イプシロン次の成功期待(2013/09/03に掲載された)
天文学に詳しいわけではないし、ロケット工学にもとんと疎いのだが、今回のイプシロンについては、門外漢ながらも興味を持っていた。
中止となったがその判断をした関係者の方々に頭が下がる思いがした。
素人考えなら、そんな些細な事は「大事の前の小事」とそのまま進めただろう。
天文学的な計算で思い出すことがある。
「誤差」についての研修を受けた時だった。
地上でわずか1ミクロンの違いでも、天体に届くときには、膨大な「差」になっていると習った。
現地で、あるいはテレビの前で大いに期待した人は、次の成功を期待しようではないか。 事故は起こってからでは遅い。
万難を無くするための勇断を大いに賞賛したい。
投稿者:つねちゃん
at 08 :02
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スマホの高機能必要か考える(2013/08/20に掲載された)
現在使っている携帯電話は、もう20年位前のものである。
塗装がかなりはがれていて、人前で使うのがはばかられる。
昔から「新しいもの好き」だが、リタイアしてからは経済的なこともあって熟慮することが一つの癖になってブレーキがかかっている。
最近のスマホは、数え上げればきりがないくらい高機能である。
でも、そんな必要があるのだろうか、と考えてしまう。
「ガラケー」と言われても、今しばらくは今の物を使い続けたい。
各社には、そんな我々に料金体系も含めて新商品を考えてほしい。
決して自ら「デジタルデバイド」を求めている訳ではないのだから。
投稿者:つねちゃん
at 07 :39
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市民プールで無理なく避暑を(2013/08/14に掲載された)
気軽に行ける市民プールが避暑地になっている。
小学生は20分入って10分の休憩する。
今年初めて行った時、監視員の人から「大人の人は自由でいいですよ」と言われ、自分のペースでやり始めたのだが、どうもうまく要領がつかめない。
結局20分入って10分休憩するというのが体調にあっているようである。
そうか、還暦を過ぎて今年は、小学一年生の年である。
ならばやはりここは、小学生にテンポを合わせて無理なく長く避暑を楽しみたいものである。
今年もこのテンポをキープしています。
投稿者:つねちゃん
at 07 :58
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談笑取り入れ楽しいひととき(2013/08/06に掲載された)
さて、お約束通り(誰も期待していないかもしれないが)夏休みモードとして「投書の転記」というものにしました。
今まで紹介しなかった分を辿ると、昨年の夏になりました。
夏休みいっぱいは「採用されたもの」だけでは持たないと思っていたのですが、さすがに1年分だとしっかりと持って、まだ少しおつりがくるくらいでした。
では、始まり、始まりぃ。
酒飲みの勝手な理屈だけれど、「談笑しながら飲むお酒」はいつもより少し量が多くなっても、悪酔いはしないようである。
大体はテレビのニュースを家内と見て、それに関する会話をしているのだが、残念ながら「談笑」できる話題が少ない。
当然二人だけの会話ということもあって、大声で話すということもほとんどない。
先日高校の同級生との納涼会で、談笑して好きな飲み物を飲んで楽しいひとときを過ごした。
いつもの量の倍近くは飲んでいたのに、悪酔いという症状は全くなかった。
「酒は飲むべし百薬の長」というが、それには「談笑」という要素をたっぷりと入れた方がいいのだろう。
これからも心掛けたいものである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :26
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旅行 行先編 5 東海、関西
残念、やはり「夏休み前に『行先編』が終わらなかった」
来週から、小学校と同じような期間「夏休み」をいただきます。
その間は、最初は「採用された投書」を、それが足りなくなったら「不採用になっただろう投書」でお茶を濁させていただきます。
東海と関西は旅行という意味ではあまり記憶が多くない。
東海はやはり名古屋だが、別会社になってから出張で行ったけれど、設備の故障などの対応を元の会社のKと言う部長にお世話になっている、できればぜひ会って挨拶してほしいとと盛んに言う。
よく聞いてみると、どうも研修所時代に寮の隣部屋にいた人間だろうと思い、電話してもらうと間違いなくそうだった。
職位は課長と部長と言うことで、差があったけれど、本人と二人だけでその後飲みに行ったのだが、ランク的には同じだということが分かった。
研修所時代は全く同等に付き合っていただけに、そうなると「ツーカー」であり、味噌カツなどの名古屋名物をごちそうしてくれた。
