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2011 年9 月30 日

片付けながらやる

 以前このブログでも紹介したが、私の友人は「片付けながら作業をする」という点で見習うべき所が多い。
 在職中は「ともかく実行する」というのが心情であり、「片付けなどは治まってからやれば良い」という風に考えてきて、決してそれが間違っていたなどとは思わないが、友人の作業を見ていると「これはこれできちんとされているものだ」と考えを新たにした次第である。
 それを見た後で、自分の作業に当て嵌めてみようと、今まで約半年ほど頑張って来ているが、残念ながらまだ友人の足元にも及ばないようである。
 しかしながら、何かで読んだが「まず始めなければ何にもならない。やってみて、反省し、改善し、またやってみる、の繰り返しが新しい刺激となり、脳の活性化にも役立つ」というような趣旨があつた。
 正にそうだと思いながら、現在も試行錯誤を繰り返している。
 思えば、その読んだ趣旨は、在職中にやっていた「PDCA」そのものではないだろうか。
 そうなんだ。
 リタイアしたから、品質管理なんて無用の世界、だと一部では思っていたが、そうではなく、日々の生活の中で上手く生かしていけばいいのだ、と。
 そんな風に物事を捉えると、「ちょっかい」かもしれないが、いろんな新しいものに手が出せそうで、そう思うこと自体が楽しくなってくる。
 おっと、本末転倒にならないように、今やっていることもしっかりと「片付けながら」やり続けるのは、元より必要だと、肝に銘じながらである。
 もちろん、「ヤァーメタ」というのも片付けのひとつだと思っている。
 この辺が横着者の逃げ口上である。

投稿者:つねちゃん
at 06 :14 | 日記 | コメント(0 )

2011 年9 月29 日

結構時間配分が良いじゃないか

 このブログでも訴えているが、ほとほと私の「時間貧乏性」に懲りている。
 「あれもしたい、これもしたい」と思っているうちに時間が過ぎてしまい「あぁーぁ、もっとこうしておけば良かった(はずなのに)」と思ってしまうのである。
 もっとも、さりとて在職中のように「後ろを振り返ってばかりいる」訳ではなく、むしろ「過ぎたことはしようが無いじゃないか」と何かの歌詞にあつた様に前向きになるように努力していること自体が楽しみなのではあるが。
 そんな此の頃だったのだが、先日ふと振り返ってみると、なんと見事な位に細かく時間を活用している事に気がついた。
 「この次はこれ、その次はこれ、そうしているうちにこれが整うから、これと合わせてこれを」というように、である。
 今までもそんなことを実現するための方法については、いろいろと学習したりしていたが、なかなか身につくものではなく、実現している人を見ては羨んでばかりいた。
 「今日やることは細かいことでもメモに残して、それを整理してから事にあたる」という習慣を大分気をつけてやってきたのだが、翌朝整理してみると結構取りこぼしがあったりする。
 ところが、ほんの僅か一日の一齣だけだろうが、そんなことに気がついたのは、なんとも嬉しい事だった。
 振り返っても、ほとんど無駄な時間が無く、思ったことが全て(尤も一齣だから、そんなに多くは無いのだが)成し遂げられていたのである。
 この成功体験を思い出しつつ、肝に銘じながら、これからも「時間貧乏性」の克服のための学習の一途にしようと思っている。
 でも、今日やること(決してやるべきこと、では無い)をやっぱり詳らかにしないとこの感動は得られないのだろうなぁ。

投稿者:つねちゃん
at 08 :00 | 学習 | コメント(0 )

2011 年9 月28 日

PC修復 その2

 今まで何回か行った修復作業では、大体やることは決まっていたので、掛かる時間がある程度予測でき、べったりと画面とにらめっこをしている必要は無かったし、その時間は例によって「時間貧乏性」であることから、他の作業に当てていた。
 ところが今回は、Cドライブの空き容量についてかなり細心な注意を払う必要を感じたので、何年かに一度だからしっかりと画面と睨めっこをしていた。
 そんな中で気がついたことは、プレインストールのソフトのなんと多いことか、であった。
 また、思った以上に便利な機能をまだ使ったことが無い、ということに驚かされた。
 このメーカーの特徴にひとつがAV(決してアダルトビデオではないぞ)機能の豊富さだったのだが、使っていくうちに自分のやりたいことだけに集中(これはこれで正しい使い方だと思っているが)してしまい、折角の機能を使いこなしていない。
 そのくせ、AVに関するフリーソフトなどをダウンロードしているのだから、なんとも情けない限りである。
 以前ある講習会で「自分のPCが出来ることを探してみましょう」と声高に言っていたのだが、今思うとまったく自分が出来ていないことにただただ赤面するばかりの状態である。
 とはいえ、例によって「前向き」の考え方で「これからまた新しい知らない世界を堪能できる」ということから、一頻り通常使用に耐えられる(メールやブログでまだ従来ほどの機能が満足されていない『様である』)様になってから、一つずつ楽しみながら使ってみようと思っている。
 引越しの整理や大掃除などをしていて、「えっ、こんな所にこんな物が」という感じである。
 それもまた楽しいことではないか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :47 | 学習 | コメント(0 )

