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2012 年4 月27 日

経団連がGDPについて報道

 明日から、人並みに「ゴールデンウィーク」として、ブログはお休みします。
 再開は、5月7日になります。
 特別の予定もありませんが、先日釣果があった魚釣りにでも行ってきます。

 表題に関して、韓国より下位になる原因は「少子高齢化」だとコメントしている。
 素朴に、違うと思うナァと思う。
 韓国のトップと日本のトップの年齢差だと思うんだよなぁ。
 以前TVのビジネス関係の番組で報じていたが、韓国の30代の青年社長が、日本の企業と提携しようと言うことで、交渉を始めたのが、窓口になった人はやはり30代の人だった。
 かなり条件がまとまったところで、最終決済を、と言うので会ったのが、60代の社長と、80代の会長で、そこで再再度交渉経緯と背景などの質問に答えねばならず、結局は破談になった、と言うものだった。
 ビジネスの世界では、国際化が激しく、在職していた10年前も「ドッグイヤーのスピードで」と言うことをかなり言われていて、多少の勇み足があっても、即断を求められたのである。
 韓国青年社長の「苦言」は報道されていなかったが、最終判断が、そんなところでなされること自体が現在のスピードに日本が付いていっていないと言うことの照明だろう。
 結局「皆が納得して決めたこと、失敗しても誰も責任を取らない」と言う文化では。
 これを「高齢化」だけが原因と言うのは、おかしいナァ。
 長寿は喜ばしいことだが、多少の失敗や勇み足を許容して、「産めよ増やせよ」で多産化を奨励し、思い切って「後継に後を譲る」ことでなければ、GDPであろうがドンドン後進国の仲間入りになるのではないか。
 決して「発展途上国」ではなく。
 子をつくり、育てるためには「千尋の谷に自らも含めて突き落とす」くらいの気持ちでなければ何事も成就すまい。

投稿者:つねちゃん
at 06 :33 | 子育て | コメント(0 )

2012 年4 月26 日

政治家に「自省」という言葉を求めるのは無理なのか

 在職中に、管理職という立場になったら、極々自然に「当時の政権与党の党員」として登録され、年会費なども徴収された。
 入社後6年ほどしてから、請われて組合活動に「組織部長」と言う肩書きで名を連ねたこともあったが、これとても、自ら積極的になった訳ではないが、当時の野党に党員として登録され、会費も徴収された。
 当時は今ほど「政治」と言う物に傾倒していた訳ではなかったので「これも一つの義務なのだろう」くらいに考えていた、いわば「ノンポリ」だったのである。
 そんな背景を考えながら、リタイアしてから、不謹慎だけれど「暇だから政治に興味を持つようになった」と言うのが本音である。
 ところが、現与党も野党も、立場が変わったら、自分たちがやってきたことの反省は全くなく、相手の揚げ足取りばかりして、口で言う「国民のため」には全く用を為していない事に気がついた。
 現在大きな問題の一つに、原発問題があるが、積極的に作らせていたのは、現野党ではなかったか。
 穿ってみるならば、そのために色々不正なお金が飛び交ったり、天下り先の設営に配慮したりしていたのは、誰だったのだろうか。
 また、それを批判ばかりして、全く建設的な意見ではなく「反対」の連呼をしていたのは誰だったのだろうか。
 いずれも「現在の立場の保身」だけを考えて、口先だけで「国民のため」と言っても、底が見透かされていることに気が付かないと思っているのだろうか。
 日々激変の時代だが、停滞があったとしても、一度「自省」を踏まえて、「来し方、行く末」を本当の意味で「国民のため」を考えて欲しい、と願うのは、魚市場で新鮮な野菜を求める如く無理な話だろうか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :40 | 政治への注文 | コメント(0 )

2012 年4 月25 日

春菊を食べる

 今年の桜は例年に無く綺麗だった。(この話題はまた別の日に書きます)
 そんな桜ももう殆ど葉桜になり、そろそろ家庭園芸も盛んになる時期を迎えて「今年は何をどのように植えようか」と楽しみがいっぱいである。
 そんな中で、昨冬からプランターに植えていたものに春菊がある。
 雪の下で頑張ってくれていたのだが、直後は流石に「みっともなく」なってしまっていて、処分対象にと決めていたのだが、暫くほって置いて気が付くと、新しい葉が沢山出てきている。
 そうなると、貧乏根性で、何とか食べたい物だと思い、汚れた葉だけを綺麗に処分して、少しばかりの肥料も施すと、数日後には「売れそうなくらい」の品物になった。
 流石に鍋料理にするほど量は多くは無いものの、味噌汁の具やお浸しにするには充分の量が収穫できた。
 董立ちの分などを綺麗に整理しながら、まだ少しは食べられそうである。
 春菊は脇芽をうまく育てれば、長く使えるというから、まだ少し期待できそうである。
 同様に、水菜も順調に成長中で、こちらは株ごと収穫することになるが、7株ほどあるので、サラダなどで使うし、刻んで納豆に混ぜても美味しい。
 春夏野菜の収穫前に、ささやかながら「去年の忘れ形見」を賞味するのが、グルメの醍醐味だろう。

