<< 2011/05 | メイン | 2011/07 >>
2011 年6 月30 日

コンビニのお弁当

 昨日に引き続いて、食べ物の話題で、恐縮です。
 孫が日曜日に学習参観があり、月曜日が代休になったので、何時もは家内と食事兼買い物(勿論買い物がメインである)に出掛ける月曜日なのだが、孫が薄っすらと記憶していた「楽しかった公園」へ行く事にして、途中のコンビにで弁当を買ってその公園で食べようという事になった。
 いつもは行かないコンビニに入って、その種類の多さにびっくりした。
 スパゲティも各種取り揃えてあるし、季節商品であろう、冷麺も数多くある。
 冷やし中華(この酸っぱさが中々好きになれないのだが、時々思い出したように「食べたい」と言う気持ちになる)は勿論、ざるラーメン(こちらは酸っぱさが無いもの)、ざる蕎麦も「トロロ付き」や「鶉卵入り」などもある。
 冷やしうどんも勿論あるし、驚いたのは「カレーうどん」などもあり、こちらは「レンジでチン」が希望によってやってくれる。
 暑い最中でも、熱々のカレーうどん、と言うのは、私も若い頃よく食べた物である。
 勿論、従来のお握りも、その種類たるや目を見張らんばかりの種類の多さで。どうしても目移りがしてしまう。
 それに加えて、漸く決心して「これだけにしよう」と思いながら、レジへ行くと、その隣に熱々のチキンなどの揚げ物が、「私もどうですか」的に並んでおり、ついつい追加してしまう。
 隠して減量作戦は瓦解してしまうのである。
 楽しいひと時が過ぎて、レジで清算する時に、フト目にするのが「東日本震災の方々への義捐」という張り紙である。
 楽しい思いをしたのだが、売れ残りは必ず出る物だけれど、それの処分と義捐金の関係を思うと、何だか「ヘンダナァ」と思うのは、私だけだろうか。
 「親孝行、したいときには親は無し」の類ではないけれど、「さればとて、売れ残りを支援物資にも出来ないし」。

投稿者:つねちゃん
at 08 :30 | グルメ | コメント(0 )

2011 年6 月29 日

鰯の煮物

 この話題は、以前にも書いたかもしれないが、敢えてこの時節の美味しい私の好物、という事で書かせてもらう。
 兎も角、大好物である。
 ストアでは色々な時期に色々なサイズの鰯が並んでいるのだが、どのサイズでも「嫌い」は全く無い。
 でも、やっぱりその中では、一般的には「小鰯」と言われるようなものが一番好きである。
 相変わらず、余談になるが、「小鰯の刺身」というのをご賞味したことはおありだろうか。
 広島へ出張した時に、電話で確認してもらった上で食べたのだが、なんとも言えず美味しかった記憶がある。
 竹ヒゴの様な物で3枚に下ろすのだが、取れて何時間以内のものでないと味がすぐに落ちるのだそうである。
 機会があれば、ぜひ御賞味する事をお薦めする。
 馬橋を戻して、適当なサイズの鰯が地物で安く売られているときに、家内が時々買って来て調理してくれる。
 元々家内は魚類は余り好きでなかったし、特に匂いのきつい鰯は苦手だった。
 それが、酢などの調味料を程好く(私は分量などは全く判らない、何がどれだけでも好きなのだから)加える事で、その嫌味が全く無くなると言うことで、最近は共に好物の一つである。
 DHAだかなんだから知らないけれど、間違いなく「食べ過ぎなければ」身体に良いし、お財布にも良い食べ物である。

投稿者:つねちゃん
at 08 :33 | グルメ | コメント(0 )

2011 年6 月28 日

最近のファッション批判

 「昭和グラフィティ」と言う番組を好んでみている。
 メインの司会は、関口宏であり、年齢的には私より4歳上という事になるようで、少し範囲を広げるならば「同年代」と言っても然程差し支えが無いだろう。
 だからだろうか、感じ方が良く似ているようで、とても楽しいひと時である。
 先日有名なデザイナーのコシノジュンコさんという方が出ておられて、最近のファッションをまともに批判されていて、全く同感だった。
 勿論私が特別ファッションに興味があったり、自分自身がそんなものを着用したりする事は今までも無かったし、これからも絶対と言って良いくらい無いだろうから、完全に「門外漢」なのである。
 しかしながら、自分自身として「何が気に食わない」のかまるで判っていないで「あれはどうも」と眉を顰めるばかりだったのだが、流石にプロのデザイナーは要点を突いている。
 聞いていた時は、一つ一つの指摘に「なるほどそうだよなぁ」と相槌を打っていたのだが、今思い出すことは残念ながら出来ないほどの記憶力である。
 でも、その中で一つだけ強烈に残っているのは「没個性」と言う事だった。
 そうなんだ、人がやっていて格好良い、とか、ファンである人がやっていて、見栄えがする、とかと言う事ばかりで、「自分がやって果たしてそうなのだろうか」と言う考え方がまるで無いのである。
 在職中、私の直接担当したことではないが「服装くらい自由にさせて」という要望があった。
 その結果、とんでもない事故が発生したのたが、当時は全く原因がつかめず、私もサポート隊として行ったのだが、全く判らなかった。
 でも、数日過ごしているうちに「服装がばらばら」と言う違和感が何人かの間で議論になった。
 コンピュータに関してはいろんな分野の知識を持っていたメンバーだが、服装などには全く無関心、と言うメンバーでもあった。
 結論から言うと、ある服装品が「静電気を起こしやすい」素材である事が判り、その静電気がコンピュータの誤動作を引き起こしているのだろうと言う事で、その手の素材は絶対禁止(勿論専門家に協力をいただいたのだが)ということにして、再発は起きなくなった。
 表記のファッションも同様ではないだろうか。
 服装にはTPOが不可欠、と言う事は判っていても、在職中「サラリーマンスーツ姿」以外はほとんど着用することは無かったので、偉そうな事は言えないが、一つだけ「目立たないお洒落」を楽しんでいたのは、「カフスボタン」だった。
 ダブルカフスのシャツに見えるか見えないか位の位置に(今でも持っているが)20種類くらいのカフスボタンをつけて、自分では得意になっていたものである。 苦笑い。

