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2010 年10 月29 日

孫の写真

 そろそろ月末であり、HPの更新のための素材収集を始めなければならないのだが、気が付いてみると「外の内孫」(外孫ではあるが同居している)の写真が成長と共にだんだん減っている気がする。
 決して「飽きた」という感覚ではなく、毎日毎日が愉快で堪らないくらいたくさんの表情や行動を起こしてくれている。
 カメラにこそ収められないが、家内を含めて十分に脳裏に焼き付けているのだから特別文句など言うことも無い。
 昔よく聞いたし、部下に子供が生まれたときにも餞として送った言葉に「子供は3歳までに十分笑顔を振りまいて親孝行してくれるものだ。だからそれ以降、過大な期待は親子共々不幸になる」と言うものがあつた。
 そういう意味では、頭は小学1年生、下は年中組で、3歳をとうに過ぎているのだが、まだまだ十分笑顔や行動で愉しませてくれているので、感謝しなければならないのだろう。
 でも、それではHPが間に合わないので、仕方なく「作りポーズ」をお願いしたり、シチュエーション作りに気を使わねばならないのが一つの苦労であり、楽しみでもある。
 今月末には、「チューリップの球根植え」と言うシチュエーション作りの準備は完了した。
 脳裏に焼きついた画像や映像を写真やビデオにする技術の研究開発が進んでいると言う。
 できればそんなものも使いたい気持ちにはなるのだが、果たしてそうなった場合「記憶の整理」と言う面での課題はどうなるのだろうか。
 まぁ、持論の「生涯120年説」が実現できたとしても、それまでに実用化されることはないだろうから、余計な心配なのだろう。
 「内の外孫」(内孫だけれど別居している)の写真は定期的に届けてくれるようにはなっているのだが、その分脳裏に焼きつく分が少ないのが少し残念である。
 同居すればそれなりの課題は生ずるのだろうが、できれせめて「スープの冷めない距離」くらいにはいて欲しいと思うのは、爺の無理な願いか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :34 | 子育て | コメント(0 )

2010 年10 月28 日

空気を着る

 つい2ヶ月ほど前には、市民プールで思い切り「水を着て」涼を愉しむと共に、健康にも配慮した「水中ウォーキング」を愉しんだものだが、つい昨日くらいから最低気温が一桁になってしまい、最高気温も四捨五入すると10度という事態になっている。
 まだ箪笥の中身は夏用もしくは厚手の半袖と言うようなあい物ばかりなのだが、家内も留守だったので、捜し求めて漸く冬物を探し出して、今度は「空気を着る」事態に急遽なった。
 まぁ、どちらにしても「健康維持」ということには変わらないだろうが、これからは食べ物も素材の美味しさに加えて、鍋を中心にした調理方法も多彩になってしまう。
 風邪などを引かないように、ということで「空気を着る」のだが、半面で皮下脂肪というどてらに近く、簡単に脱ぐ事が出来ないものを着る事になってくる。
 おまけに、大好きな「日本酒」がやっぱり熱燗で美味しく飲める事になり、各種の会合や忘年会などを中心に目白押しになってくる。
 在職中は、「付き合いも仕事のうち」とばかりに、こちらから仕掛けることも多かったのだが、最近は「付き合いこそが日頃の仕事」と言う事になり、家内も「仕方ないわねぇ」と言いながら時には会費までも「交際費」ということで支出してくれるからありがたい。
 一頃は医者から言われた目標の75Kgに近接していた体重だけれど、徐々に76から77になってきているのが、一つの恐怖である。
 着る物はそこそこあるので、重ね着をしてできるだけ「空気を着る」様にして、着脱可能にしておき、それが簡単に出来ない「皮下脂肪」や「内臓脂肪」と言う「着物」は出来るだけ着ないようにしたいものである。
 でも、お酒も美味しいし、料理を中心に素材も美味しいので、果たしてどれだけ確たる信念を持ち続ける事が出来るか、恐れと楽しみと相俟って複雑な気持ちである。
 なぁーんと言っちゃって、饅頭怖いと言う落ちになるのが毎年の常(私の名前に引っ掛けて)である。

投稿者:つねちゃん
at 12 :39 | 健康 | コメント(0 )

