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2009年11月25日

みさと村にもインフルエンザ

 週が明けたら、今まで元気を誇ってきたみさと村にも、怒濤のようにインフルエンザが押し寄せ、一気に、文字どおり爆発的に患者が出た。
 すごいなと思う。
 今日はその対応でてんやわんやだった。
 明日から、今週いっぱい、静かなみさと村である。

 私自身も寒気がして頭が痛い。かかったかな。

投稿者:at Sushiat 20:09 | 日記 | コメント(0)

2009年11月23日

福井への旅 6

 これで福井インターから帰ることになる。
 茶店もしまい始めていた。自販機でコーヒーを買って、それをすすりながら、手帳に今日の思いをメモしてみた。
 一乗谷遺構を出発したのは、5時だった。もうすっかり暗くなりかけていた。川沿いに走って、国道に合流して、市街地に向かう4車線道路をしばらく走ると、すぐに北陸自動車道の福井インターだった。このあっけなさは、旅の終わりの寂しさをいや増すものである。
 サービスエリアで休憩するさと走り出したが、SAはずっと先、尼御前までなかった。休日の夕方、帰宅の車と思われる車が多く、車の流れはスムーズだが、切れ目なく車が走っているかんじだった。
 食事らしい食事は、朝、徳光でうどんを食べたきりである。サービスエリアで食事しようと、尼御前に入ったが、さしておいしいメニューがないように感じた。あきらめて売店の外に出ると、串焼きがおいしそうだった。ついつい2本注文してしまった。それが、タイミング悪くこれから焼きはじめるということで、まあ、急ぎの旅でもないし、焼き上がりを待って、牛串といかげそを味わった。いかの方は、ちょっと焼き足りない感じだった。
 食事は徳光にしようと、尼御前を出て走り始めると、「火災のため、砺波小杉間は通行止め」との表示が出ている。これは大変と、ハイウェイラジオを聞こうとするが、放送エリアではないらしく情報がない。火災とは、道路脇の火災なのだろうか。車両火災なのだろうか。そのうち事故処理されて、通行止めも解除されるだろうからと、ゆっくり夕食を取るつもりで徳光サービスエリアに入る。
 徳光サービスエリアで、交通情報コーナーを探すが見あたらない。そのかわり、売店入口のポスターで、携帯電話の情報サービスがあることを知り、アクセスする。ようやく分かったことは、通行止めになっているのは、反対車線であること、下り車線は、速度制限はあるが走れることだった。
 ホッとして走り始めた。小矢部のあたりで、道路脇の民家から煙が流れてきていて、これかと思ったが、そうではないらしい。砺波にさしかかると、確かに反対車線の路肩に消防車が2台止まっていた。一人の消防士さんが、赤いライトを振ってるのは、通行できるよの合図のように思われた。どんな事故があったのか分からないが、結局、わたしが通行するころには、事故もおさまり通行が解除された様子だった。小杉インターに近づいたころに、消防の自動車に先導されるように、どっと群れになって車が走ってくるのに出会った。
 その後は順調に走り続け、結局、家には8時頃に着いた。
 土産の羽二重餅は、家族に喜ばれてよかった。

投稿者:at Sushiat 22:32 | 日記 | コメント(0)

