「鮑熨斗」
この噺も「知ったかぶり」なのだが、「薬缶」などと違って「付け焼刃」のたぐいである。
「磯の鮑の片思い」と言う言葉も、熨斗鮑の由来もこの噺で初めて知った。
知ったかぶりだけでは面白くないので、この噺だけではなく、今じゃほとんど忘れてしまったが、当時はそれなりに関連する祝いのしきたりなどを読み漁ったものである。
香典やお祝いの封筒の折り方、水引の結び方とその意味など。
でも、所詮は「付け焼刃の知ったかぶり」だったようで、今でもいくつかの「顔から火」の思いがある。
この手の噺は演者の巧みさもさることながら、一度本で読んでみられることをお勧めする。
「落語家の言うことなんか信用しちゃいけませんよ」と言う台詞は、それこそ「話半分」で半分は信用すべき内容が含まれていて、この言葉が出るときには、結構的を得ているように思う。
落語のテーマはこれでおしまいだが、とてもすべてを紹介する訳にはいかないから、図書館などで「全集」を一度ご覧になることをお勧めする。
それの中の一節を使うことで、会議などが和やかになることがある。
私が好んで使ったのは「どうか辛辣な意見を、オオット、真剣なでした、ちょっと新任で上がって居まして」と言う台詞である。
最初から「真剣な」と言えば、とても辛辣な意見は出てこなく、シャンシャン会議で終わってしまうことだったろう。
来月のテーマは、役に立つかどうかわからないけれど「私のボケ防止」と言うことになる、継続してお付き合いいただけると幸いである。
投稿者:つねちゃん
at 12 :12
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「三方一両損」
先に上方の奉行の知恵でも少しふれたが、そのほとんどが「作り話」で、この人に当てはめただけと言うことが、分かっていても、やっぱり昔から「遠山の金さん」で小説や舞台ばかりでなく、浪曲や映画でも幾度となくお目に掛かったりしたヒーローである。
そんな中でも、この噺が一番好きである。
今の裁判官諸氏にそれを求めることは無理を通り越して、不可能だろうと思うからこそでもあろうか。
勿論、裁きを受ける庶民の粋も同様に「非現実的」となるだろうから、一概に「お上」ばかりを論ってみてもしようがないことは承知してはいるのだが。
三両を落とした江戸っ子職人、それを拾った江戸っ子、それを裁くお奉行様である。
これと似通った話が、外国にあるのをご存じだろうか。親の遺産のラクダを3兄弟で分ける話である。
長兄は1/2、次が1/3そして末っ子が1/9で17頭のラクダを分けよ、と言う遺言である。
1/2+1/3+1/9で18/2+18/3+18/9となり、9+6+2で17になるのだが。
物事を平和裏に収める場合は、やはり何かの「コツ」がいるものである、と言うことを私は教えてもらったようになる話である。
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投稿者:つねちゃん
at 09 :15
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「あくび指南」
正直なところ、随分昔にはなるが、この噺を聞いたときに「なんともつまらない噺だなぁ」と思ったものである。
何人かの演者によるものを聞いたけれど、面白さが全く分からなかった。
ところが、ある時にやっぱり面白くなくて「あくび」が出てしまって、気が付いた。
桂枝雀師匠の論理ではないが、「緊張の緩和」であろうか。
「面白かろう」「こんども面白く無かろう」と推測を持ちながら聞いていて、たまたま番組(この噺を生で聞いたことはないが)の都合で、「聞くハメ」になった時にそんな気持ちに陥るのである。
それ以来「なんかホンワリとした感じが良いなぁ」と思っている時に聴くと、なんとも気持ちが良く、自然とあくびが出てしまう。
それを笑っている自分がいるのに気が付くと、より一層面白さが分かるというものである。
さて、なんとなくあくびが出た時に、この噺を思い出して、今のはどんな種類のあくびだったのだろうか、などと自問してみると、より一層面白く感じられるのは、私だけではないと思う。
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投稿者:つねちゃん
at 06 :44
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「狸賽」
