<< 2012/11 | メイン | 2013/01 >>
2012 年12 月28 日

転載ブログ お香をたいて楽しいひととき

 朝起きた時やデスクで本を読む時などに、もう何年か前からお香をたくことにしている。
 (香道というものを)詳しくは知らないが、100円(均)で求めたもので、良い香りが部屋に満ちるので、なんとなく気持ちがいい。
 オーディオセットから流れる音楽に耳を傾け、目は本や新聞にくぎ付けになりながらも、良い香りに包まれている、と言う感じがなんとも楽しい。
 ぜひおやりになってみてはいかがだろうか。



 今年はこれですべて終わりにします。
 年明けは、7日から新たなペースで始める予定です。
 
 皆様にとって、くる年がより良き年となることをお祈りいたします。
 尤も、その前に「年末ジャンボ」で6億円の夢が花開くことをみんなでお祈りしましょう。
 来年も、ぜひともお付き合いください。
 というものの、2,000通までにはあと180通弱ですから、来年の今日には果たして続いているかどうか、楽しみだなぁ。

投稿者:つねちゃん
at 06 :52 | 健康 | コメント(0 )

2012 年12 月27 日

転載ブログ みそ汁作りは迷いも楽しく

 主夫として定着した家事に「朝のみそ汁作り」がある。
 最近はいろいろな条件を考えて作っていて、迷うのが楽しみになっている。
 「在庫品の賞味期限はどうか」
 「昨日と同じ具ではマンネリだし、わが家の二人の主婦が使う予定にしていたものを勝手に使っては騒動になる」
 「主食は大好きなチャーハンかそれとも納豆かけ熱々ご飯か」
 「色合いも、青菜を使ったほうがいいか、のっぺりとした大根を使ったほうがいいのか」など考慮することは多い。
 こんなことも脳の活性化と言う意味では、認知症防止に役立つのではないか。
 ベテラン主婦にはかなわないが、見習い期間をようやく卒業した主夫の楽しみである。

投稿者:つねちゃん
at 06 :25 | 日記 | コメント(0 )

2012 年12 月26 日

転載ブログ お茶席での良い言葉

 40数年ぶりにお茶会に参加した。
 きれいでおいしいお菓子と抹茶を頂いた。
 三流派での席で気を引いたのは、軸と扇面の言葉であった。
 大きな「〇」の下に「吾心以秋月」と書かれている。
 解説によると、中秋の名月の時期にあわせて「わが心、秋の月の如く円くあり」と言意味なのだそうだ。
 次は「壽山福海」、解説によると「寿ぐ事(市制50周年のこと)山の如く、幸せなる事海の如し」との事、あやかりたいものである。
 最後にうかがったところでは、扇面に「四海同風」と書かれていた。
 解説によると周り(四海)に(幸せな)風が吹いている、とのことである。
 時にはこんな良い言葉を見聞きして、抹茶を楽しんでみてはいかがであろうか。

投稿者:つねちゃん
at 08 :14 | 日記 | コメント(0 )

2012 年12 月25 日

転載ブログ 自然との適切な「共生」探りたい

 絶滅危惧種に指定されていた「クニマス」が、今度は野生化して本来とは別の場所で生息していることがわかり、その指定が解除されるとの記事に出会った。
 身近でのトキや、立山へ行った時に間近で見たライチョウなども絶滅の危機にあるとか。
 果たして人間がそれを「適正にコントロールできる」と思っているのだろうかと、わが身も含めて傲慢さに疑問が出てくる。
 現在、わが地域でも、イノシシによる被害、クマの出没、サルによる恐怖などが現実化してきているが、「生かさず、殺さず」と言うことではなく、よい意味での「共生」の方法を講じてもらいたいと思う。

投稿者:つねちゃん
at 06 :44 | 日記 | コメント(0 )