福井への旅 5

 永平寺を出て、一乗谷へ向かう。地図上は、左方面に道なりに進めばよいことになっているが、かなりの急な登り坂だった。
 登って下って川沿いのT字路に出た。左方面は一乗谷遺跡、右方面は資料館と表示がある。遺跡までの距離が図りかねるので、とりあえず資料館へ向かった。すると、受付で、車で3分ほどの所に、屋敷跡を復元した町並みがあることが分かり、共通入場券を買う。資料館は残念ながら大したことがなかった。
 時刻は3時過ぎ、来た道を戻るように遺跡跡に向かう。道沿いに発掘された屋敷跡の遺構が並んでいる。かなりのスケールである。復元された町並みの向こう側の駐車場に車を停めて、散策する。まだまだ整備をはじめたばかりの様子で素朴さがいい。町並みは、本当にこうだったのだろうなと思わせる雰囲気が十分に感じられる。鍛冶屋や染め物屋ののれんが掛かっており、その様子を資料展示しようとしている様子だった。武士の家の復元したものでは、主人の家と、従者の家と思われるものがあり、倉庫やトイレが復元されていてなかなかおもしろかった。
 道路と川をはさんで、朝倉氏の屋敷跡の遺構がある。それは、さすがと思われるスケールだった。説明ボランティアのおじさんが、グループ客に盛んに説明をしていて、そのうちの割合熱心な2人が付き合って話を聞いていた。それにちゃっかりと同行して、説明を聞くことができた。斜面を利用した石組みの庭の説明の辺りで、どうやら2人は帰りの時刻が気になったらしく、帰りはじめた。ボランティアのおじさんも残念がりながら、2人に付き添って戻って行ったが、それなら、続きはわたしに聞かせて欲しいなと思った。山を登ったところに城跡もあったようだが、全部見たら体力も時間も大変だと思い、山手の庭園跡を見て帰ることにした。それにしても素晴らしい遺構である。今後整備されて、歴史公園となっていくのであろう。今後に期待したい。とはいえ、吉崎御坊でもそうだが、なかなか客寄せにはつながらないだろうなあ。大河ドラマの舞台にでもなれば、どっとブームになるのだろうけれど。

投稿者:at Sushiat 21:52 | 日記 | コメント(0)

福井への旅 4

 永平寺には、以前にも来たことがあるが、どこに駐車したかが思い出せない。
 これまでとは打って変わって、永平寺の門前は、すごい人出だった。土産物屋が、車を停めろと案内するが、特に土産を買う予定も食事をするつもりもないので、どこかに公共の駐車場はないものかと門前へと進む。結局、適当なところはなくて、門前を回る形の坂道を下りたところで、駐車場を出る車を待つことになる。そうして停車したところで、その駐車場のおじさんに案内されて、その車のあとに駐車することにした。400円也。
 この前来たのは、、、、もうかなり前である。自動販売機でチケットを買って入った拝観受付の建物は、ビルディングだった。唖然とする。人出もすごい。広間で、若いお坊さんが一通り説明していたので聞こうと入ったが、広間いっぱいの人である。その人たちがはけてから、改めて次の団体とともに説明を聞く。説明の初めには、広間に3分の1ぐらいだった人が、終わるころにはあふれるほどになっていた。広間を出て、階段を上がって気付いた。別に説明を聞かなくても、入口脇の階段を上ればよかったのだ。しかし、説明の坊さんの、撮影自由という話を聞いて心置きなく撮影できたので、それはそれでよかった。
 さて、伽藍の中は、冬支度のために戸口が囲われていて、景色が見にくかった。その代わり、燃えるような紅葉が見られてよかった面もある。
 途中おもしろかったのは、赤ちゃんを抱いた修行僧らしき人が、若いママと幼児に付き添っていたことである。ずいぶんと思いやりがあるというかサービスがいいなと思ったが、もしや、奥さんかなと思ったら、そのとおりだった。あとで、山門に続く坂道の前で記念撮影をしていた。修行の場にあるまじきと言う人もあるのかもしれないが、ほほえましくていいなと思った。
 資料館も見て出てきたら、もう人通りがかなり少なくなっていた。門前の店で、団子を焼いて売っていたので一本買って食べた。直径4センチぐらいの団子が3つついた、けっこう食べごたえのある団子だった。くるみが入った味噌がおいしかった。ただ、独り身なのに団子の本数を聞くのはちょっと感じよくない。一人で2本は食べないだろう。しかも、仲間内でおしゃべりしながら手渡すというのがさらに感じ悪い。さらに、団子が何となく生ぬるかった。こんなふうに邪険にされるのが、一人旅の困ったところである。

投稿者:at Sushiat 21:34 | 日記 | コメント(0)

