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2011年10月31日

気分はすぐれなかったが

 朝は、結局ごはんを食べる気にならず、そのまま出勤。
 コンビニでおにぎりを買って、空腹になったら食べることにした。
 結局、空腹を覚えたのは、11時を過ぎてから。そこでおにぎりを食べたら、ちょっと調子が普通に近づいてきた。しかし、寝不足のせいで、1時半頃に猛烈な眠気に襲われてつらかった。
 何となく気分が優れないままに一日が終わってしまった。ふう。

投稿者:at Sushiat 22:23 | 日記 | コメント(0)

ちょっと飲み過ぎた朝

 昨日は、つい飲み過ぎた。
 会食のレストランで、お酒は飲み放題と聞いて、何でも飲んでやろうと考えたのがまずかった。ほかのみなさんは、ビール一本だったのに、ワインやハイボールまで飲んで、飲み過ぎた。もうそこで、かなりアップアップだったのに、もう一軒行こうということで付いていった。そこでもビールを2杯飲んで、かなり足もとがふらついたまま家に帰った。よくぞたどり着いたと思う。
 久々に、朝起きるのがつらい感じだった。
 まだ、未消化のアルコールが残っている感じがする。
 日曜出勤で、月曜も仕事というのは、やはりつらいなあ。
 

投稿者:at Sushiat 06:35 | 日記 | コメント(0)

2011年10月30日

いよいよ本番

 とうとう発表会の当日となった。
 細かな準備が気になって、いつもより早く出かけた。
 発表の服装に着替える前に声だしをすると聞いていたのに、さっさと着替えたり、早めに控え室に行ったり、指示がバラバラで戸惑った。まあ、いつものことである。
 発表会の出番は一番。予定時刻に会場の隅でスタンバイをしたが、そのときになって、服装の飾りをどこかになくしたという子どもがいてあわてさせられた。
 発表の方は、順調に進むかに見えたが、2曲目の途中で伴奏者が勘違いをして最後の部分を弾いてしまって、曲が終わってしまいそうになった。その部分だけを歌い直すことになってちょっと焦った。
 3曲目はその影響を引きずらずに歌いきることができてよかった。
 とにかく、すべて終わってほっとした。
 他のプログラムでは、照明の仕事を手伝っていたが、演劇の途中でせりふが飛んでしまったプログラムがあったらしいと後で聞いた。最後の全員合唱では、入場の仕方を間違えるグループがあって、進行係が困っていたが、大きな問題にはならずに進められた。
 今晩は打ち上げパーティーがある。おいしいものを食べて、おいしいお酒を飲んで、心に区切りをつけよう。

投稿者:at Sushiat 17:12 | 日記 | コメント(0)

2011年10月29日

みさと村の今は

 今日、ひょんなところで、久しぶりにみさと村の人にあった。なつかしかった。
 しかし、みさと村の様子は、あまり芳しいものではなかった。かわいい子どもたちが、ちょっと息苦しさを感じながら暮らしているらしい様子がうかがえた。
 世の中、常住不変とはいかないものだ。昨年までお世話になった方が、怪我をして療養中との話も聞いた。これまた心配なことである。
 来週は、みさと村の学習発表会。残念ながら行けないのでよろしくと言うつもりが、ついその言葉を飲み込んでしまった。

投稿者:at Sushiat 17:54 | 日記 | コメント(0)

早かった一週間

 朝、新聞のテレビ欄を見ていると、妖怪人間ベムがあった。
 あれ、つい最近、家内とこの話をした気がして、それからもう1週間過ぎてしまったことに気づいた。なんと早かったことだろう。
 何かに夢中で走り続けて、気がつくといろいろなことを犠牲にしながら、大切な日々を感慨もなく通り過ぎていってしまっているようで、こんなことでよいのだろうかと思ってしまう。
 明日は、いよいよ発表会、代休が先に延びているので、明後日も仕事だ。

投稿者:at Sushiat 08:45 | 日記 | コメント(0)

2011年10月28日

最後の練習

 今日金曜日は、発表会前の最後の練習日だ。
 なぜか、今日は、いつも口やかましい音楽の先生が、静かだった。今日の声は美しいとのこと。まあ、よかった。でも、いろいろな音を気にしながら聞いていると、くらっと貧血になりそうだった。

