穂先筍
表題の物をご存知だろうか。
竹の成長に応じて、土から少し芽を出したもの(場合によっては芽を出す前に靴底に感じて掘り出すものがより珍重されているし、実際に美味しい)は灰汁も殆ど無く、そのまま生で齧っても美味しい。
それから少しすると「筍でぇーす」とばかりにその形を地上に露にしてくれる物を大体収穫して食べる事になるのだが、やはり食べるまでには、糠と唐辛子を使ってしっかりと茹でて(これは我が家流のやり方なので、各家毎に方法はあるのだろうが)食べる事になる。
薄皮は味噌などで味付けしてワカメなどと和えた「ヌタ」にして食べるのが私の好物である。
この頃に町内で子供会との共同行事でバーベキューをやる事が多く、「山賊焼き」と称して掘り立ての筍をそのまま火にくべて、しっかり火が通ったところの熱々を乱暴に皮を厚く剥いて中身を食べるのもお酒のアテとしては最高である。
尤も、今年は天候不順ということもあって、竹自体の成長が遅く、細かったので、量的には僅かでしかなかった。
ここまでが例年の「筍を味わう」事だったのだが、今年は表題の記事が新聞に出ており、最初は「筋ばかりでは、灰汁が強くなっているのでは、すでに竹として硬くなっているのでは」との心配をしながら、筍を食べてみた。
ところが、家内が記事を熟読した結果、茹で時間を大幅に長くして食べてみたところ、筍としての食感は勿論、味としても十分に主張しており、美味しく頂く事が出来た。
今年はすでにその時期は過ぎているが、来年以降はこの方法で、ややもすれば畑への闖入者となる竹を美味しく頂こうと思っている。
記事によると、地域によってはスーパーなどにも並ぶだろうとあったが、私としては懐疑的にならざるを得ない。
なぜなら、竹は一日で数cmも伸びるので、手間隙掛けてスーパーに並べてもその成長は止まる事がないから、直ぐに筋張ってしまうだろう。
食べてみたい方は、筍堀のシーズンが終わってから、竹林の持ち主と掛け合ってみてはどうだろうか。
取立てを少し長く茹でてから食べる、ことが今年からの我が家の鉄則になる。
投稿者:つねちゃん
at 08 :14
| グルメ
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無責任に「見る」楽しみ
些か尾篭な話で、恐縮だが、諸姉・諸兄におかれては、大の用を足す時間にトイレで見るものには何があるでしょうか。
勿論、物を考える上での「三上」という言葉を知らないわけではなく、在職中はむしろ積極的に実践(実戦?)してきて、それなりの実績があった事があると自負している。
相変わらず余談になるが、鞍上と厠上はよく実践できたが、枕上については、相手が居れば、それ所ではないし、相手が居なければ大概の場合酔いに任せて白河夜船を決め込んでいたから、そちらの実績は程遠いが、その分早起きで稼いだような気がする。
話を本題に戻して、「噛む食」を始めてから、従来ほど長くトイレにいて頑張る事はないのだが、それでも多分普通くらいの時間はかかる。
その間に読むものとして、従来は病院などの待ち時間に読んでいた「それなりの知恵」がつく本をなんとなく「見て」いた。
ところが、当然そんな浅知恵は身につくものでもなく、ただ「見ていた」だけに終始していたような気がする。
病院の待合時間などで「読んだ」所は細々ながら覚えてはいるし、自発的に思い出せなくても、人から言われたような場合に「そういえば」ということで思い出す事があったが、厠上での部分は全くといっていいほどそれが無かったような気がする。
それで、最近気が付いたのだが、そんな本や新聞などよりも、旅行社からの案内が適当ではないかと気が付いた。
新聞折込の家電製品のチラシも以前使った事があるのだが「欲しい」という気持ちが生じると書いてある細かい文字で仕様を理解してみたり、新しい言葉や用語があるとそちらに気が行って出るものも滞ってしまうのが常だった。
ところが旅行案内などは「どの道行けないのだ」と思いながらも、場所を思い描いてみたり、時には「そこへは行った事があるぞ」と思い出してみたりして、全体的にリラックスできてすんなり出るようになっている(と思っている)。
投稿者:つねちゃん
at 08 :30
| 健康
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マスコミ人事
このテーマは現時点ではすでに「過去の事」になっているが、むしろ参院選挙後にも言える事になるだろうから「今後の事」と思ってもらいたいと勝手な思いである。
だから、文章自体は「過去の事」として綴ってゆきたい。
ほとんどのマスコミ媒体は、さも自分が組閣でもするかのような気分なのだろうか、新政権に対しても、マスコミ各社が勝手な意見を言っている。
これは「マスコミが言っているのではなく、そこに登場する評論家が言っている」との隠れ蓑を組閣決定後に言い訳のように言っている。
マスコミとしてしっかりとした発言(それにしたところで結局野次馬の下馬評でしかないのだが)をするのであれば、まだ理解もするし「この媒体はこんなポリシーをもっているのだ」ということも考えられるのだが、組閣後は自らが何を言っていたかなどほとんど無頓着に「評論」をしているのを見るといったい何処に主体性があるのか、その媒体自身を疑って掛かる必要がある様に思えてくる。
こうなると「無責任」という事になる。
ここでも何度か書かせていただいたが、在職時に人事のお手伝いをさせてもらった事がある。