酔っていたこともあり、十分に堪能したとは言えないけれど、彼との旧交に十分楽しんだことだった。
翌日会社へ顔を出して、「宜しくと言っておいたから」と挨拶しておいた。
関西は出張が多かったが、苦い経験は、電車を降りて梅田の地下でカレーを食べた時のことである。
コップに注いだ水を出されたので、当然のごとく一口飲んだのだが、危うく吐き出しそうなくらい臭い水だったことである。
その翌日(流石にホテルはそうではなかったので)の昼食は食堂でみんなと一緒に摂ったのだが、水は敬遠したけれど、ご飯、味噌汁などすべてのものにその臭いが染みついていた。
勿論その後何度か行ったが、気にならなくなったわけではなく、かなりの努力で改善されていた。
楽しかったことは、やはり「鶴橋の焼き肉」だった。
ステテコは履かないので、ズボンの臭いはしようがないと諦めて食べたが、お酒も美味しかったし、肉も美味しかった。
また、空き時間には大阪城の見物も時間をかけて何度か訪れることができたのも楽しい思い出である。
皆様も楽しく健康的な夏をお過ごしください。
投稿者:つねちゃん
at 06 :49
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旅行 行先編 4 関東、信越
関東はどこまで「旅行」なのかよく分からない。
出張も日帰りだったり、時間がかかったので1泊2日だったりして、あまりはっきりしない。
また、家族同伴で住んでいたのが、最初は藤沢市で、次回が船橋市だったので、神奈川、東京、千葉を渡り歩いていた。
で、話題は信越にしよう。
ここは北陸にいて初めて「新潟出張」に行ったのだが、午前中は電車の中、落ち着いて昼飯を食う間もなく午後は会議、夕方になって会議後の懇親会だが、帰り電車の時間を気にしながらだから、とても旅行気分にはなれなかった、という思いがある。
その点家内と出掛けた「旅行」では、佐渡を始め沢山の「見物」と「体験」ができたのは楽しかったなぁ。
また、新潟市内での居酒屋で飲んだ期間限定の地酒は美味しかった。
また、これとは別に、孫には不評だったが、娘婿の誘いで「にいがた酒の陣」はたくさんの銘柄が味わえたので、楽しかった。
でも、以後はやはり少ない銘柄を選んでゆっくりと飲みたい気分である。
こちらの言葉で言うと「しょわしない」気分が歳とともに増してくるからだろう。
で、どこへ行っても、日本酒が好きな私は名所旧跡もさることながら、地酒を地元の肴で飲むことが旅の一つの醍醐味だと思っている。
明後日から「夏休み」をいただきます。
したがって「テーマ別ブログ」は明日までです。当然まだまだ「行先編」は9月になってから続けさせていただきます。
投稿者:つねちゃん
at 09 :04
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旅行 行先編 3 北海道、東北
どうも「夏休み前の特急」ということで、一つ一つの地域を語れば、どれだけ時間があっても語りつくせないのだが、それでも何とか「旅行」と言うカテゴリーの中に収めるため、と言うのが先に立ってしまったいて、なかなか「仄々」「徒然」という訳にはいかないのが本音である。
出張と旅行は明らかに違うのだが、リタイアして10年以上もたつのだから、すべての「悪さ」は時効と言うことにしてもらおう。
北海道は出張で3回、旅行で3回出かけている。
最初の出張は飛行機もほとんど揺れず、仕事は1泊2日で終えて、その後レンタカーを借りて道東から道南を回った時だった。
沢山の想い出から、一つだけ挙げると、あるホテルの最上階に大きなお風呂があり、晩酌とともに摂った夕食後、一人で入っているとゆっくりと波が立ったことだった。 チェックインの時に「少し揺れますが、大丈夫ですから」と言われたのを思い出して、地震時の大きなお船に揺られている気分である。
これは多分滅多な人が経験しないであろう。
もう一つは「講師」という形で招聘された時だった。
ホテルも確保してくれた「YOSAKOI祭り」の当日だった。
先日もビデオに撮って観て楽しんだけれど、当時はまだそれほどの参加者もいなかったけれど、舞台の迫力満点だった。
家内との旅行は、先月末に道北から利尻、礼文を回った。
前週までは土砂降りで被害が出ていたが、2泊3日の旅行中は「ピーカン」だった。 綺麗な利尻富士が見事だった。
東北も、招聘と言う格好での出張では、仙台七夕祭りの当日だった。
宿は酒屋さんの二階。
初めて「ほや(海鞘)」というものを食べ(させられ)た。
会食後七夕をたっぷりと満喫して、同行した上司とともに、仙台の地酒を宿のご主人(=酒屋のご亭主)と原価で鱈腹、飲み語り合った。
旅行では家内と車で5月末くらいに福島から両側にはまだ2mを超す雪壁がある道路を心配しながら青森へ出て、十和田湖の畔の宿で、当時ではなかなか食べられないというが、ご主人の親戚の方が捕った「ヒメマス」を食べさせてもらったことだった。
また、その時期たまたまだったろうが、角館の武家屋敷の桜が見事だったことである。
勿論弘前城の桜も見事だったが、適度な風で花弁が散り、まさに「百花繚乱」だったことである。