この噺を聞いて、すぐに思い出すのが、正確な題名は思い出せないが、ヒッチコックの「天国」と言う物語である。
それは後で書くとして、この噺の演者はTVだから、必ずしも「生」という訳ではないけれど、先代の小さん師匠が、私としては秀逸だと思っている。
然程長い噺ではないから、オチはたぶん全ての人がご存じだろう。
尤も、つい最近聞いた若い人のオチが、正直あまり面白くなかったせいか、小さん師匠のオチとどうしても比べてしまうせいか、違っていたことまでは覚えているが、具体的なオチは覚えていない。
恩を受けた狸が、恩返しにお札に化けたりしたが、最後は「賽子(サイコロ)」に化けて、希望の目を出すのだが、具体的な目の数を言うことを禁じられて、「天神様」と言う符丁を使うのだが、予め教えられていない狸は「笏を持って構えている」という所で、扇子で顔を隠していた小さん師匠が、あの顔を狸そっくりにして作っておしまい、と言うものだ。 その顔が今でも鮮明に思い出し、変なところで思い出し笑いしてしまうこともある。
ちなみに、冒頭で述べたヒッチコックの作品のあらすじは、少し違うという指摘はあるだろうが「なんでもその通りに叶ってしまう男」の物語である。
人には自然に聞こえることだが、叶える神様にとっては、一種の符丁のように聞こえてしまう、という所が、私の感覚でつながるところである。
符丁で無く、誰でも同じ感覚で分かってもらえるように言行を注意したいものである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :33
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「千早ふる」
これも「知ったかぶり」の典型的な噺である。
ここまで書いてきて、どうも自分の本性にようやく気が付いたような気がする。
リタイアしてもう10年を超すし、「通信の秘密」以外の大概のことは「時効」となるだろうから、気負わずに有りが儘に開陳しても差し支えないだろう。
官公社という所に勤めており、田舎の工業高校卒で、企業内研修所を卒業したので、当時で言う「1号奉」の昇給がなされ、人事上も「準急」と言うようなスピードに乗った。
地元経験を3年経て、本社勤務、周りには有名・無名の大学卒が、ウヨウヨいる。
最初はそれだけで「引け目」を感じていたが、どうも違うことに気が付いた。
こちらは小さいとはいえ、一つのシステムをカットオーバーさせた経験者なので、そんな耳目で見聞きすると、どうも「学歴」ばかりで「議論好き」、結論を求めるよりも「自分の権威を妨げられることのないように」が先走っていた。
それならそれでこちらは恐れるものはないのだから、精一杯「やんちゃ」をしてやろうと構え、「知ったかぶり」や「権威の亡者」には徹底的に楯突いた。
それが、この手の噺に傾倒した所以なのだろう。
でも、いつか自分も「知ったかぶり」をしていることに気が付いて、ヤケ酒で反省したことも数限りない。
今でも思い出すと冷や汗が出る。
論語に曰く「習わざることを伝えしか」。
毎日が「習う」の連続。それが楽しい。
投稿者:つねちゃん
at 08 :17
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「二番煎じ」
最近はめっきり弱くなったが、もともとお酒大好き人間である。
先日も娘家族の誘いで、これで3度目になるが「新潟酒の陣」へ行ってきた。
試飲なので、各種約10ml位を参加証代わりのお猪口に注いで下さるのだが、何しろ500銘柄の酒造が各々濁り、純米、吟醸や大吟醸などの種類を出されているのだから、確か60種類くらいまでは数えていたが、後は「矢でも鉄砲でももってこい」と言うような気持ちで次々に試飲して回ったので、多分100種類くらいは飲んだのではなかろうか。 1000mlだから、正味6合位は飲んだのではないだろうか。
まだ飲める、位である。(これが一番悪い、のを承知しているのだから始末が悪い)
話を本題に戻して、火の番小屋に集まった町の旦那衆が、体を温める煎じ薬として、般若湯を用意しているところへ見回りの同心が回ってきて、すっかり空けてしまってから、無くなると「拙者今一度待ち回りをしてくるから、二番を煎じておけ」と言う噺である。
酒飲みとしては、笑いながらも、自分も似たようなことをしていないかと思わずあたりを見回してみる噺である。