そんなときに、どんな情報源かは判らないけれど、「ここには誰それだろう」などと耳打ちする者が必ず何人かはいたものだった。
こう言われると合っていても、違っていても返事に窮したものである。
それでも結果が上手く行けば(落ち度が無ければ)色々と言われる事は無いのだが、ソウでない場合は「だから言わんこっちゃ無い」と言われるのが常だった。
私はあくまでも「お手伝い」で決定権は上司だったのだが、当然意見を聞かれたりするので全く無関係ではないので腹立たしい思いをした事があったが、直接の上司の思いを考えると怒り心頭に発する思いをしたものである。
どうかマスコミ各媒体には、そのような野次馬下馬評をしないようにしてもらいたいと思っている。
でも、今度の参院選挙は面白くなりそうだなぁ。
投稿者:つねちゃん
at 05 :46
| 報道
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孫の朝襲撃
最近保育園や小学校でのイベントが結構多く、孫たちは嬉々として出掛けてゆく。
また、明日から私の頃には無かったが、小学校一年生が富山の明峰立山へ出かけ、宿泊学習をしてくると言う。
果たして雄山まで行くのかどうかは聞いていないが、昨日も帰ってきてネットの地図で教えてくれと頼まれた。
爺としては事故などが無ければ嬉しい限りである。
ということで、朝明るくなるのが早くなったせいもあるのだろうが、夜は9時前に寝るので、朝はやたら早い。
母親である娘はまだ起きてこないし、婆ちゃんの家内は当然まだまだ白河夜船の時間帯に起き出して来る。
そこでターゲットになるのが私である。
大体の日は、5時少し前に目が覚め、ウトウトしながらも5時には新聞を取りに行き、うつらうつらしながらだけどもゆっくりと2紙に目を通していることをしっかりと確認している孫は、当然のこと私の部屋を襲撃する。
まずは今日の予定について、友達の名前を揚げ連ねながら楽しいことをアピールする。
それが一頻り終わると、新聞を裏から知っている文字を拾い読みしながら「これってなぁーに」の質問攻めである。
正直なところ、これがあるとその日一日、本来のエンジンが掛からなくなってしまうので、叱り飛ばしてしまいたいのだが、好々爺を目指している身としてはそれも出来ない。
また、折角話してくれているのを無視すると「子育て」の初歩から違っているのだと思うと、矢張り出来る範囲で相手してやる事が正しいのだろう。
そんなわけで、仕方なく、6時過ぎまで相手をしてやり、家内や娘が起きてきたのを契機にバトンタッチするのだが、その時には読み残した新聞記事は結局後回しになってしまうし、毎朝の日課としている書き写しなども全て後になってしまうので、スッキリ感は無くなってしまう一日になってしまう。
でも、これだけ不満を言っているのだが、お気づきだろうが、これが爺の楽しみになっているのが事実なのである。
投稿者:つねちゃん
at 09 :31
| 子育て
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書く楽しみ
悪手を少しでも直そうと言う気持ちと、キーボードから脱却して脳の活性化に少しでも寄与しようと言う何とも打算的な動機で始めた「書き写し」であるが、般若心経に始まり、が「病膏肓(こうこう)に入る」の状況になっている。
余談だが、会社へ入って5年目くらいに「こうこう」か「こうもう」かという議論を愉しんだ事がある。
「膏肓」の二文字目を「盲」と誤用していたようだが、最近は何だかどちらも使われているような。
最近、従来使っていたボールペンのインクが気持ちよく「使い切った」ので、クイズ番組で見た「好みの色の組み合わせ」が出来るボールペンを買った。
文房具コーナーで見ると、なるほど15色から自由に3色を選んで組み合わせられるし、芯の太さも3種類くらいあるので、クイズ番組での開発動機が「女子高生の好みに合わせた」とあったが、なになに、還暦を過ぎたおじさんの私にも十分に興味をそそるものであった。
本体と3本の芯を買っても400円足らずであり、結局都合2本(6色)を買った。
翌日の書き写しから早速に使ってみたが、インクをケチる根性丸出しだった事が少し災いして、0.28と言う芯の太さにしたものだから、今までの筆圧では紙を突き破ってしまう失敗に少し戸惑ってしまった。
しかしながら、毎日色を替え、項目によっても色を替えたりとバリエーションを楽しんでいる事が、本来の「書く楽しみ」に倍化されたようで、何とも愉快である。
今までは「使い古し」のボールペンだったが、これからは今使っている色が無くなれば、残りの色も楽しく試してみたいものである。
表題とは違った内容になったと、少し戸惑われる読者もいらっしゃるかもしれないが、「犬も歩けば」と言う例えの如く、主旨と違った楽しみに出会えることも、その意外性がより楽しみを倍加してくれること請け合いである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :56
| 趣味
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生ゴミ処理機に感謝
昨日の件とも関連するし、ここでも度々書かせてもらったテーマであるが、「グルメ」と言う観点から見ても、矢張り重宝な機械である。
もう買って10年近くになるが、まだまだ健在である。