2012 年12 月21 日

入るを図って出ずるを制す

 表記はみなさんよくご存じのとおり、国をはじめ各企業や少し前に流行った企業内企業の
収支の根底をなす経営の要諦である。
 ところが、最近の私にとっては「出ずるを図りて入りを制す」という法が要諦である。
 体重の話である。
 一時期は72Kgを前後して、体型もそれなりに満足していた。
 尤も、一般的なBMIからすれば「少し太り過ぎ」ということなのだが、それに合わせてダイエットして、確かにその体重になった。
 そんなある日、スーパー銭湯へ行った時に全身を映す鏡で己が身体を見た時に、なんとも貧弱だったで、72がベストだと思っている。
 それが、最近寒くなったのが大きな原因だと思っているが、「身体を動かさない」ということから、だんだんと増えてきた。
 最近の体重は、先日79Kgとなって、さすがに慌てた。
 これでは拙いと思い、拙速ながらダイエットをやっていた時のことを思い出して、始めた。
 現在(今朝の測定で)は78.2Kgである。
 まずは「出ずるを図りて」の項目だが、催してもそうでなくても、必ず一日一度は排便を頑張る。
 次は、スローステップである。録画したビデオを(先日も書いたが)早送りで見ながら30cm足らずの台を上ったり下りたりするのである。僅か30分ほどだが、これが結構汗をかく。
 つぎに、「入るを制す」の項目だが、食事の量は20%ほど少なくして、「よく噛んで食べる」(基本的には中々出来ないが30回が目標である)ことである。
 79だった日からこれで約1週間だが、上述の如く、−0.8Kgは「でかしたものだ」と思っている。
 年末までには、77を目指したいと思っている。
 余談だが、お酒は減らしていない。

投稿者:つねちゃん
at 06 :57 | 健康 | コメント(0 )

2012 年12 月20 日

 「肌色」という言葉は差別用語

 先日孫がお母さんの誕生日に渡すお手紙を書いていて、お母さんと自分の絵を描いていたのを見て、「きれいな肌色に描けているねぇ」と声をかけると、怪訝な顔をされた。
 横で見聞きしていた家内が「最近は『肌色』という言葉は差別用語になるんだから、使わないのだよ」と教えてくれた。
 在職中には、「差別用語」という言葉には、かなり神経質だった。
 私の住んでいる所の近くには、私が知らないだけかもしれないが、対象になる人たちがいらっしゃらなかったので、実質的には無意識だったのだが、職場では結構大変な問題だったから、幾度かの研修を受けるとともに、部下にも指導する立場だったからである。
 ところが、『肌色』という言葉にもそれが影響しているとは、まるで知らなかった。
 部落解放問題からではなさそうで、国際化の関係かららしい。
 確かに孫と同じクラスの中に、少し色の変わった子がいて、保育園時代から仲良くしていて、私にも結構懐いてくれていて、可愛いなぁと思っていた子である。
 その子にっては『肌色』はこの色ではないと言われれば、確かに納得が行き、そんなことで差別する気持ちなど毛頭ない。
 それでは、その色を何というかは、忘れてしまったが、家内が言うにはまだ昔と呼び方の違った色絵具(クレヨン)があるそうだ。
 正に「言葉は生きている」ということだろうか。
 「昔はこれだったから、いいじゃないか」というのは、大好きな古典落語中でこそ、許されるだろうが、今を生きている我々にとっては、やはり十分に注意すべきことであろう。
 これでまた、新たに「学習すること」が出現したので、他人様に失礼のないように楽しく学習してゆきたいものである。
追記をみる

投稿者:つねちゃん
at 06 :52 | 学習 | コメント(0 )

2012 年12 月19 日

やっぱり「のんびり」がいいなあ

 師走もそろそろ下旬であり、日々世の中は混沌としながらも、みんな忙しく行動なさっている。
 それには、いつも言うが、決して「世捨て人」ではないけれど、まるで無関係な生活を送っている、というよりも「大過なく送らせてもらっている」という感謝の日々である。
 しかしながら、このブログもそうだが、日々やることは大体決まってきている。
 それが終わったら(やり終えたら)、やっぱり「のんびりと過ごす」ことが良い、という毎日である。
 在職中にこんな言葉を部下や自分に言い聞かせていたことがある。
 「明日できることは明日やれ、先取りしてやって無駄になることもあるし、明日になって状況が変わることもあるのだから」と。
 子供の頃には、まるで反対のように「今日できることは、今日のうちにやってしまえ」と言い聞かされてきていたのだし、上記の言葉を言う時までは、間違いなくそう思ってやってきたつもりである。 
 そうなると「探してでもやることを見つける」という気持ちになり、そこには決して「のんびり」という気持ちが生まれない。
 その結果が良好な場合は大いに結構だが、最前線で「生き馬の目を抜く」とか「時間はドッグイヤーだ」とばかりに状況が変わる場合においては、勿論予定は立てているのだけれど、それをやり終えたら、全く別のことに思考を巡らして、直面する仕事から目を遠ざけることが必要だと言い聞かせていた。
 勿論のこと、立てた予定事項は必ず成し遂げて、ということが前提であり、そのためには徹夜も厭わずやり遂げろ、という意味でもある。
 でも、ハッピーリタイアメントの現在、やっぱり「のんびり」がいいなぁ、と思う此の頃である。
 寮生活の時、同室だった人の口癖に「世の中に寝るより楽はなかりけれ、浮世の馬鹿は起きて働く」というのが懐かしく思い出される。

