2017 年9 月29 日
2017 年9 月28 日
愉快だけど真剣だった夢
先日見た「半睡状態での夢」の話である。 何故かかつての同僚数人(OB連中だったようだ)と米国へ旅行に出ている状況である。 帰るときだったのだろうが(もしくはどこかへ乗り継いでいく状況だったのかもしれない)ともかく大きな飛行場で、迷ってしまった自分が居る。 「確かこっちだった」と言う悪癖は相変わらずだが、この件については、別途項を起こそうと思っている。 たぶんトイレの用を足した後迷ったようだが、皆目分からない。 そんな時、インフォメーションの女性が、確実に私を差して「ナカシマさーん」と呼んでいる。 「私だが」と名乗り出る(これくらいの英語は物怖じせずに言える)と、最近のIT技術のせいか確認できたようで、無線電話らしきものを渡してくれた。 聞くと同僚連中の一人である。 「分かった」と無線電話を持ちながら、目指すのだが、途中で無線が途切れてしまった。 そのままウロウロしていると、なぜかかつて後輩、同僚、そしてお客様側の部長として、口角泡を飛ばして議論したり、愉快に飲みあったりしたS部長に出会った。 全くの偶然だったのだが、夢だからお許し願おう。 彼に案内されて、どうにか迷いながらも同僚連中と行動を一にする事が出来た。 そんなことで、愉快な思いで目が覚めた。 久し振りに楽しい夢だった。 迷っている間は、それなりに真剣だったようだけれど、そんな自分を鳥瞰している自分と言う意識も、わずかながら残っていた愉快さだった。2017 年9 月27 日
風呂の水栓の故障
先日、娘が「急にシャワーが出なくなった」と言いに来た。 孫が使っていて、次に出そうとしたら出なかったのだという。 シャワーホースを取り外しても詰まりはない。 結局はメーカーに修理を依頼したのだが、10年も使っているのでそろそろそうなっても不思議ではなかった。 幾つかの部品を外してもらって「待っている間に不要になった歯ブラシで擦って汚れを落としておいてください」と保守員の人に言われて、指示通りにしたのだが、「水苔」と言うのだろうか、10年分しっかりとこびりついていて、ヌルヌルしていた。 しっかりと掃除をして渡すと、保守員の方は、取り外しができない部分も掃除をしてくださっていた。 内部の水栓カートリッジ部分が故障の原因だったということで、取り換えて完了となったのだが、ついでに操作面が緩んでいたので、これ自分でもできると言われ、教えてもらった。 これで明日以降は、スッキリとしたお風呂が使える。2017 年9 月26 日
激辛素材
この時期の一つの楽しみとして、激辛素材の処理がある。 今年は、以前「とても辛すぎて、食用ではない」と思っていたが、ある料理番組で使われているのを知って、ギネスのトップになっていると聞く「ジョロキア」と言うものも対象に加えた。 少し黴が生えたけれど、それも上手く区分してなおかつ順番待ちの状態である。 傍にビニール袋に入れてあるだけで、カプサイシンの心地良いが、さすがに常時はきつすぎる匂いが、堪らないので、冷蔵庫にしっかりと封をして入れてある。 まず最初として、今年初めて苗屋で買った「激辛韓国唐辛子」と言うものを処理した。 実が大きいので、乾燥に当たっては、半分に切ってより早く乾燥するように仕立てたので、未熟な青色のものと、赤いものは分けて処理した。 赤いものは、量がやはり多すぎたのか、実用にするためには、もう一度「ミルサー」に掛けなければならないだろう。 未熟物だから、大したことは無かろうと、完全パウダーになった青い実の物をマッチ棒の先ほど舐めてみたが、強烈な辛さだった。 これは期待できる。 今後は「鷹の爪」「ハバネロ」そして「ジョロキア」編となるが、その都度報告させていただく、乞うご期待。 って言っても誰も期待していないか。 自己満足である。2017 年9 月25 日