最初の頃は「水分が足りないのではないか」とか「(家族が当時は両親と私らだけの4人だったし、私は出張勝ちであまり居なかったから)餌になる生ごみが少なすぎて菌が十分成長しないのではないか」などと、今から菌の立場になって思えば「小さな親切大きなお世話」と言うことだったろうと思うが、それなりに手間隙を掛けていて、結局規定よりも早くにチップを取り替えざるを得ないような状況だった。
ところが、やはり「習うより慣れろ」で、最近は約半年に一度の取替えで十分であり、それすらも「まだ大丈夫」と言うことで変な節約をしたりしている。
最初のうちは取り替える前のチップも「3年も経ってからでないと堆肥にならないのでは、仕様が無い」とばかりに畑の邪魔にならないところに「捨てて」置いたのだが、ここ数年は「昨年はあそこに撒いたから」と言うことで、結構計画的に貴重な堆肥として活用している。
勿論種や苗を植え付けるときには、購入した堆肥や化成肥料などを施しているので、直接その所為かどうかは判らないけれど、毎年少しずつ成長の度合いが良くなっているような気がする。
そんな風にして育てた野菜は、矢張り「新鮮さ」だけしか取り柄がないかもしれないが、間違いなく「美味しい」のである。
特に「栽培者」しか判らない、整理菜や取り立ての味は口では上手く言えないが、気分良く食べられる。
しかしながら、電気製品を10年以上使い続ける事が、より効率化で消費電力が少ないなどの新製品を考えると、果たしてエコなのかどうかは疑問があるところである。
そろそろ買い替え時なのかもしれないが、少なくとも現在買い置きしてあるチップを全て消化するまでは大切に使って、私なりの「グルメ気分」を味わいたいと感謝を込めながら思っている。
投稿者:つねちゃん
at 08 :40
| グルメ
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料理番組の愚
主夫として「調理」と言う部分はまだまだ家内や娘の代役が務まるには至っていない。
と言うよりも、ついつい口から出るのは「次何をする?」と言う言葉で、それが向こうにとっては煩わしいので「いいから」と言う事になってしまうようだ。
とは言うものの、私自身が食べるものについては「私流の味」を黙認されているので、私なりにレパートリーを広めようと、時々TVの料理番組を見ている。
ところが、矢張り在職中に身に付いた「効率化」と言うことと、主夫見習いで身に付いた「勿体無い」精神から、どうも腑に落ちない「愚」ばかりが目立ってしまう。
確かに時間の制約もあるのだろうが、素材は綺麗に切られたものが用意され、油や各種の調味料も「測られた」ものが各々の入れ物に用意され、煮たり炒めたりするのだが、それも最初だけで「次に出来上がった物がこちらにありますから」というシーンになってしまう。
素材を切った時に出る「端切れ」はどうするのか、たとえば大根や人参の皮は我が家では殆どの場合「金平」の材料として殆ど残さない。
葉物の根の部分や、ジャガイモの芽の部分など、どうしても食べられないものは、最小限にしながらも「生ゴミ処理機」を経由して堆肥として利用している。
調味料は殆どの場合「目分量」で使い、いちいち入れ物などを用意すると後でそれを洗ったりするのに手間が掛かるばかりでなく、洗剤や水を使う事になり、エコと逆行してしまい兼ねない。
最も気になるのは、仕掛かったものは最終的にきちんと調理されて、スタッフなどのお腹に収まるのだろうか。
そんなことを考えていると、どうもこの番組作りは「男性の企画」によるものではなかろうかと思えてくる。
出演されるのは殆ど女性で、多分それなりの「料理専門家」と言う人なのだろうから、その人がそんな無駄なことをするとは考えられないから、矢張り効率化を最優先する男性の資質がなせる業なのだろう。
本当のグルメであれば、そんなところにも気を配って欲しいものである。
投稿者:つねちゃん
at 06 :34
| グルメ
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改めて「気づく」
このテーマについては、今までも何度か書かせてもらったような気がするが、それだけ「感受性」が強くなっていると言うことか、それとも学習の幅が広くなって、今までやったことの無い分野での気づきなのか判らないが、何度経験しても愉しいものである。
気づかずにやっているのと気が付いてやっているのとは大いに違う事にいまさらながら改めて驚く。
般若心経を「意味も理解せず」書き写しを続けているが、少しずつ、僅かではあるが「ひょっとしてこんな意味かもしれない」と気づき、図書館で解説本を借りてきて、その部分だけ読んで理解する(したつもりである)。
「書くこと」に対するテーマについては別の日に書く事にしているが、徒然草も終わり、家の信仰が浄土真宗(正直今までは余り明確に気づいていなかったのだが)なので、「御文」と言うものも一通り終えた。
多分祖父が買った物だと思う大正時代に発行されたものが仏壇から出てきたので、それが切っ掛けになったもので、一日一説とやっていると少し綻びていた綴じ糸が一部切れてしまったが、遺影でしか知らない祖父もまぁ納得してくれるのではなかろうかと、供養の一端かと自己満足している。
ところが、当時は「判りやすく」解説したのだろうが、なかなか現代文としての理解も難しく、珍しく「捨てない本」を買ってそれについては、解説を読む事を日課の一つとしている。
