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2013 年3 月29 日

男子会

 巷間言われる言葉は「女子会」であるが、そろそろその男性版が出現しても良いのではないか、と思っていたら、やっぱり先日見た新聞に「男子会」という活動が行われると書いてあり、我が意を得たりという感じであった。
 女子が入ると、どうしても話題が限られることがある。
 その一つが「勃起障害(不全):ED」に関することではないだろうか。
 ある時、思い切って何組かの女子グループに話題を提供してみた。
 同級生、という縛りがあったから、みんなその年代に戻っての発言だったのかもしれないが、「いゃぁーね」という反応と、「面倒くさい」という反応だった。
 このブログにも今までコメントなどを頂いた女性がいらっしゃった。(現在まで続けて訪れられているかどうかはわからないけれど)
 そんな人たちの年齢層も人生経過もわからないが、果たしてどのような感覚をお持ちだろうか。
 でも、男性同士の「男子会」だと、本気とも冗談とも取れるこの手の話題が、結構もてはやされる。
 また、同病相憐れむ、で忌憚なく発言できるものではないだろうか。
 勿論それだけではなく、釣りやゴルフ、麻雀や競馬などの賭け事、少し高尚になって読書などの文学系。いろんな話題に花を咲かせてはどうだろうか。
 現在は「男女会」というような趣旨で、「おしゃべり会」を同級生でやっているが、それはそれである種の緊張感があるので楽しいのだが、時には「ズルズルになって」口角泡を飛ばす様な会があってもいいのではないだろうか、と思っている。
 でも、単に「男子会をやろう」と言ってもなかなか賛同が得られないので、最近はやりの「健康麻雀」をトリガーにできないかと考えている。
 一頃は夢中になっていたが、ここ数年使われていないセットは、かなりの人がお持ちではないだろうか。

投稿者:つねちゃん
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2013 年3 月28 日

スタンドプレー

 「政治ネタはやらない」と書いておきながら、「舌の根の乾かないうちに」この手の話題をするのは、正直かなり気が引けているのである。
 だけど、これは「注文」というよりも「笑い飛ばし」という意味である。
 北朝鮮の「戦争準備」の本音はわからないけれど、中国、ロシア、米国、韓国その他の外国をはじめとして、最後は日本だろうか、実際にはほとんど何も変わらないのに、口先だけのスタンドプレーに終始しているのではないだろうか。
 私も在職中に、後輩から「あなたのやり方はスタンドプレーで私にはできない」と言われたことがある。
 当時の私は、過去の話だから、自慢話になるけれど、まさに「孤軍奮闘」だったので、そういわれたからと言って怯んだり、矛先を鈍らせることはなく、結果としてそれなりの成果を上げた。
 そうなると、その後輩も認めざるを得なくなったのだろうか、一切私のスタイルに苦情を言うことはなくなった。(少なくとも面と向かって言われることはなくなった)
 しかしながら、諸外国はいざ知らず、我国の総理を初め政治家の方々のスタンドプレーは、見るに余りある、と思うのは私だけだろうか。
 実際にやる気がないのに「やるぞやるぞ」と言ったり、「私はいつまでも気にかけています」を示すために「安全になった現地だけを訪問したり」、野党も野党で、今までできなかったことを「こうすべきだ」と言葉だけ元気に発言して失笑を買ったり。。。
 なんとも「猿芝居」「田舎芝居」の体を示しているのは、全く噴飯ものである。
 いやいや、そう言うと「猿」や「田舎」に対して失礼だと言いたくなるほどである。
 こう言うと、いつも自分なりに浮かんでくる言葉がある。
 「そんな議員を選んだのは、お前たちだろう」と。嗚呼。

投稿者:つねちゃん
at 10 :09 | 政治への注文 | コメント(0 )

2013 年3 月27 日

一票の格差

 政治関係の話題は、このブログではあまり取り上げたくないのが本音である。
 とはいうものの、いままでそれなりに触れてきたという事実はあると、ご指摘いただくだろうが、その時は「これで良いのか」という趣旨の「怒りの捌け口」だったと思っている。
 最近になって矢継ぎ早に表題に関する判決が出されてきた。
 「違憲」だ「(選挙は)無効だ」という判決には、三権分立なのだから、どちらかの「ごり押し」では困るので、真剣に「国民のため」を思って(いつも言うことだが)期限を決めて議論し、結論を出してほしい、と思っても、それによって結果として国会議員になれない人がメンバーでは、期待するほうが無理なのだろうか。
 それはそれとして、「一票の重さ」を「完全平等」にして「得する人」はどんな人だろうか、と考えられたことがあるだろうか。
 直接自分が投票する人には関係ないのでは、と思っていらっしゃるのではないだろうか、ということが気がかりになる。
 わが富山県は現在約100万人の人口だが、そのうち有権者はどれだけだろうか。
 そして、話題になっている都市の人口と比べてみると、こちらが一人選出すると、それらの都市部がざっくりと言って10人近い人を選出することになるのではないか。
 で、議論したところで、みんな自分が可愛いから、地元優先で活動され、都市部はますます厚遇され、地方はますます疲弊化するのは、目に見えていることだろう。
 たとえ、都市部の投票率が10%で、地域の投票率が100%であっても、「一票の重さ」には関係ないの”ある。
 都市部でコメや食料を作っているのだろうか。
 隣国の都市部と地方人間の「人種差別」と似たようなことが、このまま放置していれば、早晩同じことになるのではないだろうか。
 一市民としては「心配するだけ」でしかないのだが。。。。。