福井への旅 3

 丸岡の町を出て、竹人形の里へ向かう。一本道をまっすぐ走るだけであった。つまり、丸岡の町で細道と思っていたのは、元々は、主要な街道だったと言うことである。これは失礼。
 竹人形の里の駐車場には、大型バスが何台も止まっている。人々は、売店とレストランに集まっている様子。左手に工房や展示室がある。入館料300円也。作品群は素晴らしかった。
 一回りして分かったのは、商才ある作家が作った施設だということである。髪の毛を作っていたお兄さんと会話する。この道14年とのこと。竹の繊維一本一本を削り出すのは、相当な技である。よく途中で切れないものだと思い尋ねてみたが、そのとおりで、何気なくナタで割り裂いているように見えて、細かな加減をして、きれいに割れるようにしているのだという。
 土産に小物を買おうと思ったが、いいものはすごく高いし、そうでないものは、ちょっと買う気のしないものばかりであった。結局土産は、お菓子におさまった。
 次は、永平寺である。ここでまたナビが暴走した。現在地をうまく検出できなかったらしい。とりあえず、これもまた一本道と分かり、ひたすら坂道を上り続ける。
 ちょうどお昼時、徳光で食べたうどんが腹にこたえていて、空腹は感じないが、道沿いにあるそば屋やごま豆腐屋は魅力的である。それを、振り捨てながら、永平寺に向かった。

投稿者:at Sushiat 21:20 | 日記 | コメント(0)

福井への旅 2

 吉崎を出て、丸岡に向かう。
 用意してきた地図は、吉崎を出てしばらくと、丸岡の町は用意したが、その中間は分からない。あとで思えば、本当は道なりに行けばよかったのだが、不安になって、ナビを頼った。
 ところがこのナビが食わせ物だった。全く違うルートを指示する。どう考えても反対方面に走っていることに気付いて、車を停めて再度ナビを見た。なんと、高速道のインターチェンジに向かって走っていたのだ。改めて、高速道路を利用しない設定で検索し直して、走り始めた。
 静かな田舎道が、突如4車線の道に出たかと思うと、そこを横切って細い路地に入った。国道沿いには大型店が並んでいる様子だったが、静かな裏通りという感じの細道に入っていく。なんだか寂れた町並みに不安感が募った。と思うと、城の天守閣が見えた。この道でよかったのである。安心した。城の近くの10台ぐらいの駐車場に停める。30分無料。
 30分ではたして帰ってこられるのかと思いつつ、城への道を歩む。
 わたしのすぐ前に車を停めた家族連れは、細道を右に折れていった。と見ると、脇道から別の親子連れが出てきて、まっすぐの道を行く。石垣に沿って登りの道がありそうだったので、そちらに向かう。
 城は小さなものだった。あとで分かったが、小さな藩にもかかわらず、家の格式は譜代だったということ。
 天守閣は3層になっていて、登りの階段はかなり急だった。団体客のおじさんたちが足下をふらつかせながら登っていた。どうやら怖くて登れなかったらしい女性が、恨めしそうに下で待っていた。上からの眺めは大変素晴らしい。
 城を出て、ぐるっと回って裏手に出ると、資料館があった。入ってみたが大したことはなかった。びっくりしたのは、その横に、大きな茶屋があって、大駐車場があったことである。なんてこった。
 車にもどると、しっかり30分は過ぎていて、車止めが上がっていた。100円也。土地勘がないと損をするね。でも、この程度は仕方がないと思う。

投稿者:at Sushiat 21:01 | 日記 | コメント(0)

福井への旅 1

 9月の連休か10月の連休にと企画していた、日帰り旅行であった。
 結局実現できず、今日思い切って出かけた。
 行程は、吉崎御坊、丸岡城、竹人形の里、永平寺、一乗谷朝倉遺跡を訪ねて帰ってくる。
 最初の吉崎御坊であるが、資料館が開くのは、だいたい9時であろうと考えて、出発は7時にした。本当は、ネットで調べてから行くものであるが、しばらくネットを使いづらい状態が続いており、昨日も今朝も、調べることができなかった。
 途中のサービスエリアで朝食を取りながら、吉崎に向かうと、ちょうど9時過ぎに到着した。ここは、石川と福井の県境に位置することを初めて知った。
 駐車場に車を停めると、資料館の前で職員が待ち構えていた。
 資料のビデオを見て、その後、その職員さんが、ずっとつききりで案内してくださった。ずっと、だれも客が来なかったので、休日というのによほど暇だったのだろう。だいたい、浄土真宗の熱心な信者さんぐらいしか立ち寄ることはないのかもしれない。でも、大変詳しい説明が聞けて、とてもありがたかった。
 資料館裏手の湖の向こう岸が石川県というのは、おもしろい。また、石像が蓮如さんの声でしゃべるというのもおもしろい演出だった。
 かつて吉崎御坊があったという小高い山に登ってみた。車で行けますよと言われて、車で登ったが、歩いて行っても大したことはなかったし、むしろ歩いた方が近道だったことが分かった。
 それはそれとして、行ってよかった。