あぁ、まだまだ書き足りないことがある、仙台の牛タンも、北海道のラベンダーアイス、もちろん成吉思汗、そして生干しホッケなどなど。
投稿者:つねちゃん
at 09 :17
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旅行 行先編 2 日本の海外 その1
尖閣諸島や竹島などの問題ある「海外(決して「外国」という意味ではなく、陸路でつながっていないという意味であるので、誤解しないでいただきたい)」にはいろいろと意見はあるがまったく行く気にはならない。
という意味での海外は、沖縄と佐渡島であろうか。
北海道は青函トンネルができたし、四国も大きな橋ができたので陸路で行けるようになった。
沖縄には少し面白い経験がある。
初めて本社へ転勤になった時に担当したプロジェクトで、まだ返還前の沖縄が一つの対象地域になった。
前にも言ったが「外国なんぞへ飛行機で行く」なんてことは完全に想定外だったので、パスポートなどは持っていない。
そんな私が「試験総括班」ということになり、全国各地での試験をするために派遣者を割り当てる、と言うのが一つの仕事だった。
そこで何度か沖縄へ人を派遣しなければならなかったのだが、「今度は私に」と言ってくる人が多かった。
全く分野が違うのにである。
結局私はそのプロジェクトでは一度も沖縄に行かなかったが、そのうちに返還になってしまった。
沖縄へは3度行ったが、すべて観光であり、道連れ(これについてはまた別項で起こすつもりである)も各々違っていて、旅先での感動はそれによってもまた違ったものがあった。
これは離れるほど感じたことだが、「お土産よりもやはり現地の食べ物は現地で食べるのが美味しい」ということだった。
投稿者:つねちゃん
at 06 :51
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旅行 行先編 1 今度は遠いところから その5
1年ぶりの研修所同期生との歓談に次ぐ歓談で、楽しく美味しく酔いました。
さて、本題に戻って、行き先としての米国の最後です。
展示会はボールルームが5部屋もあるものすごいホテルでした。
ボールルームってわかりますか?
研修所時代に少しだけ習った社交ダンス、それがボールルームダンスです。
広いダンスホールにオーケストラ(多分構成の楽器などはまるで違うのだろうが)が並ぶ舞台があるのです。
それがなんと5つもあるのですよ。
多分日本にはそんなホテルはないと思うのですが、ご存じだったら教えてください。 また脱線した。
幸いにそのホテルに宿泊することができたのです。
どうもこれは並みの「事務手続きの違い」ではなさそうだと感じまたが、それはもう構わないことにしました。
展示会模様は規模の大きさと外国人(当たり前なのですが)の多さなどでしたが、幸い資料が比較的平易な文章だったので、何とかついてゆくことができ、それなりに理解できましたので、その件については「大成功」でした。
空いた時間に「ショッピングモール」という所へも案内してくれました。
西部劇に出てくる人たちが履いているブーツばかりの店、当たり前のようにある「Gun Shop」では試射こそしませんでしたが、持たせてくれましたので、その実物の重さに驚きました。
また、郊外にある「ビデオショップ」にも案内してくれて、カーテンで仕切られた奥には、現在のわが国のビデオ屋と同様ですが、「もろ出し」なのです。
ホテルのビデオも当然もろだしのものです。
尤も、ニュース番組を見ることは忘れませんでしたが、日本でも放送されていた「戦争」の映像ばかりでした。
さて、もう帰るのですが、伝言が届いていて、「帰りの飛行機は米国の会社以外のものを選ぶべし」とのことです。
調べると、ハワイまではフランスの会社の便で飛び、一日ハワイで滞在して韓国の会社の便で戻る、というのが一番早く帰られる方法でしたが、団長としての判断(というよりも、クレジットカードは持っていたものの、みんなの財布の中身)としては「予定通りの便にしよう」ということで、早速電話しました。
部長は「それがいいんだろう」と考える間もない返事でした。
多分「上から言われたから、言った」ということにしたかったのだろうと思いました。
決して、その部長が無責任な判断としての態度ではなかったのだろうと信じています。
そして、無事に帰国しました。
金曜日の夕方寮に着いて、寮の皆さんへのバーボンを「飲んでください」とシールを着けて並べて、部屋に入って布団を敷いて、まず横になりました。
気が付いたら翌々日の朝でした。
寮監さんの奥さんがいつまでも起きてこないので、何度か「生きている」ことを確認に来られたそうです。
で、日曜日には完全に復活していました。
その夕食時に寮の皆さんから「お帰りなさい、ありがとう」と言われ、「牢名主」の綽名の面目躍如でした。
米国にいた時には、全く時差ぼけを感じなかったのはやっぱりScotch & Waterのお蔭だったのでしょう。
今考えると、ゾッとするほどの出来事でした。