そんなことをやっていると矢張り今までに無い「気づき」がやたら出現してきて愉しい。
それに加えて、頭の孫が一年生になり、小学校で色々なことを覚えてきたり、宿題の相手(音読を聞いて評価することなど)をしていると、「エッ」と思うようなことにも「気づき」を発見できて愉しい。
在職中は「気づき」を愉しむのではなく、身につける事が主流だと諭したが、今は無責任に愉しんでいる自分が逞しい、と思うのはわが身勝手なのだろうが。
投稿者:つねちゃん
at 07 :56
| 学習
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ありがとう 考える
在職中は「努めて」ありがとうと言う言葉を発するようにまさに「努力」していたのだが、中々素直に出てこなかったと言うほろ苦い思いが残っている。
特に「名前だけ上司」(余談になるが、こんな人間がまだまだいた頃の話であり、民営化によって多分殆ど駆逐されたであろうから、現在では皆無であろうと思うし、そう願いたい)や同僚、ましてや部下には中々言い出せなかったと言うのは、多分私だけではないのではないだろうか。
例え言ったとしても「有り難う」と言う「あなたのせいで私に難がもたらせられ、それを解決した事で成長できた」と言う風にまさに「有難迷惑」という感じだったのではないだろうか。
リタイアして良い意味で「競争相手」が居なくなった現在で気がついてみると、どんな人に対してでも素直に「ありがとう」と平仮名で表記できるようになっている自分に気がついた。
気がついてみると、何とも愉しく愉快である。
確かに「有難い」事に遭遇することは、少なくはないが、それだとて上記の如く「成長させてくれているのだ」と素直に思えば、何も小難しい漢字表記で無くなってしまう。
以前にも似たようなことを書いたが、まず朝起きて「今日も目が覚めて生きている」と思える事に「ありがとう」である。
介護で少し手が掛かる母に新聞と薬を服用させることも、自分が元気で居られるからであり、孫にも元気で「おはよう」の挨拶が出来ることも、形は兎も角新鮮さだけが取り柄の家庭園芸での収穫、味噌汁を初めとして出来る範囲での調理で自分流の味が楽しめる事、一つ一つに「ありがとう」である。
今日から明日に掛けて、企業内研修所での同期生との懇親会があるが、物故者を偲びながらも1年ぶりに出会える友人との歓談にも「ありがとう」である。
勿論不平不満が無いわけではないが、時々こんな風に考えると、ひと時「至福の時」が味わえて、それにも素直に「ありがとう」と言えるのではなかろうか。
投稿者:つねちゃん
at 06 :48
| 日記
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履物はきちんと履いて
まだ「ガキ」だった頃の履物は、ゴム製の短靴で、中学生になって暫くは「厚歯」(多分この字だったろうと思うが、違っていたらご指摘ください)と称する下駄が主流だった。
途中から「厚歯禁止」と言う事になり、「靴」にするようにとの指導がなされた。
好い所の坊ちゃんは直ぐにピカピカの「革靴」になったが、残念ながら私のほうは成長に見合わない小さめのゴム製の短靴だった。
当然のことながら「踵踏み」の状態が日常で、先生や親の目に付く所と畏まらざるを得ない所では、無理して靴に足を押し込んでいた。
そんな事があって、就職したら「内履き用」としてスリッパが貸与されたのには、驚くと共に嬉しかった。
しかしながら、少しして本社勤務になったときに「三流役所じゃないんだ」と厳しく咎められて、漸く「正しい靴の履き方」と言うのに気づかされた。
その後、ビルの防火管理責任者にも指名されたのを契機に、「靴は正しく履け」と厳命した。
万が一火災になり、階段を下りなければなら無い時に、きちんとした足元は必要不可欠だったからであり、その事が全社的に評価されお褒めにも預かった。
ところが、リタイアした老人の繰言かもしれないが「最近の若い者は」と言う事になるで、踵踏みのスタイルが横行しているのに驚いている。
そればかりか、「踵を踏んでも大丈夫です」と言う靴が売られている事に、驚いてしまった。
お金が無いから仕方なく「踵踏み」だったのとは大違いで、それが一つのファッションなのだろうか。
でも、防火管理責任者ではないけれど、履物は矢張り正しく履いてもらいたいものだ。
ISOばやりだが、その根本は「正しい行いをし続け、改善点があれば遅滞無く全社的に改善することで、立派な製品が作れたり、行いができるのだ」と言うものである。
自分の足元くらいきちんとできないところにISOの認証などあるはずも無い。
でも、履物以外に自分の身の回りにそんな事がないか、自重点検してみよう、案外な見落としがあるだろうから。 (^。^)
投稿者:つねちゃん
at 08 :53
| 子育て
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相変わらずの与党攻撃
どうもいつ頃からそうなったかは良く判らないけれど、野党と言う輩は、無為無策ながらも「与党攻撃」というのしか出来ないようである。
長い間、与党の地位が揺らがなかった党にしても、野党になった途端に、無能振りをひけらかしている。
それがまっとうな反論ならば、議論を聴いてみようとも思うのだが、政治素人の私でもはっきりと判るほどの「揚げ足取り」である。
田中角栄の全てが良いとは言わないが、「対案を示せ」と声高に言いたいと思うのは、私だけではなかろう。