投稿者:at Sushiat 20:30 | 日記 | コメント(0)

2009年11月22日

しばらくメールを開かないと

 しばらく、ネットに接続できない状態が続いていた。久々に接続すると、すごい数のメールがたまっていた。その数、150通近く。
 しかし、そのうちで、本当に必要なメールは2通。承認しているメールサービスから届いたものが、20通ほど、あとは、全くの迷惑メールである。まいったね。
 そういえば、ここ数日で、招かれざるコメント書き込みが4つほどあった。連休を前にして、宣伝のために送ったものであろうか。8月以来ぱたっと止まっていたのに不思議である。
 

投稿者:at Sushiat 15:12 | 日記 | コメント(0)

2009年11月21日

大人の思いと子どもの気持ち

 みさと村で、演劇と音楽の公演があった。
 なかなかない機会で、地域の人々が、1年前から公演を申し込んでようやく実現したとのことであった。
 しかし、子どもにはちょっと難解だった。
 難解な劇のあとに、音楽演奏があったのだから、子どもたちのがまんは限界だった。マナーもあったものではない。
 おもしろくなければ、無視する。子どもは本当に正直なものである。
 企画した人には申し訳ないが、子どもには無理だった。行儀の悪い子どもたちを見守るのは、本当に辛い。心がきりきりと痛んだ。

 終わってホッとした。

投稿者:at Sushiat 18:10 | 日記 | コメント(0)

2009年11月14日

作文の会は流会

 毎月定例の作品選評会のために、新聞社に出かけたが、会場の準備も、作品の準備もされていなかった。どうやら担当者が、準備を忘れたようである。土曜日のことで、限られた社員しか出社していないため、担当者と連絡を取るのに手間取った。ようやく連絡が取れて、結局流会になった。
 別の仕事があったので、ちょっとホッとした思いもある。その用事にその足で高岡に向かった。

投稿者:at Sushiat 17:36 | 日記 | コメント(0)

2009年11月10日

モケちゃんの慰霊碑を見に

 今日は、富山市南部に出かけて研修だった。その昼休みに、ペット葬儀社の慰霊碑を見にいってきた。
 8日の午後に、合同慰霊祭が行われ、慰霊碑の周りは、その名残の花や供え物が残っていた。なんだかマンガチックな動物の描かれた慰霊碑であるが、ちょっと心が落ち着くものがあった。月一度の合同慰霊祭の日にしか開放されないため、建物の中は見ることができなかったが、行ってよかったなという感じである。

投稿者:at Sushiat 19:08 | 日記 | コメント(0)

2009年11月8日

一仕事終了

 ずっと取り組んできた大仕事が、一段落ついた。
 結果が分かるのは、先のことだが、やるだけのことはやったと思う。
 いざとなると、あれこれ準備不足が分かって、うまくいかないことが多かったが、もう、あれこれ言うのはやめたい。うんざりである。
 ともかく、一区切りということで、気持ちを切り替えようと思う。
 まあ、その前に、今日は、ゆっくり休みたい。

投稿者:at Sushiat 16:30 | 日記 | コメント(0)

2009年11月3日

書道展の片付け

 今週末に大変な課題が待っているので、休日とはいえ、その準備に忙殺されていた。
 今日は、父が関係している書道展の最終日であった。見にいって、ついでに片付けも手伝うことにした。それが、見にいったのは、ちょっと早く、出直して片付けに行ったときは、道が混んでいて遅刻気味、あまり力になれなかった。
 ともあれ、父は、一仕事やり終えて満足そうだった。

投稿者:at Sushiat 18:06 | 日記 | コメント(0)

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