曼珠紗華と彼岸花
どちらも同じものだが、我が家では、畑の際にあるものは「曼珠紗華」で、墓の傍に自生(最初はだれかが球根を撒いたのだろうが)しているものは「彼岸花」と呼んでいる。 花の形も色も全く同じものなのだが、家内の提案で「畑のものは彼岸前に咲いて萎れてしまうから」お盆の余韻が少し残っている頃と言うことで、極楽に咲く「曼珠紗華」。 墓の傍は、ちょうどこの彼岸の時に咲くので「彼岸花」と言うことになっている。 極楽に咲く、有難い恩恵のものだが、私が最初に植えたのは「土竜除け」のためだったから、どうも極楽には行けそうも無さそうである。 日当たりの加減が、全く違うのが、生育上の差であろうか。 土竜除けだから、どうしても草むらの中になってしまい、挙句に後ろの竹やぶと、傍の大きな桜の木で、日陰になってしまう場所である。 尤も、こんなところだからこそ土竜が潜むのであるが。 片やお墓は、比較的高い所にあり、お盆前には、家内と草むしりに出かけるから、日陰などは全く影響のない所である。 来年は、畑のものの周りも、適時に草刈をして、土竜なども住み着きにくい場所にして、彼岸花になって欲しいと願っている。 もっとも、曼珠紗華という言葉も捨てがたい。2017 年9 月22 日
死が気になる
昨晩、いつものようにTVドラマを見ながら、乾き物のつまみでウィスキーの水割りを3杯飲んで、就寝前読書と書き写しもしてから10:40くらいの布団に入ったのだが、なぜか寝るまでの約2時間の間に、短い間隔でトイレに立ち、なかなか寝付かれなかった。 その原因は、もう寝るだけなのだから、特別複雑な考えることも無いのだが、書き写し用に自作した原稿用紙が思い出されて、その罫線がうまく繋がっていないのである。 先日の太陽フレアの関係などでは全くないことは分かっているつもりなのだが、なんだか空間が捩れているような気分になった。 血圧が上がっているような兆候も、低血糖と言うことも、具体的な体調は取り立ててあげつらうことがないにもかかわらず、正直精神的なもので完全に打ちのめされた状態だった。 「臨死体験」もないけれど、こんなことで人間は死期を迎えるのかと真剣に悩んだ。 そして「せめて明日は元気で起きられますように」と神仏に縋った。 今朝4時過ぎに、ようやく起きて、そんな気分も全く覚めていたが、最近少し忘れていた「今朝も起きられたことに感謝します」と言うことをしっかりと続けようと思った。2017 年9 月21 日
この街には何にもない
ある地域ネット新聞に出ていた記事が目に留まった。 高校生に、史跡を案内してもらって、意外と知らないことが多かった、との感想で、指導に当たった先生が「彼らは今後『この街には何にもない』とは言わないでしょう」とのこと。 好きな番組の一つに「ダーツの旅」があるが、そこでも結構な年齢の人が同じ言葉を発するのをよく耳にする。 これは他人事ではない。 リタイアした時に、自宅のある町は、確かに中学生までの15年間育ったところだが、高校は電車通学で、朝みんなより1つ早い電車(約1時間早く出る)に乗り、部活だか何かで時間を過ごし、夕食までに帰る生活だった。 しゆうしょく就職してからも似た様なもので、2年間過ごし、その後2年間の研修所は東京。 金沢勤務でも家には「早く出て遅く戻る」生活。 勤務地が富山になり、夜勤が多かったので、下宿生活で土日亭主。 それから首都圏勤務などで10数年間は、家は「食う寝る所」だった。 だから「この街の良い所」と聞かれても「特にないよ」と言うばかりだったろう。 リタイア後、近くの散歩や市の歴史講座などで学び、今では違うけれど、子供にはもう遅いし、孫にもそろそろ飽きられてきているのかもしれないが、せいぜい知っていることを伝えていきたい。2017 年9 月20 日
秋は来にけり