 残念ながら、手拍子合奏の方は、かなりよくなったとはいえ、最後まで
合わないままだった。付点四分音符、八分音符の繰り返しがうまくいかないのだ。音楽の先生が、あまり気になっていないようなので、それでよいことになった。
 
 午後からは、会場準備があった。子どもたちは、それぞれの担当場所でよく働いていた。

 いよいよ明後日が本番だ。それで、これまで取り組んできたことがすべて終わる。

投稿者:at Sushiat 17:45 | 日記 | コメント(0)

2011年10月27日

来年小学生になる子どもたち

 新入生健診のお手伝いをした。
 緊張しながら検診を受ける子どもたちは、いつもながら初々しくてかわいいものである。
 つばめ野に来て、初めての経験だが、なかなかよい子どもたちで、健診のためにママと離れたからと泣き出す子どもは一人だけだった。その子どもは、自分の担当の部屋へは来なかったが、まもなく泣き止んで、無事健診を進めることができたようだった。
 スクリーニングという知能検査のようなものも行った。反応の早い子どもたちが多く助かった。それでも、説明を短くしててきぱき進めないと子どもたちの根気が切れてしまうと思って、がんばってせつめいするようにした。予定では、2グループに実施したら終わる予定だったのに、他の部屋との進行状況の違いで、3グループめも担当することになり、これは疲れた。
 かわいい子どもたちが、来年元気に入学してくるといいなと思いつつ見送った。

投稿者:at Sushiat 17:45 | 日記 | コメント(0)

2011年10月22日

文科省のホームページにだまされた

 この夏に、仕事の関係で、この春に一部改正になった法律について調べていて、文部科学省のホームページと法務省のホームページをあれこれと見ていて、どこがどう変わったのか分からなくて困ったことがあった。どうも、改正したけれど、ホームページ上では、改正後の条文をきちんと載せていないんだということが分かった。
 さて、文部科学省の別の省令についてである。今年から実施になった省令について、ポイントをまとめるために、文部科学省のホームページからダウンロードした文書を使っていた。ところが、改正の要点を書いた文書と、自分がまとめたものが、どうも食い違うことに今日になって気づいた。改めて文書として発行されている省令を見てみたら、全然違っている点がたくさんある。
 参った。文部科学省のホームページには、一昔前(文字通り10年前)の省令がそのまま載っているのである。ちょっとひどいなあ。この省令を改正するように指示したのが、中山さんというちょっと過激なことをいう自民党の文部科学大臣で、自民党政権の置きみやげのようなものなので、民主党政権が放置しているのだろうか。そんなことを考えてみたくなるお粗末である。

投稿者:at Sushiat 23:11 | 日記 | コメント(0)

ソラニン2

 後半を見終わったところ、
 最後のライブでの歌は、心にしみるものがあった。じーんと来た。
 桐谷健太も、宮崎あおいも、がんばって演奏した。多少吹き替えもあるのだろうが、なかなかよくやっていると思う。
 ベースの小太りの男が、見かけない俳優で、主役級をやっているのに不思議だと思ったら、プロのミュージシャンだった。味わいのある役者である。
 それはそうと、高良健吾演じる恋人の遺品を整理しに出てくる父親が、財津和夫なのにはまいった。
 もう一度見直したい映画だった。

投稿者:at Sushiat 11:33 | 日記 | コメント(0)

ソラニン

 今週も、無性に映画が見たくなった。
 やはり、以前からいつか見ようと思っていた「ソラニン」を見ることにした。
 高良健吾である。主演は宮崎あおいなのだが、高良健吾が気になる。いい味だしている。
 まだ、半分しか見ていないが、彼が亡くなって、この後、どんな展開があるのだろう。
 ちなみに、伊藤歩も出ている。定番といったところか。若者たちの中では、ちょっとお姉さんっぽい役を演じていて、それなりに年齢を加えながら役を演じている感じである。

投稿者:at Sushiat 06:37 | 日記 | コメント(0)