2010 年10 月27 日

書き写しの意味の変遷

 「写経」ならぬ「書き写し」の当初の目的は、ワープロを使い始めた頃から「手書き」という事が殆ど無くなってきて、ある程度の文字は読めるが、書く事が非常に不得手であり、少し長い文章を書き始めると、思いは巡るのだが、中々文字として出てこず、あまつさえ手が震えて元々「綺麗な字」など書ける訳ではないが、「ミミズがのたくった」様な字しか書けない事に気が付いてのことだった。
 般若心経はもう540回近くになり、政宗、家康、光圀の三君の遺訓ももう大分回数を重ねた。
 般若心経の深い意味は判らずとも、その片鱗が「判ったような気持ち」になっているのは「門前の小僧」的な感覚であろうか。(この感想については、今年の最後に書かせていただこうと思っている)
 三君の遺訓についても「これは確かに」と思う所と「これはどうかなぁ」と思う所があるものの、それなりに感ずるところがあり、書き写しから感情移入に近くなってきている。
 この間に、例によって色々なものにも「浮気性」で手を出し、徒然草は完了、歎異抄も完了、我が家の宗旨である関係から「御文」というもの完了した。
 途中から気がついて始めたものに「暦」もあるが、これも毎日続けている。
 これだけで決して十分とは言わないが、当初からの意味合いが少しずつ「意味を理解する」と言う事に移り変わってきた気がする。
 般若心経は今年一杯で辞め、遺訓も今年一杯までにしようと思っている。
 こうなってくると、やらないと何かその日忘れ物をしたかの如く感じられて、来年は別のものの書き写しを考えながら物色中である。
 また、朝起きてすぐにやるので、ウツラウツラした頭がうまく切り替えられるような気がしているので、これも効用の一つだろう。
 書き写しは楽しいものです、一度何か初めて見られてはいかがでしょうか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :54 | 健康 | コメント(0 )

2010 年10 月26 日

愉しい、楽しい

 先日の「自分勝手でも」に関連するし、人によっては「とうとうあいつも極楽トンボボケが始まったか」と言われるかもしれないテーマなのだが、最近の日記を読み返して見ると表題の言葉がかなり頻繁に出現してくる。
 改めて辞書を引いてみると「心のわだかまりが無く、満足な様子」らしい。
 ちなみに私の愛用している日記ソフトは過去2年間の同日が表示される設定になっているのだが、過去には殆どその表現は出てきていない。
 孫の一挙手、一投足、言葉遣いや新しく学校などで覚えてきたのだが、まだ十分にその言葉を理解しないままに使っての発言などなど、些細なことばかりなのだが、それを見聞きするたびに思わず微笑が出てきてしまう。
 それを嗜めたり、叱り付けたりする家内や母親である娘の言動についても「それはあんたを見て育ったのだよ」と口には出さない(そんな事をしたらこちらに矢が飛んできて、とても愉しい話にはならないので、沈黙を決め込んでいる)が、内心微笑んでいる自分を鳥瞰図を見ているかのように愉しい。
 現実的な事でも、先日今が適機なのだろうが、玉葱の苗を100本680円で買って来た。
 事前に、それ用の畝として、丁寧にならして置いた所に100本分の植え穴をつけてから始めたのだが、なんと実質には125本あり、おまけに近くの種苗屋で見ると、700円していて、ここでも20円儲かり、25本儲かった、と言うような事がとても愉しい。
 毎日の新聞報道では、政局、外交、天変地異などなど決して愉しくないものが多いのだが、それはそれとして、憤慨するところは憤慨し、時々は新聞に怒りをぶちまけたりしてはいるのだが、気が付いてみれば「そんな事が表現できる」ということについても「楽しみ」なのだろう。
 この「癖」はいつまでも持ち続けたいものである。
 例え、他人様から「下らない」と言われてでも。

投稿者:つねちゃん
at 06 :43 | 健康 | コメント(0 )

2010 年10 月25 日

ネクタイ選び

 先日久しぶりに表記のことを「すべき」事態に遭遇した。
 現役時代には、平均すると月に1本くらいは新調して、古いものはその都度処分していたので、大体はどんなものが残っているかは目処が付いており、「選ぶ」にしてもそんなに苦労することは意識すらしていなかった。
 ところが、現在は冠婚葬祭用には決まったものがあり、それに加えてカフスとタイピンもほぼ決まったものを着用しているので、殆ど「選ぶ」と言う行為を意識することはなく過ごしていた。
 久し振りに「意識して」「選ぶ」と言う行為をやってみて、なんと不要なネクタイが多いのかに気が付いた。
 また、紗の生地の物や厚手の綿の生地のもの、家族や人様からもらった「記念の品」としてのものも捨てるに捨てられないものが多い。
 その点自前で買ったものは、その多くが、園芸高校時代にある先生が「退職したらこんな用途に」と進めてくださった「ベルト代わり」に流用してしまっている。
 さほど気張った会ではないが、さりとて多くの先輩方とも親しく歓談する機会であり、まさかに「変な格好」も出来ない。
 結局選んだのは夏でもなく、さりとて秋色濃い秋物でもなく、言ってみれば「差し障りのない物」になってしまったので、それならば最初から手当たり次第にすれば良かったと後悔しながらも、苦笑いしてしまった。
 でも、サンデー毎日とは言うものの、TPOをある程度弁えた格好を気にしながらやっていかないといけないなぁ、と肝に銘じた事態だった。
 スーツの新調は現役時代ほどではなくとも、3年に一度くらいはしたいし、それよりもカジュアルウェアについては、季節物は別にして、最低でも年に2着くらいは新調し、新陳代謝を図りたいものである。

