2010年7月31日
東北の旅 10 山寺へ
原敬記念館を出て、盛岡南ICまで、携帯ナビの誘導に従った。どうも、MapFanの行程地図よりも遠回りをしたように思えてならない。その代わり、曲がりの少ない道だったのだろう。道路は東北新幹線と並行して走っていた。そういえば、新幹線の走る姿とは一度も遭遇していない。
高速に乗る前に、給油する。16L。盛岡はガソリンが安い。128円だった。これで山寺までは大丈夫。早く安全に向かおう。
村田JCTまで東北道を南下する。仙台の辺りで、道路脇の広くなったところに覆面パトカーが止まっているのが見えた。我々が通り過ぎるのを見て、急いで車に飛び乗ったような様子がサイドミラーに見えた。やばい。バックミラーを注視しながら走行車線を走る。何となく後続の車が追い越し車線を走らなくなったように感じる。覆面パトカーの姿は見えないのだが、明らかにみんなスピードの出し方が慎重である。私も速度計を注視しながら、やむなく先行車両を抜くときは、バックミラーを見ながら手早く、しかもスピードを抑えて抜くようにした。
そうこうするうちに、後ろから、とんでもないスピードで走ってくる車が現れた。どうも、パトカーは気にしなくてもよくなったようである。でも、速度は抑えめに走る。
村田JCTで、山形道に入る。のどかな感じ。それはよいのだが。なぜか追い越し車線が走行車線よりも遅れるようになった。4,5台前の赤い車が詰まっているようだ。わたしの前にいた車は、タイミングを見計らって走行車線に移って前に行くようになり、私がその赤い車の後ろについた。追い越し車線を時速80キロで走っていた。それは非常識だろう。走行車線があいたところを見計らって、そちらから追い抜いた。
ようやく山寺北ICを下りたと思ったら、行き先の道路標示が地図と違っていた。地図では、一度ぐっと南下してから北上することになっていた。その方がわかりやすいと言えばわかりやすい道である。道路標示は。高速からそのまま北上するルートである。どのみちいずれ合流するのであるが、ちょっとどきどきする。
道なりに進むと、山寺の町に着いた。今日の宿はどこか。ちょっと行き過ぎて戻ってみると、駅前に看板があった。駅前そのものである。
店の脇の5台ほど停まれる駐車場の奥の方に車を停めた。ぎりぎり6時前に着いた。予定時刻に間に合ってほっとする。
チェックインする。民宿である。バストイレなしの部屋であるが、ベッドは2台備えられていて、かなり広い。
ほっと一息で、龍泉洞ビールを一杯飲む。するとすぐに、食事ですという案内があった。
夕食は結構盛りだくさんだった。おいしかった。おいしい冷酒を注文した。おいしいので1本飲みきってしまった。
同宿の方は、埼玉から来て、山形の方を観光してこられた熟年カップルと、どこから来られたかはわからないが、やはり熟年カップルだった。
夕食後、山寺を下見に行った。町の人々が、道に沿ってろうそくの明かりを並べておられて、風情があった。どこが参詣の入り口かわからず。ここらしいと思ったところから階段を上っていった。入山口には、夜6時から翌朝6時までは入山禁止との看板があったが、別に門が閉まっているわけではない。ただ、暗いので、その先へ進む気にはなれなかった。
宿に戻って、家庭の風呂のようなお風呂に入って、部屋でビールの残りを飲んだ。
水の音と虫の声が響いて、そのほかの物音は一切しない。静かである。
高速に乗る前に、給油する。16L。盛岡はガソリンが安い。128円だった。これで山寺までは大丈夫。早く安全に向かおう。
村田JCTまで東北道を南下する。仙台の辺りで、道路脇の広くなったところに覆面パトカーが止まっているのが見えた。我々が通り過ぎるのを見て、急いで車に飛び乗ったような様子がサイドミラーに見えた。やばい。バックミラーを注視しながら走行車線を走る。何となく後続の車が追い越し車線を走らなくなったように感じる。覆面パトカーの姿は見えないのだが、明らかにみんなスピードの出し方が慎重である。私も速度計を注視しながら、やむなく先行車両を抜くときは、バックミラーを見ながら手早く、しかもスピードを抑えて抜くようにした。
そうこうするうちに、後ろから、とんでもないスピードで走ってくる車が現れた。どうも、パトカーは気にしなくてもよくなったようである。でも、速度は抑えめに走る。
村田JCTで、山形道に入る。のどかな感じ。それはよいのだが。なぜか追い越し車線が走行車線よりも遅れるようになった。4,5台前の赤い車が詰まっているようだ。わたしの前にいた車は、タイミングを見計らって走行車線に移って前に行くようになり、私がその赤い車の後ろについた。追い越し車線を時速80キロで走っていた。それは非常識だろう。走行車線があいたところを見計らって、そちらから追い抜いた。