酒飲みとは、なんともいじましく、可愛い者である、と自分を思いながら。
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投稿者:つねちゃん
at 09 :37
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「淀五郎」
この噺は、比較的最近(と言っても退職少し前だから、もう10年以上も前である)好きになった噺である。
この中で一番好きな部分は、指導する仲蔵が、じっと(と言うよりも、台詞はないが、いろいろな仕種でその為りを)見ているところである。
突然割り当てられた大役に有頂天になって精一杯演じるが、師匠格の相手が全く相手にしない。
自棄になってかつて世話になった仲蔵の処へ「(冥土への)暇乞い」に行って諭される場面である。
在職中、本社へ転勤になったのだが、人事の都合上、前任者がまだ転出していない。
従って、無任所課長である。
「何をすればいいのですか」と聞きに行くと「何か探して」と言われる。
勿論部下などいない(前任者が握っている)。
淀五郎と同じように「自分で考えろ」と言われている自分を重ね合わせてみる気持である。
残念ながら直接仲蔵のような人には巡り会えなかった。
これからは自慢話めくが、気を取り直して「自分の好きなことをやればいいのだ」と今までとは全く違う分野だっけれど、その分物怖じせずに色々なところへ聴きに回った。
所属こそオーバーヘッド部門だったが、特に「スパイ」と言うような目で見られることもなく(その後はそんな目で見られることが多かった)みんな親切に教えてくださったのが、みんなが仲蔵だったのだろう。
この噺はそんな背景があるので、途中どうしても涙が込み上げてくる話である。
投稿者:つねちゃん
at 09 :13
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「疝気の虫」
この噺は、単純に笑える話で、薄っすらとではあるが、エロチックな匂いも醸している。
随分昔に「小児疫痢」を患い、生死を分けていたことがあった。
祖母に少し看護婦の知識があって役に立ったと聞いているが、とにかく「長男」と言うことで、両親を含めて夜中中駆けずり回って対処してくれたとのことである。
そのことだけで、正直反抗期はあったが、両親をはじめとして感謝頻りである。
それ以来、若い時は「病気知らず」で過ごしてきた。
還暦もだいぶん過ぎて、年相応にメタボリックと言う状況になり、一病息災と嘯いているが、疝気に限らず、病気の元が「こうやったら治るよ」と言う指導をしてくれると、ある意味信用するのではないだろうか。
尤も、「酒を止めれば、メタボリックは治るよ」と言われたら果たしてどうするだろうか、まったく自信がないのだが。
この噺のオチは隠れ家を探し回って終わるのだが、果たしてあの虫たちはどこへ行ったのやら、考え出すと夜も寝られない、と言う漫才があったが。
投稿者:つねちゃん
at 08 :21
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「ちりとてちん」「酢豆腐」
この噺のオチは、正直良く分からない。
いやいや、分類的には「考えオチ」だというのは、ずいぶん以前に学習して知っているのだが、果たして「落語のオチ」として適切なのかどうかが分からないのである。
仕掛けた方としては「してやったり」と言うことで溜飲が下がるのだろうが、私の勝手な「落語考」では、仕掛けた方も仕掛けられた方も、それを聞いている我々も「クスリ」とするものだと思っているのである。
さはともあれ、この噺には恥ずかしい思いと、してやったりと言う思いがある。
してやったり、と言うのは、この噺の通りで「知ったかぶり」を揶揄して嘲笑った時で、何度かある。
恥ずかしかったのは、ウィルス対策の責任者をしていた時に、デマをそのまま信じて吹聴した時だった。
その両方を思い出す時に「知ったかぶりは責めるのではなく『もう一度確かめて』」と言うように諭すことだと肝に銘じた。
STAPも色々なことも、攻める側は得意気だが、それを未然に防げなかった自分らの責任をどのように考えているのだろう。
投稿者:つねちゃん
at 09 :58
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「佐々木裁き」