投稿者:つねちゃん
at 08 :17 | 子育て | コメント(0 )

2011 年6 月27 日

ブームに乗せられない

 いよいよ地デジがもうすぐ近くに迫ってきている。
 我が家には現時点で、未対応のTVが3台あるが、対応しているものはPCを含めて3台ある。
 未対応の1台は現在入院中の母の部屋のもので、特別急がない。
 1台は私の書斎のもので、現在CATVのデジタル対応アダプターが付いているので、これは画質は別にして「見られる」状態が継続するし、現在寝室で使っているものが、20インチなので、一回り大きなものにしようと大蔵大臣の了承が取り付けてあり、買い換えでセコが回ってくる予定である。
 もう一台は娘夫婦のものだから、こちらとしては関知しない。
 そんな訳で、嘘か本当か知らないけれど、電気店では、震災でそちらに回すものが優先なので、待っていただかなくては、と言っているが、そんな言葉に惑わされない。
 完全に(そうなるのだが)アナログ放送が無くなれば、電気回路的にアナログチューナー部分が無くなるので、価格的にはそんなに変わらないかもしれないが、故障する率も低くなるだろうから、それを待っても全く問題が無い。
 地デジを取っても、私のような盆暗頭でも、これだけのことが考えられるのである。
 マスコミ(特に常に受身にならざるを得ないTVやラジオなど)では、今回の震災に限らず、何事においても「知る権利」「知らせる責任」とばかりに針小棒大に物事を喧伝して、「何とかブーム」を作り出そうとしているように思えてならない。
 これに乗らない、乗せられないために、今一時「立ち止まって考えてみよう」ではないだろうか。
 「本当に必要か」「今必要か」「価格は適正だろうか(ネットで探せばおのずと標準価格のようなものが見えてくる)」などなど。
 パスカルではなかったろうか「人間は考える葦」である。
 考える事により「自分の意見」が出てくる。
 勿論正論ばかりではなく、暴論も出てくるだろうが、それなどを皆に聞いてみて幾度か修正しながらたどり着けば、得られた結論は結果的に同じであったとしても、得られた知識は大きいだろうし、何よりも「楽しい」はずである。

投稿者:つねちゃん
at 08 :28 | 日記 | コメント(0 )

2011 年6 月24 日

記録媒体の推移に驚く

 テレビのデジタル化に備えて、我が家の録画装置もそろそろ変更する必要が出てきた。
 カセットテープは処分するにしても、全て「使いまわし」の分ばかりなので、特別惜しくもないのだが、DVD-RWはまだ新品が少しばかり残っているので、HDD録画もわかるけれど、DVD録画機能も備えたものが欲しいと、電気屋を見て回って驚いた。
 殆どがBD対応のものになっているのである。
 1機種だけVHSとDVDがセットで付いているものがあったが、ほとんど探しても判らないくらいの場所である。値段も格安と言う事で、いわば「捨て値」なのだろうか。だとすれば、買う人を馬鹿にしているのか、それとも囮商法なのだろうかと疑ってみたくなる。
 で、目的のDVD録画機を探してみると、確かにスペースは一頃から比べれば、極端に狭くなってはいるが、数機種並べてあった。
 値段は一頃と比べると、然程安くもなっていないようである。
 ところが、そこはそれ、まだまだ技術者としての感覚が残っているのだろうか、仕様を比較してみた。
 また、今後はアナログ放送がなくなるので、その分を加味すると、残念ながらやっぱりBD対応のほうが、間違いなく「格上」なのである。
 結果はどうするかは、暫く考える(ケーブルTV会社がレンタルでやっているものとの価格比較など)こととして、家内のお供で大型スーパーへ行った。
 そこには、まだまだオーディオカセットテープ、VHSテープ、CD−RW、DVD各種、そしてBDが置いてある。
 配置スペース的には、特別優劣は無い様である。
 それにしても、いかにリタイアしたとは言え、リタイア後にこれほどまでの記憶媒体が急激に変遷するとは、正直思わなかった。
 でも、これは悲観論ではなく、まだまだ学習するネタが増えた、と楽しみである。

投稿者:つねちゃん
at 08 :25 | 興味あること | コメント(0 )

2011 年6 月23 日

休んで何をする?

 以前にも書いたが「時には休みたいなぁ」と思うことがある。
 いささか自慢めく(いやいや全くの自慢であろうが)が、在職中最も忙しかった(と言うか多方面での仕事が多かった)時には、デスクが関東地方に4箇所、金沢に3箇所あり、当然の如くその移動時間に切り替えるのだが、行けば行った所で課題があり、一面で「なんと楽しい生活ではないか」と思う半面で「時には休みたいなぁ」と思うことも往々にしてあった。
 話を本題に戻して、ところが、よく考えてみると「休んで何をするの」と言う疑問にぶち当たる。
 そんなことを考えていると、結局「休んでいない」のである。
 最近になって、随分昔に先輩から勧められていた「正法眼蔵」と言う本を読み始めている関係で、そんなことを思うのだろうか。
 読み始めてすぐに「とても俺には真似が出来ない」と気が付いたが、僅かなお金かもしれないけれど、久し振りに「自分のために買った本」と言う事で、兎も角判っても判らなくても「読破する」事に決めて、毎朝1節ずつ読んでいる。
 勿論「随聞記」だから、多分今年中には読み終えることが出来るだろう。
 そこには「兎も角一心不乱に行ずる」と書かれている。
 お金などは勿論、衣食住についても「自然と与えられる」と信じて「行ずる」だけなのであるから、生きている間座禅と言う「行」を行うだけなのである。
 そこにはたぶん「休み」と言う感覚がないのだろうから、表題のような疑問は湧かないのだろう。
 しかしながら、凡人の最たる私は、競馬もパチンコもやるし、あわよくばと言う事で宝くじも買う。
 我まだ木石にあらず、と中々実行は出来ないものの、色欲にもそれなりに煩悩が一杯である。
 やることが沢山ありすぎて「何をする?」の答えが出ないのではないか。
 