投稿者:つねちゃん
at 06 :49 | 健康 | コメント(0 )

2012 年12 月18 日

ビデオを早送りで見る

 テレビ番組をリアルタイムではなく、録画して観ていることは、以前にも紹介したと思うが、ここ数か月は、本来の「時間貧乏性」がまたまた出現して、早送りで観るようになっている。
 全てのセットで可能なのではないが、1.3倍くらいの早送りで、音声もしっかりと、さほど違和感を感じないくらいの音質で聞くことができるので、まことに便利である。
 最初は「便利だなぁ」という感じしか持たなかったのだが、昔から興味があった全く別の本で「速読」という分野の本に再び遭遇した。
 中々身につかないのだが、本来「本好き」な私にとっては、やはり早く読めて沢山読める、ということは時間貧乏性とともに、永遠の興味、というより「病気」なのかもしれない。
 で、「読む」ことはなかなか身につかないが、ビデオというものを1.3倍くらいの速度で視聴でき、内容についても殆ど理解できるくらいになることは、矢張り楽しい。
 自分勝手な理屈だということは、十分理解しながらも、ある意味「脳の活性化」ということにも通じているのではないか、と思っている。
 かつて、父が「今の漫才は話し方が早くて理解できない」と言った時、「それについて行けることが大事なことなんだよ」という会話をしたことを今更ながらに思い出す。
 決して漫才や、話が飛んでも構わない「どうでもいい番組」ばかりでなく、まるで違う分野の放送大学の講座についても、これで対応している。
 試験を受ける訳でもないので、気楽なのだが、それなりに「理解しよう」と思いながら見ているので、ある程度脳細胞が働いているのではないだろうか。
 前述のとおり、すべての機器でこれが可能な訳ではないだろうが、気軽な番組から速視聴を試して、まずは言っていることを確実に理解するという脳の活性化を楽しんで見られたらどうだろうか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :12 | 健康 | コメント(0 )

2012 年12 月17 日

臨時休業

 近所に不幸があり、そのお手伝いなどで今日は臨時休業とさせていただきます。
 また、年末年始は、22日から1月6日までお休みをいただきます。
 勝手で済みませんが、なにとぞ諦めないで来年もお付き合いください。

投稿者:つねちゃん
at 08 :41 | 日記 | コメント(0 )

2012 年12 月14 日

独自の匂い

 暫く使っていなくて、自分では「黴臭い」と思っていた部屋を使うことになり、暫く香り線香を焚いていた。
 目的としては、「良い匂いをさせて快適な空間を」というよりも、あくまでも「黴臭さ」消臭だった。 
 襖で仕切った隣接の部屋は孫が使っていたのだが、その部屋は最初喜んで使っていたのだが、「変な臭いがする」ということで敬遠されているとのことで、気が付いたら線香の匂いだった。
 匂いということでいろいろな場所を思い出すのだが、一番「えっ、違うなぁ」と思ったのは、最初の米国出張で、フォートワースという空港へ降りた時だった。
 正直、今まであまり嗅いだ匂いでなかったのである。
 かといって、嫌な臭いではないのだが、それだけで「異国へ来た」という気持ちになったことは事実であった。
 尤も、空港を出るときにはすっかり慣れてしまっていて、最初のビジネスミィーティングでは、全く気にならない状態だった。
 それにしても、確かに「出張」なのだから、仕事であるが、わたし以外は一緒に行った5人すべてが「時差ボケ」だったのに、相手の会社の製品紹介と質疑応答だった。
 通訳者はいたので、仕事上のトラブルはなかったものの、改めて「凄いなぁ」と思ったものだった。
 話を元に戻して、日本では京都の和風ホテルに泊まった時、北陸でも加賀温泉のホテルに泊まった時など「一見客」だけれど、匂いに身を委ねられたことか一つの快感だった。
 今は「嫌な臭い」と思っている孫たちも、その内には自分の好きな匂いに身を委ねることがあるだろう。
 時々行った金沢の東茶屋街にあった、スナックの匂いがほんのりで好きだった。
 今後も、私なりに独自の匂いを醸してゆきたいと思っている。
 決して他人様に「嫌な臭い」と感じさせないように、「仄かな」を基本として。