18号台風は、九州から北海道まですべて嘗め尽くして過ぎて行った。 被害の大小はあるだろうが、幸いにして、こちら北陸富山県では、取り立てて大きな被害はなく、コメやリンゴなどにもあまり大きな被害はなかったと聞く。 被害の大きかった地域の人々にはお見舞い申し上げる。 とはいえ、虫の鳴き声や木々の色づき具合から、確実に秋が来ていることをひしひしと感じる。 ところが、、政界の方は「芽吹きの春」のようである。 今までのことは「ごわさんで願いましては」と言うが如く「解散総選挙」だという。 「破産」ではなく「和算」でもない。 もしかしたら「破算」で、全てのことは水に流そう、と言うことだろうか。 だからこそ、と言うべきか、主権在民なのだから、「民」がしっかりとした考え方を持たなければならないと、いつもながら思う。 「与党は信用できない」「野党は頼りない」などと愚痴ばかり述べてみてもしようが無かろう。 ここはしっかりと「党」を見るのではなく「人」を見るべきだろう。 自戒を込めて、しみじみ思う。 決して、政治に「飽き」が来ないように。2017 年9 月19 日
結構いい線で行っているものだ
毎朝の書き写しで使っている『菜根譚』で、百言目を先日書き終えた。 主旨は「身を引くなら花の盛りに」と言うものである。 解説は400字余りのものだが、正に今までの自分がそうだったのではないかと思ってきた。 勿論百言の全てが当たっているというほどの思い上がりではないが、事これに至ってはそうなのだろうという「自慢話」である。 まずは、サラリーマンとして「身を引く」と言うのは「退職」と言うことであろう。 今からもう16年ほど前だが、体調が悪かったわけではないし、仕事の面では、噂に聞くと次の栄転が決まっていたということだから、正に「花の盛り」だったのではないだろうか。 リタイア後も、誰かと競争などする環境になく、幾つかの会から役員に選出されたが、溜まれば朽ちる、と言うことからやっても2期までで退いている。 勝負はしていないか、と言われると、健康麻雀とパチンコ位か。 それとて、とても「勝負」ではなく、考えたり、興奮したりの楽しみに収めている。 さりとて「世捨て人」になった訳ではなく、このブログと新聞投書には「言いたいこと」を言わせてもらっている。 歌の文句じゃないけれど「わが良き浮世」を過ごしている自分に乾杯。2017 年9 月15 日
認知症への恐怖
最近、時々「フッ」と意識が朦朧とすることがある。 決して、眩暈などが伴う訳ではなく、ほんの一瞬であるから、そんなに気にする事も無いのかもしれないが、父が相当重度の糖尿病から、昼夜逆転と言う認知症になったので、「蛙の子は蛙」だから、いつしかその様になるのはしようが無いとも思っている。 むしろ「親に似ぬ子は」と言う謗りを受けないようにはしたいものだと思っている。 ただ、いろいろな会の役員なども引き受けていたという意味で、結構聡明だったのに、事前に自覚症状が無かったのかは、今は誰にも分からない。 亡くなる前の4年だったとしたら、80歳での発症と言うことになるが、私には「まだ」なのか「もう」なのか分からないけれど、10年の猶予があると思う様にして見た。 その間に、私が生きてきたことを何がしかに形で残しておきたいと思っている。2017 年9 月14 日
しし唐の佃煮
そろそろ終盤期だけれど、しし唐がたくさん収穫できる。 最盛期と比べると、少し形も悪くなってきているが、天候が不順だったこともあり、暫く無頓着だった。 気が付くと、小振りだけれど、たくさん収穫できた。 これでは、とても「つまみとして」では始末できない。 で、ネットで調べると「佃煮」が出ていた。 これなら長持ちするだろうし、つまみとしても、私の好みの炒飯の具にしても良いと思い、早速挑戦。 収穫量はヘタを取って750gである。 ヘタ取りも一つ一つ大変だったけれど、一つ一つ包丁で穴を開けて調理中に爆発しないように。 一茹でしてから、醤油、味醂、出汁の元などで汁が無くなるまで焦がさないようにじっくりと煮詰める。 調理中は、カプサイシンが強いもの(調理中は、カプサイシンが強いもの、私等はこれを「当たり」と呼んでいる)が幾つかあったのか物凄い辛さを思わせる匂いがした。 でも、仕上げて冷やしておくと、辛さも落ち着いた。 さあ、明日からの楽しみがまた一つ増えた。2017 年9 月13 日