 で、ここまで書いてきて、そう言えば以前も似たような事を考えた事があったなぁ、である。
 私は会社規定の定年前に辞めたのだが、辞める前に「退職したら」と言う議論をしたことがあった。
 そのときの結論だったように思うが、やれば出来そう、だけど、現実はそんなに甘くない、と言うのが現在の実感である。
 苦笑いである。

投稿者:つねちゃん
at 08 :20 | 健康 | コメント(0 )

2011 年6 月22 日

お腹を凹ませられる内に

 私は散歩を初めとして、歩いている時は、人からもよく言われるが「姿勢が良いわねぇ」である。
 ところが、ゆったりすると、途端にお腹がぷっくりとしているのである。
 そこで思ったのだが、どうも(確かにBMI値は「少し太り気味」なのではあるが)太っているのではなく、お腹の筋肉が加齢と共に緩んでいるのではないかと思った。
 相変わらずの余談になるが、姿勢が良い、の原因ははっきりしている。
 20代の初め頃に、ダンス教習所、と言うところに約1年間通った。
 確か30分券が10数枚綴られたものが3,000円だったと思うが、どのコースを選んでも良く、最初はそれなりにワルツ(種目の中で一番好きだった)の中級に挑んだが、とても付いていけるものではなく、先輩から「まずはウォークを徹底して」と言われ、ウォークだけで多分1万円は下らない位の出費をした。
 それが「三つ子の魂」の如く身についているのである。
 本題に戻って、歩いている時は、自然(意識せずに)とお腹を凹ませて歩いているので、姿勢は良くなるし、健康にも多分良いのだろう。
 ところが、家でのデスクワークと言うような時には、お腹の筋肉に「頑張らなくても良いんだよ」と言聞かせるかの如き姿勢と言うか、力の抜き用である。
 ましてや、撮り貯めたビデオを鑑賞する場合は、時に横になったりして見るので、全身の筋肉に「休憩」指令を出すものだから、尚更である。
 でも、これではいけない。
 相変わらず「出来る範囲で」と言う逃げ道を作りながら「凹ませられる筋肉が働いてそれなりに出来るうちに」無理をしないで「続けられる」腹筋運動をしつつある。
 まだ、5回程度で「まぁ、これで良いか」なのだが、なぁーに、1ヶ月で1回増やせられれば、それで良いのだから、と相変わらず能天気なおじさん生活である。

投稿者:つねちゃん
at 09 :10 | 健康 | コメント(0 )

2011 年6 月21 日

裏と表は別物

 毎朝行っていて、最近では順序こそ違う事があるが、やらないと「何か忘れ物をした」様な気分で落ち着かない。
 そんな書き写しで、今までは織り込みチラシの裏面のみを使っていたのだが、最近の不景気のせいか、裏面を活用できるものが一頃より少なくなったような気がする。
 そこで、自分の分は勿論だが、父の物や息子の分も含めて「使い差しのノート」を整理して、その用紙も使い始めた。
 サイズはそのほとんどがB5なので、チラシをカッターで調整する手間が省けるし、両面使えるので、実質の書く量が倍になるので、これもエコの一環だろう。
 両面使えるので、書く量が両面分になればそのまま捨てるのだが、片面の場合は、何とか裏も埋めたいと言う気持ちになっていた。
 ところが、気にし始めると、何だか一日片面が残るような事になっていることが多いようになってきている。
 そうなると、明日片面から始める、と言うのも何だか「持ち越し」と言う気がして、そのまま捨ててしまっていたのだが、よく考えると、表題のように、「別物」なのだということに気が付いた。
 どちらにしても、原稿用紙のパターンを印刷して使っているのだが、どちらが表裏でも構わない訳である。
 ここでは「表裏一体」と言う考え方は、無視して、「書ける面が常に表」と言う風に考えるようにした。
 こうすると、両面使った場合だけ「もう書けるところがない」と判断すればいいので、簡単明瞭になると共に、スッキリする。
 こんな事からいろんな事に思いを馳せると「何も表裏一体でなくても良いじゃないか」と言う考えも出てきて、結構すっきりと割り切れるものに出会えて、楽しくなってくる。
 だからと言って「良いじゃないか」と言う運動をはじめることにはならないのだが。

投稿者:つねちゃん
at 08 :33 | 学習 | コメント(0 )