「三方一両損」とか、「子争い」などの大岡越前守になぞらえた落語はかなり多く、かなり知られている。
勿論それも好きな噺だけれども、上方の噺ではこれが秀逸だと思っている。
ネットでもいろいろの演者が演じているので、ぜひとも一度お聴きになって頂きたい。
ここには、少し穿った見方をするならば、訴人を見下ろして「上から目線」で裁判する役人を揶揄していることも見える。
それが批判されると、裁判員制度と言う、給料だけは破格をもらっているのに、無理やり選ばれた人にはパートにも当たらないほどの時間給で責任の一端を負わせられるのでは、どうにも合点がいかない。
まさに現在にも適用することである。
演者にもよろうが、一休禅師の「とんち話」に出てくるものも交じっているところも面白い。
「さぁ、どうぞ屏風から虎を追い出してください、見事捕えてみますから」と言うものである。
何度か言ったが、在職中、品質管理者として常に肝に銘じていたことである。
理論は正しいが、それが現実問題として解決できるものかどうか、をよく考えて発言すべきものだった。
今思い出しても、冷や汗が出る。
諸姉・諸兄には思い当たられることがないであろうか。
投稿者:つねちゃん
at 09 :37
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「めかうま」「八五郎出世」
これは純粋に「面白い」と思う噺で、感銘と言うものではないが、仄々とする話で、いつどんな時に聴いても嬉しい。
八五郎、三太夫、殿様との会話のやり取り、「お殿様っているのは不便なものだねぇ」と八五郎が言ったり、都都逸の一つも知らないのか、合いの手もうまく入れられないじゃないか、と言う啖呵も楽しい。
私はやはり「お酒飲む人 花なら蕾 今日もさけさけ 明日もさけ」「この酒を 止めちゃ嫌だよ 酔わせておくれ まさか素面じゃ 言いにくい」。
都都逸や川柳と言うのは、味わうのは好きだが、残念ながら「作る」だけの素養が全くと言っていいほどない。
そういえば、園芸高校に通っていた時にある先生が「五・七・五」ではなく、「五・五・五」で作ってみてはどうかと言う出題をされた。
残念ながら、ここでもうまく作れたためしはない。
「入れておくれよ 痒くてならぬ 私一人が 蚊帳の外」と言うのは場所が違うか。
勿論これも古人が作ったものである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :00
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「代書屋」
これは、私の分類では、古典に入らないだろうと思っていたが、やはりそうで、桂米朝氏の作だと聞いたことがある。
あれだけ『やろうと思ったけれどやらなかった』で「前文末梢」を繰り返してハンコを押しては、もう履歴書としては体を為さないのではないだろうか、と言う心配が付きまとって毎度聴いていた話である。
でも、確かに「履歴書」と言うものは難しい。
私が会社に入った時にも書いたが、3通目でようやく「これで良いだろう」位に書けたものだった。
そして、研修所へ入る時にも、書かされたが、頓珍漢なことを書いているのを口頭試問の時に指摘されてしまった。
「嗜好」の欄に「ハム」とあるけれど、どうやって食べるのが好きなの、と聞かれた。
この場合のハムは「アマチュア無線」のことで、これが好きなら通信会社に在する者として、変な指摘はされないだろうと思って書いたことだったので、何と答えたか覚えていないが、頭に血が上り、出た途端に「あぁこれで不合格だ」と思ったことである。
勿論受かったから現在の自分があるのだが。
「前文末梢」と答えたかったなぁ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :22
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「小言幸兵衛」
この言葉は、一時期私が部下からつけられた渾名でもあった。
以前のブログでも何度か紹介した記憶があるが、品質管理と言う仕事をしていると、一つの職業病のように「こんなことぐらい何故出来ないのだ」と言う思いが沸々と湧いてくる。 それが「小言」として口から出せるときはまだいいのである。
それができずに、「モノ言わざるは腹膨るるが如し」で、精神的に病んだ人間を何人か知っている。