投稿者:つねちゃん
at 08 :36 | 興味あること | コメント(0 )

2013 年3 月26 日

高速道路SAの喫煙所

 先日の新潟旅行の時の話題というか感想のひとつである。
 タバコをやめてもう10年以上が経過して、今では時々宴席などで「向う三軒両隣り」でプカプカされても、「吸いたい」などとは全く思わないけれど、さりとて座を白けさせてしまうのも気が引けて、そのまま話題に花を咲かせいても、全くではないけれど、気にならなくなってきている。
 現実に「向う三軒両隣り」というシチュエーションは昨年末にあったし、今年の正月には、ある話題で楽しく喧々囂々の議論をした時もそうだった。
 で、話を本題に戻して、在職中高速道路を利用する機会は時々あったが、運転しながら吸うタバコも、「周りに迷惑をかけない」という意味で解放感いっぱいだったのだが、SAの
喫煙コーナーは、常に新鮮な空気を煙草の煙と一緒に吸い込める、というなんとも矛盾したことなのだが、大好きだった。
 ところが、今回いくつかのSAに寄ったが、さながら「バートケージ」(言ってみれば鳥籠である)に「籠の鳥状態」で吸うことを余儀なくされるような「喫煙所」が設置されていることだった。
 これは、喫煙卒業者としては、何とも忍びない思いがした。
 喫煙時には「俺は高額納税者だぞ」と吹聴していたのだが、タバコを吸わない人よりも納税額が多いのは事実なのである。
 ああそれなのに、である。
 吸わなくなって「たばこの副流煙を吸わなくていい権利」は確かに喫煙時よりは理解できるけれど、さりとて、「喫煙する権利」はもう少し幅広く認めてもらろってもいいのではないだろうか。
 せめて、SAの籠の鳥のスペースは、少し離れた所でもいいから、倍以上の広さを確保し、浄化排煙装置を設置して、「美味しい空気と大好きな煙草の煙が一緒に吸い込める」くらいの配慮がほしいものである。
 でないと、「魔女狩り」的な発想になってしまい、「思いやり」というものが無くなって、体は健康だがも心が不健康、という状態になりかねない。

投稿者:つねちゃん
at 06 :39 | 健康 | コメント(0 )

2013 年3 月25 日

人工光合成

 自然資源の少ないわが国だけではなく、最近いろいろな新エネルギー源が注目されている。
 メタンハイドレートなどは、我が国の領海内で、今後100年の位貯蔵量があると聞くと、素人ながら「ぜひ早く商用ベースに乗せてほしい」と願わずにはおれない。
 尤も、その半面で、「取り出した後を海水で埋めるのだとすれば、そこからの地盤沈下で大きな地震につながるのではないか」との心配もある。
 そんな中、先日TVで見た表記の技術については、各国での競争状態にあるとは言うものの、それこそ「国際間の枠を取り除いて」挙って研究開発を進めるべきではないか、と思った。
 科学的に詳しいことは「理科」という科目が嫌いだったので、よく分からないけれど、草花が「光合成」をすることによって、身内には「成長のための糖分」を、排泄物として「人間をはじめとする動物に必要不可欠な酸素」を、そして、草花自体の「食べ物」としては、太陽光と土中の水分と、地球温暖化の原因になっていて、人間初め動物の排泄物としての「二酸化炭素」だというのだから、これはWin−Winの関係である。
 その上に、草花の排泄物のもう一つには、「エタノール」があることが分かり、それを新エネルギー源にしよとするものだそうである。
 エタノール、と聞くと、私なんかはすぐに「美味しいお酒」を連想するが、どうも違うようである。
 ともかく、これなら上記のような「地盤沈下」の心配もないし、中国からの迷惑な(これは中国自体が迷惑なのだろうと思うが)PM2.5などの排出抑制にも貢献するのではないだろうか。
 何しろ、論理的には「無限に使えるエネルギー源」だということが、何とも聞いていて楽しいではないか。
 時には、こんな話題にも興味を持つ私である。