投稿者:つねちゃん
at 08 :54 | 健康 | コメント(0 )

2012 年12 月13 日

「和して同ぜず」

 必ずしも、選挙ネタではないが、先日立て続けに二度そう感じたことに遭遇した。
 一つは、以前何かの会で大勢で議論しただけの人が、さも知己の如くに近づいてこられて、いきなり今度の選挙の話題をぶつけてこられた。
 素性はまるっきり知らないのだが、どうも過去にガッコ(「学校の」と書く気はそれなりに何か良い所を見つけて尊敬を感じる場合だが、こう書くときは、私なりの蔑称である)の先生をなさっているような話し方に、端から気に入らなかった人物である。
 それが、自論を滔々とまくし立てられるのだから、ますます気が滅入ってしまう。
 かつては、仕事上のお客様の場合以外は、即座に「あなたと私は考え方が違うようですから」と相手の気分を害そうがなにしようが議論を打ち切った。
 昔はそうだったけれど、今ではそうしないように、努めてはいるが「これは正論である」ということをまくし立てられると、腹が立ってくる。
 もう一つは、ささやかな趣味世界の話で、上記とは真反対と言っていいようなことで、こちらはすこぶる気分が良かった。
 アマチュア無線という趣味という世界では同じなのだが、所謂「ハンター」である彼が、私の「世間話(ラグチュー)派」のことも慮って話してくれたのである。
 表題は、ご存じの通り「論語」の中の言葉だが、「言うは易く、行うは難し」で、「論語読みの論語知らず」とよく言われることである。
 かつては、私自身が相手の感情を無視してそんな態度をとっていたのかもしれないが、これからは十分に注意しようと思わされることだった。
 あっ、だから常にそうできるとは思わないでくださいね。
 あくまでも「注意しよう」という心掛けだけだから。  ( ^)o(^ )

投稿者:つねちゃん
at 06 :58 | 健康 | コメント(0 )

2012 年12 月12 日

自分の体の記録

 以前にこのブログにも書いたが、「治験対象者」ということで、約1年間血糖値を測定する義務に追われた。
 決して嫌なことではなく、自分の身体を知るということが、報奨金付きでやれるのだから、何だか申し訳ないような事態だった。
 それも10月で終わり、その後は残っていた道具を使って継続して測定していた。
 最初は引き続き血糖値だけだったのだが病院では血圧も測るので、それではということで、古い血圧計を使って、3度の平均値を図ることにした。
 また、体重も大切なバロメーターだということで、脱衣室に置いておいたものが私以外は使わないようで、埃だらけになっており、電池も切れてしまっていたので、部屋に持ってきて、電池もしっかり入れ替えて起き掛けに測定することにした。
 また、ただ測っているだけでは、あまり意味もないので、得意のExcelに記録することで、グラフ化してビジュアルに視覚に訴えることにした。
 こうなると、矢張り色々な気付きが起こる。
 さりとて、すぐに何かしようということではなく、現在はその内から何にピンを合わせて改善しようかとのんびり構えている。
 こんなことは焦ってやってみても、虻蜂取らずになるし、長続きはしないことは自分が一番よく知っているのである。
 まぁ、冬の間はこの「自分ウォッチング」を続けて、春先までにピントを合わせる項目と改善する対策を考えたいと思っている。
 でも、「自分ウォッチング」はそれなりに大切だと思うようになってきているのは、一つの成長だろうと遅ればせながら思っていることは、無駄ではあるまい。
 細くてもいい、長く無理なく続けられることにしてゆこう。

投稿者:つねちゃん
at 06 :06 | 健康 | コメント(0 )