戦争ではなく、お酒の量が。 (^◇^)
投稿者:つねちゃん
at 14 :59
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旅行 行先編 1 今度は遠いところから その4
NYはあくまでも「経由地」だったけれど、それから約5時間(成田からNYまでは現在は13時間くらいだというが、私の感覚では17時間ほどかかったと思っている。従って、この5時間も今では少し短くなっているのかもしれない)ファーストクラス(これも初めてのことなので知らなかったが、国際線をビジネスで利用すると、米国内線はファーストクラスが使えるのだそうである)で飛んだテキサス州のダラスが目的地である。
今度は日中でもあり、幸いに窓際席が取れたので、例によってスコッチの水割り(Scotch & Water スコッチアンドワーラーと大分発音も慣れた)を飲みながら恐怖感よりも米国内の大地を眺める楽しさとともに5時間を楽しく飛んで行けた。
この空港でも、NYとはまた違った匂いがした。
会場は火曜日からなので、その日は入場の手続きだけで、夕方から食事に出かけた。
テキサスと言えば肉だろう、ということで、ステーキハウスに入ったのだが、カウボーイというステーキは500gほどあった。
「革靴の底を噛んでいるような硬さだから」と事前に聞いていたが、全くそんなことはなく、「ミディアム・レア」というと、美味しく柔らかい肉が焼きたてで出てきた。
男性6人なのだが、若い人の2人は小食なのか、「カウガール」というものを頼んで周りから笑われたりしていたが、それも一興だったか。
ともかく、ダラスは「広い」。
ガイドさんに案内されて、少し市街地を抜けると、西部劇に出てくるような平原が延々と続くような大地が広がっていた。
勿論JFKが狙撃されたビルにも上ってみた。
あの、日米TV中継の時に見た景色と同じだった。
明日はもう帰国の件について書かせていただくが、今日から明日にかけて同期生との飲み会があるので、明日の起稿は多分午後になると思います。
投稿者:つねちゃん
at 06 :57
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旅行 行先編 1 今度は遠いところから その3
着いたのが金曜日の午後になったので、その日は訪問先への挨拶だけで夕方から軽い軽食を交えた懇親会だけで終わった。
私は全く感じなかったのだが、多分「時差疲れなさっているからだろう」という配慮だったのだろう。
でも、私はまだ少し飲み足りないので、英語の堪能な若い人を連れて飲み物屋を探して少しばかり徘徊した。
結局あまり聞いたことがないウィスキーを見つけて、チーズやジャーキーなどのつまみも買い求めて部屋で数人で二次会をやった。
おっと、「行先」から外れてしまいそうで、元に戻そう。
目的地のダラスまでの便は月曜日の午前中だったので、土曜、日曜は「疲れ休め」ということでフリーになった。
ホテルがセントラルパークの近くだったので、手当たり次第に歩き回った。
ティファニー前は行列だったが、一目見て「日本の女性」と分かるほどだった。
セントラルパークでは栗鼠が我が物顔で走り回っていたし、芝生をはじめとして掃除している人が沢山いたのには少し驚いた。
後で聞くと、交通違反などを起こした人がその罰でやらされているのだと聞いた。
メトロポリタン美術館へ行ったとき、玄関前にいる女性から声を掛けられた。
「日本からですか」という日本語である。
聞くと要領よく回れる日本語のコースガイドのテープを3ドルで貸しているのだという。
それを聞いて仲間のところへ戻ると「そんなに英語ができるんじゃないか」と言われたが、「相手は日本人だよ」ということで大笑い。
2時間ほどだったろうか、十分に満足して見ることができた。
夕食は、誰かがガイドブックで探してきたという「オイスターバー」へ行く。
牡蠣は私の好物の一つだから、否やはない、たっぷりと堪能して、ホテル近くのデリカテッセンで追加の飲み物とつまみなどを買う。
カウンターにいるのは明らかに東洋人のおばさんと、その娘さんだという人だったので、日本語で話しかけてみると、おばさんは中国人で、娘さんが片言の日本語を理解してくれたので助かった。
ところが、その短い帰り道、聞きなれない音が遠くでしたが、英語の堪能な若い人がフロントで聞くと「銃声」だという。
なんか乾いたような音だったが、本当かどうかは知らないが、やはり怖い。
NYはここまでで、明日からはダラス会場になります。
投稿者:つねちゃん
at 08 :07
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旅行 行先編 1 今度は遠いところから その2
昨日の最後の「出発日は」という日付を見て、このブログを読んでいただいている年代の人は、すぐに思い当たることでしょう。
そうです、湾岸戦争が勃発した日なのです。
確か午後4時くらいのフライトだったので、たんしんりょ単身寮にいた私は朝食後TVを点けて、布団の中で新聞を読み、惰眠を恣にしていたのです。