2011 年9 月27 日

PC修復 その1

 リタイアしてからの私にとってPCは「趣味」の世界のものである。
 購入日付が2005年になっているが、買って間もなくまだ技術者としての感覚があったのか、リカバリーというよりは、「自分の思ったように」という意味で、再構築が目的の再インストールをした。
 それからもう約6年になって、今度はいろいろなガーベージ(垢)が溜まってきたことがあり、動作もなんだか遅くなってきたし、あるソフトの更新をしようとして、なかなか上手くいかず、ヘルプデスクに問い合わせると、「Cドライブに空きが2GB必要です」という答えで、調べると、なんと400MBくらいしかない。
 で、一念発起でこのブログをお休みさせていた炊いている3連休に挑戦してみた。
 使用状況を良く考えてみると、Dドライブにはそんなに多くの容量が必要なくなっている(以前はデジカメの画像をよく保存していたのだが、別のPCでデジタルビデオと一緒に管理するようにしたので)ので、パーティションも切り直し、今からいろいろなソフトの更新が必要になってくるし、当然必要な容量も増えることだろうからと、Cドライブの割り当てを多くした。
 バックアップも完全にとチェックシートも作りながら取り掛かった。
 でも、終わってみたら、やっぱり凡人の凡人たる所以で、所々復活できないことがめだっいる。
 そこで、反省しながら原因を思い返してみると、判った事は「慣れている(はず)、以前にもやったから大丈夫(のはず)」というものばかりで失敗しているのである。
 正直、これには参った。
 でも、残念がってばかりでは、私の嫌いな「後ろ向き」になってしまうので、一つ一つを記録して、今後何年後になるのか、もしくはすぐにその機会が来るのか判らないけれど、その時のためにしっかりとした「再発防止策」としておきたいものである。
 これで、ほんの少しだけれど「前向き」になるだろう。

投稿者:つねちゃん
at 06 :36 | 趣味 | コメント(0 )

2011 年9 月26 日

孫は知っている

 何もかつて流行った(私だけの世界かもしれないが)「猫は知っている」とか、数年前に終わった「家政婦は見ていた」というようなミステリーではなく、逆に大人が「へぇー」と感心させられたことだった。
 娘の嫁ぎ先のお母さんが、我が家に泊まられて、孫二人が一緒に寝た翌日その事件がおきた。
 我が家で長い間使用している浄水器は、毎朝使い始める時には、内部洗浄するために暫くその洗浄した水が出るので、使用するまでには待たなければならない。
 ところが、その日何時もより早めに起きた家内が、気持ち悪がっているのである。
 なぜなら直ぐに浄水が出たからである。
 泊まれた方が知っているわけもないし、孫は知っているわけも無い、と思っていたからである。
 ところが、娘と三人で不思議がっている時に泊まられたお母さんから「孫から教えてもらったよ」と言われたので納得した。
 家内も、母親である娘も、孫たちがまだ起きてくる前に行う動作であり、「知らないだろう」と思っていただけに、驚いたのである。
 よく「子供は親の鏡」などといわれるが、正にその通りで、こんなことは知らないだろう、理解できないだろうなどと考えて、やっていることをちゃんと孫は見ているのである。
 決して横着しようとか、まだ教えても判らないだろうとかと思っている訳ではないが、親が思う以上に子供は理解しつつ、一度に沢山ではないけれど覚えているものである。
 子育て、というよりも「親育て」とでも言われかねないちょっとした事件で、今更ながら思い知らされた。
 そんな楽しい思いもいつまで続くのだろうか、嬉しくもあり、それが無くなるのが悲しくもある。

投稿者:つねちゃん
at 06 :25 | 子育て | コメント(0 )