投稿者:つねちゃん
at 11 :27 | グルメ | コメント(0 )

2012 年4 月24 日

ソフトランディングという考え方

 ウーム、最近このブログは中々「仄々」的な話題が無いのが少し残念である。
 今回も、その一つで、なんだか憂鬱な気分になるが、ぜひとも来るGW(27日から5月6日までお休みさせていただきます)に少しでも胸のモヤモヤを吐き出させていただきたいと言うことで、お許しいただきたい。
 在職中、何度も「システム乗換え」と言う事態に遭遇したし、二度だけだが、「システム停止」と言う事態にも遭遇した。
 乗り換えの場合は、次のシステムが用意されているので、如何に「マイグレーション(システム移動:旧システムから新システムへ運用を切り替える)」を上手くやるかと言うことがキーになる。
 しかしながら、それが上手く行った後は、「システム停止」と同様に、旧システムを停止させる必要がある。
 「電源を落とせばそれで済むじゃないか」と言うことでは決して無いのである。
 今回の原発のように、冷却と言うような操作が必要になってくる。
 その時に必ず言われることの一つに「ソフトランディングさせろ」だった。
 飛行機の事はあまり知らないが、軟着陸させて、自分は勿論だが、周りの関連システムへも全く影響が無かったような事態を実現しなければならないのである。
 今回の原発は「ともかく止めろ、即刻全面停止だ」とまるでシュプレヒコールのような声が報道されている。
 多分私は報道されているほどではないと思っている。
 だって、現地では原発があることで仕事になったり、ホテルなどのサービス業も成り立っているのではないか。
 時々「ソフトランディングを」と言う声も聞かれるが、ヒステリックなシュプレヒコールにかき消されてしまっているが、果たしてこれで良いのだろうか。
 「即刻停止」だけを捉えれば「電源を切る」だけで済むのだが、もう少し落ち着いて議論できない物だろうか、と極楽トンボの小生は考えるのだが。

投稿者:つねちゃん
at 09 :52 | 政治への注文 | コメント(0 )

2012 年4 月23 日

何とかも煽てりゃ、の類ではないか

 大都市の市長が、自分が気に入らないから、政権を倒す、と仰っている。
 確かに大都市の代表だし、それなりに得票も集めたのだろうが、いきなり「国政変更「を言い出すのは、煽てられての愚行としか言いようが無い。
 かつての私にもそういう時期があって、初めのうちは、人が言えば「突飛でしかない」と思われるような事項が、次々と面白いようにお客様から受け、直接の上司を飛ばしてその上の人から「やってみれば良いじゃないか」との評価も受け、それが実現できていた。
 そうなると、ドンドン「突飛なこと」ばかりを狙う気持ちが湧いてくる。
 そんな時、少し前の上司で、私にとっては恩もあり、羨望の的だった(技術的には勿論、精神的にも素晴らしいものがあり、加えてその人脈の広さから来る知識の広さなどで)人から、「久し振りに飲まないか」との誘いがあり、最近の活躍ぶりを自慢したくて、二つ返事で応じた。
 一頻り、私の話を聞いてくれた後に出た言葉が、笑いながら「何とかも煽てりゃ、か」だった。
 決して、その場で意気消沈したわけではなく、また、その人も、そうさせようとしている訳ではなかった(ようだ)が、なんだか何時ものように気分よく酔えず、単身赴任寮に帰って、自問自答しながら飲んで、「ハッ」と気が着き猛省することになった。
 「勝って兜の緒を締めよ」ではないが、順風満帆だと自分が感じているときこそ、自省が求められるのではないだろうか。
 翌日は、幾つかの会議なども予定されていたが、適当な言い訳をして「ズル休み」をして、あまり人の居ない公園で、一人ぼんやり過ごしたと言う記憶は、今でも鮮明に覚えている。
 「自分なんて、たかが」と言う自省が、政治家には常に必要なのではないだろうか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :20 | 政治への注文 | コメント(0 )