投稿者:つねちゃん
at 08 :54 | 興味あること | コメント(0 )

2013 年3 月22 日

新潟旅行 その4

 利き酒会場での興奮も適度な酔いと、美味しかったお酒の話はもちろん、今年は少しおつまみの販売場所に工夫があり、各々美味しかったつまみの話でも楽しんで、ホテルに戻り、夕食までに少し時間があったので、しばしの休息を微睡み乍ら過ごす。
 これもまた結構な時間の過ごし方である。
 家にいて、どこかの飲み会に行くと、それなりの量を飲んでしまい、帰宅するまでは何とか正気でいるものの、部屋に入ると「パタン・キュー」が常である私にとっては、この「微睡み(まどろみ)」というのが堪えられない位良い気分である。
 6時半から夕食に出かけるということで、今日は娘の旦那さんの誕生日でもあるので、最初の予定では「焼肉屋」となっていたのだが、変更になり、気の張らない居酒屋になったようである。
 そこでも私は、地酒を頼んで、地元産らしいつまみなどでお祝いをしてにぎやかに談笑した。
 何とも幸せな時を過ごせたことに、大いに感謝である。
 翌日は、途中まではまた旦那の運転で、昨年も立ち寄った道の駅で、お土産などを買い、孫の希望で、親不知海岸で真っ青な日本海の空気を吸い込んで、翡翠海岸との別名もあるので、それなりに眺めながらひと時を楽しんだ。
 もちろん、素人の私に見つかるものではない。
 帰宅後の我が家での夕食は、途中で買った少し豪勢な寿司折で、買ってきた日本酒を利き酒ではなく、もらったお猪口になみなみと注いで数種類を楽しむ。
 なんとも楽しく豪勢で、美味しい新潟旅行であった。
 その後調べると、地元富山でも「利き酒会」があると知り、また、隣県の金沢でも、今年の秋に新潟を見習っての会があることも知った。
 でも、「泊まる」のではなく、帰らなければならない、ということがなんとも億劫になってしまう。
 でも、富山は日程的に無理なのだが、金沢の場合、その時になって連れ立ってゆける人がいれば、行く気になるかもしれない。

投稿者:つねちゃん
at 08 :23 | 旅行記 | コメント(0 )

2013 年3 月21 日

新潟旅行 その3

 さて、いよいよ会場の「朱鷺メッセ」へ到着である。
 昨年と同じ場所だったので、少しは勝手が分かっていて、昨年よりも1時間ほど早く着いたこともあり、長蛇の列は変わらないものの、それでも晴れている分だけ気が楽だった。
 入り口でリストバンドをしてもらって、まずはお酒とは関係ない孫たちの「居場所」を確保する。孫たちはそこで思う存分、ゲームで楽しんでくれている。
 その間に大人4人は、各自各々の好みの酒蔵の利き酒をして歩く。
 従って、他の大人はどんなふうに回っているか分からない。
 私は、まずは一つのキーワードを決めた。
 会場で2−3の蔵は「燗酒」をやっていたが、ほとんどは「冷酒」であることから、「冷で飲んでおいしいお酒は」というものだった。
 所によっては「冷でも燗でも美味しいですよ」というところもあったが、残念ながら私の口には合わなかったので、銘柄も覚えていない。
 しかしながら、さすがに蔵のことをよく知っている人が直接薦めているので、必ずしも「大吟醸」ばかりを薦めるのではなく、「うちはこの『純米』が冷で一番お薦めです」という言葉も聞かれたのが頼もしく、もちろん4合瓶だけれど買い求めた。
 また、お猪口を差し出している男性や女性にも下馬評かもしれないが、話を聞き、それを参考にして、二度ほど同じ酒をお願いしたこともあった。
 一度に注がれる量は、帰宅後に計ってみると、たぶん10ml位だったのだろう。
 昨年は気が付かなかっただけなのかもしれないが、所々に水道栓が用意してあり、どうしても口に合わないものを飲んだときは、そこでお猪口を洗って次に進んだりもした。
 やはり、この水道栓は不可欠であろう。
 孫の所に二度帰って、結果として3度に亘って大体好みと思われるものを飲んだ。
 数は昨年は多分100くらいだったろうが、今年は、上記のようにいろいろ話を聞きながらということもあり、そこまではいかなかったろう。
 それでも、90としても900mlだから、約5合飲んだことになる。
 足を中心体を動かし、口も動かし、しながらだったせいか、昨年ほど「酔った」気分ではなかったが、話が「肴」になったこともあり、十分に楽しめた。
 娘とその旦那および家内と孫にも大いに感謝である。

投稿者:つねちゃん
at 08 :34 | 旅行記 | コメント(0 )