2011 年9 月22 日

社会福祉とは

 「地域懇談会」と言う事だったので、気軽に出掛けたら、なんと在職中によくやったGD(Group Discussion)だった。
 私自身特別何かの役員をしている訳ではないので、なぜこの会の召集令状(?)が来たのか良く判らないが、配っている人が町内の人だったので、然程気にとめないで参加したのだった。
 だから、特別「社会福祉」と言う事に造詣がある訳ではなく、むしろ殆ど門外漢だった。
 いやいや、個人的には社会福祉とは次のように思っていたと言うのが本音である。
 結局社会福祉とは「実際にそんな局面に当たっていない」人が一般論としての対策を「興味本位」で議論する会、では無いのか、ということである。
 父が徘徊を伴う認知生が酷くて、辞職した原因の一つだったのだが、家庭には母と家内が居て、名目上は私も勤務地が金沢と言う事で近くだった。
 ところが、金沢に居るのは、月の内通算して1週間くらいで、殆どが出張の連続だった。
 そんな事情があり、何とか辞めないで父の介護もできない物かと、いろんなところへ相談したけれど、結局は「教科書どおり」の答えしかいただけない。
 そんな中で「社会福祉」と言う言葉もチラッと耳にはしたものの、具体的な指針などいただけないと諦めたのだった。
 これを今更ながら愚痴っぽく言って(発表した)見たところで、「話題の一つ」にはなるだろうけれど、誰かが解決してくれるものではないし、解決など出来ないだろう。
 それをさも「社会福祉活動」と銘打ってやる事自体が理解できない。
 市の職員でその係りの人が来ていたので「昨年度までにやったこと」の成果と課題を詳らかにして議論してはどうか、と持ちかけたが、無しの礫である。
 これでは、お座成りと言われてもしようが無かろう。
 勿論全てを非難する訳ではないが、議論するのであれば、それなりの見識のある方を集めるべきではないか。
 その上で、匿名などで経験談を話してもらって、課題を見つけ、解決できなくとも、「一歩進んだ」事を目指すべきではないか。

投稿者:つねちゃん
at 09 :06 | お役所 | コメント(0 )

2011 年9 月21 日

田原坂ではないが

 随分長い間「休止」していた朝の散歩を今月から再開始した。
 当初始めた時は「高血圧」「糖尿病」と言う事で驚いて、ウォーキングで体質改善とばかりに、気持ちも動作もそれなりに「エクササイズ」を意識した物だった。
 ところが、今回は言葉どおりに「散歩」である。
 歩いてみると、今までは余り出会わなかった同年輩の輩に良く出会うようになった。
 それは兎も角、今朝面白い光景に出会った。
 「田原坂」と言う結構好きな歌の歌詞に「めて(右手)に血刀、ゆんで(左手)に手綱」と言うのがあるが、物騒な血刀の代わりに、月光を、手綱の代わりに、日光、と言う景色である。
 勿論朝のことだから「残り月」であるが、この前日が十五夜(今年は久し振りに満月だったと聞いていて、孫に促されて、雲の隙間から暫く眺めていた)だったようで、月もまん丸である。
 反対側の太陽は、まだ昇りきっていないので「朱色」の物が大きく輝いて見える。
 これはなんとも気持ちが良いものである。
 今までも「太陽に向かって歩く」と言う事はあっても、中々同時に左右に見えることは無かったように思うから、朝から「何か良い事があるかも」と言う気分になったものである。
 いやいや、現実的には何もそれらしき物も無かったし、パチンコにも負けるはではあったものの、朝の良い空気を胸いっぱいに吸い込んで、こんなに良い気持ちになれることだけでも幸せな物である。
 「散歩」なので、朝雨模様だったり、何かイベントがある日にはやらない(サボるのではない)事にして、長く続けて生きたいものと思っている。

投稿者:つねちゃん
at 09 :45 | 健康 | コメント(0 )

2011 年9 月20 日

正心誠意

 今回の新総理の所信表明で、表記の言葉を「聞いただけ」では「誠心誠意」と受け止められた人が多かったのではないだろうか。
 勿論私もそうだったし、後刻新聞やTV等で、表記の文字が使われているのにかなりの違和感を持った。
 言葉は時代に沿って変わる、とはよく言われるが、それにしても、各報道機関が「自信を持って」報じているので、私が違うのかも、と思ったりして辞書を引いた。
 残念ながら、私の持っている辞書には、この漢字を使った熟語としての言葉は出ていない。
 で、「調べる」楽しさに又も出会えた。
 次はネットでの一つの報道であるから、違う解釈をしている報道もあるのかもしれないが、

 これは、一般に知られている「誠心誠意」をもじった言葉ではなく、幕末に幕臣として活躍した勝海舟の談話を集めた「氷川清話」に、勝が政治の極意を語った言葉として収録されている。
 さらに、松下政経塾出身の首相にとっては師に当たる松下幸之助氏が、「上手下手より誠心誠意」という言葉を残していることもきっかけになった。