2011年10月20日

イシノヒカル、おまえは走った

 敗れざる者たちの一遍である。
 競馬の物語というと優駿を思い出す。
 イシノヒカルというのは、実際、すばらしい戦績を残した馬らしい。もっとも、子孫たちは、あまりパットしないようで、そういう意味では語られることのない馬のようである。
 これを読むと、馬を生産する牧場、買い取って世話する調教師、馬丁、騎手などの、生活ぶりが分かる。スポンサーとなる馬主のこと、賞金の分配率、お金の動きなど、初めて知ることがあっておもしろい。馬の世話って、朝型の仕事なんだなあ。
 騎手を巡るやりとりもおもしろい。名騎手に名馬が集まる仕組みである。
 イシノヒカルは、結局追いつけなかった。この本の決まり事ではあるが、イシノヒカルの勝利ではなく、惜しくも敗れたことを描いて終わるところがおもしろい。
 誰しも、勝ってばかりいることはできないし、敗北を糧に勝利をつかむのだと伝えている。

投稿者:at Sushiat 22:33 | 日記 | コメント(0)

2011年10月19日

クレイになれなかった男

 敗れざる者たちの最初の話である。
 カシアス内藤という選手がいたことも、当時のボクシング事情も知らない。
 ボクシングは、時々スターが登場するが、あまり長続きしないうちに負け、潮が引くようにブームが去っていく。
 今のTBSのように必死で盛り上げようとしている人たちが当時もいたのかも知れない。ちなみに亀田は好きになれない。
 この文章の初出が昭和48年だから、占領軍から朝鮮戦争に移行していく頃に生まれたハーフの少年がカシアス内藤だということだな。
 あしたのジョーの場面を引き合いに出しながら、才能がありながら輝けなかったボクサーを、ここぞというときに決めきれなかったチャンスをつかめなかったボクサーを描いている。その姿が、何となく自分に重なって見えたりする。いやいや、自分はその才能すらないのだとふと思う。
 ネットで調べてみたら、カシアス内藤はボクシングジムをやっていて、息子が、ボクシングで優秀な成績を収めているらしい。プロとしての活躍はないのか、これからなのか、そこは分からない。とりあえず、彼はそんな形でがんばって生きているのだ。それでいいのだと思う。

投稿者:at Sushiat 22:45 | 日記 | コメント(0)

2011年10月18日

子どもたちの音楽会

 ずっと子どもたちと取り組んできた合唱の発表の場だった。
 7月から練習をしてきたが、初めから、なんかこれまで取り組んできた合唱とは雰囲気の違うものを感じていた。
 第一、のびのび楽しむ雰囲気がまるでない。
 美しい歌声は大切だ。しかし、だからといって楽しく歌うことを否定しすぎると、全くつまらない。
 合唱指導の先生は、言っていることはわかるのだけれど、育て方についてどうも完成形への道筋をどのように考えておられるかがよく分からない。ひたすら子どもたちがなっていないとしかり飛ばすばかりである。
 音楽会を前にすると、いよいよ熱がこもって、今日のリハーサルも、指揮者をそっちのけに言いたい放題のことを言って、やりたいように指導しておられた。これで指揮をさせられる人は、大変である。子ども以上に頭が混乱して、分けが分からなくなるだろう。
 さて、音楽会に参加してみて、分かった。あるグループが、美しいんだけど味気ない合唱を披露した。それで分かった。あの先生は、こんなのをよいと思っていたんだ。こんな歌声を作りたかったんだ。それなら最初から、ビデオなりを見せて、こんなのを目標にしていると教えてほしかった。わたしは完全に手を引くべきだった。美しいけど味気ない歌声は大嫌いだ。子どもらしいパワーをもっと前面に出さなきゃ。
 そういえば、「怪獣のバラード」を演奏したグループがあった。これなどは、子どものパワー全開で歌う曲である。しかし、あまり上手ではなかった。これなども、美しい歌声フィルターで、取り組みが中途半端だったり、高音がうまく出せなくて、二部合唱になるところがバランスが悪くなったりするためである。それなら移調して歌うべきだ。
 最後に演奏したグループは、美しさと元気よさをバランスよく備えていて、子どもたちにも感動を与えていた。
 自分的には、よい勉強をしたと思うが、むなしさも残る。

投稿者:at Sushiat 17:45 | 日記 | コメント(0)

2011年10月17日

さらば 宝石

 敗れざる者たちの一遍である。
 この文書を見るまで、こんなすごい選手が存在したことすら知らなかった。Eという名前で描かれる選手、張本さんかなと思ったが、張本は、ロッテではなかった。
 すごい選手が、自分の実力を十分に発揮できぬままにつぶれていった話、もの悲しい。
 ネットで調べたら、今も存命であるという。今もトレーニングをしているらしいという。まさにあきらめないやつ、敗れざる者たちである。