2012 年12 月11 日

小沢昭一さんが亡くなった

 元来、というと言葉がおかしいかも知れないが、私は「お芝居」というものが好きではない方だと思っている。
 ところが、確か杉並の単身寮に住んでいた時、近くの吉祥寺へ出かけたときに、何となくフラフラと入った劇場で芝居を観た。
 その時に主演かどうかは判らないけれど、出演されていたのが、小沢昭一さんだった。
 その前後に、「エロ事師」という映画は本来の助平根性丸出しで積極的に観に行ったことがあるので、その語り口や声ははっきりと覚えているほど好きなものだったので、すぐに分かった。
 とはいうものの、芸能人や芸人・役者さん付き合うなどという経験はないし、そのきっかけなどは全くなかった。
 そんなある日、渋谷の駅前、ご存じ「ハチ公前」(今では場所も変わったと聞くが)でベンチというより、生け垣の縁に座ってタバコを吸っていたのだが、その煙草を捨てようと足もとに捨てて踏みつぶそうとしていた時に「こちらへどうぞ」とばかりに確か新聞紙を濡らしたものを受け皿の様にして差し出した隣の小父さんがおられた。
 その時は、恐縮して拾ってその皿に乗せたのだが、丁度待ち人来たりで、会釈して顔を見たときに、まぎれもないその人だったのであった。
 それが判ってからどういう対応をしたかは忘れてしまったが、兎も角恐縮極まれり、という気持ちだったことだけは覚えている。
 それからは、タバコの吸い殻は決して道に捨てることがないようになった。
 その後、ずいぶん経ってから、銀座の目抜き通りをリュックの様なものを背負って、飄々と景色を見ながら歩いている姿を見たことある。
 ラジオ番組「小沢昭一的心」を長いこと聴かせていただいたが、ほとんどの場合「そうだ、そうだ」と共感することだった。
 長い間、お疲れ様でした。
 向こうで、森光子さんや渥美清さんなどと「小沢昭一的心」で楽しく談笑していただくことを祈っております。
 合掌。

投稿者:つねちゃん
at 08 :06 | 日記 | コメント(0 )

2012 年12 月10 日

ソロソロ過去の恥部を隠してゆきたい

 齢65歳は、現在ではさほど「高齢者」には当たらないし、自分自身でも特別そのような感じがしないのも実感である。
 とはいえ、確実に日一日と年齢を重ねてゆき、老齢化の道を辿っていることは事実である。
 だから、いつ何時突然にお迎えが来るかもしれないのは、諺通りに「まだ早い」と追い返すことが幾度かは出来たとしても、そんなに何度も使えることでもあるまい。
 その時になって、レ・ミゼラブル、とか「嗚呼、無常」と嘆いても、もはや手遅れでしかないので、今思うことができる幸せを感じながら、過去の「恥部」を「隠す」か「証拠隠滅」を図ってゆきたいと思っている。
 さりとて、さほど悪をやってきた訳ではないし、勿論重犯罪などには手を染めていないだろうと思うので、せいぜいあって軽犯罪くらいだろうと思っている。
 そんなことを思いついたのは、先日古いデジタル情報を、処分しようとして見返していた時だった。
 一般の人からすれば、仕事の関係もあって、かなり早くからインターネットを自宅でもできるようにしていた。
 勿論、単身赴任時代も、ある協力会社からの勧めでPCを借りて、情報検索をして、仕事に有効に役立てていた。
 そんな中、何かの拍子で、エロ情報のバナーに出会った。
 そうなると、単身赴任という状況下でもあったから、有料サイトには十分に注意しながらも、かなり自由に検索していた。
 勿論、日本ではその手の情報は「公然〇〇物陳列罪」という法で罰せられるものであり、当時から現在その範囲が厳しくなっているという事実も知っている。
 早速にCD自体も破壊して、少なくともそのもの自体はこの世から破棄されたのだが、どこにコピーが残っているか今から慎重に整理していかなければならず、これが一つの「恥部」である。
 でも、そう考えていろいろ探していると、なにもこの類ばかりでなく、恥部があるのではないかと、思い当たることもありそうだ。
 懐かしく、楽しくもあるのだが、いつお迎えが来ても、後顧に憂いがないようにしたいと思うばかりである。

投稿者:つねちゃん
at 06 :46 | 日記 | コメント(0 )