 首相周辺によると、「国民に何でもかんでもお願いするのではなく、自分が正しいと思うことなら誠意を持って国民に尽くすという意味で、こちらがふさわしい」と首相が判断し、「正心誠意」を選んだという。

(2011年9月14日09時57分??読売新聞)

 ふうーむ、勝海舟にまで遡るとは思っていなかったので、これで又新しい知識が増えた事を喜んだ。
 願わくば「自分(だけ)が正しいと思ったこと」ではないように、なさっていただく事である。

投稿者:つねちゃん
at 06 :28 | 学習 | コメント(0 )

2011 年9 月16 日

左手での書き取り

 左手での「書き取り」は今まで「ひらがないろは」を100回、「漢字いろは」を117回(これは台紙を印刷した時の枚数がそれだけあつたと言う事で、数字に意味は無い)やってきたのだが、決して「十分だ」と思った訳で止めたのではない。
 本音は「詰まらなくなった」と言うのが最も大きな理由で、次は「台紙を消化し切った」と言うのと「夏休み」とばかりに中断したままだったのである。
 で、まだまだ「暑い」日が続くものの、夏休み気分を払拭して今月から始めた。
 「手本」は以前に「読み」「書き」を完遂した「徒然草」である。
 本には「2006年」と言う表示があるから、もう5年前になるのか、少し感激である。
 今回は「ひらがなだけ」ではなく「漢字だけ」でもない、少し古文的な言い回しはあるものの、かなり読みやすい「漢字ひらがな交じり」の成文である。
 あくまでも「左手で書く」と言う事を主眼としているので、意味などは「読むだけ」で。理解しようと言う気持ちは殆どないのだが、やはり「以前にやった」と言うことで、僅かな記憶が蘇ってくる。
 さて、暫く休んでいたので、ひらがなも、ましてや漢字などは(左手として)今まで出会ったことのない物も多く、最初のうちはとても読めたものではなかった。
 でも、これで約2週間だけど、「無理すれば読める」程度にまではなってきたようである。
 勿論書いた私が「無理すれば」のレベルだから、他人様に読めるかと言われると、殆ど自信はない。
 でも、約2週間だけでこれだけになるのだから、まだまだ一部の脳細胞はニューロンを伸ばし続けているようである、と思うとそれだけで嬉しい。
 それに「悋気」をしているのか、最近右腕の肘が随分と痛みを感じて、母のの分で残った湿布役のお世話になっている。

投稿者:つねちゃん
at 13 :23 | 学習 | コメント(0 )

2011 年9 月15 日

政治評論家の言い分

 政治ネタが続くが、お許し願いたい。
 内閣の陣容が改まるたびに「自称政治評論家」が続々登場してくる。
 平生は政治とはかけ離れた「芸人」(決して卑下しているのではないが、俄か評論家として報道機関が登場させている事に憤慨しての事である)が芸人としてのプライドもあるのだろうが、政治ネタを何とかお笑いネタにして上げ連ねているのは、気に触ってならない。
 そして、大体言う事が決まっている。
 「あの大臣はそんなに経験がないから、拙いのではないか。私はこれに対してはこうすべきだと思う」というものである。
 報道機関も、そんな「ケチ付け」評論家をピックアップして登場させるから、視聴者の多くは「そうなのだろうなぁ」と思ってしまう。
 それならば、自分が立候補して、それなりの行動をすれば良いのに、それは絶対にしないのだから、卑怯者極まりないのではないか。
 まぁ、中には当選して、一時期評判を呼んだり目立つ行動をしていたりする人もいないではないが、結局は「党」と言う組織の員数合わせにしかならず、見る間のうちに埋没化してしまっているのが実情であろう。
 また、自分の興味(こんな言い方しか出来ない程度の知識しか持ち合わせていないのが現実ではないか)のある部分に対してだけは手厚い対策を望んで、正論ぶって言っているものの、全体としての均衡が取れたものであるか、という事に対しては全く無頓着である。
 これでは「駄々っ子」と同じである。
 各報道機関は是非ともこのようなやからを登場させるべきではないのではないか。
 某大学の、政治学の教授、という肩書きが例えあったとしても、「学習の世界」と現実の世界では違う事は、出演させる側が一番知っていることではないだろうか。
 尤も、いつも言うが「踊らされる国民」が一番良くないのだろう事は間違いがない。

投稿者:つねちゃん
at 09 :38 | 報道 | コメント(0 )