投稿者:つねちゃん
at 09 :06 | 日記 | コメント(0 )

2010 年10 月22 日

自己満足でも良いじゃないか

 先日あるクイズ番組で知ったのだが、明治時代にも「ええじゃないか」と言う運動があったとのことである。
 信長の時代にも、同じ様な事があったと、歴史の点数は結構悪かった私が言うのもおかしいが、どちらも「自棄のヤンパチ」から出たことだったのではないだろうか。
 表題は、決してそうではなく、自分が自分なりに(この辺が私の曖昧と徒然の原点である)努力して、たどり着いた地点が自分で納得できたのであれば、それで十分に満足なのではないかと言うことである。
 その地点が、他人様から見れば、取るに足らない、いやむしろ「何だまだその程度か」と謗られたにしてもである。
 「上見れば果ては無い、下見ればキリが無い」とはよく言われることだが、まさにそのとおりだと思っている。
 たとえば、私がもう何年も続けている「小銭貯金」だが、年末近くにはそれでも数万円が貯金できている。
 人様から見れば「年間たったのそれだけか」と言われるかもしれないが、それで自分としては十分なのである。
 かといって、目標を決して安易なものにしている訳では「無い」と自分では思っている。
 他人様と比べるのではなく、自分で出来ることを出来るだけの努力をして、僅かでもそれに到達できれば、精神面でも健康この上なしでは無いだろうか。
 さぁ、今年もソロソロカウントダウンの時期が近づきつつある。
 目標達成が何処まで出来たか、出来なかった場合には今後どうしたら出来るだろうかと来年に向かって計画する時期でもある。
 で、出来ても出来なくても「自己満足で良いじゃないか」。

投稿者:つねちゃん
at 06 :55 | 健康 | コメント(0 )

2010 年10 月21 日

アピール下手の富山県人

 このテーマについては以前にも書いたように思うが、次のように新聞投書したように、今更ながら思うと共に「思っているだけでは駄目だ、有限実行しよう」とのことで再度載せていただく事にした。
(新聞に採用された分)
 富山の貢献アピールを
 チリの鉱山事故で、無事に全員救出できたことは喜ばしいことである。
 その裏に富山県企業の活躍があった。
 消臭下着の寄贈が精神的な安らぎを与えたことは、容易に推測される。
 富山県人はこのことを大々的にアピールすべきではないだろうか。
 在職中に全国の出身者と交流があったが、富山県人はよく言えば「沈思黙考、無言実行」型であり、中々評価の対象とならないのが常だった。
 10やった事を100以上にも言うことは論外だけれど、きちんと10として主張すべきではないだろうか。
 県民がこぞっていろいろな場で主張して、富山県の活躍、ひいては富山県の企業倫理というものをアピールできるのではないだろうか。
 「コツコツやっていれば、誰かが評価してくれる」と言う時代ではもうないことを自覚すべきだろう。

 この具体的な企業名は、運動着(古い言い方だなぁ)メーカーの「GoldWin」である。
 まさに地元の小矢部市が基準点(現在本社機能は東京都半々になっているとのことだが)の下着メーカーであり、母の実家の近くに会長さんの家もあるとのことで、母とは旧知の間であると聞いている。
 決して右肩上がりの営業成績ではないと聞くが、それでもこれだけのことをしているのは鼻高々である。

投稿者:つねちゃん
at 09 :12 | 子育て | コメント(0 )