2012 年12 月7 日

最後の選挙ネタ

 今回の選挙前についてのネタはこれで終わりにしたいと思っている。
 今後この手のネタにするは、選挙後になるだろうが、米国の選挙のようにハネムーン期間として数か月は触れないで「お手並み拝見」としたい。
 で、今回は、やっぱり「人の言うことは聞いてみよう」でしょうなぁ。
 別に議論などしなくていいし、そんなことをしたら疲れてしまうから、僕はやらない。
 ある党の人が来て「こんな課題がある」と話しかけられたので、「それはあなたの考えでしょう」とそっけなく答えてお引き取り戴いた。
 自論で相手を説得しようと話しかけられたのだろうが、こちらには毛頭そんな気がないし、話しかける以上、それについていろいろと学習されているのだろうが、こちらとしてはまさに「寝耳に水」である。
 だから、まともに応答しようとしても、勝ち目はないので、宮本武蔵の「五輪の書」ではないが、「戦わないのが負けないコツ」である。
 でも、公党や演説会などでの話は、やはり素直な気持ちで、自分なりに「これについてはこう思う」という論点を幾つか持ち、そのうちの一つか二つについて学習しているだけの知識で疑問をぶつければいいのではないだろうか。
 「あの人の」「あの党の」意見など聞く気になれない。
 それもある意味当たっているだろう。
 「以前にあんな嘘をついたから、眉唾で聞く気にならない」というのも、ある意味説得力のあるものであろう。
 しかしながら、無視されたり、結果として「嘘」になったのだとしても、やはり自分が立候補しないのであれば、よく聞いて選ぶしかないのだから、自分なりに「よく聞いて」「判断して」投票すべきだろう。
 だから「棄権した」は逃げているだけで何の解決にもならない、と思うのだが。

投稿者:つねちゃん
at 08 :14 | 政治への注文 | コメント(0 )

2012 年12 月6 日

悪乗りだろうが

 昨日に引き続いて、選挙話題になってしまって、まことに「悪乗り」と言われてもしようがないが、この分だと明日も関連話題で、今週を締めくくることにしようと思っている。
 ということは、別のテーマのネタ貯金はあるが、明日の分は現時点でない、ということである。
 今回の選挙にあたって、裁判上は「違憲状態」とあるのに、ほとんどの政党が「二の次、三の次」的な扱いでしかない。
 「一票の格差」が論議されると思っていたら、各党ともにまったくと言っていいほど俎上に上がっていないようだ。
 どこも「今回だけは火をつけたくない」と思っているのだろう。
 なんともこれで「国政を論ずる」人たちなのだろうか。
 と、いうことはともかくとして、私は「重さ」を、人口だけで議論するのではなく、投票率も加味して議論すべきだと思っている。
 大都会に象徴される人口過密地域と高齢化率が高い人口過疎地域で「人の数」だけで「重さ」を論じているのは、「過疎地はほっておけ」とでも言いたいかの如くではないだろうか。
 今回の有権者数でいえば、約2.5倍の格差があるというが、投票率が2.5倍過疎地で上がったら、実質的な「重さ」というものはどのように判断するのだろうか。
 課題はこれだけではないことは、素人ながら理解はできるつもりだが、それにしても、人口過密地域の我田引水の論理には、素直に納得できない。
 本当に「重さ」を引き上げたいのであれば、過疎地に居住して、選挙権を確保し、自分が信ずる人を当選させればいいではないか。
 これを漫然と見過ごしているのであれば、都会人のため選挙制度でしかなくなってしまう恐れが大きくってしまう。

投稿者:つねちゃん
at 08 :39 | 政治への注文 | コメント(0 )