2011 年9 月14 日

大臣の辞任と罷免

 又も、と言うべきか、例によって、というべきか色々な経緯から新政権が発足したのだが、10日も経たないうちに不穏当発言と程度を知らない行動で大臣が「辞任」した。
 こんな事が起こる度に「辞任なのかなぁ」と考えてしまう。
 政治の世界では難しい言葉が使われ、結果として一般国民にはその実態が掴めなくなっている。
 誤解を覚悟で言うならば、「辞任」というのは、一般の会社で言うと「(理由はどうあれ)このたび一身上の理由で辞めさせていただきます」ということだろう。
 勿論この場合には、正規の退職金のほかに寿退社ならば皆からお祝いまでもらえての円満退社であろう。
 本人も「都合を聞いてもらえて有り難う」だろうし、殆どの場合「(転進)おめでとう」とか、「第二の生活を満喫してください」とかで、少なくともその会社には明日から出勤しないことになろう。
 今回の「辞任」は果たしてそれでいいのだろうか。
 一方、「罷免」と言う事は「馘首(かくしゅ)=懲戒免職」と言う事だろうから、かなり厳しい仕打ちである。
 勿論退職金などは出ないし、皆から謗られこそすれ、感謝やお祝いの言葉など掛けられることもなかろう。
 勿論、普通の神経なら、恥ずかしくて、明日から出勤できないだろうし、喩え出勤してきたとしても、皆から無視されるのが落ちであろう。
 今回の限らず、国会議員という立場の人間はそれくらいの緊張感を持って行動したり、発言すべきであろう。
 それに対して、何時の場合でもそうだが、短期間で人事を決めなければならない総理としては、思い切った「罷免」と言う事をやったほうが良いのではないか。
 在職時によく言われたのは「(お前なんか)ハイ次」で代えられるのだよだった。

投稿者:つねちゃん
at 08 :34 | 政治への注文 | コメント(0 )

2011 年9 月13 日

疑問や異論をもちながら読む論語

 以前にも似たようなテーマで書かせていただいた記憶があるが、数多くの方々に愛読されて賞賛を得ている書物に論語がある。
 書き写しと同時に、その意味も「見ている(残念ながら読んで理解していると言うまでには至っていないという意味でこの言葉を使っている)」が実情である。
 漫然と「そうだな、そうだろう」と受身で読むより、「これは俺の考えとは少し違うなぁ」とか、「そんなことは理解できるけれど理想論であろう」とか、色々な「異論」を持ちながら読んでみると、少しは理解が深まるのではないだろうか。
 勿論、殆どの場合、私の異論が間違いである事は、判っていながらも、である。
 本、と言う物はそれでも「(こちらが積極的に)見る・読む」と言う事でそういう意思が働いてみるのだから、まだ少しは良いとしても、TVやラジオから流れる「音」には、無批判に同調してしまう事がないだろうか。
 原発事故が起これば「原発反対」と唱える事に「そうだそうだ」と賛成するのだが、そのくせ原発が無くなった時のために具体的に節電を「積極的に」やっているだろうか。
 1000年に一度の震災に対して「対策が不十分だった」と評論家が言えば「そうだそうだ」と同調して、そのくせ対策のために税金を使うと言う話になると、「1000年に一度の対策になぜそれだけ今税金が必要なのだ」と反対論を唱えるのが常である人が多いのではないか。
 事実私がそうである。
 事ほど左様に、論語と言う書物ばかりでなく、相手の言い分を良く聞いて、自分ながらに「異論・反論」を作ってみて、「本当にそうだろうか」と言う疑問を持ち、立ち止まって考える必要があるのではないだろうかと、つくづく思う。

投稿者:つねちゃん
at 10 :39 | 健康 | コメント(0 )

2011 年9 月12 日

家内は手作りの天才

 私のHPに掲載させていただいている「パッチワーク」コーナーで紹介している作品のことではない。
 勿論それはそれで感心はしているのだが、今回の話題は「細かいもの」である。
 先日「確か冬に使っていた『腕抜き』があったはずだが」と思ってブツブツ言っていると、家内が「そんな物ならタオルで作ってあげる」と言う。
 昼間用事があって帰宅すると、机の上にタオルが折りたたんで置いてあった。
 広げてみると、まさにタオルを折って、長い辺を縫い、手先になる部分の少し前は縫わずに、指が入る部分になっていて、その先がまた縫ってある。
 手に嵌めてみると、上々である。
 こんな風に「あったら良いなぁ」と呟いてみると、機嫌の良い時には今回のように「直ぐ」に出来上がってくる。
 随分以前に足を怪我して、入院していた時に車椅子の状態が続いた。
 少し良くなると、松葉杖になったのだが、そんな時にも「歯磨き洗顔セットを入れて首にかける頭陀袋のような物があると良いなぁ」と呟いたところ、流石に翌日とは行かないが、数日の後には思っていた通りの(いやいや掛ける紐の長さが調整できるという点ではそれ以上の)物が出来上がってきて、随分と重宝した物である。
 細々とした物では、今更思い出すことも出来ないが、ことほど左様に随分と助かっている。
 そのためにも、家内のご機嫌だけは損ねないようにと、細心の注意を払っているつもりだが、それでも衝突する事がある。
 そんな時には、なるべく「呟かないように」して、精精このブログなどで述べるだけになろう。