実現不能もしくは今までの歴史的背景から、相当の長い間の調整機関が必要なことも理解せず、「直ちに実現せよ」と言うばかりである。
何とも情けないとは思うのだが、そんな議員を選んだ主権者である我々に非があるのだろう。
来る選挙も「人気者の素人」を各党が担ぎ出そうとしている。
何処まで出来るか判らないけれど、少なくとも「それだけ」の人は選ばないで置こうと思う。
在職中に、その当時としては「トンでもない構想」を企画提案した事がある。
何とか説得した上司以外は、最初のうちは殆ど全上位職の人から「勘違いしているんじゃないの」と言われ、反対どころか聞いてすらもらえなかった。
同僚(殆どは出世競争相手)からは、理屈をつけての反対ばかりだったのが、今回のテーマの発想の原点である。
その時に「対案の無い反対論を吐く輩がいるが、管理職としては不適格者だ」と言う論を吐いた。
その後、どのように思われたかは別にしても、企画案は通り、今でも基盤技術として形を変えながら残っているのは、自慢の一つである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :25
| 政治への注文
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種が尽きた番組の悪あがき
このテーマを思いついたのは、いつものように約2週間ほど前だから、現在ちょうど各局が番組改変期に当たっているのとは少し違うような気がする。
まぁ、それはさておいて、続けて見ていると「あぁ、もうこれもネタが尽きたんだなぁ」と思う事がないだろうか。
その兆候としては、まず内容が「マンネリ化」してくる。
次に「作り話やでっち上げ」になり、針小棒大に取り上げてきて、最後は、出演者などに「嘘をつかせる」事になってしまう。
最近はそれほどまで酷くなっているものは少ないかもしれないが、時として「えっ、こんな事が」と思うようなものに出会うと「あぁ、この番組ももう終わりなのだな」と思うようにしている。
それならそれで「もう種が尽きました」と正直に言えばいいのに、対面などからそれが言えないのであろうと思うと、何だか製作スタッフが可哀相に思えてくる。
在職中にも、いくつかの場面で「審査する側」になった事があるが、だんだん突き詰めていくと、これと似た様な事に出会い、生来短気だけど、何とか取り繕ってやろうと思っている小心者の私でも、腹に据えかねることもあり、それが本人だけでなく、上司などの後ろ盾で仕様がなくやっている場合には、堪忍袋の緒を切ったことも度々である。
書き写しをやっている中で、水戸光圀の遺訓の中に「正直は一生の宝」と言うのがある。
バラエティ番組の全てをそうしろとは言わないが、やはり正直がモットーになるのは、番組作りだけではなかろう。
これは、番組作りばかりではなく、政治にもいえるのではないだろうか。
何でも「初め」はそれなりに人の口に上るのだが、終わりになると誰も評価の対象にしなくなる。
だから、その隙に官僚という人間が悪さを働き、悪あがきするのではないだろうか。
そういう自分にもそんな事がないか、改めて身の回りを見てみると。。。
自重、自重。 (^。^)
投稿者:つねちゃん
at 06 :42
| 報道
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免許証更新の仕分けに賛成
「仕分け」というテーマはすでに時効的であるが、まぁ、この辺が「仄々」という事で許してもらおう。
今年が更新時期にあたり、お決まりの講習と手続き料の支払いに仕様がなく行ってきたのだが、講習の教官と思しき人は、入れ歯なのかも知れないが、言葉の端切れが悪く、言っている事が良く判らない。
決して後方の席で聞いていたわけではなく、前列で聞いていたにも関わらずである。
途中でビデオ(全体時間のかなりの時間だったと思う)になり、その間はたぶんタバコでも吸いに行っていたのだろう、退席しているから、講習生がどんな態度で聞いていたかには全く興味がないようである。
警察と言う「お役所」のOBのための税金の無駄遣いに他ならない。
それと共に気になったのは、仕分けでも議論の的になっていた「教科書」である。
殆ど読みもしないものに、それだけのことをしなければならないのだろうか、残念ながら建物の外のゴミ箱にたくさん捨ててあった。
また、いまどき入れる人も無かろうと思う「免許証入れ」というビニール製のものが「選んでください」と言われたので、「要らないんですけど」と言うと「無料ですから」と押し付けられた。
これもこちらとしては無料なのかもしれないが、経費としては無料であるはずがない。
小鳩政権から変わったので、仕分け担当だった人が主要な位置に座られている。
今までは「言うだけ」だったのかもしれないが、これからはそれを実地ベースで進めて行って貰いたいと思うばかりである。
投稿者:つねちゃん
at 08 :31
| 政治への注文
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南九州旅行記 その5(最終)
焼酎の試飲販売と篤姫のドラマでも登場したと言う「自顕流」の演舞、龍馬も新婚旅行で訪れたという霧島温泉、天孫降臨説の霧島神宮、甕壷畑の黒酢本舗での試飲、仙厳園からの雄大な桜島、薩摩半島最南端の長崎鼻から見る東シナ海と開聞岳、今回は使わなかったが、砂蒸しで有名な指宿温泉など、試飲、試食、お土産品の購入などで愉しい、結婚40周年目の南九州の旅も最終日になった。