8時のNHKのニュースでそれが報じられました。
あれだけ嫌だった海外出張だったけれど、一応職位として一番上位だった私は「団長」と言われていたので、すぐに参加者全員に電話して(今のように携帯などは皆が持っていない時代でした)「会社には絶対に電話するな」「時間が早いけれどTCATへ12時までに集合しろ」と連絡しました。
家さえ出れば、会社からの「出張停止」命令は届きません。
事務方の手違いだったのかもしれませんが、シートは「ビジネスシート」でした。
最初のことだから、それがどんな意味を持つものかは全く知りませんでしたが、航路の約十数時間の間、食事の時間以外は殆ど寝る間もなく(というか怖いし、足元が寒いので寝られなかった)スコッチウィスキーの水割りを飲んで過ごしました。
ずいぶん経ってから、窓外に明らかに電灯の光が見え始め、それからも延々と飛び続けて予定のJFK空港ではなく、隣なのでしょうか、違った空港に着陸しました。
その間殆どスコッチの水割り漬けでしたが、こんな旅行も「楽しみ」の一つだったのでしょう。
CAさんとの会話は「More?」「More!」だけでした。
英会話らしきものは全く必要ありませんでした。
降り立った時には、明らかに「空気の匂いが違う」とほとんど酔っていない頭で感じました。
この分だと、今週一杯はこの旅先だけで終わりそうですが、まぁ、それもまた良しでしょう。
投稿者:つねちゃん
at 10 :28
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旅行 行先編 1 今度は遠いところから
手段編では「近間」から始めたが、今度は遠いところから始めて、近くへ寄って行こうと思っています。
遠いところというと、やはり「外国」でしょうか。
飛行機が嫌い、海外出張(旅行)などは絶対に嫌だ、と主張していた私が、やむに止まれず最初に行った先が「米国」でした。
きっかけは、仕事柄「外国の動向を見聞きしてお客様よりも少しでも先に動向をキャッチしておくべきだ」という主張が通り、毎年開催される「Inter Operability(相互運用性、とでも訳しましょうか)」というカンファレンスに参加する企画が承認されました。
そして、人選です。各部に問い合わせて各々選出してもらい、大体の様子が固まったのですが、肝心の提案元の私の部からの選出がないのです。
当初は簡単に私の直属の上司を考えていたのですが、各部からの選出選考が終わって「部長にリーダーを」と頼みに行くと、「その前の日にイギリスから帰ってくるんだよ」と言われて絶句です。
同僚(少しの職位上の上下はあるものの)の課長全てに当たりましたが、誰も行けません。
企画したけれど、リーダーがいないのでは最初から頓挫だな、ということで、上司に説明に行くと「お前が行けばいいだろう」と言います。
パスポートなどは持っていないし、片言の英語は外国から来る若い技術者との懇親会などではようやく通用するくらいでまったく自信がありません。
すったもんだした挙句結局「行かされる」ことになってしまいました。
出発日が1991.1.17です。
(続きは明日)
投稿者:つねちゃん
at 09 :08
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旅行 手段編 8(手段の終わり)
現在67歳。
あと何年健康で旅行を楽しめるかどうかわからないし、その気になっても財源が整っているか解らないけれど、リニアモーターカーと北陸新幹線のグランクラスには一度乗ってみたいなぁ。
リニアは乗下車駅までたどり着くには相当あるから、その目的だけではなく、何かの「ついで」にその高速性を味わってみたい。
多分窓外の景色を楽しむなんて期待はほとんど持てないだろうし、場合によっては上越新幹線の一部や、新大阪以西の新幹線にあるように、そのほとんどがトンネルなどということになるのではないだろうか。
途中の高速性もさることながら、飛行機のところでも述べたが、出発の時の横Gと、到着時のスムース性を味わってみたいというのが、単純な理由である。
北陸新幹線も、多分窓外の景色を楽しむことが期待ではなく、そのシートとサービスを期待したい。
東京への出張時にグリーン車を多用したが、普通車での扱いとまるで違っていたし、席も横幅だけでなく、前後もゆったりとしていた。
おかげで、移動中にも快適に仕事ができ、女性のCA(電車の場合もこういうのだろうか、わからないが)も男性の車掌さんも言葉づかいからまるで違っていた。
今度はリクライニング機能も十分だと聞く。
家内と「贅沢の極み」として東京往復してみたいものである。
来週からの2週間は「行き先」になりまぁーす。
そしてその後は「夏休みモード」にさせていただきます。
投稿者:つねちゃん
at 06 :50
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旅行 手段編 7 やはり飛行機
長距離への旅行には、やっぱり飛行機は必要不可欠な物だろう。