投稿者:at Sushiat 22:35 | 日記 | コメント(0)

2011年10月16日

半分の月が昇る空

 朝方、まだ映画を見足りない気がして、もう一つ見てしまった。
 忽那しおり主演、大泉洋も出ている。軽い青春ものの予感がしたが、確かにそういう面もあったが、なかなか見応えがあった。
 肝臓病の少年と、心臓病の少女の出会い、それに絡むような外科医だが、手術の失敗を気に病んで、執刀できなくなっている。それが大泉洋である。
 初め、少年少女との出会いの中で、この医者が、医師としての自分に目覚めていく物語だと思っていた。しかし、後半になって妙なことに気づく、大泉洋が担当しようとしている患者は、忽那しおりではないのである。
 同時代の物語が並行しているように見せて、実は、全く違う時代の物語が展開していたことに気づかされ、物語のからくりがようやく見えてくる。
 ちなみに、映画の展開は、原作の小説とは違うらしい。また、エンドクレジットを見て、今話題の子役が出演していることを知って、見直してしまった。大泉洋の子ども役の幼少期を演じていた。ほとんど顔の出ない役なので、わからなかった。
 はっきり言って、忽那しおりも、相手役の男の子も、演技は上手ではない。忽那しおりは、活舌のうまくないところもある。しかし、青春真っ盛りのニキビ顔で演じている少女役に妙に引き込まれてしまった。劇中劇での化粧顔は、まさしく美人、きれいである。

投稿者:at Sushiat 07:00 | 日記 | コメント(0)

2011年10月15日

カケラ

 一週間の仕事に疲れた金曜日の晩は、妙に映画が見たくなる。
 以前から貯めていた映画の中から、「カケラ」を選んでみた。
 今活躍中の満島ひかる主演である。
 淡々とした調子で物語が進むが、描かれている世界は、けっこう独特である。
 見た後でわかったが、監督は、女性である。安藤もも子というのは、奥田英二の娘?

投稿者:at Sushiat 23:22 | 日記 | コメント(0)

2011年10月13日

長距離ランナーの遺書

 敗れざる者たちの一遍である。
 三人の三塁手の次に、何となくこれを読んでしまった。
 東京オリンピックの印象はない。ただ、円谷幸吉が自殺したというニュースは幼いながらによく覚えている。次のオリンピックで、ライバルだった君原健二がメダルを取ったことも覚えている。君原は、その次のオリンピックでも渋く活躍したような記憶がある。
 まっすぐな人間の弱さのようなものを感じた自殺だったといいう記憶があった。
 この文章を読んでみて、改めて彼のたどった道が見えてきた。時代の背景も色濃く影響したことだろう。
 入場行進で軍隊式の整然とした行進が国民の批判を受ける時代にはまだまだある。国民の期待に押しつぶされまいと、「楽しむ」ということを強調するようになる時代でもなかった。
 きまじめすぎる人間がつぶれていく様は、悲しい。きっと残された人々は、彼の意志を継いで、生き、後進を育てていくしかないのだろう。
 ニュースで体操日本の活躍を見て、長い時間をかけて彼らの活躍が準備されてきたように思い。ある面で、日本のスポーツも確実に進化しているように思えてうれしい。

投稿者:at Sushiat 22:34 | 日記 | コメント(0)

2011年10月9日

敗れざる者たち

 沢木耕太朗のスポーツドキュメント作品である。
 日曜日朝のラジオ番組で取り上げていて、関心を持って、その日のうちに本屋で見つけてきた。
 スポーツドキュメントといえば、山際淳二なのだが、声もなかなか良さそうだ。
 早速取り上げられていた3人の三塁手を読んでみた。長嶋茂雄の陰に、こんな人々のドラマがあったとは知らなかった。
 水商売に転じて行方知れずになっている一人は別として、後の二人のどちらが人生の成功者と呼べるのか難しいところであろう。
 自分なら、野球をあきらめてプロデューサーに転じた男の人生を良しとしたい気持ちである。
 なかなか忙しくて、本を読むよりも山積みの課題を片づけなくてはいけない毎日であるが、是非続きを読みたい。

投稿者:at Sushiat 19:23 | 日記 | コメント(0)

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