をしている
細かいことだけれど「それなりに良い事をしている」と思うことがある。
ところが、そう思うが故のことだろうが、同じことを他人様がやっていなかったりすると「なんだかなぁ」と思うことがあり、気が付くたびに「ハッ」としている。
つい少し前までは自分もやってなかったのではないか、という反省が全く消えてしまっていることに気が付くからである。
在職中に良い同僚に巡り合えたことの一つのこれがあった。
最初は育った環境も出身地域も学歴も違うので「見て見ぬ振り」を決め込んでいたのだが、お互いに鬱憤が溜まったのか「言い合う」ようになった。
ところが、それが良かった。
それ以降良い意味での言い合いになり、許容できるところは許容し合えたのである。
いわゆる「他人の振り見て我が振り直す」ということになったのである。
勿論全てが許容できるわけではないが、それがお互いの部下にも浸透していったことは、今でも楽しい思い出であり、難しいけれどそんな友人を少しずつ作りたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :26
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にわか知識
昨年から始めたのだが、父が残した本のうちに「御伽草子」というのがあり、浦島太郎や一寸法師を新旧対比して楽しんで読んだ。
ちなみに浦島太郎の最後はどうなっているか、というクイズが先日見たTV番組で出題されていた。
決して「たちまち白髪のお爺さん」では終わっていないのです。
答えはこの最後に書きます。
今日のテーマはそれではなく、初めて読む「七草草紙」というものからのにわか知識です。
七日には「七草粥」を召し上がられましたか。
この作り方がこの草紙に書かれていたのです。
細かいことは省略して、白鵞鳥という8000年長生きする鳥が食べていた草の食べ物と言うもののようです。
作り方の概要は、前日の六日の夕方から作り始めます。
酉の刻(18-20時)には芹、以下戌の刻には薺(なずな)、亥の刻には御形(ごぎょう)、日が変わって子の刻にはたびらこ(ふつうは歌の通りならはこべらだけど、はっきりしない)、丑の刻には仏の座、寅の刻にはスズナそして卯の刻にはスズシロを打ち、辰の刻にそれを服す(だから多分薬の類なのでしょう)となっています。
「唐土の鳥が渡らぬうちに」というから、白鵞鳥が着たら全て食べられてしまうからというような意味のようだ。
にわか知識もこう考えると楽しくなってくる。
さて、先の問題の答えだが、浦島太郎は、鶴になり、丹後の浦嶋明神に顕れ、乙姫様の化身となった亀と共に夫婦の明神となりました、とさ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :17
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具現効果を求めない
新年になり「今年こそ何かやってみよう」という方とお話しする機会が何度かあった。
私もそれなりに目標と言うか行動指針を立てている。
ところが、話しているうちに何か到達点が違うことに気が付くことが多い。
よく考えてみると「その結果こうなりたい」と他人様に披露することができるように、ということが私と違うことだと気が付いた。
それはそれで素晴らしいことだが、私はあくまでも「自己満足」でいいと思っている。
一つの行動指針に「わからないことはすぐ調べる、決して覚えなくてもいいから」というのがある。
覚えて披露した所で「付け焼刃」はすぐに剥がれるのだから。
投稿者:つねちゃん
at 06 :28
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認知症
年が明けて最初の同級生の集まりがあった。
いろいろな話題の中に、最近報道された「2025年には65歳以上の人の5人に1人が認知症になる」との話題になった。
まさに我々が75歳になるときなので、真剣に心配しながらも、結構楽しく賑やかな「おしゃべり」になった。
その中でけっこう実用的なチェック方法があることが話題になった。
看護師経験者が正式な名前を知っていたが、それは忘れた(この辺が危ないか)けれど父を病院へ連れて行った時に同じ方法を目の前でやられた時のことを思い出した。
質問は簡単で「100から順に7を引いて行ってください」というものである。
父がそうだったから、遺伝要素があるだろうから、時々やってみて、その速度を測ってみたい。
投稿者:つねちゃん
at 06 :35
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にわか知識
先週の水曜日だった1月7日は、いろいろな意味のある日だったようだが、一番身近なのが「七草粥」だろうか。
我が家でも昨年の冬収穫できなかった大根と蕪を雪の下から掘り起こして、足りない分は市販のものを使って夕食に食した。
ところで、この日は五節句の一つで「人日の節句」だったことをご存じだったろうか。