2011 年6 月20 日

連絡方法の使い方

 はがき、電話に最近はメールと言うツールがある。
 メールもPCメールと携帯メールがある。
 これらの連絡方法にも自ずと使い方があるのではないかと、私なりに使い分けている。
 はがきは確実に相手に届くと言う手段だが、50円と言う出費が必要になるので、最近は懸賞応募以外にはほとんど使っていない。
 いわば「投資」としての出費であるが、「当たるも八卦」と言う事で、博打的要素の方が強いのか。。
 電話、は相手が携帯もemailも所持しない事が判っている場合と、緊急を要する場合である。
 余談になるが、在職中に「緊急連絡訓練をする」と言う議題が提出され、今回はメールを使う、と提案者が説明したので、いきなり怒鳴りつけてしまった事を思い出す。
 メールは確かに確実に届くけれども「緊急」と言うためには全く要をなさ無い物だと言う事を知らない事に腹が立ったのである。
 PCからのメールは「まだまだ時間があるから、遅れない程度に読んでくれれば良いよ」と言う意思表示である。
 勿論返事が欲しい時には、後日電話で確認する事になるので「予告」と言う意味で取ってくれれば良いものに使っている。
 同じメールでも、携帯メールは「そんなに急がないけれど、なるべく早く連絡が欲しい」と言う時用である。
 これが良いか悪いかではなく、私なりの気配りと言うところだろうか。
 こんな風にメディアとしては色々なものが今後も出てこようが「使い方」を吟味した上で、便利な生活を送りたいものである。

投稿者:つねちゃん
at 08 :21 | 日記 | コメント(0 )

2011 年6 月17 日

ザリガニ釣り

 先日地区のPTAが主催で、お父さんも久し振りに休みだったため、まだ未就学の孫を含めて親子4人で行って来た。
 私自身は、子供の頃から「魚釣り」のほうが第一優先だったので、余りこれをやった記憶がない。
 似たようなものでは「蛙釣り」と言うものをやったのだが、余り長く書くと残酷無比の事になるので止めておこう。
 だから、釣って来た「ザリガニ」を飼育、養育すると言う事が殆ど判らない。
 最初に家族一緒に転勤して住んだところが、藤沢市(神奈川県)の新興住宅地(周りにはまだ多くの田んぼなどが広がっていた)だった。
 長男が小学生になって、学校行事だったか、子供同士でその遊びをしたのかは記憶に無いが、夜遅くに帰宅(この頃は仕事が面白くて、子供が寝ている間に家を出て、寝ている時間に帰ると言うのが通常だった)したら、玄関の下駄箱の上の水槽に数匹のザリガニがいた。
 まだ釣ったばかりだったのだろうが、薄暗い中にいるし、色は土色だったので、最初は何だか判らなかったし、何匹いるのかも判然としなかった。
 家内の説明で漸く理解して、3匹いるのだという。
 ところが、2−3日後になると、1匹になっていた。
 捨てた訳ではなく、逃げられた訳でもなく「共食い」と言う事件の結果だったという。
 人間同士だけではなく、ここでも「弱肉強食」の世界があるのかと、随分驚いたものだった。
 テリトリーの中で食べるものがなくなると、そんな事になるのだと後で聞いた。
 現在頭の孫の釣った分は学校で飼育されているとのことで、下の孫の分は「リボンちゃん」という名前をつけて、一匹だけ水槽で毎日孫が与える餌で育っている。
 この後どうするのかは知らないが(まさか食べる訳でもあるまいから)「生き物を育てる」という事は「死ぬ」という事をも知る事になるので、そのときにどう教えるべきか、今から心配である。

投稿者:つねちゃん
at 09 :07 | 子育て | コメント(0 )

2011 年6 月16 日

写真は「パノラマ」で楽しむ

 昔から「カメラ」と言うものに対しては、殆ど興味が無かった。
 いや、むしろ「毛嫌い」の状況だったと言ったほうが正しいのかもしれない。
 その負け惜しみの理由と言うのが「こんな素晴らしい景色(や情景)は記憶に正しく留めておいたほうがよっぽど良い」と言うものだった。
 実は、どんなに上手く撮ったつもりでも、後で見るとなんだか「何を撮ったの」と自問しても判らないくらいの物が殆どだからである。
 そのくせ、科学好きという訳でもないが、ピンホールカメラなどには人一倍早く興味を持ち自分ながらに研究(?)したものだった。
 デジタルカメラも何台目かになった時に「パノラマ映像が撮れる」と言うキャッチに捕らわれた。
 そうだ、今まで自分が撮った写真はこの分が足りなかったので、「何だか判らない」物ばかりだったのではないかと、早速に買い求めた。
 私のWebPageにも使っているが、下手な写真も「パノラマ化」してみれば、そこそこ様になっているのではないかと一人ごちている。
 それから旅行に出た時の写真は極力パノラマ的に撮るようにしている。
 そんな折、昔のアルバムを整理していると、富士五湖巡りをした時に、数枚であの素晴らしい富士山の姿を撮り、アルバム一杯に重ね合わせたものを発見した。
 時代は昭和45年である。
 今このバラバラ写真の貼り合わせを見ても、なんとあの時の情景がすぐ様に浮かんでくる。
 写真技術自体はまだまだ未熟だが、小さな花を一輪だけクローズアップする事の楽しみも覚えたが、やっぱり「写真はパノラマですねぇー」(淀川長治調で)。
 これからも下手な写真でも、より良く見せることができる機能は使い続けたい。
 最近はどんなカメラで撮っても「張り合わせ」と言う事がPCでできるので、一度おやりになってみては如何だろうか。

投稿者:つねちゃん
at 08 :10 | 旅行記 | コメント(0 )