2012 年4 月20 日

在職中の口述日記を聞く

 ここでも何度か紹介したし、新聞にも投稿した「メモ魔」の習癖の一つに、「音声録音」がある。
 今までは、メモ代わりに使っていた、と言うか、それにしか使っていなかったと思っていたのだが、そろそろ音楽用のカセットテープも整理しようとしていて、見つかったのが「口述日記」だった。
 なんと今から15年ほど前に、金沢への自家用車通勤途中の約45分間に、約1ヶ月に亘って(いやいや探せばもっとあるのかもしれないが)「口述」しているのである。
 最初はテープも経年劣化で延びたのかも知れないので、音質が相当悪く「何だろう」と思ったし、自分の声と言うのをテープで聞くという経験はあまり無かったので、「誰が喋っているのだろう」といぶかしんだのだが、何度か聞くと、正に「自分の声」である。
 余談になるが、かつての研修所時代に「音響工学」というのを学んだことがある。
 自分の発する声と言うのは、骨伝導を伝っての分も合成されて聞こえるので、録音して聞くのとは違うと言うことだった、と、当時は学問などにはあまり興味が無かったのだが、つまらぬことを思い出した。
 でも、当然ながら若い声である。
 今、録音すると、果たしてどれだけ違うのかを思うと、とても録音する気持ちになれない。
 内容は、正に「赤裸々」であり、とてもここで紹介する訳には行かないが、中には、仕事に対する自分なりの「苦悩」もあるので、そういう意味では「若き飢えてるの悩み」も明らかになっている。
 でも、大概の結びには、「これも給料の内だよナァ」になっていて、「顔で笑って心で泣いて」と言うようなトーンになっているのは、我ながら感心だったのだナァ、と微笑ましい。

投稿者:つねちゃん
at 06 :50 | 日記 | コメント(0 )

2012 年4 月19 日

PCで出来たら、

 コンピュータの黎明期近くから「システム設計・建設」に従事してきたから、それなりに自負心はあるが、リタイアしてからは、このブログを含めて「自慢話」はあまりしないようにしてきたつもりである。
 勿論、読者の中には「ああも言ったし、こうも言ったろう」と指摘される方もいらっしゃるだろうが、少なくとも気持ちの上ではそうだったと思っている。
 ところが、最近の「システムトラブル」は、一頃「パソコン坊や」といわれる連中が作ったプログラムによる物が多いように思われる。
 Jアラートで不具合が見つかった、との報道で思い出したことである。
 ここからが少し自慢話になるが、在職中に「あそこのサポートをやってくれ」と言われ、出かけた。
 発案者は、年齢こそ私より若いが、職位は少しだけ上だったので、それなりに腰を低くして対応した。
 基本的に「PCで出来たのだから、管内に広げても出来るはずだ」と言う論理だった。
 幾つかの点を指摘して、その対処方法について議論したのだが、「そんなことは必要ない。PCで出来たのだから、規模の拡大に伴って、マシンを大きくして対処すれば出来るはずだ」との一点張りである。
 およそ1ヶ月ほど対応して、時には私が上位者を怒鳴りつける場面もあったが、入社以来「蝶よ、花よ」と育てられてきたせいかもしれないが、全く受け入れてもらえず、私は私として他のプロジェクトもあり、上司に報告してサポートを打ち切った。
 結果としては、想定し指摘したとおり、残念ながら、非常時や拡大に関する配慮が殆ど出来ていなくて、お払い箱になってしまった。
 模型の船をそのまま大きくしても、大洋で航海できるわけが無いのである。
 基本ができていなくて「PCで出来たのだから」と言うことでシステム作りをすると、大きくなった分だけ被害の範囲が大きくなる、と言う教育を徹底しなければ、今まで「後進国」と思っていた他国に簡単に追い抜かれてしまうだろう。
 尤も、もう追い抜かれてしまっているのかもしれないが、そんな中で「京」だけは素晴らしいと思っている。

投稿者:つねちゃん
at 06 :58 | 子育て | コメント(0 )