2013 年3 月19 日

新潟旅行 その2

 助手席に乗せてもらって、思う存分に窓外の景色を楽しむことができた。
 家内と二人連れの旅行だった今までは運転手だったので、満足に窓外を楽しむゆとりは残念ながら皆無と言っていいほどだった。
 別にそれに対して「恨み節」を言うつもりは全くないのだが、矢張りその「落差(楽さ)」は感じてみるほどに楽しいものだった。
 ところで、久しぶりに高速をそのような状況で走ったので、ふと気が付いたことがある。
 今まで(たぶん)見たことがなかった路面の標識である。
 目玉のような模様が、所々だが、3対ほど並んでいるのである。
 運転のプロである、娘の旦那に聞いても、よく知らないという。
 帰宅後、ネットで調べても調べ方が悪いのか、ヒットしない。
 こうなると、事後の楽しみがまた一つ増えたようで、楽しみが倍加するような気持である。
 何につけても、「楽しみの発見」いやいや「疑問の解消によるスッキリ感」は面白い。
 本などによる「静止」から得られるもの、今回のような「動的なもの」から得られるもの
いずれにしてもなんとも楽しいではないか。
 よく言われる、牛の反芻のように、同じことを見聞きしても、それをより一層自分の中で繰り返して楽しめる自分は、ナント幸せなことだろうか。
 そんな事を感じながら、これからも、毎日を感謝で過ごしていきたいものである。

 なかなか酒の話題にたどり着かないなぁ。( ^)o(^ ) 

投稿者:つねちゃん
at 06 :37 | 旅行記 | コメント(0 )

2013 年3 月18 日

新潟「酒の陣」へ行ってきました その1

 土曜から日曜にかけて、家内共々、娘とその旦那さんの運転で、小学生の孫二人と「一家総出」で、昨年も楽しんだ、新潟市で行われた「酒の陣」へ行ってきました。
 今週はその話題で過ごさせていただきます。

 新潟に倣ってのことかもしれませんが、富山市や金沢市でも、これから似たようなイベントをなさるそうで、「日本酒好き」の私にとっては、行けるかどうかは別にして、楽しい限りです。
 概略的には、朝6時半ごろから高速に乗って出かけ、途中のSAでトイレ休憩と休息をとって、昨年はホテルの場所が分からず(駐車するためにチェックイン前に止めておく必要がある)、会場までの道筋などの確認などで、会場への到着が11時半くらいになったのだが、ホテルも同じところが取れたのと、出発時間を少し早くしたので、1時間ほど早くに着くことができた。
 昨年は、生憎の雨だったので、心配した天気だったが、今年は少し風が強いことはあったものの、晴天で暑いくらいだったので、長蛇の列にも楽しく並んで待つことができた。
 会場入り口でリストバンドをしてもらって、まずは「居場所の確保」である。
 孫たちはさすがに飲むことはできないので、大人がウロウロしている間は、いつもの「もう止めなさい」の声も心配せず、ひたすらゲームに夢中である。
 試飲用のお猪口(帰宅して計ったら、満杯にしても40cc(約3勺弱)程度)で各酒造メーカーの大吟醸、吟醸、純米、濁りなどのいろいろな酒を10cc程度ずつ注いでもらい、好きなだけ飲めるのである。
 昨年は「ともかく飲もう」という気持ちで、80くらいまでは「我武者羅」に飲んだが、今年は少し落ち着いて、注ぐ人との会話も楽しんだ。
 でも、結果としては多分80は過ぎただろう。
 80X10=800(cc)=5合弱、というところだろうか。
 歩き回り、会話も楽しみだから、さほど「酔っぱらう」というほどではなく、十分に楽しんだ。
 帰宅後の夕食に、各自買ってきた好きな酒を批評しながらの会話も、ずいぶん楽しいものになった。

投稿者:つねちゃん
at 06 :30 | グルメ | コメント(0 )

2013 年3 月15 日

去りゆく「冬」

 少し言い訳じみるが、今日から気温も二ケタが「当たり前」のような天気予報であり、このテーマを思いついたのは、少し前である。
 とはいうものの、昨日は天気自体は曇り空だったので、腰の痛みもだいぶん和らいだので散歩に出かけたが、風の冷たさは、真冬と変わらないくらいだった。
 閑話休題、私自身は「春は名のみの〜〜」という早春賦の歌詞が好きだし、その季節の到来を毎年期待している。
 ということで、表題のことに気が付いたのは、たぶん今年初めてではないだろうか。
 寝る時のパジャマは、真冬の時のものとは、少し薄くなってきている。
 寝る時用の、ルーズソックスも、僅かだけれど、薄物になっても、「寒い」という感じはしなくなっている。
 尤も3種類しかないのだが。
 ネックウォーマーも、時々するのを忘れても、気が付かないくらいである。
 その他、主に「衣」に関することだが、確実に「冬が去りつつある」ことを身をもって知ることができる。
 これは、なんとも楽しいことである。
 身体全体が「寒さ」からの防護体制になっていたのだが、「太陽と風」という逸話だったか、どんどん(季節によって)剥がされてゆき、どんどん身軽になってくる。
 そうなると、なんだか「じっとしている」ことが罪悪感となり、出てゆきたくなる。
 勿論、悪く言われるように「犬も歩けば」で良いことばかりに出会うわけではないのだが、少なくとも気分だけは確実に「開放(快方)」に向かっているのだから。