2011 年6 月15 日

報道は「アジテーション」なのか

 書くのが遅すぎたような気がするが、それでも自分としては「果たしてどうなのだろうか」との逡巡を繰り返していたテーマである。
 今回の震災、津波、原発の騒動(事故とも事件とも何とも言い難いので、この言葉を使うが、適切かどうかは自分自身疑問である)についの、TVやラジオの報道は、まさに「アジテーション演説」としか言いようがないくらいに「みっともない」次第ではなかろうか。
 いかにも正論のように「真実を伝えるべきだ」と言うが、何もかもそのままの真実を伝えた場合、果たしてどうなっていただろうか。
 多分大小の差はあるだろうが、今より以上に「パニック」に陥っていたのではないだろうか。
 その結果、各自が自己判断して、混乱を今以上に大きくしていたのではないだろうか。
 今まで聞いた事の無いような、ベクレルだとかという訳の判らない単位をそのまま発表して、受け取った側か果たして正しい判断をしえたのだろうか。
 今でもまだ、その影響については、TVに出てくる学者さんにおいても、百家争鳴の状況なのである。
 それなのに、それを反省するどころか、むしろ「大袈裟に言うほうが視聴率が上がる」とでも思っているような、タレント学者をとっかえ、ひっかえ登場させている。
 また、いつまで経っても「犯人探し」ばかりで、そんなことからは何も被災者にとって利の無い事を弁えていない様である。
 勿論「口達者」の人ばかりだから(口タレントとでも言った方が良いのではないか)簡単に揚げ足を取られるような発言はなく、表向きは「被災者の方が可哀想」と言うだけで、浅い底が見え透いている、と感じるのは私だけだろうか。
 「そんなことをやっている暇があるなら、もっと現実的な援助を」と言う声が、届かない現状を憂えるばかりである。

投稿者:つねちゃん
at 08 :32 | 報道 | コメント(0 )

2011 年6 月14 日

やっぱり「早起きは三文の徳」

 昔から睡眠時間は短いほうで、気になって診断を受けたら「貴方はお酒を飲みますか」と聞かれ、「大好きで結構良く飲みます」と言ったら、「それなら全く気にする必要は無い」と言われた。
 睡眠量(と言う言葉があるかどうかは知らないが)は寝ている時間と、睡眠の深さの積分で比較するのが良いそうで、その分熟睡しているからとのことだった。
 女医さんだったこともあり、意気投合して品川の安酒場(彼女が好きだというところ)で飲んだりした。
 余談になるが、病気(必ずしもそうではないのもあるが)に関する一つの解決(今回の場合、解決かどうかはわからないが、ふっ切れたことだけは確かである)ができた場合は、相手が女医さんに限らないけれど「全快祝い」のように飲みに誘ったものである。
 今回と「胃潰瘍を薬で治した」場合が、女医さんであり、0時近くまで意気投合して飲んだ事が記憶に強く残っている。
 話を本題に戻して、加齢と共に、夜は11:30が一つの就寝時間なのだが、朝は4:30に起きるのが日課になっている。
 「やっぱり短いか」と思って、一旦目がさめても起きないようにしていたが、駄目で、結局元通りになってしまったが、一旦やってから元に戻ってみると、表題のように思えるのが楽しみだったりする。
 「早起き」に対して「遅起き」と言う言葉があるかどうか知らないが、意識的にそれをやった後で「早起き」をしてみるとその差が大きく違う事に気がつくのである。
 「三文」の得では、然程儲けになる訳ではないから、やはり「気分」のもんであろう。
 でも、朝何もする前から、それだけのことで「気分」が良くなるのだから、やはり気持ち的には「莫大な儲け」と思っても大きな違いはなかろう。
 これからも、時々「遅起き」をして、早起きの得を感じたいものである。

投稿者:つねちゃん
at 08 :23 | 健康 | コメント(0 )

2011 年6 月13 日

負け惜しみの真骨頂

 随分昔の話になるが、表題のような「戯言」を使っていたものである。
 それから大分経ってから、落語や漫才などの枕にもなった話だから、相当昔から有名な話だったのだろう。

 「エッ、その歳になってまだ彼女(この辺の言い方が古いなぁ)が居ないの?」
 「なぁーに、今は興味を持っていることで手が一杯で、そこまで手が回らないから、他の奴に貸してあるだけさ」
 「俺が声さえ掛けりゃ、ダンプに一杯の女が寄ってくるので、選ぶのに苦労するのさ」

 対象が「(彼女)オンナ」でなくてもいいのであるが、これこそが「負け惜しみの真骨頂だろう」と最近なぜだかふっと思い出してニンマリしている自分に気が付く。
 負け惜しみも、ここまでさらりと言えれば、「さぁすがぁー」と言うしか無いだろう。
 勿論、現実にはそんなことはあり得ず、殆どの場合、寂しいよなぁ、と言うところだろうか。
 なぜそんなことを思い出したのか、切っ掛けが全くつかめないのだが、これに限らず最近は「思い出し笑い」ではないけれど、そんなことが増えてきたように思う。
 でも、決して哀しかったり、後ろ向きだったりしていないので、それはそれでいいのだろうと、完全に楽観視している。
 これは、このブログの基本的な考え方(のほほん、徒然)に合致しているので、これからも、折につけ、思い出してはニンマリとしていたい。
 こんな境遇にいられる事に感謝しながら。

投稿者:つねちゃん
at 07 :26 | 健康 | コメント(0 )