2012 年4 月18 日

ライターを買った

 リタイアして、数ヵ月後に父を送ったときに15歳の頃から身に付いた「喫煙」を止めて、その歳の年末に正月祝いも出来ないので、鄙びた温泉で息子、娘らと過ごし、その時に息子から貰った1本のタバコがなんと不味かった事か、と言うことで、きっぱり喫煙とは別れることが出来て、もう10年が過ぎる。
 当たり前のことだが、喫煙時は然程高価ではなかったものの、それなりに「動くアクセサリー」用にダンヒルなどのライターも持っていた。
 最も印象深いのは、3ヶ月間禁煙したときに、お客様との会議でお客様側の意見が堂々巡りをして、こちらは同じことを何度も説明する、と言う状況だったときに、トイレに立って見つけたタバコの販売機とライターの販売機だった。
 結局、それで最長禁煙期間が終了した。
 そんな私が、最近100均で4個入りのライターを買った。
 今までは、喫煙時に貰ったものなどで用を足していたのだが、探せばまだどこかにあるかもしれないが、底を尽いたからである。
 税を別にすれば、1個25円である。原価はどうなっているのか。
 それは別にして、今回買ったのは、部屋の机で本を読んだりするときに、香を焚く為である。
 喫煙は「百害あって、一利なし」とよく言われたが、今でもそれほど嫌悪する物ではないが、思えば「香を焚く」と言うことと比べると、やはりこちらのほうが健康的だろう。
 ライターでこんなことを思えるのは、やっぱり幸せなのであろう。
 そんな毎日に感謝である。

投稿者:つねちゃん
at 06 :55 | 日記 | コメント(0 )

2012 年4 月17 日

榊に花が

 まことに「不信心」の極みだろうが、年末に神棚に供えた榊が、いつにも無く長持ちしたので、それを良いことに、週2回の水替えは励行していたのだが、いつまでも「まだ大丈夫だな」ということで、約4ヶ月近くそのままにしておいた。
 それはそれで「神への感謝」に充分値するのだが、そろそろ取り替えなければならぬと、いままでの「本榊」ではなく、従来の如く(本榊はお正月くらいにしか供えないのが、我が家の習慣だった)庭の「非榊」(この名前には、園芸高校でも教わったが、やはり「姫榊」というほうが合っている様だ)を切ってきて供えることにしたのだが、暫く振りで見る庭の姫榊には、沢山の白い可愛らしい花が咲いている。
 今までも見たことはあるのだが、こんなに沢山咲くのは、たぶん記憶にないくらいである。
 何の根拠も無く、素直に感謝しながら神棚に供えた。
 それで、(これも不信心だが)空いた時間に、ネットで調べてみたら、吉兆だと言うから、期待したいものである。
 先日紹介した夢の宝くじのブログではないけれど、やっぱり凡人としては「大金が転がり込む」事は最大の幸運だろう。
 現実的には、「あっても困らない」ではなく、多分「そんなにあっては困る」のだろうが、それでも一度は現実になって欲しいものである。
 でも、それはそれとして、吉兆、ということは何にも増して気分がいいものである。
 で、現実的には何に期待するのだろうか、と考えたときに、やはり、知れたこと「生きていること」に感謝するのだろう。
 昨日まで、楽しく有意義に過ごさせていただいたこと、今日も元気よく起きられて、新聞を読んだり、この仄々としたブログを書いたり出来ることに、感謝しながら、毎日を過ごしてゆけること、なのだろう。

投稿者:つねちゃん
at 06 :43 | 日記 | コメント(0 )

2012 年4 月16 日

政治に民意が反映されていない

 カテゴリーを「政治への」としたが、「国民への」とか「マスコミへの」とすべきだったかもしれない。
 時々報道されるのが、表記の事項である。
 先日なども「反映されていないと感ずる人が81%」との報道があつた。
 このような調査は「コンピュータにより無作為に抽出した方に電話で確認した」との前提が示されており、あたかもそれだから「全国民の全体像を示しているのだ」と言わんばかりである。
 何度かこのブログでも紹介したが、在職中に「品質管理」と言う部門が長かったので、「統計」と言う物にはまだそれなりに「見る目」をもっていると思っている。
 だから、このような統計は「数字のまやかし」以外の何者でもない。
 真に「反映されているかどうか」を調べるのであれば、先ずその対象者が「反映して欲しい」と言う具体的な行動を取っているかどうかが前提になろう。
 何かの団体に加盟しているか、と言うことでは、偏りが出てくるので、最低でも「投票には過去何回か棄権をしていない人」というような条件を課すべきであろう。
 投票などには行ったことが無く、のんべんだらりとして、必ずしも悪くは無いものの、フリーアルバイターやパラサイト症候群のような人も対象にして、調べたのでは、全く意味の無いものにならないだろうか。
 確かに、そのようなことを調べるのは、難しいし、場合によっては「より偏りを生む」事になるかもしれない。
 でも、何でも安直に「無作為で調べた」ことが、全体像を示しているとは決して無いことをマスコミは理解すべきだろう。
 勿論、だからといって「今の政治は民意を反映している」とは私自身思っては居ないが、統計をマスコミという物を使った「ごまかし」の材料にしていることに憤懣を覚えるのである。