投稿者:つねちゃん
at 06 :58 | 健康 | コメント(0 )

2013 年3 月14 日

わらべ歌の怪

 最近、似たような話題に、二つ立て続けに出会った。
 表題のとおりなのだが、わらべ歌本来の意味、と言う怪情報である。
 私だけが知らなかったことなのだろうが、次の二つである。
 「ちょうちょ」と「ずいずいずっころばし」である。
 諸姉・諸兄はすでにご存知だろうが、なんだか訳を知ると、今から保育園に上がる孫の前では「決して歌わない」と心に決める。
 もっとも、いずれも「ひとつの説」なのだろうから、「絶対無二」ではなく、そんなに硬く考える必要もないのかもしれないのだが。
 どうも、やはり昔からの「助平」だから、なおさら「(女の)孫には歌わせない」と思ってしまうのであるのは、男の勝手な論理だと言うことは十分に理解しているのだ。
 歌の解説は、各々興味の元に調べていただければいいので、ここではしないが、どちらにしても、「猥歌」と言う類のものである。
 でも、こんなことって、他にもあるのではないだろうか。
 何にも知らないで、歌っている歌は、やはり罪深いのであろう。
 「お前どこ行く/青筋立てて/生まれ故郷へ/種まきに」と言うようなわかり易い文句の猥歌のほうが、微酔を過ぎて大声で歌うような宴会余興のほうが好きである。
 また、昔からの「都都逸」にも、「三千世界の/カラスを殺し/主と/朝寝が/してみたい」と言うのも意味が深いが、理解すると「なるほど」と思わせるものである。
 
 そういえば、リタイアしてからと言うもの、こんな歌を歌う宴会とは、まったく縁がなくなってしまったなぁ。
 酒を飲んで歌うと言えば、「カラオケ」ばかりで、そこには平板な歌詞ばかりが並んでいるようで、好きな方には失礼だが、私はあまり好まない。

投稿者:つねちゃん
at 08 :16 | 興味あること | コメント(0 )

2013 年3 月13 日

山の幸、海の幸

 雪解けが間近いこのころになると、必ず作る(家内がである)一品が「蕗の董味噌」である。
 蕗の董は、幸いにして、そんなに遠くまで行かなくても、手に入る。
 実は、数年前まで、そんなに近くにあるとは「思っても見なかった」のだが、家内が取りに行ったものを見て「それならそこ等にもあるよ」と言ったことから、こちらとしては、然程興味もなかったので「見えたまま」だったのだが、そこは良く知っている家内の「探す」目から見ると、手頃、食べ頃もものが随分あったようである。
 それ以来、雪解け少し前からこれが作られる。
 正直、在職中は、今の若い人とは違い、「肉食系」だった私は、野菜、特に山菜は嫌いだった。
 ところが、リタイアしてから、近くの公園が綺麗に見え出し、山菜が随分と好きになったので、家内の作ってくれる蕗の董味噌には目がないくらいである。
 これで、山の幸を堪能。
 ついで、この時期、さすがに自分では収穫できないが、地元氷見産の「鰯」が手頃な値段で新鮮なものが売られている。
 およそ「魚」と言うもので嫌いなものが無い私だが、特に鰯は大好物である。
 焼きたての塩焼きに生姜と醤油を掛けて、まだ熱い物を、できれば骨ごと食べて、ご飯か、願わくば、すっきりとした日本酒でいただくのが最高である。
 とはいうものの、そんなシチュエーションにはなかなか出会えるものではないので、チャンスを待とう。
 で、次という訳ではないが、「炊いた鰯」である。
 この時期まだ気温は然程高くなく、たいていの場合は「煮凝り」がセットである。
 熱々のご飯(炊き立てでなく、レンジでチンでも良い)に乗せて、程よく煮凝りが溶け出したところをご飯と一緒に「掻き込む」のが絶品である。
 減量に努めているので、ご飯の量は以前ほど食べられないが、鰯だけはむしろ家内に「早く食べなと駄目になってしまう」と急きたてられるのがなんとも嬉しい。

投稿者:つねちゃん
at 09 :15 | 健康 | コメント(0 )