投稿者:つねちゃん
at 09 :03 | 日記 | コメント(0 )

2011 年9 月9 日

Bのシャープ芯

 鉛筆を使わなくなったのは何時頃からだろうか。
 多分高校時代はまだ使っていたように記憶する。
 その時には、筆圧が強くて、HBでは直ぐに書いた後が擦れて汚くなるので、大体は2Hと言う物を使っていた。
 それが、就職して暫く経ってから、設計という仕事になり、「物を書く」と言うのが本格的になったときには、間違いなくシャープペンシルだった。
 勿論その時にはトレーシングペーパーに書いて、「青焼き」してから配布する事が常だったので、2Hではとても薄くて使い物にならなく、HBを常用していた。
 でも、トレーシングペーパーに書くと言う事は、普通紙に書くより汚れが際立ち、本来字が下手なのに、書いている内容はそこそこだと思っていたのだが「汚くて何とかならんのか」とよく注意されたものだった。
 それがワープロに走った大きな原因でもあるのだが、それはまた別の機会にして。
 そんな訳でHBでも「濃い」と思っていたのだが、今回シャープに入っていた芯がなくなったので、入れ替えようと思って残り物の中から探したら、「B」の芯が出てきた。
 残すのも勿体無いので使ってみると、以前と殆ど変わらない。
 シャープ自体も父の残した物や息子の使わなくなった物などを使っていたので、芯の濃さまでは知らなかったが、ひょっとして以前もBだったのだろうか。
 だとすれば「筆圧」も弱くなったのだろうか、嘆くよりも着実に老化していることを仄々と思うのもまた楽しいものである。

投稿者:つねちゃん
at 06 :57 | 学習 | コメント(0 )

2011 年9 月8 日

「生きている」ことを頑張ろう

 カテゴリーを「健康」としたが、人によって受け取り方が違うのではないだろうか。
 団塊の世代の人間として、幼児、学校時代、就職戦線、入ってからの競争等々いろんな所で我武者羅に「生きてきた」と思っている。
 しかしながら、それはあくまでも「競争」と言う意味で「人に勝とう」と言うことからやってきたのではなかろうか、と今更ながら思う。
 リタイアしてもう10年になるが、両親を見送ったのが一つの契機かもしれないし、少しだけ仏教と言う物に近くなり、その手の物を読むことからの影響かもしれないが、「生きている」と言うことに今までとは少し違った意味を感じているこの頃である。
 友人に「半身麻痺」の人も居れば、いつ会っても病気がちと言う人、定年退職後「何もやる気がない」と嘆く人など等悲観的に「生きている」人にも多く会うようになって来た。
 逆に「今からが本当の自分の人生」と陽気に話す友人も居る。
 先の人にも、後の人にも、同意して慰めあったり、励ましたり、または談笑したりするのだが、結局最後に言う言葉は大概決まっていて、「生きていればこそだよなぁ」である。
 それなら、歌の文句じゃないけれど「泣いて過ごしても一生、笑って過ごしても一生、同じ一生なら笑って過ごそう」とばかりにやろうじゃないか、と思っている。
 そのためには、表題の如く「頑張って生きる」と言う事を肝に銘ずるべきではないだろうか。
 過去に聞いた落語家さんの講演で「健康であれば、死んだって良い」と言うような事ではなく、今置かれている立場立場で「生きる事」に頑張っていけば、そのうちに何とかなるのではないか。
 誰も保証しなくても、自分が「頑張っている」と思えばいいのである。
 色々な事をやって、疲れて「ダラリ」としているときでも「頑張っていない」のではなく、「疲れを癒すために頑張っている」のだと思えば、前向きな思考になるのではないか。
 なぁーに、鈍ら者の勝手な論理なのではあるが。

投稿者:つねちゃん
at 08 :20 | 健康 | コメント(0 )