投稿者:つねちゃん
at 06 :53 | 政治への注文 | コメント(0 )

2012 年4 月13 日

かつての部下が亡くなった

 リタイアして10年以上になるので、失礼な言い方だとの謗りを受けることを覚悟しながらだが、少しくらいの知人の訃報には心で冥福を唱えることがあっても、参列はしてこなかった。
 年に一度、職種が同じだったグループの集まりで、黙祷を捧げ、知っている物同士でかつてのことなどを話して供養の一環にさせてもらっていた。
 ところが、先日、新聞の訃報欄で、かつて直接部下だった人間の名前を見て、驚いた。
 年齢が50歳とあったが、比較的一般的な名前なので、もし同姓同名異人ではないかと、私が居た頃の、会社の仕事の運び具合を見計らって、朝礼が終わった後、本格的に仕事に取り掛かる合間の時間に電話を掛けた。
 「10年ほど前にそちらに勤務していた者ですが」と告げると、幸いにして「エッ、部長ですか」と聞き返されたので、名前を聞くと、当時在籍していた「若い人」だったことを思い出し、懐かしく感じながらも事実を確認したが、不幸にして本当だった。
 後日葬儀に参列して、喪主の奥様の挨拶の中で、数年前から難病と戦いながらも、一時は奇跡的に回復して、仕事にも戻れたと言う。
 つい最近になって、くも膜下出血で手術も上手くいったのだが、そのほかの病気が遠因となったようで、帰らぬ人になったとのことだった。
 制御・方式担当と言う、表には中々見えにくく、さりとて基盤的には無くてはならない分野を持たされ、不具合があれば、責任を追及され、上手く行けば、「当たり前」と忘れ去られる分野である。
 かつて私が最初に担当して、36年間の殆どがそんな分野だったので、それなりに彼には苦労を掛けたナァ、という気持ちだった。
 50歳と言う若さで逝く人を見送るのは、流石に哀しかった。
 「歳の順ではない」とはよく言われるが、やっぱり、一休禅師ではないが「親が死に、子が死に、孫が死ぬ」様であって欲しいものである。

投稿者:つねちゃん
at 06 :13 | 日記 | コメント(0 )

2012 年4 月12 日

孫と旅行

 今年度から孫が二人揃って「春休み」になった。
 今までは、下の孫が保育園だったので、休みは最小限だった。
 勿論、それが、働く親御さんにとっては必要不可欠だったのだろう。
 一足早く小学生になっている頭の孫は、夏休みなど保育園が「授業中」の場合も非同期で休みになった。
 入学前の、同期が取れて、両親が仕事なので、一日中家にいても煩わしいので、と言うのが本音だったが、せめて爺婆にできる子育ての一環として最近流行りで、私らもその便利さなどで気に入っている温泉へ連れて行く事にした。
 途中に「折り紙博物館」があり、其処での「修学」も目的の一つだったので、強ち「物見遊山」ばかりではない。
 博物館では、やはり女の子で随分と興味を示したが、傍から見ていると、そのあまりの巧緻さに呆れてしまったのか、諦めてしまったのか、お土産に買って帰る折り紙セットの方に興味が移ってしまったようである。
 さて、温泉であるが、先ず気に入ったのが、「浴衣が選べる」ことだったようだ。
 家内共々「これは、あれは」と楽しく選んでいる。
 次は、お風呂だった。
 下の孫が「泳いできた」と得意げに話してくれる。平日だったことと、時間がまだ少し早かったことで、殆ど貸し切り状態だったそうである。
 さて、一番喜んでくれるだろうと思っていたのは、バイキング方式の夕食と朝食だった。
 頭の孫はそれなりに幾種類も少しずつ取ってきたのだが、下の孫は「これが好きだったんだもの」と言うことで、数種類だけをたっぷりと取ってきた。
 同じ環境で育っているのだけれど、利き腕が違っていたり、好みの色も違っていたりで、それなりに「自分らしさ」に身を委ねているのだろう。
 取りに行く前に「コツはこうだよ」と言って聞かせるつもりだったが、今の段階では「自分の好きなように」に任せるのが、本来の「子育て」であろうと、微笑んでみている爺婆だった。