私は幸いにしてそのようなことにはならなかったのは「モノを言った」からであろう。
勿論たくさん恨まれた。
でも、当時の部下が良くしてくれたのは、事前に資料などを見て「これはこう指摘されるよ」と言うことを伝えてくれたことだった。
だから、私の「小言」は空振りになってばかりだったのだが、それで全体として品質に関する考え方が浸透していった(勿論劇的な成果という訳ではないが)ことは今でも自負している。
部下に小言を言っておけば、それがちゃんと伝わるのが目的だったから、それで良いのである。
あの時の「小言」は確かCDに収めておいたはずだが。
「仕様がない」「その内に良くなる」では決して良くならないし、その席自体が「腰掛」と言われることだろう。
この落語、結構ためになると思いますよ。
投稿者:つねちゃん
at 07 :30
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「バレ話」
会社の研修所にいた時の部長が「フランス小噺」として宴会のたびに数分間余興として話された。
それまで、落語はそんなに真剣に聴く方ではなかったが、フランス小噺から落語にのめりこんでいったというのが本当かもしれない。
その時のフランス小噺で、今では誰も同調したり笑ったりしてくれないが大好きなものに、次のものがある。
父親と息子が立ちションをしている時、父親が「なんだ情けない、俺が子供の頃は手を添えたことなどなかったぞ」と言うのに対して息子の答えが「添えていないと顔にかかるんだもの」という話である。
バレ話は当然現在のラジオやTVでは演じられないし、寄席に行っても滅多なことでは聴くことができず、本で読むしかないのだが、上記のように研修所時代には、浅草だったかどこだったか忘れた寄席で、そんな噺ばかりやっていた時に出くわした。
正直わら半紙のエロ本を読んでいるよりも面白かった。
投稿者:つねちゃん
at 06 :36
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「火焔太鼓」
この噺は、かなり昔になるが、TVでリアルタイムの放送で(録画だったろうとは思うが)志ん生の噺で視聴した。
あのなんとも言えない「江戸訛り」で話されることが、妙に気に入ったものである。
「おじゃん」と言う言葉は方言だと勘違いしていたこともこの噺で標準語(東京言葉)なのだと知った。
なかなかうまくいかない商売だが、本人としてはそれなりにしっかりとやっているつもりなのが、心に残る。
こんなことは、実経験でも大概の人が実感しているのではないだろうか。
自分を第三者的に見た場合もそうだが、ひょっとして、人を責めている時にも「むしろ俺の方が間違った指摘をしているのではないだろうか」と言うようなことを含めて、私は何度か体験して、その都度議論して納得してもらった。
勿論「喧嘩別れ」もあったが、幸いだったのは、一人を除いて鉄のカーテンを引くことはなかったと思っている。
でも、これに似た噺で「はてなの茶碗」は正直あんまり好きではない。
投稿者:つねちゃん
at 09 :32
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「死神」
この噺は、何度聞いても、正直なところ「怖い」話である。
自分でも、どうしようもなくなったら上下逆様にするような浅知恵を出すのではないかと言う怖さである。
実は最近変な眩暈がすることがあり、もう3日間ほど薬を飲んでいれば治まるということで、だいぶん現在は頻度が少なくなっているのだが、酷い時にも「どうか足元に居てほしい」と願うくらいの怖さである。
これの聴き所は、たぶん皆さん同じだろうが、別の蝋燭に火を転ずるところだろう。
びくびくし乍ら、手が震えながらと言うところは、むしろ演者の姿が見えない方が怖さを感じてしまうところだろう。
でも、最高の面白さは、オチであろう。
演者によるのではなく、同じ演者がその時に応じて違ったオチにするところが「意外性」と言うことで、楽しい。
私の一番怖い落ちは、言わない。
投稿者:つねちゃん
at 08 :27
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「文七元結」
正直者と短気者が綾なす話で、これも大好きな噺の一つである。
演者によって力の入れどころがそれぞれあるのだろうが、例によって個人的な興味は、無くして身投げしようとしている者に、娘が身売りをしたなけなしのお金をくれてやる、と言うところの心の葛藤である。