ようやく山寺北ICを下りたと思ったら、行き先の道路標示が地図と違っていた。地図では、一度ぐっと南下してから北上することになっていた。その方がわかりやすいと言えばわかりやすい道である。道路標示は。高速からそのまま北上するルートである。どのみちいずれ合流するのであるが、ちょっとどきどきする。
道なりに進むと、山寺の町に着いた。今日の宿はどこか。ちょっと行き過ぎて戻ってみると、駅前に看板があった。駅前そのものである。
店の脇の5台ほど停まれる駐車場の奥の方に車を停めた。ぎりぎり6時前に着いた。予定時刻に間に合ってほっとする。
チェックインする。民宿である。バストイレなしの部屋であるが、ベッドは2台備えられていて、かなり広い。
ほっと一息で、龍泉洞ビールを一杯飲む。するとすぐに、食事ですという案内があった。
夕食は結構盛りだくさんだった。おいしかった。おいしい冷酒を注文した。おいしいので1本飲みきってしまった。
同宿の方は、埼玉から来て、山形の方を観光してこられた熟年カップルと、どこから来られたかはわからないが、やはり熟年カップルだった。
夕食後、山寺を下見に行った。町の人々が、道に沿ってろうそくの明かりを並べておられて、風情があった。どこが参詣の入り口かわからず。ここらしいと思ったところから階段を上っていった。入山口には、夜6時から翌朝6時までは入山禁止との看板があったが、別に門が閉まっているわけではない。ただ、暗いので、その先へ進む気にはなれなかった。
宿に戻って、家庭の風呂のようなお風呂に入って、部屋でビールの残りを飲んだ。
水の音と虫の声が響いて、そのほかの物音は一切しない。静かである。
投稿者:at Sushiat 22:11 | 日記 | コメント(0)
東北の旅 9 盛岡観光
盛岡に向かう。MapFanの時間計算では、3時間近くかかることになっていたが、昨晩見直して、2時間と予想した。
途中山道が続く。前を走る車がのろい。急にスピードを上げてみるかと思うと、やたら遅く走ったりする。いらいらするが対向車や、見通しの悪い道路のせいで、抜くに抜けず、いらいらが募る。ようやくまっすぐな道路に出て、一気に抜き去ったときにはほっとした。その後はそこそこ走ってくれる車の後についたので安心して走れた。1台、どうもゆっくり行きたいらしい家族連れがいたが、すぐに停車して後ろの車に進路を譲ってくれた。こういう心遣いがうれしい。
走りながら思うのは、このあたりのコンビニはローソンが多いことだ。
盛岡には、予定よりさらに早く12時前に着いた。ただ、駐車場に困った。せっかくだから盛岡城址を見たいと思ったが、周辺の駐車場がよくわからない。城跡を通り過ぎたら、そこは一方通行の道路で、直進できず、道路脇のコンビニでUターンして、エスポワール岩手というビルの地下駐車場に駐車した。2階のレストランで食事をすれば、1時間無料とのこと。どうするかは後で考えようと思いつつ、岩手城址を目指す。
石垣の巨石が、在りし日のお城の姿を思わせるが。城址そのものは全く影も形もない。ここは石川啄木の歌にある不来方の城である。啄木の歌碑があった。また、盛岡は新渡戸稲造のふるさとである。記念碑があった。天守閣とおぼしきところには。巨大な銅像の台座が残っていた。しかし、肝心の銅像はない。戦時中に供出されたのだとか。戦後60数年になるが、未だに復元しようという動きはないのか。桜山神社との境目付近に烏帽子岩なるものがあった。桜山神社の額の文字は新渡戸という人物が書いている。稲造の子孫かと思ったが、後で先人記念館へ行ってわかったが、明治時代の有名な書家であった。稲造との関係はわからない。神社の脇に「戊申戦役殉難者慰霊の碑」とある。揮毫は南部利美という方。このあたりの歴史も、勉強せねばならない。裏には由来の碑文がある。光の関係で、写真に撮れなかった。これも後でわかったのだが、この文章自体が有名なもののようであった。
城跡を後にして、盛岡地方裁判所の石割桜を見に行く。なるほど、大きな石が真っ二つになって、その真ん中に桜の木がそびえていた。あまりに鮮やかで、感動するよりあっけにとられる感じがした。
エスポワール岩手に戻る。本当は盛岡冷麺を食べたかったのだが、エスポワールのレストランには冷麺はなかった。一番手頃なジャンバラヤというのを頼んで、お茶とサラダはバイキング方式ということで、サラダをたっぷりと頂く。レストラン中央の席にはおじいさんがたたずんでいて、のんびりとテレビを見ていた。そのテレビがXゲームのようなものをやっていて、ちょっと旅気分ではない。支払いの時に聞いたら、エスポワールというのは要するに地方公務員会館だった。
地下駐車場を出るときに、いつも出口で支払いをする駐車場しか使っていないものだからそのつもりで車を動かして、係のおじさんにびっくりされた。ここは事前精算方式だった。