投稿者:つねちゃん
at 08 :46 | 子育て | コメント(0 )

2012 年4 月11 日

議会では「質問」ではなく「提案」を

 国会を初めとして、最近の「議論」はなんだか全てが茶番劇のように聞こえるのは、私だけだろうか。
 在職中に、システム体験者からの講義、と言うのを何度か担当させられた。
 研修の一環だったので、勿論試験もあり、単位もあったので、試験問題を作る必要があつた。
 自分の拙い講義で、言いたかった事が果たして上手く伝わったかどうか、これは受講者だけでなく、こちらの技量やレベルも試されていると思ったのは、何度か後のことだった。
 それほど「試験問題の作成=質問」は結構難しい。
 国会ばかりではなく、県議会や市議会などでも「一般質問」と言う形での茶番劇が、時間給にすればかなり高額の人たちが行っている。
 事前に質問事項が伝えられているのだから、答える方も楽なものである。
 試験問題が漏洩しているようなものである。
 そうではなくて、これからは「提案」と言うことにしてはどうだろうか。
 最初のうちは、提案することがあさはかだったり、事前の答弁が間抜けだったりするかもしれないが、現在の「これについてはどう思うか」式の議論よりも、余程効果もあり、これこそが「皆が政治に関心を持つ」と言うことになるのではないだろうか。
 「質問」は議員さんの「学習の場」と言うのでは、納税者として納得がいかないだろう。
 「俺が投票した人がどんな提案をしてくれるだろうか」と言うのであれば、関心の程度こそ差はあろうが、少なくとも今の議会に対する関心が深くなることが期待でき、議員さんも良い意味で切磋琢磨されるのではないだろうか。
 と、こんな提案が出来ることが、なんとなく楽しかったりする。

投稿者:つねちゃん
at 06 :36 | 政治への注文 | コメント(0 )

2012 年4 月10 日

「想定外」は許されない、との発言

 表記の言葉は、今回の原発事故に対する、ある県知事の発言であったと思う。
 被災県としてのトップとしては、憤懣やるかたなしとの思いが伝わってくることは理解できるが、果たして言葉として適当だっただろうか。
 何でもかんでも「想定外だった」でことが足れりとは決して思わないが、だからと言って「想定外はぜったにいあってはいけない」と言う論理ばかりを追求すれば、いろんなところで論理の破綻を来たす事は、言っている本人が一番判っているのではないだろうか。
 今回のような地震があるとはとても考えられない、津波が5階建ての建物よりも高くなるなんてことは有り得ない、などとは言うが、過去にも同様もしくはそれ以上の事態があったはずである。
 でも、その対策よりも「より安く、より早く」で色々なことを推進してきたのではないか。
 また、最近になって、東海何とかが発生すると、ある地域では30mを超す津波が発生する、との報道もある。
 想定するのは、構わないが、残念ながら「神のみぞ知る」世界があることを謙虚に認知すべきではないだろうか。
 出なければ、ノアの箱舟のような話が危機感を煽るだけの意味でドンドン出て来はしないだろうか。
 投資対効果はやはり考えるべきで、「これ以上だったら、直ちに、何も考えずに、逃げてください」とすべきだろう。
 それに関連するが、今果たして自分たち「人間」がやっている「自然破壊」が「想定外」を生み出していないかを、謙虚に「足元を照らし見る」ことが必要だと思うのだが。
 勿論「出来る範囲で」である、と言う論理は変えようが無いのだが。

投稿者:つねちゃん
at 06 :23 | 政治への注文 | コメント(0 )