「た」と「な」、「わ」と「れ」
以前にも似た様なことを書いたような気がするが、漢字の書き方についてはそれなりに分からなければ調べてやっているが、ひらがなはどうも「慣れ過ぎ」と言うことで、あまり意識していないような気がするようになった。 もう10年以上もやってきているが、今更こんなことに気が付いた。 表記の通り、似たようなひらがなを的確に描き分けているだろうか。 「た」と「な」の左側はどちらも同じようだけれど、よくよく見れば、違っていることにお気づきだろうか。 「た」の左側の裾の長さは、右側の「こ」の下と同じ縦位置である。 それに対して、「な」の左側と右側はどうだろうか。 微妙につかって違っている。 同様な観察を「わ」と「れ」についてはどうだろうか。 かつて大好きだった「地下鉄」漫才の三球・照代ではないけれど。 「太」「奈」「和」「礼」を見て、ひらがなを書く際にそれを意識して見ても面白い。 学習って、ほんとに楽しいものである。 同趣旨の投書が、最近採用されていた。 と言うことは、この文章は少なくとも1週間以上前に書いたものである。2017 年9 月12 日
書き写し用原稿用紙
リタイアしてから、在職時の悪弊(ともかく字が下手で、誰よりも早く「ワープロ」を使い始めたので、「手で書く」ことが疎かになり、字の下手さが一段と進んだこと)を少しでも直すとともに、ボケ防止という意味で始めた「書き写し」ももう15年も続けていることになる。 残念ながら悪弊を断つほどにはとてもなっていないが、ボケ防止には少しは役に立っているのかと思う。 従来は、新聞の折り込みチラシなどの裏に原稿用紙を印刷して、使っていたのだが、B5判の用紙だったのとwordの既定の用紙で、どうしても本来原稿を書く人用に余白などが取られていた。 私には升目が小さいのが気になる所だった。 今回は、古い資料の整理で出た、いろいろな資料の裏を使ったので、紙自体はA4が殆どである。 そこで、お仕着せではなく、Excelを使って、自分好みのサイズにして使い始めた。 計ってはいないが、従来のB5よりもずいぶんと升目が大きくなったような気がする。 そうなると、なんだか気持ちが大きくなったような気がして、悪いことではない。 おまけに、今まで細かい間違いなどは気にしていなかったことが気になってくる。 そういう点でまたボケ防止の課題が見つかったようで楽しい。2017 年9 月11 日
読書感想文
家内が買った本である。 最初は全く読む気にならなかったのだが、気乗りがしないものでも「字面」を追いかけるだけでも、目覚めのためになるか。 それならあまり気乗りのしないものでもいいか、と今まで宗教関係の本が多かったので、風潮を変えてみようかと朝の音読に加えた。 「TUGUMI(つぐみ)」(吉本ばなな 著 中央公論社 刊)である。 家内は「娘が読んでくれるかなと思って残しておいた」とのことだったが、まさか私が読むとは思っていなかったようで「読んだよ」と言うと驚いていた。 作家は、ひと時評判を呼んだ人だったので、男性で年代も違う私が読んでも、何がしかの効果があるのではないかと思ったことも、紐解いた原因だったのかもしれぬ。 残念ながら、ストーリーとしては理解できだけれど、その意味するところまでは到達できなかった、というのが本音である。 偶には、冒頭の「無意味の意味」と理解していろんな本を読むのも、良いものである。2017 年9 月8 日
食事に関する「五恩」