記念日旅行としては1月遅れになったけれど、先月末に道北へ家内と旅行した。
富山空港から羽田で乗り継ぎ、新千歳空港での集合だった。
帰りも同様の経路で帰ったのだが、天気も良く、ほとんど揺れを感じさせない空路で、幸いにして、羽根の少し前の座席で窓際が取れたので、家内もしっかりと窓外の景色、特に夜になって富山空港への着陸の時の滑走路が素晴らしいと感激していた。
とはいうものの、私が最初に飛行機に乗ったのは、一種の騙しに遭ったようなものだった。
上司(九州の人)と新入社員(広島出身で九州大学卒業)とで、四国へ出張することになった。
常日頃「私は飛行機が嫌いだ。軽金属で作られているからと言って、あの巨大で相当の重量がある物体が離陸や飛行中は嫌いな物理の原理で飛んでいるが、着陸というのは『どううまく墜落するか』ということであって、危険極まりないものだ」と大きな声で自分の怖さを糊塗していた。
ところが、新入社員が買ってきた切符は、一つは今まで見慣れた国鉄(当時)のものだったが、もう一つは見たことのない切符だったので、「なんだこれはっ!」と叫んでしまった。
地声が大きく、それが一つの特徴だったので、フロア中にこだま谺した、とは後で聞いた話だったが。
新入社員の「行くときの指定券が取れなかった」という言い訳と、上司の「時間がないから仕方がないよ」という説得で、仕方なく乗ったのが最初。
松山まで一気に行けばいいものを、ご丁寧に大阪で乗換という「危険極まりない墜落」を二度も味遭わなければならなかった。
窓外の富士山も目に入るどころか、大阪で降りた時には握った掌が汗でじっとりしていたことを思い出す。
仕事の幅も広がり、それからは全国をまたにかけての出張族となって、飛行機も必需品になった。
あまり見慣れない景色が一つだけあって、それが随分強く印象に残っている。
どこへ行った時だったか、何らかの都合で飛行機が大旋回したようで、窓からの上空がまさに「宇宙」を見ているかのように見事なグラデーションに見えたことだった。
あれが初めで今のところ最後の景色だった。
存命中に宇宙旅行などできる訳がないけれど、いろいろな映画で似たような景色を見るたびに懐かしく思い出す。
窓外の景色は夕方から夜にかけての「墜落(着陸)」の滑走路の景色を見るのが、今でも楽しい。
投稿者:つねちゃん
at 08 :21
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旅行 手段編 6 新旅行システム交通機関
今まで紹介してきたもの以外にも、いろいろな交通機関があって、その沿線旅行だけでも随分と楽しめるものである。
モノレールは、今ではかなり「至る所」にあるが、やはり最初に乗ったのは羽田まで行くものだった。
ところが、目的地は羽田ではなく、今はあまり催し物がないのだろうか、その場所を聞かないけれど、TRC(東京流通センター)だった。
デジタルやコンピュータ、通信という私の専門分野以外の分野の展示会も良く開かれていて、興味津々で見に行ったものである。
その途中駅の競馬場(尤も今まで競馬場で馬券を買ったことはなく、もっぱらネットでの購入だけなので、雰囲気を見に行った)、何か仕事の関係で下車したが、その後の時間で田舎者ゆえに物珍しく歩き回った「天王洲アイル」、国際線というものはどんなものかの雰囲気を知るためだけに降りた「国際線ビル」。
また、リタイアする少し前にできた「ゆりかもめ」。
最初は仕事の関係で新橋から終点の豊洲まで乗ったのだが、仕事が終わった後でその途中駅での懇親会。
だから「自分の意志」で乗った訳ではなかったので、あまり記憶がないが、やはり有明の国際展示場、船の科学館、評判を呼んだお台場(私としては特別興味が湧くものではなかったが)などは、本当の「旅行気分」であった。
確か「運転手」のいない初めての電車じゃなかったろうか。
そのどちらも、かつて手塚治虫だったかの漫画で見た「夢の交通システム」だったと思うのだが。
それに因めば、まだまだ「空飛ぶ個人飛行機」などがあり安全第一だろうけれど、まだ出てくるのだろうなぁ。
投稿者:つねちゃん
at 08 :27
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旅行 手段編 5 新幹線
先日新幹線ができて50周年になる、との記事があった。
私にとっても、新幹線ではこれだけで物語がふんだんにある。
最初に新幹線に乗ったのは、以前にも紹介したかと思うが、当時の電電公社の研修機関だった、調布市にあった「中央学園」への入学の時だった。
昭和43年3月末で、入学式が4月1日だった。
まだ雪の残る北陸路を在来線の特急で走り、北陸トンネルを抜けるとまったく雪が無くなっていた。
米原からの乗り継ぎで、こだま号に乗り、その速さに驚いた。
それから2年間研修所にいたが、帰省はもっぱら「安い」信越線軽油を使っていた。
昭和48年に家族を連れて本社へ転勤してからも、帰省はもっぱら「安い」信越線経由だった。