2012 年4 月9 日

私も「卒園」

 下の孫が今年から小学校で、毎朝夕の送迎の必要が無くなった。
 いわば、私も「保育園通い」は卒業できたわけである。
 父を看取って暫く楽が出来ると思っていたら、母が要介護になり、施設の送迎などに、それと平行しての孫の送迎だったので、それはそれなりにこなしてきたつもりで、不平ではない。
 それと一緒に、同級生の、主に女性と送迎のときに会うことがあり、それも一つの楽しみだったことも間違いが無い。
 でも、これで朝気兼ねなく、朝の自由時間が増えることになる。
 父を看取った後、母の付き添いがまだ必要が無かったときに、車で30分ばかりのところへ、魚釣りに出かけていたのだが、それがこれからは帰宅時間の心配をせずに楽しめることができると言う物だ。
 また、歴史学習講座も、孫の送迎が直接の阻害要因ではなかったものの、あまりサボらずに参加していきたい物である。
 そんなこんなで、これからは今まで以上に趣味を進めてみたい。
 でも、「定年になったら」と言う質問に「やりたいことは山ほどある」と現役時代の人が答えて、実際には結局何も出来ない、やらない、にならないように、「諦めない」(現役時代に部下などに「メラキアの考え」と諭したこともあったなぁ、とぼんやりと思い出す)ことを基本にして行きたい。
 「趣味が高じて」まるで仕事になって、確かに一時期収入に繋がった人も知っているが、結果として長続きはしていないと言う現実も知っている。
 また、その「成れの果て」と言う姿も散見している。
 くれぐれも「糸の切れた凧」の様にではなく、しっかりと地に足をつけて、「下手の横好き」で良いから、長く続けたい物である。
 ちなみに、魚釣りは、その骨頂で、殆どの場合「ボウズ」状態なのだが、朝の海風を充分に吸って過ごすことは、「子育て」より何より「自分育て」に繋がると思っている。

投稿者:つねちゃん
at 06 :27 | 子育て | コメント(0 )

2012 年4 月6 日

備忘袋

 先日書いた「物忘れ」について、家での防止策として、かつて入院していた時に家内に作ってもらった備忘袋を肩に掛けて、ウロウロしていると「貧乏ったらしくて、爺むさい」と一蹴されてしまった。
 入院の原因は、両足の踵の複雑骨折であり、約3ヶ月の車椅子生活だった。
 することも無く、まだ喫煙者でもあったので、病室と喫煙所との往復のとき、かなり重宝したし、大体の物はその中に入れて移動できたので、「忘れ物」ということは殆ど無かった。
 勿論、年齢的にも若かったからというのもあるかもしれないのだが。
 家族以外から「爺むさい」といわれると相当のショックだろうが、面と向かって言う様な人はいないのだが、やはり孫から言われるとかなりきつい。
 で、落ち着いたのは、小型のウエストバッグだった。
 大型の物も持っているのだが、これは単身赴任時代に、主に東京都区内を散歩するときの「必需品」だった。
 ウォークマン(勿論ラジオ機能付き)、メモ帳、ゴミ袋、携帯灰皿などなど、結構容量が大きく、ずいぶん重宝したけれど、何しろ大体約半日程度の散歩なので、それくらいの容量が必要だったのだが、あるとき、デパートだったかの姿見に写った自分の姿を見て、やはり「不恰好」だと感じたので、あまり使わなくなった頃に転勤になった。
 現在使っているものは、セーターなどを着ると、殆ど外からは見えなくなってしまうくらいのものであるから、「不恰好」の謗りは先ず無かろうと思っている。
 携帯電話、薬、そして時には眼鏡くらいしか入れないのだから、容量的には充分だし、外出するときには別のサイドバックに入れ替えるので、結構重宝している。
 何より、孫に「爺むさい」と言われなくなったことが嬉しい。
 でも、やはり自分の記憶力の減退に注意しなければ、と自戒もする。

投稿者:つねちゃん
at 06 :38 | 健康 | コメント(0 )

2012 年4 月5 日

肌の手入れ

 リタイアした後は、特別のイベントで「人に会う」ことが余儀なくされている(好きな場合もそうでない場合もあるが、兎も角「気を張りながら」の場合)時以外は、外見などは殆ど気にせず、髭を剃るのも、自分で「伸びてきたなぁ」と言う気持ちになった時、床屋へ行くのも「耳に掛かっていじくらしい(富山弁だろう)」気持ちになった時などで、「日頃からの手入れ」などには全くと言って良いほど無頓着だった。
 ところが、ここ暫く、季節のせいもあるのだろうが、なんとなく「肌が荒れる」と言う実感に出会うことが多くなったような気がする。
 そこで、「仕様が無く」と言う風に、肌や頭髪の手入れを、在職中、いやいや、と言うよりも、単身赴任中の如く行うようになった。
 勿論、女性の「化粧」と言う訳ではないが、風呂上りや洗顔の後は乳液を刷り込むことにしている。
 また、頭髪にもリキッドを今までよりも頻度を多く、さりとて在職中ほどではないものの、刷り込むことにしていた。
 始めた当時は、在職中に使っていた「残り」の整髪料や肌クリームを使っていたのだが、家内に「10年以上前の物は、変質していることがあるので、決して良くない」と言われ、納得はしたものの、やはりまだ残っているのを捨てるのには忍びなく(この辺が貧乏性の最たることだろうが)ようやく使い切った。
 変質はあったのかもしれないが、幸いにしてまだ肌自体は、それに耐えられる程度だったようで、特別変わった事も無い。
 先月の中旬から「購入した新品」を使っているが、やはりこちらの方が肌に馴染んでいるようなので、気持ちが良い。
 基本的に「保湿成分」と言う物が、加齢と共に無くなるのか弱くなっているのだろう。
 なぁーに、それなら高価なものでなくても良いのだから、「香り」が「加齢臭」にならないことだけに気を配って居れば良いので、お金もさほどに掛からない。
 楽しみがまた一つ増えたようで嬉しい限りである。