2010 年10 月20 日

表札の表記は

 季節も秋本番になり、先日の「食欲の秋」と同時に「スポーツの秋」でもある。
 ちなみにここ富山県では昨日まで「スポレク大会」が催されており、全国から沢山の人においでいただいた。
 私自身はそれらに全く関与していませんでした。
 また、決してお招きしていないのだが、本来は山を中心に生息しているはずの熊が海岸にまで出現して人間に怪我を負わせたという。
 熊にとっては「食欲の秋」ではなく、冬眠に備えての蓄積が不可欠だろうから、必死なのだろう。
 それはさておき、気持ちが良い「ウォーキング」を始めている。
 目標は75Kgの体重なのだが、残念ながら年内には達成できそうに無い。
 そんな中で気が付いたのが、表題の通り「表札」である。
 諸姉・諸兄のお宅の表札は、フルネームですか、苗字だけですか。
 我が家は苗字だけが長い間続いているようで、過去のものが保存してあるのだが、1枚を除いては全て苗字だけになっている。
 勿論その1枚は父の名前であるが、他のものと比べてまだ新しいようで、そんなに長い間表札の役目は果たしていなかったのではないだろうか。
 家族揃ってのアパート暮らしでは、私のフルネームだけでなく、家族全員の名前を書いたものを使っていたから、それは表札ではなかろう。
 それは主に郵便屋さんや宅配屋さんに対する親切で「この人はこの家にいますよ」というものだろう。
 それは今でも我が家に張ってある。
 それはあくまでも「仮住まい」ということの表れではないだろうか。
 フルネームの表札は私の見た感じでは7:3くらいで少なかったろうか。
 子々孫々まで続く家というものは中々難しいだろうが、せめて表札だけは一代限りにならないように祈るばかりである。

投稿者:つねちゃん
at 10 :04 | 興味あること | コメント(2 )

2010 年10 月19 日

味はいつも「サプライズ」である。

 気がつくと結構「食べ物」関連のテーマが続くのは、やっぱり何はさておいても「食欲の秋」と言うところだろうか。
 時折(ショッチュウじゃないか:自己突っ込み)炒飯や炒め物、雑炊などの手作り料理
を私独自の食事の一環として愉しんでいる。
 時折家内や娘が「お味見」(例によって余談になるが、孫が最初にこれを覚えた時には「オヤジ見」と言って笑わせてくれたものである)と言って、つまみ食いし、その半分以上の確率で(自分の腕が上がったのか、それとも相手の嗜好が変わったのかは判らないが)「これっ、美味しい!!!」と言ってくれる時がある。
 それに味を占めて「お父さん、この間の料理を作って一品にして」と言われて、腕を振るうと、大概の場合は「これっ、何???」と不評になるのが殆どである。
 私の場合の調味料や更新料、具剤の量などは「目分量」と言えば体裁は良いが、「あるだけの量」だったり「食べられる量」だったりするので、毎回「似たような味」にはなるが、薄かったり(この場合は血圧に良いのだ、という言い訳をしている)、辛すぎたり(この場合の言い訳は、カプサイシンは余計な脂肪を消費してくれ、ダイエットに良いのだ、である)で「常にサプライズ」なのである。
 だから「以前作ったもの」と言われても、材料や調味料が同じでも味は一定していない。 だからこそ「私だけのメニュー」なのである。
 私だけのもの、なのでいつも楽しくサプライズの味を愉しんでいる。
 男子厨房に入るを許さず、の時代ははるか昔に過ぎて、「男の料理」関連の本が書店に並んでいるが、そんな物には全くと言って良いほど興味が無い。
 なぜなら、其処には「アドベンチャー」としてのサプライズが見られないからである。
 以前醤油と勘違いしてソースを入れたり、小麦粉を間違えて片栗粉を入れたりしたが、それだってアドベンチャーである。
 還暦もトウに過ぎたが、ささやかなアドベンチャーをこれからも愉しみたいものである。

投稿者:つねちゃん
at 10 :32 | グルメ | コメント(0 )

2010 年10 月18 日

味噌汁の味

 先日連続して2日間、朝の味噌汁を作らなくても良い(飲む人が私一人だという意味である)事になった。
 基本的に朝は、ご飯(チャーハンでもオジヤやお粥でも良いのだが)に味噌汁や香の物は欠くべからざる品なのである。
 したがって、窮余の策として、久しぶりにインスタント味噌汁を作ってみた。
 色々と研究されているのだろうから、基本的に「万民向けの美味しさ」なのだろうが、基本的に私にはどうもしっくり来なかった。
 最初の日は、生味噌タイプのもので、乾燥豆腐とワカメ等が入っているものにした。
 次の日は、同じものはやっぱり嫌だったことと、味がもう一つということもあったので、顆粒タイプのもの(こちらは乾燥揚げと葱などが入っていた)を飲んだ。
 結局どちらも口に合わなかったというのが本音である。
 それでも、若い時には平気で毎日のように飲んでいたような気がするし、在京時の昼飯を弁当販売で賄っていた時には、生味噌タイプのものを決して「仕方なく」ではなかったように飲んでいた記憶もある。
 年齢とともに味覚も変わったのだろうか、現在のものはとても3日は飲み続けられない。
 手前味噌、という言葉ではないが、毎日使い慣れた味噌と出汁の元(煮干で本格的に出汁をとることはよほどの場合でないとしていない)で、味の濃い/薄い、具は何でもと言う手作りの味噌汁(味噌は買っているのだが)は毎日でも飽きることは無い。
 何がどのように違うのかは私の味覚感覚ではとても慮ることは出来ないが、これからは矢張り手作りにしたいと思っている。
 簡単に出来る味噌汁を御紹介すると、いつも使っている味噌に出汁の元の顆粒状のものを一振り、それに乾燥ワカメを入れたものに熱湯をかき混ぜながら入れて出来上がり、というものである。
 使うお湯はポットのものではなく、必ず沸かし立ての熱湯をお使いになることをお勧めする。
 なぁーに、かき混ぜているうちに適温になりますから。