2013 年3 月12 日

漢字と国字

 書き取りをやっていて「やはり面白い」と思うのは、漢字だと思って使っている「国字」ではないだろうか。
 このブログでも何度か取り上げたが、そのうちの幾度かは「テーマが思いつかない」時の逃げ込み寺、の如くだった。
 今回は、そうではなく「調べてみよう」と思ったからである。
 でも、単に無秩序に調べても面白くないので、今回は「魚」に関するものに絞ってみた。
 次回、テーマに困った時には「鳥」に関するものになるかもしれないが、果たしてそれまでに2000回になってしまえば、登場しないということになる。
 それでは、私の持っている電子辞書の掲載順に並べてみよう。
 鮖(かじか)、鮗(このしろ)、鮴(ごり)、鯏(あさり)、鯑(かずのこ)、
 鯒(こち)、鯱(しゃち)、鯲(どじょう)、鯰(なまず)、鰯(いわし)、
 鰰(はたはた)、鱇(アンコウの下の字)、鱈(たら)、鱚(きす)

 たぶんもっと調べれば、これ以外にもあるのではないだろうか。
 果たして、すべての漢字があなたのPCで表示されましたでしょうか。
 偶には、本当の意味で「徒然なるがままに」こんなことで楽しんでみてはいかがですか?
 かつて使った「漢和辞典」はまだまだ使い道がありますよ。

 また、同じ意味なのに今まで習った別の「漢字」があるのに、なぜこんなことが楽しいのか、と訝しがる人もいらっしゃるだろうが、「漢字の成り立ち」と「国字の成り立ち」にも興味を持って調べてみると、楽しさが増えること請け合いである。
 昨今いろいろな物議をかもしている「漢」の国の人の感覚に、少し理解が及ぶのではないだろうか。


追記をみる

投稿者:つねちゃん
at 06 :55 | 学習 | コメント(0 )

2013 年3 月11 日

メモリアルデー

 本日付は2年前の東日本震災の日であり、昨日は聞いたことでしかないが、東京大空襲の日だとのことである。
 私の最も恐れと喜びだった日付は、1.17である。
 恐れの最も大きかったのは、阪神・淡路の大震災だろうが、間接的とはいえ、湾岸戦争の勃発した日でもあった。
 また、同年同日付に、初めての海外出張に行った日でもあったのが、不謹慎だろうが、喜びの日でもあった。
 世界的なメモリアルデーというのには、いろいろあるだろうが、自身の誕生日を初めとして、親兄弟や子や孫の誕生日と言うのが、最も身近なものではないだろうか。
 嫌な思い出のこともあるだろうが、今日あちらこちらで「黙祷」を奉げられるだろうが、悲しいばかりでは「後ろ向き」であろう。
 当事者ではないから、勝手なことを言うな、と叱られそうだが、むしろ当事者の方こそが「後ろばかり向いていてはいけない」と思っておられるのではないだろうか。
 良いにつけ、悪い煮つけ「この日を迎えられた」ということを今日からの糧にして、前向きに進んでいこうと思える身に感謝すべきではないだろうか、と思っている。
 我が家では、今月は娘の伴侶の誕生日があり、孫の進級がある。
 来月は家内の誕生日だし、次の月は私の誕生日がある。
 その間に、先日亡くなられた大好きだった叔母さんの四十九日の法要があり、所謂「弔問外交」の機会がある。
 また、まだ続いているPC講習も毎回楽しく行える。
 難しいが、「楽しいことや思い出」で予定表をできる限り埋めていきたいものである。
 なぁーに、「極楽とんぼ」と言われても「はい、そうなんです」と喜んで言えるように「今」を過ごしていきたい。

投稿者:つねちゃん
at 06 :47 | 日記 | コメント(0 )

2013 年3 月8 日

度量衡

 偶々であるが、父の蔵書の365日雑学ダイアリーと、日本のしきたりという本を読んだ時がほぼ同じ時期だということから、思いついたテーマである。
 ちなみに、大宝2年のこの日、本邦で初めて度量衡が実施されたのだという。
 物の「単位」というのは、どれだけ覚えても咄嗟に適切なものが出てこないで、赤面することがある。
 まぁ、最近は滅多に使われなくなったものを「覚える」のではなく、楽しんで読んでみよう。
 提灯や太鼓は紙や皮が張っているので「一張、二張」、釜、鞍、刀、鎌などは「一口、二口」、刀はまた「一振、二振」とも言う。
  鎧は「一領、二領」、数珠は「「一貫、二貫」または「一連、二連」。
 印籠は「一具(そなえ)、二具」。琵琶は「一面、二面」。
 烏帽子は「一頭(かしら)」。脇息は椅子と同じく「一脚」。