2011 年9 月7 日

書いているだけ、読んでいるだけ

 リタイアしてから「読み・書き」という習慣で「何かを得る」という感覚がずいぶんと変わってきている。
 これまでにも紹介したが、般若心経を600回を初めとしていろいろなものの「書き写し」を行ってきた。
 またそれが現在も続いているのは、私ながら感心している。
 現在は正信偈(今日で83回目に入った−−−1回を3日間で終えている)、論語(今日で憲問第14の33を書き終えた)、ハングル会話集(大体二つのフレーズを3日間続けている)、謡曲解説(あいうえお順になっており「翁」は特別として、「藍染川」から始まり、今日は「満仲(まんじゅう)」を書き終えた)、左手での書き写しとして以前右手でやった「徒然草」を今日で7回目をやった)。
 これだけ書くと「凄いこと」をやっているのではないか、と思われるのだろうか、論語やポピュラーなものの一節について、さながら問答のごとき質問をしてくる人がいるのに閉口する。
 タイトルにもあるように「書いているだけ、読んでいるだけ」なのであるから、そんなにそれらに対して造詣が深い訳ではない。
 あくまでも「ボケ防止」なのである。

 在職中の「読み・書き」はまったくこれと様相が違っていた。
 「何か得るものがないか」「活用できること(精神論を含めて)がないか」「朝礼に使えるようなフレーズはないか」などと打算的かもしれないが、それなりに重宝したものである。
 また、現実に大きく役立ったこともある。

 それは「夢のまた夢」であり、今後もボケ防止のための「指先運動」、呂律判断のための「音読」を「だけ」ということで続けていきたいものである。

投稿者:つねちゃん
at 09 :38 | 健康 | コメント(0 )

2011 年9 月6 日

暑い時はやっぱりプール

 各地に大雨の被害を出した台風12号も漸く温帯低気圧になり、まだ北海道を中心に被害が予想される、と言う状態なのだが、このテーマを思いついたのは「まさに酷暑」と言う時期だったので、お許し願いたい。
 昨年に負けず劣らずと言う暑さに見舞われた夏だったが、孫は漸く星2個をもらえたと大喜びで、多少の雨でもプールへ出掛けていった。
 そんな訳で、孫の面倒を見る必要がなく、プールで「水を着て」の格安避暑の時間を楽しんだ。
 避暑には木陰で涼むのもあるし、ガンガン扇風機を回してカキ氷、と言うのもある。
 夜になれば、どうしようもなくエアコンのお世話になり、水割りを飲みながらサスペンスドラマを見る、と言うのも、幸いにして電力逼迫ではない私らの地方では許される範囲だったろう。
 でもしかし、私の場合は約2時間余りで100円という格安で、水泳ほどの運動量ではないが、然程疲れない程度の「水中ウォーキング」で適度の運動も兼ねてのプールはやはり最高である。
 決して筋肉隆々とは言えず、逆にその反対側にある体型だけれども、そんなことはもう気にするほどの年齢でもない。
 勿論「我まだ木石にあらず」で、徒然草にも言われているように「色好まざらん男」と言うほど「いとさうざうしく」は無い心算である。
 長い間こんな事を続けているが、今年初めてかもしれない「妙齢の女性」が少しの水泳と少しのウォーキングを兼ねて、行われているのに1回だけ遭遇した。
 勿論声をかけることも無く、ふれあいは無かったのだが、それでも何だか嬉しくなった。
 中学時代の同級生の女性にも声をかけたが、やはり「体型」を気にされているようで、言下に棄却されてしまった。
 決して、助平心で言ってる訳でもないのだが、警戒されるだけまだ男としての危険を感じられているのだろうか。
 決してそうではなくとも、そんな風に思うと、結構楽しい。

投稿者:つねちゃん
at 09 :10 | 健康 | コメント(0 )