養生訓からの読み齧りである。 最近は「給食費を払っているのに、なぜ『いただきます』「御馳走様でした」と言わなければならないのだ」とモンスターペアレントという種族の人は息巻いていると聞く。 そんな人(どこかで一国の総理が言った言葉と同じだなぁ)たちは、「お金さえ出せば、何でも自分の言うとおりになる」と言う意識があるだろうか。 その人たちを責めるよりも、そんな人に育てた親や肉親、近所の人たちを責めたいと思う。 幸いにして、我が家の孫たちは、今の所だけかもしれないが、そんな気持ちはさらさら見せないから、好々爺としては幸せいっぱいである。 で、本題に戻るが、次の「五恩」である。 1.この食は誰から与えられたものか 単に農家に代表される「人」ばかりではなく、天地の恵みに感謝すべきだろう。 2.農民の労苦に感謝 種を撒けば自然に育つ、等と言うことが無いことは、小さなプランターで栽培して も分かろうというものだ。 3.ひどく幸せ 食べられる、と言うのは物が得られる、と言うことだけではなく、咀嚼して自分の 血肉になる様な体があるということにも「幸せ」と思えるように 4.飢餓の心配が無い 残念だけれど、地球上には「餓死」と言う事態が起きている。今自分がそうでない ことは誰がやってくれているのだろうと、恩を感じることだ。 5.調理職に感謝 そして、素材だけを食べているのではなく「焼く、煮る、腐らす」と言う色々な手 法を使って、調理してくれる人にも深い恩を感じることだろう。2017 年9 月7 日
「学ぶことを楽しむことが、学ぶことを好むことなり」
論語の読み齧りである。 このブログでも、何度も書いた言葉である。 欲を言えば「学んだことを生かしていないのが残念」と言うことだが、以前は「なんでこんなに記憶力が悪いのだろう」と悩んだこともあった。 リタイアした今では、「忘れたなら又習えばいい」と気軽に考えている。 いや、むしろ「何度でも学べる楽しさ」を、決して「負け惜しみ」ではなく、真実そのように思えている自分が楽しい。 もうずいぶん前になるが、リタイアしてから「PC教室の講師に来てほしい」と言うことで、2年ばかり「有給」で行っていたことがある。 今はもうお亡くなりになったが、世話人代表の方と話している時に、「○○コース」と言うのはできれば避けて頂きたい、と言う話があった。 これは、今でもそうだけれど、私の「教え方(以前は教わり方)」に全く合致していたので、快く引き受けた。 その時に「忘れたら、何度でも、同じ事でもいいから、聞き直してください。100回、この講習を続けられるかどうかは分かりませんが、読書百遍と言う言葉がある様に、そのうちには『澱のように』知識が溜まってくるでしょう。」と言ったことがある。 今では近所の方に同様な気持ちで講習させて頂いている。 いつまでたっても「学ぶこと」は「楽しいこと」である。2017 年9 月6 日
腹囲とウェスト
ずいぶん長い間「腹囲」だと思って計って記録し、その増減に一喜一憂していたのだが、今年の市の健康診断に行った時に、私が思っていた「腹囲」の数字とは3cmも違う数値が示された。 看護師さんに聞くと「良く間違われるのですよね」とこともなげだったが、私が計っていたのは「ウェスト」だったのだそうである。 看護師さんは、いつも会う人だったので、気さくに何でも話が聞けたので、その注意点についても教えてもらった。 どうしても、自分で計ると「短くあれ」と言う希望が先に立つのと、上からメジャーを当てるので、正確な「腹囲」にならなくなるのだそうである。 それ以来、その注意を常に(尤も朝1回だけだが)気に留めて計っている。 ウェストは確かに従来の数値と変わらないのだが、そんなことに、自己満足している訳にはいかず、しっかりと「腹囲」を測ることにそれ以来気を付けている。 残念ながら目標の85cmにはまだ3cm及んでいない。2017 年9 月5 日