でも、一つのプロジェクトを完遂させてからは、全国への出張が多くなり、東海道新幹線はもとより、それ以来なぜか「出張組」的に扱われたので、新幹線を使うことが随分多くなった。
上越新幹線ができた時には、2階建ての車両で、出張費に少し上乗せしただけで、グリーン車が使えたので、もっぱらそれを使った。
ふんだんな話を開陳するだけのスペースがないが、来年開通する北陸新幹線には、最上級のグランクラスで家内と一緒に旅行してみたいと思っている。
それまでは健康にも気を使いながら過ごしたいものだ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :15
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旅行 手段編 4 変わった長距離電車
でも変わった長距離電車の旅ももっと味わいがある。
「変わった」という表現は正直あまり適当ではないのかもしれないが、その時まで私は電車の「そんな乗り方」があるとは全く知らなかった。
出発駅があり、到着駅があるだけで、新幹線から、在来線というような、途中乗り換えがあることは勿論知っていたのだが、それにせいぜい「往復」という扱いがあること位だった。
ある時中国地方を何か所か(これも具体的な場所名はリタイアして相当経った今でも明かすと不都合がありそうなので言わないが)経由して、北陸を回って一日おいて信越へ行くという「出張続き」を余儀なくされた。
命ずるほうは「何度か飛行機を使えば簡単だろう」と思っての出張命令だったのだろうが、後で「飛行機」のところで詳しく書かせていただくが、この時まで飛行機という乗り物は使ったことがなく、ましてや一人で乗るなどという度胸は全く持ち合わせていなかった。 困っていると、学生時代に「電車で旅行することが趣味」という後輩(暫くするとすぐに偉くなっていったが)が教えてくれた。
小さな時刻表を私に買わせて、事細かく経路を教えてくれたのである。
特急や急行電車ばかりではなく、経路の途中は各駅停車も活用した。
そして北陸から信越の「一日おいて」の日はお休みをいただいて、無事に出張を終えたのである。
勿論任務は完全に遂行したうえでである。
この時の経験で、その後3度ほど同様な手口を考えながら出張旅行(不謹慎だなぁ)を楽しんだ。
偶にはこんな旅行もいかがですか。
いまでもあるのかなぁ「青春18切符」18は年齢ではなかったはずですから、いくつになっても使えたはずですよ。
投稿者:つねちゃん
at 06 :45
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旅行 手段編 3 やはり電車
散歩(徒歩)から自転車そしてバスときたが、やはり「旅行」となると一般的に考えられるのは「電車」なのだろう。
高校生の頃まで、こちらのほうでは、汽車が走っていた。
だから、汽車もその範囲になろうが、山口のほうへ家内と行った時に「物珍しく」乗ったのが今のところ最後である。
通学は多分殆どが汽車だったが、残念ながらそんな時は「旅行」という感覚がまるでなかった。
就職してから2年間も「ディーゼル」という汽車を利用していた。
それはさておき、会社の研修所へ2年間在学したのが東京の調布市だった。
そこまでは時折新幹線を使ったりしたが、大体は在来線の夜行列車だった。
これが自分としては初めての「旅行」だった。
季節によって違うけれど、小説の「雪国」を思い出させるような景色に出会い感激ししたことや、今まで雪景色だったのが、気が付いたら窓外が黄色のじゅうたんを敷いたような菜の花畑に変わっていたりしたのもいまだにまざまざと思い起こせる。
でも、一度だけだが、一人でローカル列車を使った旅行をしたことがある。
もう時効だろうから紹介するが、ある時出張に出かけたのだが、思った以上に物事が解決したので、2日間ばかり時間が余ってしまった。
当時は携帯電話などが無く、追いかけられる心配もなく、どう過ごそうかと思案した挙句の行動だった。
出張先(そこまでは時効でも言えない)から職場へ戻るまでは自由に使えるのである。
時刻表を買って探しながらの旅行は本当に楽しかった。
今はもうそんなことはできないし、携帯は便利だけれど、すぐに探されてしまう。
さればとて、電源を切っておくほどの度胸はない。
でも、体力のあるうちに、そんなに遠くではなくても一度やってみたいと、心は少年に戻った気分になる。
投稿者:つねちゃん
at 06 :13
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旅行 手段編 2 バスはどうですか
先日もバスによる団体旅行で北海道北部の宗谷岬を初め、礼文島、利尻島観光をしてきた。
前週までは土砂降りだったり、一部で土砂崩れなどの被害が出たとのことで、被災された方には申し訳ないけれど、2泊3日の工程は快晴続きで、利尻富士も十分に堪能できた。
話をテーマの旅行としてに戻して、バスを使っての旅行となると、大体は「同一グループ旅行」ということが今までだったので、景色を眺めるよりもいつもの仲間との会話に花が咲くことが多いのではないだろうか。