 この他にも、まだまだたくさんあるだろうが、興味を持って調べられて見られれば楽しいこと請け合いである。
 ところで、ウサギは「一羽、二羽」と数えられるのは、ご存じの通りだが、なぜそんな鳥のように数えるのだろうか、をご存じだろうか。
 結論から言うと、ウサギは「鳥のあいのこ」だからである。
 「鵜」と「鷺」のあいのこだったのである。
 勿論これは嘘というか方便。
 仏教が伝来してから、四足動物を殺生すると、畜生道につながるから食べてはいけない、ということになり、猟師が考え出したことから、というのがどうも本当らしい。


投稿者:つねちゃん
at 09 :05 | 健康 | コメント(0 )

2013 年3 月7 日

タバコをやめて10年以上

 リタイアして、碌な介護もしなかったけれど、父が逝き、その年の暮れには正月祝いもできないので、子供と一緒に近くの温泉で過ごすことにして、その夕食の時に息子から久し振りにもらった1本のタバコが、今までのように美味しくなかったことがきっかけでやめてしまった。
 それ以来もう10年以上も経った。
 最近、いろんな本を読んでいて、タバコの話題に遭遇した。
 曰く、
 タバコと言う語はポルトガル語の「tabaco」に由来する。
 昔の人たちはそのタバコに色々な字を当てていた。
 今日では「煙草」が一般的だが、そのほかに色々な字を当てている。
 音読みによる当て字として、「淡婆姑」「多波粉」「多葉粉」「淡巴菰」「淡把姑」「多葉香」「多葉古」「多縛固」「手把粉」。
 性質やその風習から、「烟草」「烟花」「魂烟」「返魂草」「南雲草」「金絲草」「淡肉果」「相思草」「戯事」「酒草」。
 別称として、昔の人の中には薬にも毒にもならない不用のものとみなして「阿呆草」「闇方草」、飲めば欝を忘れることから、「忘れ草」などもある。
 
 勿論、今からまた始めるということは、まったく思いもしないし、宴席などで回り中でタバコを吸われても、全く意に介さなくなっている。
 でも、こんな話題に出会うと、なんだか楽しくなってくる。
 「この道は/いつか来た道」ということだろうか。
 懐古趣味に走るということは、やっぱり老化現象の一つだろうか。
 でも、なんだか懐かしく、やっぱり楽しい。

投稿者:つねちゃん
at 09 :01 | 健康 | コメント(0 )

2013 年3 月6 日

散歩の楽しみ

 朝が明けるのがずいぶんと早くなった。
 我が家の前も、幾人かの散歩コースになっているようで、まだ明けきらぬうちから歩いている人がいらっしゃる。
 私自身は、早朝の散歩はやめて、もっぱら日中にしている。
 そんな中、先日、面白い機会に出会った。
 この辺は電車の本数は大体1時間に2本程度である。
 在職中は、何度も紹介したが、「出張族」だったので、ずいぶんお世話になったものである。
 それはともかく、私の散歩コースには、もちろん確たる決まりを設けている訳ではないが、二つの踏切を越えることになっている。
 殆どの場合、踏切で止められることはない、ましてや両方で止められることなど今まで皆無と言っていいほどだった。
 ところが、それが先日あったのである。
 それも、ご丁寧に偶々行きと帰りにその踏切を越えたのだが、往復ビンタを食らったように止められた。
 お蔭で、久しぶりに地上から電車の大きさを改めて感じることになった。
 利用しているときは、プラットホームからだから、そんなではないが、地上から見るとその大きさにやっぱり圧倒されてしまう。
 子供のころ、父が国鉄勤務ということもあったのかもしれないが、電車が好きだった。
 それも、こんなことが影響だったのかもしれない。
 決して進められることではないが、電車が通り過ぎた後で、線路に耳を当ててみた。
 60年くらい前の思いに、ふと帰ったような気がした。
 やっぱり散歩は楽しいなぁ。

投稿者:つねちゃん
at 06 :42 | 日記 | コメント(0 )