帰路に着く前に立ち寄ったのが「知覧」である。
以前の鹿児島観光では訪れなかったのだが、その時にも聞いた「知覧特攻隊」の物語は、戦後生まれの私だけど、どうしても涙がこみ上げてくるものだった。
ガイドさんは19歳だと聞き、びっくりしていたのだが、その彼女が本当に切実に語ってくれた事が、堪えようとしても中々抑えられない涙腺を盛んに刺激してくれた。
今の私にどれだけの力も無い事は十分承知しているが、それで「二度と再び」繰り返してはならないことを刻み込んでくれるに十分なものだった。
それを予想していたので「特攻平和会館」のコースを選ばず、武家屋敷散策コースを選び、狭いながらも枯山水で設えられた「九山八海」や「釈迦如来」のような感じがした庭を勝手な想像で愉しんだりした。
最終コースで、今回の添乗員さんも22歳と言う若さだと言う事に、一同びっくりしながら、楽しい旅を締めくくり、まだ孫が寝ていない時間に無事帰りつき、孫にもお土産を愉しんでもらい、、幸せ一杯の記念日旅行になった事に感謝した。
勝手なもので、一夜明ければ、次はどこへ行こうか、との思いが湧いてくる。
元気でいける楽しみがあれば、時には家内としては初めての海外も訪ねてみたいものだと、話しかけると「もうすでにパスポートの期間は過ぎてしまった」とのこと。
でも、まだまだ夢が見られるだけ元気だと言うことであると、お互いに笑いあった。
追記をみる
投稿者:つねちゃん
at 09 :46
| 旅行記
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南九州旅行記 その4
旅程の二日目には雄大な桜島を間近に、三日目には「薩摩富士」と称される開聞岳を間近に、どちらも綺麗な姿を見る事が出来たのは、今回の旅の醍醐味の一つだった。
幸か不幸か、桜島からの噴煙は殆ど見られず、迫力と言う点では少し物足りなかったかもしれないが、私のかつての思い出からすれば、カジュアルな服装だったとは言え、矢張り灰をかぶるのは嫌だったので、これで十分満足できるものだった。
と言うことで、桜島の火山灰の思い出についての想い出を紹介させてもらおう。
地域のバンキング相当のシステムをサービス開始まで担当させていただき、その直後に本社へ転勤して担当したのが、全国的なシステムで、具体的な名前を挙げるのが憚れるので、「日本で最初の24時間運転システム」とだけ紹介させていただく。
試験工程も終わりに近づき、信越出身の先輩と一緒に鹿児島での接続試験をする事になった。
鹿児島へ電車で着いたのはお昼頃だったろうか。
社内から見る景色は少し異様だった。
10月頃だったので天気が良いとは言え、日傘をさすほどの事でもないのだが、男性も含めて傘をさしている姿である。
私らの服装はお客様の所での作業なので、紺系のスーツ姿である。
試験開始まで少し時間があつたので先に宿に荷物を置く事になった。
駅前でバスを待っているときに「何だか少しスーツに埃が着いた気がして」素手で払ったまま、宿に着くとそこの女将さんが「えぇーっ、お客さん手で払ったんかいね」と言われる。
玄関の姿見で見ると、はっきりと白い手形がスーツについている。
兎も角至急掃除機などで対処してもらったが、そこで始めて「火山灰」のせいだと知った。
今思ってみれば、笑い話で済ませられるが、当時は出張旅費で赤字が出ることとも合わせて「最悪の出張」だった想い出である。
砺波から乗り合わせた人から「もう少し噴煙が出ているのかと思ったがに」と言われたが、風向によっては着ているものだ台無しになるほどですよと話して、一頻りの楽しい話題になった。
晴れていて、本当に、良かったぁー。
投稿者:つねちゃん
at 12 :39
| 健康
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南九州旅行記 その3
さて、愉しく想い出のあった飛行機の行程もひとまず終わり、出発地の砺波とは大違いの、快晴の鹿児島空港に到着する。
流石に南国であり、着ていたブレザーをしまいこんで半袖の南国スタイルにして、帽子は昨年沖縄へ行った時に急遽現地で買った結構派手なものである。(もっとも帽子は家を出る時から用意していたのだが、流石にこの時期北陸地方でかぶるものではなかったので、持参していただけだった)
まず最初に訪れたのが、空港から直ぐ近くの焼酎工場である。
今までの自家用車での旅行時には、運転手が私ひとりなので、試飲はもっぱら家内だけだったのだが、今回は運転の必要が全くないので、勧められるままに手当たり次第飲んで各々の味を愉しんだ。
行程の最初なので手荷物になるお土産には手が出ないのだが、それは向こうも商売で、ある程度買うと送料が格安になるということで、結局我家用として1升瓶を2本と、4合瓶相当のものを息子用にと買い求め、送って貰ったのだが、最初から大きな出費になった。
余談だが、先日発表された常用漢字から「匁」が消えた。「使われなくなったから」と言うのが理由らしいが、「升」や「合」もそのうちに消えてしまうのだろうか、呑み助にとってはやはり気になる。
本題に戻って、しかしながら、このジャッジは殆ど家内の判断なので、文句を言われるものではないのが、妙に心地良かった。
それはそれとして、表題の通り矢張り生産地と言う現地で飲むものは良い。