2012 年12 月5 日

どうしても選挙ネタになってしまう

 何時ものことだが、選挙の公示がある前から、マスコミ報道は過剰気味にフィーバーしてしまう。
 なるべくなら、そんな波に乗らないようにしようと思ってはいるのだが、やはり凡人ゆえに煽られてしまっているのが現実である。
 このブログ以外に新聞投稿も気が付いたらしているのだが、選挙ネタで2回も採用されている。本心は誠に嬉しいのだが。
 そうなると、このブログネタもどうしてもそちらよりになってしまうのを、是非ともご勘弁願いたい。
 ということだが、決して特定の政党支持や非難をすることはないようにしたいと思っている。
 非難めいたことを言っているとしたら、それは多分複数の政党に対してであり、場合によっては全ての政党に対するものであると思っている。
 勿論、だからと言って支持政党がない訳ではない。
 それにしても、今回の様に12党も出現してくると、確かに選択に迷うわなぁ。
 基本的には、政党を選ぶよりも、候補者を選ぶことの方が大事だと思っているのだが、比例代表制度だと、仕方なく「より自分に近い考えを表明し、それが自分として『現実的か』という判断をして選ぶ」ということになるしかない。
 その結果で、勢力図がどのように変わったとしても、それはそれで受け入れるべきなのだろう。
 それよりも何よりも、近いうちに投稿しようと思っているのだが、マスコミだけでなく全ての施設や会社で「投票してきた」人に対する「優遇措置」をとって、投票率を押し上げることがまずもってするべきことなのだと、言う趣旨を。

投稿者:つねちゃん
at 08 :40 | 政治への注文 | コメント(0 )

2012 年12 月4 日

自分は何?

 愈々本格的な選挙戦が始まりましたね。
 前哨戦と思っていた人もいらっしゃるでしょうが、大体は本格的に始まるこの時期は、実質的には「終盤戦」ということになるのですが、今回だけはまさに「雨後の筍」の如く少数党の乱立というところで、まだまだ予断は許されないようです。
 ところで、選挙では「国民のため」とか「人々のため」とか、各党が叫んでいらっしゃいます。
 その党の目標とされいる「国民」とは、果たしてどんな人が対象になっているのだろうか。
 また、同様に、「人々」という中に自分が入っているのだろうか、ということに気が付かないだろうか。
 私自身は必ずしも増税反対ではなく、本当に無駄なく使っているという前提のもとに、必要なものは国民全体で支えなければならなと思うし、原発にしたところで、現時点で代替エネルギーによる補償が必ずしも見通せていないのだから、包み隠さず判り難いことを判り易く知らしめるという前提で賛成である。
 議員定数削減や一票の重み論争について、人口だけでなく、投票率をも考えあわせての議論が必要だろう。
 何を言っても「蟷螂の斧」でしかないが、ことほど左様に1人の中にもいろいろな人間性や意見があるのである。
 だから、一括りで「国民」とか「人々」というようや言い方ではなく、「このような人にはこう考える」というような施策を示してほしいものである。
 何もかにも「曖昧模糊」や「玉虫色」な言い方では、それこそ「国民」や「人々」を「煙に巻く」という意味だとしか思えない。

投稿者:つねちゃん
at 08 :10 | 健康 | コメント(0 )

2012 年12 月3 日

バスに揺られて

 師走に入って、まさに忘年会シーズンである。
 先日、今年最初の忘年会(名前は研修会、となっているのだが)があり、参加した。
 場所はこれで3度目の所なのだが、これまではいろいろな都合で、自分の車で出かけていた。
 今回は、宿からの送迎バスに皆と賑やかに話しながら乗り込んだ。
 話も楽しかったのだが、今まではのんびりと窓外の景色を楽しむことなどできなかったのが、今回はどれだけよそ見してもいいのだから、それ以上に楽しかった。
 家内の助手席ナビで何度か通った道ではあるのだが、それでもなお目新しい景色や光景に出合えるのである。
 また、運転手の方が、気を利かせてくださったのかどうか定かではないが、大筋は以前と同じなのだが、細かいところで明らかに以前通った道と違った道を辿っているのである。
 隣県なので、そんなに大きく変化することはないのだが、それでも私には十分に目の保養になった。
 仲間内には、地元に詳しい人もいて、その人の話も、「へぇー、そうなんだ」「ふぅーん、なるほど」というようなことで楽しさを盛り上げてくれた。
 以前にも書いたが、旅行では、アナログ的なレンタカー利用も楽しいが、適度な揺れに身を任せて、楽しい解説をしてくださる、ガイドさん案内に耳を委ねながらの旅も楽しいことである。
 来年の旅は、窮屈で忙しくない程度に観光バスを利用して行ってみたいものである。
 尤も、あまり行ったことのない所だと「真剣に見なければ」という貧乏人根性が出て、中々そうもならないだろうことは、知っているのだが。

投稿者:つねちゃん
at 09 :35 | 健康 | コメント(0 )

<< 2012/11 | メイン | 2013/01 >>
このページのトップへ