投稿者:つねちゃん
at 10 :30 | グルメ | コメント(0 )

2010 年10 月15 日

ラジオ時計

 我が家には、それなりに多くと思われるほど時計が置いて(掛けて)ある、と思っている。
 各部屋には勿論、トイレや廊下など「折角あるのだから」と言うことで配置しているつもりである。
 だから、最近の電波時計はそうでもないが、あちらこちらで時刻が微妙にずれている事があって、慌てたりする事があるのも弊害の一つかもしれない。
 最近、小学校にも大分慣れた孫が時計を見ることなく「もう学校へ行く」と言い出すのを見て「何故時計も見ないのに判るのか」といぶかしんでいたのだが、根拠が判ってずいぶん昔の自分を思い出していた。
 表題の通り、ラジオで決まった時刻になると入るCMが契機になっているのである。
 ある自動車メーカーのものだが、たいていのCMと言うのは、季節によって変わるものだが、これだけは判で押したように決まりきった出出しなので、それを契機にしていると言うわけである。
 若い頃は私もそうだったことを思い出して「子は親に、孫は爺婆に」自然と伝わるのであろう。
 落語にあるように「先々の時計になれや小商人」と同様に、決められた時間になると聞こえる「声」は貴重なものである。
 だがしかし、私の失敗は孫も同様で、その時間になるまでに準備万端整っていれば、何等苦労することもないのだが「エッ、もうこんな時間」となると、アタフタして、出かける事になり、結果としては「忘れ物」と言う事態に陥ったり、パニックの結果「もう行かない」と駄々をこねたりするのは、かつての自分を見ているようで叱るよりも微笑が先に来る。
 結局「爺バカ」の体たらくではある。

投稿者:つねちゃん
at 08 :32 | 子育て | コメント(0 )

2010 年10 月14 日

猫まんま

 先日の「ケチだと思われそうだが」に関連したテーマで、恐縮だが、発想の元がまるっきり違うのでご容赦願いたい。
 「ねこまんま」で変換を掛けると(私のPCだけかもしれないが)「猫飯」になるので、すでに一般用語として流通しているのではないかと、ためしに手持ちの広辞苑と電子辞書でも引いてみたが残念ながら載っていない。
 私流の定義では「残った(残り物で無ければならない)味噌汁(基本的に味噌味であって、如何に高級なおすまし汁などではあってはならない)を残ったご飯(これも残り物が基本である)に『ぶっ掛け』(これも静々と注いだのではならない、と思っている)た物」である。
 諸姉・諸兄の多くは「そんなに見っとも無い真似をしてまでも残り物を整理しなくても」と窘められたり、眉をひそめられたりするだろうが、流石の私も外食や会食ではそんな事をするのはルール違反だと知っているつもりなのでやらない。
 先日、久しぶりに「猫まんま」を食べる機会があった。
 前日に私が作った(味噌汁当番として確立している)味噌汁を帰りが遅くなる娘のために冷蔵庫に保管してあったもの(弁明ではないが、決して「お父さんの作ったものは不味い」からではないのは、大体いつも完食しているからだろう)と残りご飯を使って、私流の味付け(一般的には少し激辛)にして食べた。
 青味としては青紫蘇の葉をみじん切りにして入れたが、これが結構なアクセントになっていた。
 こんな事が私のグルメの一つだが、「勿体無い」の精神に則っており、自己満足している。

投稿者:つねちゃん
at 12 :55 | グルメ | コメント(0 )