五節句の中で一番知られていないのではないだろうか、事実私がそうだった。
それ以外は3月3日は上巳、5月5日は端午、7月7日は七夕、そして9月9日は重陽である。
色々と調べていたら、次のような解説があった。
古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗(戌)の日、3日を猪(亥)の日、4日を羊の日、5日を丑の日、6日を午の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた。
そして、7日目を人の日(人日)とし、犯罪者に対する刑罰は行わないことにしていた。 なぜこのブログをその日に書かなかったかというのは「人を食わない」という私なりの理解からである。
これからも、ネットで調べた面白いにわか知識を載せてみたい。
投稿者:つねちゃん
at 06 :46
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鏡を見よう
昨年の部屋の掃除の時に少しだけ模様替えをしたのだが、30年ほど前に子供から父の日のプレゼントとしてもらった鏡が出てきた。
埃を払って濡れティッシュで拭くと、まだまだ綺麗に見られるので、デスクの前に配置した。
その時から、朝デスクの前の鏡の自分に微笑んでみている。
他人様から見れば「爺が何をやっているのだ。そろそろボケが始まったか」と言われそうだが、決してそうではない。
石原裕次郎の歌ではないが「鏡に映る我が顔にグラスを挙げて乾杯」と同様な気分になって楽しい。
ただそれだけの話だが、少なくともその時だけは笑顔になれるから、お勧めである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :35
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トヨタの英断
トヨタの燃料電池の特許公開という英断は大歓迎である。
是非とも全世界での各社が積極的に採用してほしいものである。
車の免許は「構造」という科目が無くなってから取得したので、メカにはめっぽう弱いのだが、これは自然環境にもいいのだろう。
他にもミドリムシから取れるオイルも自然に良いと聞くし、太陽光利用もどんどん効率が良くなるのだろう。
前の障害物を認知して止まったり、GPS機能を使って死角からの飛び出しとの衝突回避技術も開発されていると聞く。
自然に優しく、安全に走行できる技術は大歓迎である。
投稿者:つねちゃん
at 06 :44
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得意顔の裏に見え隠れする顔
人は誰でも「わが意を得たり」とか「やったぁ」という場合には如何に表面的に抑えようと思っていても「色に出にけり」で隠せるものではない。
ところが、そんな状態が何度か続くと「してやったり」という顔になったり、挙句には「俺の天下だ」とばかりに「したい放題」が当たり前のような顔になったりするようだ。
そうなると、どうしても「裏の顔」が見えだしてくる。
衣の下の鎧ではないだろうが、それが時折「失言」として本音が出てくるのがその例である。
そういう政治屋の顔をしっかりと覚えておこう。
投稿者:つねちゃん
at 06 :42
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誤りを認める
私の書き写しは、右手でも左手でも行っている。
右手で鉛筆で行っているときのミスに対しては、綺麗に消しゴムで消して、消し滓はローラーで綺麗に取り去ってから、改めて書き直している。
このことから「誤りは素直に認めて、書き直す」ということを心掛けている。
でも、気が付いたら自分の行動に対して、果たしてこれをやっているのだろうか、という疑問がわいてきた。
歳のせいにする訳ではないが「まぁ、いいや」で済ませてはいないだろうか。
年が改まって、これからの行動でもし気が付いたら「書き直し」と同様に改めたいものだと思う。
「過ちを改たむるに遅きはなし」ともいうから。
投稿者:つねちゃん
at 06 :26
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あたわりに気づき、感謝しながら過ごしたい
付き合う人の年齢層が上がってきたのだろうか「あたわり」という言葉を耳にする機会が多くなったような気がする。
標準語としては無いようで、どうも「方言」のようだが、ナントも耳に心地よい言葉である。
生まれつきか、遺伝かは別として「体質的なもの」や、一種の職業病の様に今まで生きてきた間に努力の結果か染みつきかは別にして「獲得体質的なもの」など、いろんな意味で「与えられた性質」というようなことを指すようであり、知らず知らずのうちに自分の口からも出ていることに「気づく」ことがある。
この「気づき」というのは、リタイアする少し前に若い人にものをいうときによく使った言葉である。