それをどんな言葉で(残念ながらTVでもこの噺は見たことが無かった)ので、身振り手振りが分からず、想像するしかないのだが、「悔しいけれど、見逃せない、いったい自分はどうすればいいんだろう」と言うところで、「見えない」から自分勝手に「この演者ならこんな振りをするのではないか」と思うところが楽しい。
でも、やはり最後はハッピーエンドがなんとも楽しい。
投稿者:つねちゃん
at 07 :52
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「紺屋高尾」
「こんやたかお」ではなく、やはりここは「こうやたかお」と読んでほしい。
諺にも「紺屋の明後日」ということがあるように「今夜の明後日」では字で書けば間違いがないだろうけれど、意味が分からなくなるだろう。
紺屋の職人がわずかな給金を3年間貯めて、花魁に会いに行く。
この噺で一番興味深いのは、演者が花魁と職人の初会の様子をどのように表現するかが一つであろうか。
また「いつ来てくんなます」を言うタイミングから打ち明け話をするまでも、演者によっていろいろと違ってくるが、これが最も大事なところだと私は思っている。
そして、職人が店へ戻ってから「譫言の様に」年明けを待つ様子。
そしてほとんどの演者が最後に付け加える「傾城に誠なしとはた(誰)が言うた」をはっきりと言う演者が私は好きだ。
追記をみる
投稿者:つねちゃん
at 08 :39
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「百年目」
この話は、所々自分のことを言われているようで、可笑しくて泣ける話で、大好きである。
お店では大番頭として、店先を取り仕切っていて、石部金吉ともいうべき潔癖な人が主人公である。
そんな中での好きな台詞が、「ゲイシャという紗はいつ着る物だい、タイコモチと言うのは焼いて食う餅か、煮て食う餅か」と言うくだりである。
在職中に部下によく使ったもので、このくだりは結構使えるのである。
「ついでの時にやっておきますだと、『ついでと言うてはどんな手だい』とか『こんどやっておきますと言う戸はどこにあるのだい』」と言う具合である。
そして、主人から諭されるところがなんとも意味が深い。
「栴檀と南縁草」それもそうなのだが、「お客様との付き合いでお金をケチってはいけない。そんなことをしていてそれが身につくと人間が卑しくなる」と言うくだりである。
お客様との付き合いでは、僅かでも(多い場合は失礼になるから)割り勘より少し多めに出したり、「田舎から届いたお酒で」と言うような気にならない程度のお土産を持参したりした。
東京にいたから、いくらでも入手できた。
まさに「今は昔」の話だが、何か大番頭と主人に共通する気持ちになる。
投稿者:つねちゃん
at 09 :04
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今月のテーマは「落語」
今日から「落語」シリーズとなりますが、まずは、私の最も好きな落語「芝浜」。
何人もの芝浜も、上方の噺家がやっている話も、聴いたけれども、やはり立川談志師匠のものが一番私の感覚に合っているようである。
あくまでも私の独断的な聴き方で、異論はあろうと思うが、勝手に述べさせていただく。 まずは間違って嬶(かかぁ)に起こされて財布を見つけるまでの独白部分。
それを持ち帰って嬶と一緒に勘定するところ。
友達と一緒にドンチャン騒ぎをするところが、なんとも涙が出てくるくらい可笑しい。
そして一寝入り、また嬶に起こされるが、一部が事実で、一部が夢として、説得され、心機一転気を入れなおして、本来の仕事に精を込めて、三年経った大晦日である。
ここから女将さん(もう嬶ではなくなっている)が本当のことを話すところが、やはり私にとっては笑いながら鼻の奥の方が刺激を受けて、どうしても涙が出てくるところである。 時間の関係ですべてを演じなかったり、短くしたりすることはあるだろうが、これらの点がやはり入ってほしいが、先日聞いたものは15分くらいのもの(演者は忘れた)で肝心の最後が涙が出てくる暇もないほど短かったので、ガッカリした。
投稿者:つねちゃん
at 10 :28
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