2010 年10 月13 日

係累

 先日の葬儀が一つの契機となって、我が家の係累と言うものを改めて探った見る気になっている。
 確か本家筋になる方が、父方の家系図を整理されて限定出版されていたものを見た事があるし、母方についても同様な、こちらは回顧録をも入っていた様に覚えているが、あったはずである。
 就職して、2年後には在京の研修所生活、帰って3年間は家は「寝る場所」になっていた。
 両親も元気だったし、父も転勤を余り経験した事がなかった所為もあるのか、私の転勤については常に「良し」の態度だったので、それに促されたこともあるが、元々は嫌いだった、コンピュータの仕事が「好き」から「大好き」になったことも幸いしてか、7年間の本社で全国的なシステム企画・開発に没頭していた。
 その間に二人の子供も生まれたが、家内にまかせっきり(今でも恨み節を言われる)で仕事が楽しくて仕様が無かった。
 そんなこともあって、会社人間一筋だったので、親戚関係が全くわからなかった。
 最も良く知っているのはたぶん妹だろうが、前述した家系図などを元に、遅ればせながらではあるが、辿ってみようと思い始めた。
 母方は13人の兄弟姉妹で、父の年齢と同じくらいの従兄弟が居たこともうっすらと覚えている。
 父方は4人の兄弟姉妹だが、今回の葬儀で、その母親が9人の兄弟姉妹だったことも聞くと、楽しみがいや増すと言うものである。
 今年はもう残すところ3ヶ月を切ったから、来年の大きな課題として、今年は助走期間とでもしておこう。
 決してかつてベストセラーになった「ルーツ」を気取る訳ではないけれど、「知る楽しみ」として緩々と徒然の精神を忘れずに愉しみたい。

投稿者:つねちゃん
at 08 :41 | 興味あること | コメント(0 )

2010 年10 月12 日

挨拶は相手に聞こえるように

 孫自慢になる訳ではないが、殆どの場合朝起きてきたら「おはようございます」、夜寝る時には「おやすみなさい」と元気な声で挨拶する。
 私の近くで私に聞こえるような声だが、時々は少し離れた所にいて聞こえないと認識した母親である娘は「挨拶はっ」と朝から叱り付ける様に怒鳴り散らす。
 私が「爺ちゃんには聞こえたよ」と言うと一応は納得してくれるのだが、矢張り挨拶は相手(それが不特定多数の場合もあるが)にはっきりと聞き取れるような声で言うべきであろう。
 在職中に「一言お願いします」と言われて、特別のテーマが思いつかなかったり、思いついていたテーマを先に人に言われて在庫が無い場合には、「思いついたことは、人に聞こえるように大きな声ではっきりと」と言う趣旨のことをその場にあわせて言ってお茶を濁した事があった。
 お茶を濁した、と言う表現は謙遜で、当時は自分ではかなり満足していたし、私自身がいつもやっている事だったので、誰からも反論が出なかったから、それなりの「一言」になったのだろうと自負している。
 相変わらず余談になるが、咄嗟に「一言お願いします」と言われてもすんなりと1分くらいのスピーチが出来るようにならなければ、管理職として殆ど役に立たない、と私は思っている。
 そういう意味では、矢張り本を多く読んで、専門以外の話題を沢山持っておくことだろう。
 私の場合は、松下幸之助と本田宗一郎、井深大などを良く使ったように記憶している。
 本題に戻って、交通安全や防犯で街頭指導に立った場合に、小中学生に挨拶で話しかけている。
 何度も続けていると、時折元気な声で返事が返ってくるし、相手から先に挨拶されることもある。
 同じように立っている人も少しずつだが、「相手に聞こえる声」で挨拶していらっしゃるので、そんな楽しみを早く味わってもらいたいものだと思っている。

 ちなみに、悪口についても「聞こえよがし」に言ってやるべきだと思っている。
 尤も、その前には十分な「親交」が必要なのは言うまでも無い。

投稿者:つねちゃん
at 09 :58 | 子育て | コメント(0 )

2010 年10 月8 日

先生と生徒のとある会話

 近くに中学校のグランドがあるので、スポーツの色々なクラブ活動が行われているのを良く見かける。
 クラブ活動では、生徒の自主性に任せてあるのか、指導する先生の声は余り聞こえない。
 先日、見かけた光景に次のような事があったので、気になった。
 先生が生徒に「こんな事が判らんのか」と言っている、私らの場合は「すみません」と咄嗟に出たものだが、返った答えが「わかりません」だったのには驚いた。
 先生が生徒が知らないことを聞いたのか、生徒は正直だったのか、色々な思惑が沸いて複雑な気持ちになった。
 前者であれば、善意で取れば「生徒に理解して判らせる為」とも取れるが、悪意で考えると「教えてもいないことを叱り付けるのか」とも取れる。
 また、後者については、生徒が「教えてもくれていないのに判るはずが無いじゃないか」と、「判っちゃいるけれど従うのが嫌だから」とも取れるのだが、諸姉・諸兄におかれてはどうだろうか。
 勿論これ以外の理解もあろうと思うが、どちらにしても「成り立っていない会話」となるのだろう。
 現在の教師と生徒と言う関係が、私らの年代の人間が考えている、師弟関係とは違うかもしれないが、どちらも「相手を立てる」と言う考え方が少しばかり少なくなっていないだろうか。
 つまらないことかもしれないが、よく言われるように「当たり前のことを当たり前にやる」ということの難しさというものがこの辺にあるのではないだろうか。
 これは子育てばかりではなく、広い意味での「人付き合い」の上で欠かせないものであろう、それが例え家族と言う身近であったとしても。