2011 年6 月10 日

私が「さくら組」だった頃

 年長の孫が、保育園で先生の指導を受けて、いろんなことを覚えてくる。
 器楽演奏もその一つで、短い間に良くここまで覚えるものだ、と感心するくらいである。
 勿論先生方の努力に感謝するばかりである。
 そこで、もう何十年も昔の自分の「幼児学級」時代に思いを馳せてみる。
 勿論今のように「器楽演奏」などは想像も付かなかったから、その所為にする訳ではないが、いまだに「口三味線」くらいの楽器(?)位しかできない。
 また、小学校の併設だったので、規律的には小学生と同じものが求められていたのだろう、毎月曜日には講堂での朝礼で、校長先生などの話を聞き、校歌を歌ったものである。
 「学級」と言う事なので、基本的には「学習」をすることだったのだろうが、果たしてその成果といわれると、誠に心許無い。
 つい昨年くらいに同級生の四方山話で、当時の先生が身近にいらっしゃるとの話を聞いた。
 子供の頃だから、全て時候だとは思うものの、面と向かって「その節はお世話になりました」などと言えるほど厚顔無恥ではないので、いまだに正式な挨拶などはしていない。
 それにしても、当時はカメラなどは高級品で、父は持っていなかったので、時折近所に小父さんに撮って貰ったものが数枚あるけれど、学級時代のものは入学式の時のものだけしかない。
 だから、写真から思い出すことはできないので、断片的にしか記憶を辿れない。
 そうそう、今でも残る傷跡は当時のものである。
 会っていても誰も気が付かないだろうが、顎の下に大きな傷が残っているのだ。
 いつかの朝礼の後で講堂から教室へ戻る時に、坂になった石の廊下で前向きに転んで顎を擦り剥き、大出血して、何針か縫ってもらったものである。
 その対応をしてくださった医師は、父と同級生だったと聞いているが、その方ももういらっしゃらない。
 総ざらい的に言うと、「臆病だけれど、腕白で、それ以外は何も特徴のない男の子」だったのだろうなぁ。
 こう書くと、大分美化しているように思うが、それすら時候でお許し願いたい。

投稿者:つねちゃん
at 07 :28 | 子育て | コメント(0 )

2011 年6 月9 日

人間の身体って理屈に出来ているんだなぁ

 熱が出る、のは体温を低く調整するため、苦いや辛いなどの味覚は「食べるのを節制しろよ」と言う合図。
 手を抓(つね)られても(今じゃそんなことは記憶の彼方であるが)痛いところと痛くないところがある、と言うのは「痛点」が影響しているとむかぁーし聞いたことがある。
 相変わらずの余談だけれど、痛い場合と痛くない場合、では決してない。
 それはTPOで特に抓られるのが誰かによるわけで、愛しい人であれば、一つの前戯と考えてもいいのだろうから「イッタァーイ」と甘い声を出すだけで、決して痛くないのである、と言うのはかつての三文エロ小説の記憶だろうか。
 ともかく、最近時々こんな事を思うのである。
 何か身体に感じる「異変」(決して悪い事ばかりではなく、良い事もあるのだが、勿論悪い事のほうが圧倒的に多い)を感じると、「ハッ」と身構えてしまう。
 私の嗜好品としては何に付け「激辛」と言うものがあるのだが、これは多分殆どの人が「とても食べられない」と言うものが多い。
 ハバネロの前がハラペーニョと言うものを栽培して、そのままチャーハンに使ったり、保存食として甘酢漬けにしてピクルスとして食べたりして、かなり重宝した。
 ハバネロになると、家族は殆ど手を出さなくなったが、一部はオーブンなどを使って乾燥させて、粉末にしてパウダーとして使ったり、大体はオリーブオイルと一緒にミキサーを使って、ペースト状にして随分長く重宝している。
 ジョロキア、と言うものもやってみたが、これは私でも中々消化スピードは上がらない位に辛い。
 味覚についての話になってしまったけれど、諸姉・諸兄も同じような感覚をお持ちになることがないだろうか。
 人間の身体は誰が作りたもうた物か知らないけれど、実に良くできているものであると、いまさらながら感じる。
 凡人としては、それを悲観することなく「適度な刺激」と受け止めて楽しめればいいのではないだろうか。
 勿論「刺激」を求めた結果河豚に当たって亡くなった落語の大師匠のようにはなりたくないものではあるが。

投稿者:つねちゃん
at 08 :07 | 健康 | コメント(0 )

2011 年6 月8 日

 「国の責任」で払う賠償を考える

 マスコミを初めとして、「国家公務員」に代表されるような人が、いろんな不祥事を起こしていることの責任を「国の責任」と称している。
 それはそれである意味理解はできるのだが、その賠償になると結局「税金」で賄われるのである事を国民は正しく理解しているのだろうか。
 「国が決めたこと」と言うのは「国民の選挙によって選ばれた人が、協議して決めたこと」であるから、その責は全て国民にある、と言うのが、ある一定の論理で、「だから賠償金は国民が納めた税金で賄っても差し支えない」と言う、「風吹きゃ桶屋」と言う怪しげな三段論法なのだろう。
 今回の東電の事故についても、原発推進を決めたのは国だから、その賠償は(勿論全額ではないとしても)「国の責任」で賄うのが適切だとの論法である。
 全く、直接的にはなんらの関与もしていない、国民の一人として、どうにも納得できない。
 おそらく一般の国民の多くは「国の責任は当然だ」と言う事には、諸手を挙げて賛成なさるのだろうが、それに費やされる「費用」(賠償金など諸々の物を含んだ意味で)は国会議員さんが身を切る訳でもなく、役人が身を切る訳でも全くなく、全て「税金」で賄われる事に気がついているのだろうか。
 もっと多くの人がそれに気が付けば、まず捻出する元を厳しく注目するのではなかろうか。
 確かにインフラとしての電力会社を潰すわけにも行かないだろうが、役員報酬だけではなく「持ち出し」も当然だろうし、それを管理監督していた関係省庁の役人の給与などからも厳しく徴収して、尚且つ足りない部分を「国の責任」で、と言うのであれば、多少は納得も行くというものであろう。
 マスコミも「国の責任が問われます」と言う言い方ではなく、「そのために貴重な税金が使われます」と言う言い方に代えれば、もう少し国民が「国」と言うものに目を向けるのではないだろうか。

投稿者:つねちゃん
at 10 :26 | 政治への注文 | コメント(0 )