最初に飲んだ焼酎は伊豆大島産のものだったが、その時には焼酎よりもつまみになった「クサヤ」の思い出と味が深く残っており、焼酎の想い出は殆どなかった。
味が判って飲んだ焼酎としては、昨日話題にした「九州からの上司」が持参されたものだったが、銘柄は今ではもっともポピュラーではないかと思う「白波」だったが、最初は「臭い」と言う気持ちで殆ど飲めなかったという記憶がある。
それに慣れた頃には、販路拡張のせいか、臭いがかなり薄くなり、正直飲めたものではなくなったという経験がある。
食べ物や飲み物は矢張り現地でその時期に飲むのがやっぱり美味いのは、焼酎に限った事ではない様だ。
投稿者:つねちゃん
at 08 :11
| 旅行記
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南九州旅行記 その2
直接の南九州ではないのだが、伊丹空港は私にとって、非常に思い出深い空港である。
本社勤務の時代に、四国への出張が必要になった。
勿論初めてではないのだが、元々飛行機嫌いの私だから、新幹線とフェリーを乗り継いでいくのが常だった。
ところが、その時は大卒の研修期間を終えた人間(A君としておく)(私は一級職になったばかりだが、彼は研修を終えたら一級職だったので、決して部下ではなかった:この時は実地研修と言うことで、私はその指導者という立場だった)と、新任の上司を伴っての出張だったので、私が先導すると言う立場だった。
その時には、多少自慢めくが、幾つかの地域システムを担当していて、技術的にも事務的にも多用だったので、切符の手配をA君に任せた。
買ってきた切符を受け取った時には「妙な袋に入っているな」とは思ったものの、別に気にも留めず漸く終業時近くになって、例によって「飲みに行くぞ」と言う時になってから漸く切符を改めると、見慣れない切符で、飛行機のものだったので、慌ててA君に聞くと、「先輩が飛行機嫌いというのは聞いていたけれど、適当な時間になかったので。帰りは電車にしておきました」と平然と言い放った。
よく考えるとの彼の出身校は九大で、一緒に行く上司は九州からの赴任だったので、飛行機には「普通に」乗る習慣だったのだろう。
で、初めて乗った飛行機の寄港地(これも松山への直通便がなく途中下車(飛行機だとどういうのか知らない))となったのが伊丹空港だった。
ともかく「窓から富士山を見ているうちに着くから」と言い、窓際の席を譲ってくれたものの、富士山もあっという間で、後は「怖い」と言う気持ちで一杯だった。
伊丹に着くと、さながら赤ん坊の如くしっかりと握った掌からははっきりと判るほどの湯気が上がっていた。
そんなことを思い出し、家内にも笑い話として話しながら、快晴でそろそろ暑くなりかけた大阪の地を飛び立った。
それを契機に四国ばかりではなく、北海道から九州、果ては米国出張と飛行機を使いまくったが、たぶん伊丹空港のことは良くも悪くもトラウマとして記憶から消えないだろう。
投稿者:つねちゃん
at 08 :45
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南九州旅行記 その1
早朝5時過ぎにバス乗車場所へ向けて出発。
着替えなども前の日から鞄に詰め込み、これも前日に用意したお寿司を持参して、家族への挨拶も「早すぎるからしないで行く」事に前日から了承を得て、出発。
ナビの効果もあり(いつも近くまでは行くのだけれど、駐車場に停めたことは2年ぶりなので、念には念を入れて持参した)、予定の15分前くらいに到着する。
いつもより1時間くらい早い朝食になったが、どうも移動中の食事と言うのは、こなれが悪いので、お茶と一緒に美味しく車の中で食べる事が出来た。
そうこうしている内に、幾つかのコースの乗車場所が同じらしく、一見して「旅行へ行く人」と言う姿の人が何人か集まってこられる。
私らと一緒のコースの人は夫婦2組で、私らと合わせて6人となったが、前回は到着時刻の10分ほど前に到着したバスが、今回は10分ほど遅れて到着した。
暑い所へ行くので、かなりの軽装にしていたが、生憎気温が低く、小雨が風に乗ってくるので、寒いこともあって、どうしてもバスに対する文句が先に立ってしまうのは無理もなかったろう。
座席は助手席側の先頭であり、見晴らしが良いのは快適だった。
最少催行人数が20名と聞いていたが、金沢までのバス乗車人数は19名だった。
それに、伊丹空港から乗る人を合わせて総勢27名の小団体旅行になった。
この時期は旅行者が少ないのか、それとも我々の行き先を目指す人が少ないのか判らないが、今までも2度「催行せず」と言われて、急遽旅程を変更した事があったが、今回はどうにか乗る事が出来たのは幸先良しとしよう。
JALの経営状況の悪化が顕在化して初めてのフライトだったと言う気持ちがあったせいか、心なしか、JALの飛行機の音が今までよりもうるさいような気がした。
おまけに、機内誌がかなりくたびれていたが、これは帰りの便で思い過ごしだった事にほっと安心した。
飛行機の席も窓際が取れたので、大分慣れた家内が窓外の景色を十分愉しんだようで、それもわが事のように嬉しかった。
投稿者:つねちゃん
at 09 :20
| 旅行記
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よしもと新喜劇
かつては殆ど見なかったのだが、CATVが入ってから何気なく見ている番組が、表題のものである。