投稿者:つねちゃん
at 08 :28 | 子育て | コメント(0 )

2010 年10 月7 日

いよいよリカバリーか

 来週一週間分のブログタイトルをOutLookに入れておいたのだが、今朝立ち上げると全てが破壊されたような状況になっていた。
 最近の動作状態(本体ではなく、外部接続装置などの状態)には気にはしていたのだが、まさかこれまでが消えてしまうことは想定していなかったのだが、「医者の不養生」と言うところか。
 兎も角まだリカバリーするまでには幾つか試すこともあるので、全ての情報が消えてしまって諦めるまでには至っていないのだが、ソロソロ総リカバリーをしてもおかしくない時期であることは間違いない。
 きちんとしたバックアップをしておかなかった自分の自業自得であるのだが、それにしても残念至極である。
 般若心経の書き写しをやっていて「特別なこだわりを持たないように」と言う精神論は理解出来つつあった様だが、いざ具体的にこんな具合に遭遇すると、アタフタしてしまうのは、まだまだ人間が出来ていないのだろう。
 まぁ、仕方がないので、これを契機に大いに反省したいものであるが、そんな風に思うと「心機一転巻き直し」と言う気持ちになるから、強ち透き写しが無駄だったことも無かろう。
 明日からまた新鮮な気持ちで、ブログを書かせていただこう。

投稿者:つねちゃん
at 11 :20 | 日記 | コメント(0 )

2010 年10 月6 日

ケチだと思っていたが

 子供の頃からだろうが、食後、器についたご飯粒は勿論、調味料などをお茶と香の物を使ってできるだけ綺麗にしておく事が一つの習慣になっている。
 今では何も言われなくなったが、最初の内は「何もそんなにケチな事をしなくても」と窘められた。
 戦後生まれだが「物を大切に」「米は八十八回の苦労で食べられる」と言われて育った所為かも知れないが、リタイア後不出来ながらも自分で育てた野菜や調味料(唐辛子系が多いのだが)を食べる事になると、それが完全に「習慣化」になったようである。
 本人としては「ケチだから」「折角手間隙掛けて作(った)られたものだから、トコトン食べてやるのが供養だろう」と言うことから、殆ど意識せずに行っている。
 流石に、きちんとした料理店やレストランでは傍目が気になったり、同行した人間に嫌な思いをさせる事があってはならじと、やらないが、最近はそんな所とは殆ど縁がないから気軽なものである。
 そんなことで「ケチケチ精神」だけから、自分だけしかやらないだろうと思っていた。
 それに在職中に聞きかじった「次工程は自工程」という屁理屈をつけて、「ここで綺麗にしておけば、食器を洗う人も少しは楽になるだろう」との理屈もつけてやったいた。
 ところが、最近になって、禅の修業にはこれが当然のことのようになされていると聞いて、少し意を強くした。
 「食事も修行のうち」とかで、全ての事が修行の種になり、食器を洗い片付けるまでもその一環で疎かにしてはならない、と言うことである。
 禅宗の修行などとは縁がない世界の住人だけれど、僅かでもその一端をしていることは決して悪いことでは無かろうから、またまた楽しみが増えた気分である。
 結局こんな事が「貧乏人のグルメ」ではなかろうか。
 それならそれで、決して自虐的ではない楽しみとして続けていこうと思っている。

投稿者:つねちゃん
at 14 :44 | グルメ | コメント(0 )