2011 年6 月7 日

家庭菜園は「ゆっくり、ゆっくり」

 園芸作業も本格的な時期になり、今年の初物としての収穫は、昨年植えた「山独活」を美味しく食べた。
 まだ収穫は途中であるが、我が家で初めてのものとして「山椒の実」がある。
 随分以前に五ヶ山の道の駅で手に入れて、塩漬けなどにして食べたらメッチャ美味しかったのだが、その後全く見なくなってしまった。
 道の駅でも尋ねたが、今では「売り物」にはしていないらしい。
 昨年我が家の山椒の木に数粒の実が付き「付くんじゃないの」と言う事が判ったら、今年はその木に結構たっぷりと、畑にも植えたものにもポツポツと実が付き始めたので、本格的には来年が楽しみと言うところである。
 塩漬けして、チリメンジャコと甘辛に炒め煮したものは我が家では孫も結構好きなものになっている。
 ある時京都の道の駅だったろうが、そこで商品として売られていて、美味しかったが結構高かった。
 それはそうとして、言い訳染みるのだが、我が家の畑は、日照時間がかなり短い。
 朝は10時ごろから漸く日が差し始め、午後は2時を過ぎるともう翳ってくる。
 そんな訳だから、他の菜園とは相当事情が違っているので、どうにも話が合わないのである。
 今年も山側に植えた玉葱は、本格的な雪解けが4月末位になり、日当たりが良い所と比べると、漸く今になって芽が伸びてきているくらいである。
 ところが、そんなところでも、外草(雑草と言う言葉が嫌いなので「目的外の草」と言う意味でこの言葉を使っている)は遠慮なく伸びてきていて「玉葱が消えた」と思ったくらい生い茂っていた。
 そんな訳で、「菜物」は殆ど駄目で、ちょっと育ったかな、と思ったら「虫さんの餌場」と化してしまうのが現実である。
 そんな状況なので、表題の通り、皆さんの菜園状況から随分とスタートが遅れると共に、成長速度も極端に遅くなってしまう。
 それでも、他がこうやった、と聞くと、俺も、と今まではなっていたのだが、昨年くらいから「他所は他所」と思えるようになって来てノンビリとやっている。
 なぁーに、そのうちには食べられるものができるさ、くらいで。
 在職中は及ばずながらも「我先に」だったのだが、リタイア後もう10年目で、そんな気持ちはかけらもなくなっている自分が愉快でもある。

投稿者:つねちゃん
at 10 :38 | 園芸 | コメント(0 )

2011 年6 月6 日

わが人生に悔い無し

 石原裕次郎の「わが人生に悔い無し」と言う歌が好きである。
 あるとき、しようが無く勧められて歌ったカラオケでは「ある人の持ち歌だよ」と言われて恐縮した。
 それはそれとして、「鏡に映ったわが顔に/グラスを挙げて乾杯だ」と言うフレーズが特に好きな部分である。
昔から、美男子とは程遠く、醜男から数えたほうが早い位の顔の持ち主である事は承知しているが、かつての「痴楽」ほどではないのかな?
 相変わらず余談になるが、四代目の痴楽は、わが郷里富山の出身である。
 そんなことでいわゆる「波長」が合ったのかもしれないが、なぜか特別噺が面白い訳ではなかったが(いやいや失礼な話しで、私が面白さを理解できなかっただけなのだろう)、好きな落語家の一人であった。
 で、そんな顔とでも、64年間付き合ってきたのだから、時には鏡の自分に微笑んで楽しんでみよう。
 実は、もう随分昔だけれど、最初の「東京暮らし」をした時に、時々この歌詞のようなシーンをしていた。
 別段、格好付けではなかったのだが、まだそれほど「一緒に飲みに行こうか」と誘うほどの友人もなく、ある意味で「孤独感」に耽っていた時があり、仕事が終わった後で、(殆ど新宿だったが)飲みに出て、カウンターの隅で「少し酩酊するくらい」飲んでいた。
 当時は、ボトルキープというのが一つのルールだったし、私のようにある程度以上短期間に飲む人間にとっては割引サービスがあったので、便利だった。
 もう一つ便利だったのは、少しダンスが踊れるようになっていて、時々ではあるが、ハートナーを誘ってのカクテルは確か50円/杯で格安だったからでもある。
 ウィスキーの店、バーボンの店、ウォッカの店(カクテルの種類が多かった)、勿論日本酒の店は「割烹」と言う店だったが、ともかく5軒のカードを持っていた。
 本題に戻るが、カウンターの隅には大概の場合「鏡」が張られていた。
 今のように「カラオケ」も無かったので、その時々に応じてジャズやクラシックなど聞きたい音楽の店に行っていたものである。
 でも、大体一人だから、カウンターの真ん中に座ると邪魔になり、良い顔をされないし、隅で静かに飲んでいれば「良いお客さん」な訳である。
 そんな時、鏡に映った自分を「話し相手」に飲んでいると言う光景が、まさに歌詞の通りである。
 勿論年齢はまだ22歳だったし、この歌自体が無かった時代なのだが。
 今は、幸いにして家族もあり、(時折カラオケが伴うが)飲み友達もいるのでそんなシーンになることは殆ど無いのは、幸せな事なのだろう。

投稿者:つねちゃん
at 10 :52 | 健康 | コメント(0 )

2011 年6 月3 日

改めて父を思う

 今月12日が父の祥月命日である。
 当初簡単に整理が出来ると思っていたのだが、衣服などは目に見える範囲のものは殆ど整理できたが、写真の整理が探せば探すほど続々と出てくるので、引越しや大掃除の時の畳の下の古新聞を見るようで、中々整理が捗らない。
 さりとて、それは「苦痛」というものではなく、「懐かしさ」と言うものなので、やっていても楽しいことなのである。
 でも、その量が半端じゃないので苦笑いの状況なのである。