投稿者:つねちゃん
at 06 :17 | 健康 | コメント(0 )

2012 年4 月4 日

どちらを望むのか

 現政権になってから、党内での議論がかなりオープンになり、毎日と言って良いほどその内容が報道されている。
 当然、賛否両論が出て、話題をより一層盛り上げている。
 私としては「能無し評論家」としか言えないような人も、寄って集って「私はこう思う」と言う論点でまくし立てている。
 勝手にまくし立てるのは、それも世論の一つだから、結構なことであるが、「公器」と言う「電波」を使ってやるのは辞めていただきたい物である。
 評論家はまだ良いとしても、野党の対応がなんだか「面白い」。
 今までは、経緯などは全く知らせずに「こう決まりました」との発表があるだけで、それについての議論は殆ど為されなかったのではないか。
 果たして、我々はどちらがお好みなのだろうか。
 内部での議論を見せる方が良いか、密室で決まったほうが良いのか。
 現在議論されている原発についても、当時の与党は「推進一直線」で、リスク対策についても「この程度で良かろう」とやってきたことで、形式的に「安全委員会」などという空洞で、天下り先を作っただけだったのではないか。
 SPEEDIなどと言うシステムも、今回のことが無ければ、作られていたことも殆ど知らされていなくて、システム作りに巨額の投資を行って、その幾許かは本来目的以外(政治屋さんにしてみれば、それが本来の目的だったのかもしれないが)の誰かさんの私腹を肥やしてきたのだろう。
 そんな見方で、現政権の議論の過程が見られることを良し悪しの判断と認識すれば良いのではないだろうか。
 この件とは別に書かせてもらうつもりでいるが「現在の政治に民意が反映されていない」と報道されたが、そう言っている人は自分の意思で反映する行動をしているのだろうか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :40 | 政治への注文 | コメント(0 )

2012 年4 月2 日

薬は正しく飲もう

 以前にも書いたような思いがあるが、まだ在職中に「胃潰瘍」と言う物に3度取り付かれたことがあった。
 いずれも「開腹」と言う措置はとらずに、投薬治療で済んだのだが、確かその2回目のことだったと思う。
 勤務地は、千葉県幕張で、会社の診療施設は品川にあった。
 距離と勤務の関係で、2か月分の薬を頂いた。
 その途中で、定期的な健康診断で、その診療所を訪れた際に、担当の医師(女性)に廊下ですれ違った際に「中島さん、もうすぐ薬がなくなるでしょう。予約を入れといてね」と言われ「ハイハイ」と気安く返事していたのだが、薬はまだたくさんあったので「気が付いたら」飲んでいるような状況だった。
 挙句3ヶ月ほどして、どうにもお腹が痛くなり、診療所を訪ねたら「2か月分の薬を3ヶ月掛かって飲むようでは、切腹(開腹手術)ものですよ」と脅かされてしまった。
 先生に脅かされ、ナースに笑われ、薬局の人にも嫌味を言われ、事務の人にも笑われてしまった。
 その後はきちんと飲むようになったので胃潰瘍は直ったようである。
 最近、と言うより退職後2年ほどして、糖尿、高血圧と「メタボリック症候群」となって、きちんと薬を飲んでいるのだが、先日、ついつい飲みすぎて夕食後の薬を飲み忘れてしまった。
 結果としては、深夜トイレに起きた時に気が付いて、「随分後の食後」だったが飲んだのだが、「何時もきちんとしていること」を忘れると言うことはこんなに気を煩わせることだと、今更ながら気が付いた。
 勿論、それでもまだまだ「抜けてる」ことが多分にあるとは思っているが、気が付いたら「きちんと」やることをこれからも心がけたい。

 今日から明日に掛けて、孫の春休みで一緒に温泉に行ってきます。
 だから、明日のブログはお休みさせていただきます。

投稿者:つねちゃん
at 06 :39 | 健康 | コメント(0 )

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