読書感想文
夏休みがあったとしても、久しぶりの読書感想文です。 「実戦麻雀の読み 絶対振り込まぬ戦法 村石利夫著 池田書店刊」です。 ここでも何度か紹介しましたが、数カ月前から「健康麻将」という仲間との麻雀を楽しんでいます。 やはり「勝負事」なので、勝てば嬉しいし、負ければ悔しいので、父が買った本を見つけて読み始めました。 完全に「読後」の感想ですが、これで実戦に向かって勝とうとすることは無理だと思いました。 一つには「全てを覚えられないこと」。 加齢のせいもあるでしょう。 また一つには「二律背反」とは言いませんが、この本によるセオリーでも、どちらかを選択しなければならない場合が必ずあると思いますが、どちらを選択しても駄目な場合と正解の場合があります。 著者のセオリーと感覚によるものだということで「参考」になったことは確実ですが、そのいくつかを覚えておいて、最後はやはり「自分の勘」が大切なのだと思います。2017 年9 月4 日
香辛料
家内を初め、我が家の連中は「爺ちゃんは辛ければ何でもいい」という感覚で、それなりに気を利かしてはくれているので、感謝している。 しかしながら「辛けりゃ」という感覚は間違っている。 私が材料を含めて知っている「辛味=香辛料」は、順不同であげれば、山葵、和(練り)芥子、胡椒、花椒(花山椒とも)、鷹の爪、ハラペーニョ、ハバネロ、ジョロキアと言ったところだろうか。 勿論その加工品であるラー油などもあるが、加工品になると、本来の味を隠している場合があるので、原料まで特定するほどの味覚は持ち合わせていない。 それぞれに料理に合わせて使っているつもりだけれど、時折代えてみることがある。 それが、「本来これにはこれ」という常識的センスをお持ちの方と違うので、呆れられ、挙句に「辛ければ」ということになってしまっているようである。 ご心配くださるな、各々の辛さははっきりとわかっているつもりなのですから。 今年は、数年作っていなかった、毒々しいほど真っ赤なジョロキアが20個ほど収穫できた。 これをパウダーにしてしっかりと乾燥させておけば、数年は使用できるのだが、「使用できる」と言うことと「持つか」と言うこととは違う。 ハバネロは、3株で5-60個、激辛韓国唐辛子が50個ほどで、鷹の爪は家内が「葉唐辛子を作りたい」と言っていたので、早期収穫だから30個ほどか。 兎も角数年間は楽しみで一杯である。2017 年9 月3 日
たまった録画ゆっくり見る(8/24に採用された)
リタイア後は、夏休みや、お盆休みなどは関係ないのだが、それでも自分で決めた日課がある。 例年のことだが、小学生の孫とテンポを合わせて60%くらいに減少させて夏休みに入る。 そして、90%をやめるのが「お盆休み」である。 今年は「お盆休み」を11日から16日までとした。 今年の一つの目標は、「たまった録画ビデオをゆっくりと見る」ということにしていた。 今年はかなりたっぷりと、取捨選択して見ることができ、記録容量もたっぷりと空けられて、また楽しみの幅が増えた。追記をみる
2017 年9 月2 日
どこまでが「国内産」か(8/19に採用された)
日本の食料自給率は38%だという。 わが家では、極力「国内産」の物を使っていると思うのだが、よく考えれば、「国内産」というくくりでは簡単に解決できないようである。 牛肉をはじめとした肉類などは、それを育てるための飼料や、その飼料を育てる肥料なども、どこまで「国内産」かは分からないそうである。 家庭菜園で使う肥料なども、細かく見ればどこまで「国内産」か素人にはよく分からない。 そうなれば、「国内産」にばかり頼るのではなく、世界流通を考えるべきではないだろうか。 国同士が武力競争するよりも、地球家族ということで、安全・安心な作物を作り、食料を融通し合う「平和」を希求すべきではないか。2017 年9 月1 日