でも、一人でのバス旅行をぜひやってみてください。
路線バスでも、今までは運転することが主だったものが、座席が一段高く、感覚が全くと言っていいほど変わってきます。
「へぇー、こんなところにこんなものがあったのか」という楽しさが味わえます。
今の都内を走るバスには無くなったのだろうと思いますが、平成になる少し前までは、どの路線だったか忘れましたが、女性の車掌さんが乗っているバスがありました。
いわゆる「ツー(ウー)マンバス」ですよね。
「どこそこへ行かれるにはこちらでお降りいただくのが便利です」と肉声で案内されていました。
ぜひバスでの旅行を楽しんでみてください。
我が町では、金曜から月曜まで市内名所を循環するバスが無料で運行されています。
お時間があれば、ぜひ一度「小矢部市観光」を楽しんでみてください。
宣伝でしたが、どこからもスポンサー料はいただいていません。(^◇^)
投稿者:つねちゃん
at 08 :20
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旅行 手段編 1
昨日も書いたように、旅行と言ってもかなりの幅があるので、いくつかのカテゴリーに分けて書かせていただくことにする。
まずは散歩だろうが、自転車と電動自転車も含めることにする。
エクササイズとしての散歩は「旅行」とは違うので、割愛する。
旅行としての散歩を意識しだしたのは、最初の単身赴任の頃だったろう。
寮は杉並区にあり、井の頭線の駅まで歩いて10分足らずだから、通勤という意味では随分と恵まれた環境にいた。
土日が休みだったから、どちらか天気のいい日を選んで散歩に出た。
出ない日は掃除と洗濯である。
初めて住んだ「杉並区」という所にはやはり昔の江戸らしく、名所旧跡が至る所にある。
まさに「毎週旅行」という気分である。
いまでもあると思うが、都庁へ行くと、「散歩マップ」というものが区ごとよりももう少し細かく記載されたものが置いてあったので、それを中心に使った。
10時ごろに寮を出て、当時は今ほどコンビニのお弁当の品揃えがなく、お弁当屋さんがあったので、好みの弁当と自販機で冷えた缶ビールを買い、至る所にあるミニ公園で他人様の邪魔にならないように寛いで食べ、しばらく午睡してからまた約3時間ほど歩いて、帰るというのが楽しい旅行だった。
リタイア後は、それまで「寝に帰る所」だった我が家とわが町を散歩旅行で楽しんだ。
子供の頃と同じ所があったり、全く様相が変わった所があり、個人的な名所旧跡回りだった。
そのうち「少し遠出」ということで、子供が使っていた自転車を修理して使って、しばらくしてそれもダメになり、住まいが少し高台なので「電動自転車」を購入して「もう少し遠出」で、いま一つの懐古的な運動がなされている「加越線」というもので、最初の就職地だったところまでも足を延ばしたものだ。
手段としての速度が遅くなればなるほどしっかりとした変化が楽しめる。
最近テレビでたまに見かける「ローカル線の旅」というのもそんな視聴者を相手にしているのではなかろうか。
投稿者:つねちゃん
at 07 :49
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旅行は大好きである
本日より、テーマを旅行とさせていただきますが、以前に書いたように、途中孫の夏休みと同様に25日から8月末日までは私も夏休みとさせていただくつもりです。
夏休みの間は、テーマとは別に、今までの「採用された投稿」を、そしてそれが無くなったら「没になった投稿」でつながせていただきます。
今日までの半年で、結構採用されているものですが、当然ヒット率は20%程度でしょうか。
話を本題に戻して「旅行」と言っても色々なものがあります。
身近なことから言えば「散歩」も立派な旅行だと思っています。
「なぁーんだ」とは決して言わないでください。
「今まで行っていない所」ばかりではなく「行った所でも同じ時期に行っていない所」では違った花が咲き、景色も少しずつ変わってきているものです。
歩くだけではなく、自転車、少し横着して電動自転車というものもあります。
次がバスでしょうか、そして電車(かつては汽車)、それも各駅停車、準急、快速、特急、新幹線などです。
そしてだんだん無くなりつつある「夜行列車」も楽しみでした。
そして飛行機を使っての国内ばかりではなく、海外旅行(出張報告で「旅行」と言ったら上司から叱られました)もありますよね。
自分が旅行しなくても、他人を旅行(出張)させた、という時期もありました。
ともかく、父が国鉄職員だったこともある意味影響しているのかもしれませんが、旅行が大好きな少年だったのです。
どうも夏休みを考えると、9月まで続いても終わらないかもしれませんから、うまくカテゴリーを整理して順次書かせていただきます。
投稿者:つねちゃん
at 06 :38
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