2010 年10 月5 日

エコドライブ

 新車話題で恐縮です。
 新しい機能に「ECO」と言う表示がなされるようになった。
 自分としては特別「エコドライブ術」などは心得ていないのだが、見ていると(表示を消すことは出来ず、目の前の回転計に表示されるので、自然と目に入ってくる)殆ど点灯している。
 正確に測ったことはないし、その気もないのだが、感覚的には運転時間の多分90%以上は点灯していると思う。
 元々減税対象になったように燃費は良くなったのだが、期待以上の成果とともに、これはかなり気分を良くしてくれる。
 坂道を登る時には無理せずシフトダウンして、エンジンに負担を掛けることを少なくして、下る時には傾斜に応じてシフトダウンでエンジンブレーキを多用している。
 先に見える信号が赤や黄色になれば、ゆっくりとシフトダウンしてエンジンブレーキを掛け、停車場所になってフットブレーキを使っている。
 挙げてみれば単にこれだけであるが、これでも功を奏しているのだろうか。
 まだ満タン給油は2度しかないが、その間に高速も走り、計器で表示される燃費は15Kmを下る事がない。
 また、以前の車で走っていたら、と言う試算もPCに入れて愉しんでいるが、約1000Km走って1,500円の節約になっている。
 在職中も、リタイアしてからも議員などに「継続して監視し、適切なメンテをする事が何より必要」と啓発してきたが、これがこんなに楽しいとは、正直なところ今になって「身に沁みて感じている」。
 さてこんなエコドライブで、気分的にどれだけ節約できる事になるのか、グラフが右上がりになる事が楽しみである。

投稿者:つねちゃん
at 08 :18 | 交通安全 | コメント(0 )

2010 年10 月4 日

弔問外交

 突然の電話で(尤もこんな件は大体が突然のものだが)、親戚の不幸が知らされた。
 代は一世代新しくはなっているのだが、それでも「本家筋」に当るのと、喪主さんとは別の意味でのつながりがあったので、兎も角「何かお手伝いが出来れば」と言う思いで参列した。
 故人のお顔は、まだ子供だった頃に見たものやもう数ヶ月前に母と病因で会った頃のお顔と同じように、穏やかなものだった。
 母とは2歳上なのだが、昔から怒られた記憶が無い数少ない伯母さんだった。
 葬儀の手伝いなどは最近は殆ど会館のほうでなされるので、必要がなく、手持ち無沙汰だった。
 前述の通り世代が大分違うので、話し相手も無く、むしろ同級生が遠い親戚に当る(むしろ大分後に婚姻の関係で「なった」と言うのが正しいのだが)事が判り、会話は殆どそいつとに終始した。
 喪主は大変でとても私などに構ってはいられなかったのは、私自身も父の時にそうだったので、十分に理解できる。
 しかしながら、あちらこちらから、私のことを「後姿はお父さんにそっくり、顔はお母さんにそっくり」と言う人が現れて、色々と話しかけてくださる。
 残念ながらほとんど記憶に無い人ばかりなのだが、中には時々採用される新聞投書で名前を見知ったりした人も居られて、そんな話題になったりするのは、かなり照れくさいものだった。
 しかしながら、通夜、葬儀等の行事をこなしてゆくうちに何人かが判る様になり、それなりに相槌や話題にも触れる事が出来た。
 こんな事がよく言われる「弔問外交」なのだろうか。
 両親のどちらも結構多子系だったので、とても覚えきれるものではないが、僅かずつでも触れ合って生きたいものである。
 合掌。

投稿者:つねちゃん
at 06 :38 | 子育て | コメント(0 )

2010 年10 月1 日

機械のリタイア

 以前に対象物は違っていただろうが、似た様な視点で書かせて貰った記憶がうっすらとある。
 まぁ、時点が変わり、対象物も変わっているので、ご容赦願いたい。
 在職中は、当時のBossと一緒にPIMとして大活躍してくれたものも、ソロソロ終焉を迎えさせる時が来たようだ。
 一つにはバックライトがないと細かいものが読めなくなってきていること、予定表などは携帯で殆ど事足りるようになったこと、それらはまだ二次的、三次的な要素だが、決定的なことはその内容をPCに退避して置くためのインターフェースを最近のPCが装備していないことである。
 辛うじて現時点のものはOSがWin98のマシンで退避させて置くのだが、そのマシン自体がソロソロ不具合に悲鳴を上げつつあるので、その内容についてもCDなりに保存しておくのだが、今度は退避した内容を読むべきソフトが現WinOSに対応していなく、結局プレーンテキストに変換して保存する事になるので、それならいっそのこと、と思うようになっていることである。
 それにしても、振り返ってみると、私用としてのPCだけでも現在4台が一応も含めて動く状態にある。
 それなりに別の部屋で、用途を分けてあるのだが、結局は処分費用がなんとなく勿体無く「使えるから、その範囲で」と言うことの横着根性からであるが、それとても1台に統合出来ない訳ではないので、最近の軽量でバッテリーの保持時間も長いものに統合しようと思って、現在物色中である。
 でも、その内にはクラウドの時代が来て、内臓ソフト自体が不要になってくるのではないかと思うと、難しい問題である。
 尤も、目前は内容の退避以前に処分費用の捻出である。  (^。^)

投稿者:つねちゃん
at 08 :23 | 日記 | コメント(0 )

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