2011 年9 月5 日

親不孝、我に極まれり

 母を看取って、つくづく思うのが表題の事であろうか。
 逝く1週間ほど前から「植物人間」となった母に「もう頑張らんで良いよ」と言う言葉を投げかけたのも、言って見れば「これ以上私に苦労をさせないでくれ」と言う我侭な言いたい放題だったのだろう。
 父の時もそうだ。
 上背もあり、腕力もあった父から母や家内を守るために、と言うと少しばかり聞こえは良いものの、結局は「これ以上俺を苦しめるな」と言う事の表れだったのだろう。
 両親が逝き、納骨の準備としての墓掃除をして、骨壷を改めて見てみると、何だかそんな気持ちになってきた。
 今更になるが、感謝したい(すべき)ことが沢山ある。
 まずは、生まれて来た事であろう。戦後2年で生まれたと言うことは、病気や怪我だったと思うが、父が復員してからの仕込だったのだろう。姉は居たが、やはり当時の考え方で「男子誕生」と言う事が一つの使命だったのかもしれない。
 3歳の頃に「小児疫痢」と言う病気にかかり、聞く話によると、当時の医療技術では9割り方「向こうを向く」と言う状態の時に、リヤカーに乗せて病院を回ってくれたことは、まさに今の私が存在している証である。
 長い間の「夜尿症」にも叱り付けながらも、どこかに良い医者が居ないかと方々連れ回ってくれ、挙句は今で思えば何やら怪しげな祈祷師の所にも連れて行ってくれたことを思い出す。
 父が望んだ国鉄へは残念ながら就職できず、就職願書も父の伝で入手できた事などとっくに忘れて、課長になった時には、父が係長止まりだったことを批判したりした事も後悔と感謝の限りである。
 「あの世」と言う物があるかどうかは判らないが、せめてそんな所でお互いに生前と同様に言い争ったりしながら、過ごしてもらいたいものである。
 これも勝手な我侭なのだろうが。

投稿者:つねちゃん
at 06 :39 | 子育て | コメント(0 )

2011 年9 月2 日

携帯が離せなくなる

 このテーマはまだ母が「存命中」だった頃に思いついたものである。
 
 初めて「携帯」に似たような物(ポケベル)を持たされたのは、管理職として本社勤務になった時だった。
 「これを持っていて下さい」と渡されたけれど、勿論今のように「発信機能」は無いので、何番の誰から掛かって来たかが判るだけの物だった。
 暫くして「これと交換してください」と渡されたのは、全国対応のものだった。
 以前のものは首都圏のみの対応だったのである。全国を飛び歩く仕事も持っていたので「どこに居ても呼び出せる」と言う機能が必要だったのだろう。
 暫くして、それからも解放されたが、今度は「個人で持ってください」と言う風に「義務付け」られた。
 それで仕方なく買ったのだが、殆ど「不携帯」だったので、上司からよりも部下から叱られてしまったのこが度々だった。
 そんな風だったが、母の状況が「何時でも連絡が取れるようにしておいて下さい」と言われてからは、離せない物になってしまった。
 仕事であれば、代役を予め決めてあるので、致命傷と言うような状態にはならないが、今度は違う。
 難しい機能はあっても使わないが、「予定表」だけは重宝しているので、従来のPIMが不調になったこととも合わせて、母がいなくなった今でもそういう意味で「離せない物」になっている。
 「あるべきもので使える機能」は自分の必要において身近なものとしてこれからも活用したい。
 でも、本音は「呼び出され機能」は使いたくない物である。
 自分勝手ですいません。

投稿者:つねちゃん
at 09 :15 | 日記 | コメント(0 )

2011 年9 月1 日

貴重な体験

 夏休み前にお約束したとおりのテーマである。
 多分殆どの人は忘れてしまっているのだろうから、全く別のテーマでも良かったのだが、予定表に則って書かせていただく。
 このときには「治験」を初めとした体験を基に文章を綴って見たいと思っていた。
 その後に「母の逝去」と言うもっと大きなインパクトを持った体験をしたので、何だか下書きが虚しく思えてきた。
 母の逝去については、暫く後にして、皆さんもそれぞれ「貴重な体験」と言う物をお持ちなのではなかろうか。
 それを今「思い出す」だけでも何だか懐かしく「幸せだったなぁ」と思えることだろう。
 そうでなければ、「今がないから」と思えば、全てが薔薇色とまでは行かなくても懐かしく思い出されることだろう。
 最も過去のことでの貴重な体験は「小児疫痢」である。
 (興味もないかもしれないけれど、概要は「追記」をお読みください)
 母などに聞くと「大事な長男」のことだから、夜中であれリヤカーに乗せて病院を走り回ってくれたとのことで「九死に一生」だったとのことである。
 その後は順調に育って、色々な狭き門は同年代だったら誰も同じだったろうから、割愛して、プロジェクトのリーダーになって大変に時期にさしかかっていた頃、親戚のお祭りに行って両踵を複雑骨折したことだったろう。
 松葉杖を頼りに、オートマチックだったからギプスで固定しながら何とか運転だけは出来たし、電話会議でも同僚や部下の支えで無事に遅滞無く完成させられた事ではなかったろうか。
 波乱万丈と言うほどではないが、今回の「治験」と言うのも、自分のためと言うよりも新薬開発で救われる多くの人のためだと思えば、今からでも「楽しい体験」と思える。

追記をみる

投稿者:つねちゃん
at 08 :56 | 健康 | コメント(0 )

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