2013 年3 月5 日

まだまだ知らないことがたくさんある

 先日、ある機会に「メールを送っても返事がない」と言われた。
 そんなことはない、と思いながらも、そういえば最近メールの受信がないな、と思って、自分の携帯の設定を見て驚くともに恐縮至極だった。
 PCのメールの設定などについては、最近Windows8にして、幾つかのアカウントが増えたものの、それなりに駆使しながら使い分けていると思っているので、こんなことないだろうと思っている。
 ところが、携帯については、なかなか「昔人間」の域を出ておらず、「電話機」という意識しかないので、メールの送受信は、正直なところ苦手である。
 そんなことと、幾つかのメール会員になっていることもあって(やめると特典ポイントが貰えなくなるという点があるので、受けたこと、にしている)本来の友人・知人のメール以外に「ご案内メール」が届くので、必要な時に問い合わせる設定にしておいたのだろう。
 そんな気がするだけで、すっかり忘れてしまっていたのである。
 言われたことを契機に、問い合わせてみると、なんと2カ月前にもらっていたメールが出てきた。
 幸いにして、返事が必然というほどのことはなかったものの、「冷や汗三斗」の気持ちだった。
 携帯の機能には、まだまだ使ったことのないものがあるようだが、長い間使っているので、表面の塗装が剥げてきていて、先日も友人から「まだそんなものを使っとるがけ?!」と非難とも嘲笑ともつかない言葉を掛けられた。
 勿論現在のものは、俗に言われる「ガラケー」なのだから、それも含めて言われたのだろう。
 でも、スマホに乗り換えても、使う必要がない機能にお金を払うのも嫌だしなぁ。
 「知らないことがある」というのは、悲観ではなく、「まだまだ楽しく学習できる」と負け惜しみを含めて思っている。 ( ^)o(^ )

投稿者:つねちゃん
at 08 :01 | 学習 | コメント(0 )

2013 年3 月4 日

TPPって、米国大統領が決めるの?

 このテーマを思いついたのは、先月24日だったから、月も変わったこの日にどのようになっているか判らないけれど、我が国の首相も米国の大統領も何か勘違いされていないだろうか、と思えてしようがない。
 TPPというのは、「参加団体の名前若しくは考え方の基本」だろう。
 それが一つの国の元首の一言で変わってしまうものなのだろうか。
 国連で「拒否権」というものを持っている国があることも、かねてからの大きな疑問だが、まさかそれと同等の権限を確かに大国かもしれないけれど、一国の大統領の意向で変わるものなのだろうか。
 もしそうだとしたならば、いつまで経っても、すべての国が、その国の「占領国」とみなされしまうのではないか。
 「P」の一つの意味は、「Partnership」だと聞いているが 、それならばすべての参加国の同意が必要だろう。
 数人での飲み会の日にちや場所の設定でも苦労するのだから、簡単ではないと思うが、そのためにこそ「多数決の論理」と「少数派の意見の尊重」が求められるのではないだろうか。
 日本も「米国の大統領が言ったのだから」という料簡で臨んだとき、「それはどんな権限なのか」と反論されては、まったく立つ瀬がないであろう。
 そうなってから、アタフタしても仕様がないことくらいは、実務者は知っているのだろうから、総理大臣としては、そのことをしっかりと認識すべきではないだろうか。
 坊ちゃん総理に、それを求めることこそ、八百屋で鮮魚を求めるほど、無理なことなのだろうか。

投稿者:つねちゃん
at 06 :55 | 政治への注文 | コメント(0 )

2013 年3 月1 日

最高の贅沢は

 宝くじはなかなか当たらない。
 今までの最高当選額は5万円だが、これはすでに5年ほど前である。
 しかしながら、「当たったぁー」と本当に感激したのは、就職した翌年の昭和42年に当たった1万円だった。
 翌日出勤して行ったら、当日と翌日でみんなの餌食になってしまった。
 それでも、ずいぶんと贅沢できたものである。
 当たらないながらも、ジャンボに絞って買い続けている。
 今までは、正直、当たったらの夢は確実にあったのだが、最近はその姿もぼやけてきている。
 そんな折、「自分のしたい贅沢とは何か」を改めて(馬鹿らしいと思われるだろうし、自分でもそう思うのだが)考えてみた。
 まさに「極楽とんぼ」的な発想であるが、何とも楽しいではないか。
 それは何か。
 電車も飛行機も「ファーストクラス」で世界を家内と旅すること、である。
 物を買っても然程の感激ではないし、食べ物に贅を凝らしたら、むしろそのあとの健康を心配しなければならず、お酒についても、好きな銘柄は日本酒はもとより、ウィスキーにも、最初の米国出張で知ったバーボンについてもそれぞれあるのだが、結局は「程よく酩酊すれば何でもいい」訳だから、拘るほどではない。
 使ってすぐに無くなる、というのは旅行であろう。
 そのためには、やはりファーストクラスが良い(のではないか)。
 最初の米国出張が何かの手違いかも知れないが、ビジネスクラスで行った。米国内の移動はファーストクラスのシートが利用できた。
 東京への出張は、出張経費より少し持ち出しになったが、グリーン車を使い、泊まるホテルは普通のホテルを主に使っていた。
 もう出張ということはないのだから、すべて持ち出しである。
 そのためには、やはり宝くじが当たらないと、夢のまた夢である。
 でも、そんなことを考えながら宝くじの当選を待つのも、良いではないだろうか。

投稿者:つねちゃん
at 08 :19 | 健康 | コメント(0 )

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