上方喜劇については、家にTVが入った頃に、時々見ていたのだが、常時見られるものではなかったのが影響していたのだろうが、機会に恵まれなかった。
当時、関西系の番組は当時北日本放送では余り放映されなく、隣の石川県の北陸放送でしか見られなかった(と思っている)。
見られないから、希少価値という訳で、時折見られると面白くてたまらなかった記憶がある。
とんま天狗の大村昆や、あたり前だのクラッカーのてなもんや三度笠の先日亡くなった藤田まこと等は、いまだに記憶に鮮明に残っている。
忘れてならないのが、現在は娘さんが舞台で大活躍の藤山寛実と渋谷天外のコンビと、木金堂の丁稚の物語だったろうか。
だが、東京に住むようになったことや漫才ブームに巻き込まれたりして、だんだんとよしもとから離れてゆき、たまに見る寛平さんや、パチパチハッチンも然程興味を示すほどではなかった。
しかしながら、最近になって「マンネリだけども、その中に奇想天外」の面白さを見出す事が出来たせいか、結構愉しんでみている自分に気が付いた。
ストーリーは大体決まっているので、ここでは書かないが、その中に先日は「未来から来た子孫」というのが登場したのには、思わず声を出して笑ってしまった。
金ピカの宇宙服のようなものを着た俳優さんが、自転車に二人乗りで登場したのだが、兎も角「理屈ぬき」で面白かった。
年とともに涙腺が緩むのは考え物だが、笑い皺が増えることは、健康的にも良い事なのだろうと、誰に遠慮なく笑っている。
投稿者:つねちゃん
at 08 :20
| 健康
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能動と受動
凡人の常として、なんでも基本的に「自分中心に回っている」と思いがちである。
そんなことの一つとして、「してやっている」と言うのがあるのに最近になって気が付いた。
このブログでもいつか書いたと思うが、仕事についても「家族のためにしてやっている」と言う気持ちが強くなり、その報いが無いと「こんなにしてやっているのに」と言う嘆きに変わってしまっている。
頑張る時も同じで、昔の歌に「お父ちゃんのためなら エンヤコーラ」と言うのがあった様に、子供のため、家族のため、果ては社会のため、世界のため等と途方も無く考え、さながら自分がやってることが全て「人のため」と言う感覚に陥ることがあるのは、決して私だけではなかろう。
しかしながら、逆に「してもらっている」ことを考えたことがあるだろうか。
仕事と言う戦場の第一線で頑張っている時には、多分中々考えが及ばないのだろうことは、私自身が骨身に沁みてそう思っていたから、良く理解できる。
だけれども、リタイアして「サンデー毎日」の生活を送っていると、「してもらっている」事に思いがはせ、基本的に「感謝しなければ」と言う気持ちになってくる。
人間は当然一人では生きていかれないのだろうし、また、そんなことは望むべくも無い。
だから、些細なことも「してもらっている」と言う感謝の気持ちで過ごせれば、殆どの事が「ハッピーな出来事」と言う事になるのではないだろうか。
もちろん聖人君子などではないので、悪いことを含めていろんなことをやる凡人だから、常時それを考えるのは無理だし、やりたくも無い。
だけれども、「させてもらっている」と言うほど遜(へりくだ)るつもりも無い。
気が付いた時や物にだけ、一瞬かもしれないが「感謝の気持ち」を思い起こせばそれで
いいと思っている。
投稿者:つねちゃん
at 06 :39
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使い切る心地良さ
「物を使う」と言うことは日常茶飯であるが、果たして「使い切っているか」と問われれば、どうだろうか心許ない。
このテーマを考え付いたのは、もう2週間ほど前になるだろうか、「書き写し」をやっているときに、少なくなりつつあるのを承知しながらも「まだ使える」と思っていたボールペンのインクが完全に無くなってしまった。
いわゆる「使い切った」のである。
もちろんほかに何本もの「使いさし」のものがあるので困ることはなかったのだが、何だか「心地良かった」気分を味わった。
午後からネットで探したページの内容を印刷していると、ここでもシアンとマゼンタのインクが無くなってしまった。
これも「使い切った」のである。
これでダブルヘッダーでの「心地良さ」が味わえたのが、書く事の切っ掛けだった。
こんな風に思ってみれば、意外と殆どのものを「使い切っていない」事に気が付くのは私だけだろうか。
在職中の一時期、新しいボールペンを貰いに行くと「使い切ったものを出しなさい」と言う運動があり、殆どの場合は「紛失」が原因だったので、結局「自費で買う」事になったのを思い出す。
そんな一緒のトラウマからだろうが、この心地良さは最近のエコにも繋がるものだろう。
他の使い切には、ウィスキーの最後は水で濯いで一滴残さず使い切るし(これは酒飲みの論理)、根菜を初めとした野菜も、どうしても食べられないところは生ゴミ処理機を経由して堆肥として使いきっている。
何でも良いから、諸姉・諸兄もおやりになってみたらどうだろうか。
仄々とした心地良さが得られると思うのだが。
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投稿者:つねちゃん
at 09 :04
| 健康
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