 鳶が鷹を産んだほどではないが、気が付くと、似たような会社組織で、父よりも昇進していた。
 ある時、それで衝突した事がある。
 それも懐かしい思い出である。
 写真整理をしていると、趣味の世界や色々な知識の世界では、まだまだ足元にも及ばない事を改めて思い知ることになった。
 会社のOB会などには名前を連ねてはいるが、最初の頃は色々なイベントに参加していたが、最近は殆ど不参加で、「名誉(会費を支払うだけ)会員」になっている。
 地域のつながりでも、そこそこ色々な会にメンバーとして参加しているが、父ほど真剣ではないようである。
 趣味についても、謡曲や長唄の会には、母も一緒に参加してそれなりの腕前(声前?)だったと聞いているし、殆ど整理したけれど、備品も沢山持っていた。
 華道も古流の免許状があり、茶道についてもそれらしき物が残っている。
 在職中は、父を乗り越えて、と言っていたし、父もそれを望んでいたが、結局リタイアしたら何にも残っていない、と言うのでは、勝負にならないのである。
 やはり「蛙の子はオタマジャクシ」であり、中々蛙にはなれないのだろう。
 でも、それを踏まえて「生きている」事になんらの引け目も無い。
 でも、父の享年の84歳まで生きられるかと思うと、とても考えられない、と言う意味でも「超えられないのだろうなぁ」。

投稿者:つねちゃん
at 09 :12 | 子育て | コメント(0 )

2011 年6 月2 日

本音の日記は見せられない

 アンネの日記ならぬ「本音の日記」だが、やはり「残す」事はやめておこう、と最近思っている。
 私に限らず、人間は生きている間「良かれ」と思ってやっていることでも、別の見方からすればとんでもなく「悪い事」をしているかもしれない。
 このように思ったのは、初めてからもう半年になる「正信偈」の書き写しのせいであろうと思うが、別に仏教と言う概念を持ち出すまでも無く、それが切っ掛けでそう思ったと言う事であろう。
 私が利用している日記ソフトは、今までも何回か紹介したと思うが、かなり長い間継続して付けられるもので、その分「遡っても見られる」と言う事である。
 3歳の時に「小児疫痢」と言う大病に罹ったことは、勿論その当時に書ける訳ではないから、後で多少のデフォルメがあったり、美化があったりしながらのものである。
 漱石風に「名前はまだ無い」と言うのも、随分と後(尤も高校生位だったと思うが−−−原稿用紙に数枚書きかけたものが残っていたのを転記したものである。
 初恋らしき事を書いた部分もあったなぁ、それから恋愛風にもなり、煩悶する時期もあつたなぁ。
 時候だろうけれど、間違いなく窃盗などの「犯罪」を行った事もあるし ・・・。
 全てを読み直して「今からでも遅くない」と書き直すことも考えたが、それも可笑しいと思いながら「今後の事についてぱ書かないでおこう」と思っている。
 でも、そんなことを今頃思い出すのも不思議なものである。
 それだけ「考える事」が少なくなってきたせいなのだろうか。
 このブログを初めとして、まだまだ新聞投稿ネタはいくらでもあるし、それを文章化するという「考える事」も十分にあるのだが。
 結局「書けない事」は墓場まで持っていく事になるのだろうなぁ。

 もし、万が一、書いて残しておいたら、と思うと、それこそ「死んでも死に切れない」と思うとなんだか楽しく思ったりもする。

投稿者:つねちゃん
at 09 :37 | 日記 | コメント(0 )

2011 年6 月1 日

原発所長の判断

 海水による注水を停めた/止めなかった、が議論されているが、責任者で現場にいた所長の判断は、貴重だと思う。
 かつて、システムがダウンして、偶々、組織のトップだった人間(私の上司)が「すぐに立ち上げろ」と現場に指示したそうである。
 担当者は困りきって私に電話で助けを請うて来たので、「自分の言う事を聞かない事にカンカンになっている」上司に電話を変わってもらって「ともかく全ての責任は私が取りますから」という事で、本来の事務所に戻ってもらった事がある。
 上司はそれまで「即決即断」で、来た人で間違いは無いのだが、そのシステムは私が責任者で時系列的なデータを持っているので、「即立ち上げ」すると時系列が狂ってしまう事を説明して納得してもらった。
 その夜、一緒に飲みに行き「管理者は孤独だなぁ」とお互いに話した事がある。
 その時その場でその人の全知全能を働かせて速やかに判断する、ことが最も求められるのである。
 議論しているうちに時間は経ってしまうのであり、それこそ誰もが責任をもたずに「取り返しが付かない」結論になったときにどうするのだろうか。
 少し違うが、同僚に「アクション大魔王」と渾名される課長がいた。
 命名は、勿論当時人気のあった漫画の「ハクション大魔王」のパクリである。
 トラブルが発生すると、ともかく有識者を現在の仕事を中断させても糾合して、「アクション会議」を開くのである。
 当の課長が方針を持っていないので、議論に議論を重ねるのだが、皆の意見を取り纏めて出すべき結論を、誰一人決定しないのである。
 そして、時間が経過して事態は決して良くならず、「皆で決めた」意見に沿った対応を取る事になる。
 後で説明するのは、当然課長ではなく提案者であり、責めを負うのも勿論である。
 でも、最終的に責めを負うのは、後になっての課長であり、見ていて惨めだった記憶がある。
 三現主義に、自分の判断を重ねた上で速やかに出した結論、という意味で、今回の所長の判断は(結果がどうであれ、というのは無責任だと言われるかもしれないが)正しかったと判断する。

投稿者:つねちゃん
at 08 :17 | お役所 | コメント(0 )

<< 2011/05 | メイン | 2011/07 >>
このページのトップへ