表題のように「あたわり」には素直に従い、できる限り毎日新たな「気づき」に注意しながら、僅かなことに感謝しながら過ごしたいものである。
もちろん誰が見ても「悪いあたわり」は消すようにしたいものではあるが。
投稿者:つねちゃん
at 06 :43
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新聞を音読する
朝の日課の一つとして、音読はもう5年以上続けている。
今年は元日からそれにひとつ追加した。
結論から言うと、新聞のコラムを初めとしていくつかの決まった項目を「寝ながら音読」を始めたことである。
今までは「黙読」だったので、全く気が付かなかったのだが、「寝ながら」と言っても「横になりながら」だが、私の場合仰向けに姿勢正しく寝ている姿勢での音読である。
ところが、最初は「何でもない」と思っていたのだが、これが結構刺激になっている。
昨年指摘された、睡眠時無呼吸症候群の現象だろうが、思ったほどの声が出ない。
2日は新聞が休みだったから、まだ初めて4日目だが、現在使っている器具と相まって、一年続けてみようと思っている。
気道についた体内脂肪が原因だと聞くから、一つの運動として訓練すれば、少しは減るのではないだろうか。
投稿者:つねちゃん
at 07 :49
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リモコンで保証の対象外(7/29に掲載された)
猛暑日の先日、エアコンを入れようとしたら、リモコンの表示が薄くなっていたので、電池を替えて初期設定をしようとしたが、まるで動かない。
延長保証を頼んであったので、購入した店の修理部門へ持ち込んだ。
無料で修理してもらえたのだが「電池の液漏れが原因なので、保証の対象外」と言われて驚いた。
初めてのことだったので、何とか対処していただいたが「今後はこのルール通りになります」と念を押された。
暫く使っていない電子機器の電池は、各々の責任で管理する必要がある、ということを思い知らされた。
販売時点でそのような「起こしやすいミス」についてはしっかりと周知してほしいし、消費者もしっかりと管理すべきなのだろう。
明日からは、昨年と違って、元に戻して「日々雑感」として続けさせていただきます。 「仄々」「徒然」の精神を忘れずに、ボケ防止の一環として。
時々でいいですから、覗いてみてください。
投稿者:つねちゃん
at 07 :52
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違った方向に動いている(7/15に掲載された)
最近、何か違った方向に動いているような気がしてならない。
日本の労働人口が少ないので、外国から雇おう。
社員教育に費用が掛かるから、ヘッドハンティングで「使い捨て社員」を雇おう。
こんなことが続けば、一時的に利益は上がるだろうけれど、会社の永続はとても望めないのではないだろうか。
戦時中の「産めよ増やせよ」とは違うけれども、よき伴侶を見つけ、結婚して子供を育てる。
同様に、会社としても、最初から優秀な人間を探すよりも、きっちりとお金もかけて、優秀な人に育成すべきだろう。
戦後生まれだから、本当の意味での戦争の怖さは知らないが、少なくとも人を殺したり殺されたりする子供にしたくはない。
投稿者:つねちゃん
at 06 :22
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ネットの世界悪者気を付け(7/9に掲載された)
かつての仕事がコンピュータ関係だったから、人よりもなるべく早く体験したいと思ってツイッターやフェイスブックなどの色々な道具が紹介されるたびに「飛びついていた」という状態だった。
だが、リタイアした今、全くその必要が無くなってきたのと、楽しい通信の道具だったはずのものが「楽しさ」よりも「怖さ」が随分と上回っていることで、メール以外はやめた。 通常の世の中に負けず劣らず「ネットの世界には悪者がいる」ということになってきていて、匿名性を持っていることが悪さを助長しているようだ。
インターネットの楽しさは間違いなくあり、便利に使っているが、「悪者」には十分気を付けてほしい。
投稿者:つねちゃん
at 06 :51
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新年あけましておめでとうございます
昨年までもお付き合いいただき、ありがとうございました。
今年は、昨年のようにテーマは決めず、その前のように「仄々」「徒然」で書かせていただこうと思っています。
是非邪魔にならないようにお付き合いいただけれど幸いです。
定期的なブログの開始は五日からになりますが、それまでは過去に新聞に採用された投書の転記とさせていただきます。
今年も皆様にとってより良い年となりますことょお祈りいたします。
投稿者:つねちゃん
at 07 :30
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