今日は、6時に山寺に着かなくてはならないので、計算上は、3時には盛岡を出なくてはいけない。MapFanの時間計算で3時間半と出たのを3時間あればいいだろうと見積もってのことなのだが、携帯のナビでは、たっぷり4時間はかかると計算されている。ちょっとどきどきものである。
先人記念館へ向かう。市街地での地図に自信がなかったので、携帯ナビに頼った。結果的には、良くもあり悪くもあった。というのは、先人記念館は、高架の下にある感じなので、「目的地付近です」というばかりで、ナビは今一頼りにならなかったのだ。
途中通った川(たぶん北上川)は、上流でかなり雨が降った模様で、真茶色の水が川幅一杯にあふれていた。盛岡駅は、上が新幹線で下が在来線という立体構造になっているようだった。その真ん中を突っ切って道路が交差している。
先人記念館で、2館共通券というのを勧められる。入って、まずビデオ資料で、新渡戸稲造を見て、館内の見学に移る。まずはじめに金田一京助の部屋というのを見る。啄木と親交があったというのは知らなかった。続いて、2階の方を見るが、そこに飾られている岩手の先人たちは、知らない人ばかりで、ちょっと時間のゆとりがないもので、じっくりと見ていられない。肝心の新渡戸稲造の部屋はどこかと1階に下りてみたら、先ほどビデオを見たエントランスの左手がそうだった。ついでに、米内光政の部屋も見る。背くらべの銅像があったが、米内さんはかなり大きい人だということがわかった。
新渡戸の部屋は。感動的だった。クリスチャンというが、クエーカー教徒である。今の東京外国語大学の前身に学んで、その後北海道大学の前身に入学し、アメリカに留学したということ。アメリカ大統領のウィルソンは大学の同期生だということ。驚いた。かつての5000円札の第2号が展示してあった。造幣局から贈られたのものだという、これもまた感動的ではないか。
先人記念館を出て、原敬記念館へ向かう。当初徒歩で行こうと思っていたが。駐車場の心配がないということで、高速に向かう進行方向でもあり、車で行くことにする。昔の家、といっても実際よりは規模が5分の1に縮小したものだが、なかなか趣があってよいと思う。庭の栗の木とか由緒ある梨の木とか、往事の雰囲気を味わえた。中の展示物は、書が中心で、じっくりと見ていられないのが残念だった。そういえば、暗殺されたんだったなあと、気づかされるあたり、歴史の学習が足りない悲しさである。
2時50分、原敬記念館を出る。
途中山道が続く。前を走る車がのろい。急にスピードを上げてみるかと思うと、やたら遅く走ったりする。いらいらするが対向車や、見通しの悪い道路のせいで、抜くに抜けず、いらいらが募る。ようやくまっすぐな道路に出て、一気に抜き去ったときにはほっとした。その後はそこそこ走ってくれる車の後についたので安心して走れた。1台、どうもゆっくり行きたいらしい家族連れがいたが、すぐに停車して後ろの車に進路を譲ってくれた。こういう心遣いがうれしい。
走りながら思うのは、このあたりのコンビニはローソンが多いことだ。
盛岡には、予定よりさらに早く12時前に着いた。ただ、駐車場に困った。せっかくだから盛岡城址を見たいと思ったが、周辺の駐車場がよくわからない。城跡を通り過ぎたら、そこは一方通行の道路で、直進できず、道路脇のコンビニでUターンして、エスポワール岩手というビルの地下駐車場に駐車した。2階のレストランで食事をすれば、1時間無料とのこと。どうするかは後で考えようと思いつつ、岩手城址を目指す。
石垣の巨石が、在りし日のお城の姿を思わせるが。城址そのものは全く影も形もない。ここは石川啄木の歌にある不来方の城である。啄木の歌碑があった。また、盛岡は新渡戸稲造のふるさとである。記念碑があった。天守閣とおぼしきところには。巨大な銅像の台座が残っていた。しかし、肝心の銅像はない。戦時中に供出されたのだとか。戦後60数年になるが、未だに復元しようという動きはないのか。桜山神社との境目付近に烏帽子岩なるものがあった。桜山神社の額の文字は新渡戸という人物が書いている。稲造の子孫かと思ったが、後で先人記念館へ行ってわかったが、明治時代の有名な書家であった。稲造との関係はわからない。神社の脇に「戊申戦役殉難者慰霊の碑」とある。揮毫は南部利美という方。このあたりの歴史も、勉強せねばならない。裏には由来の碑文がある。光の関係で、写真に撮れなかった。これも後でわかったのだが、この文章自体が有名なもののようであった。
城跡を後にして、盛岡地方裁判所の石割桜を見に行く。なるほど、大きな石が真っ二つになって、その真ん中に桜の木がそびえていた。あまりに鮮やかで、感動するよりあっけにとられる感じがした。
エスポワール岩手に戻る。本当は盛岡冷麺を食べたかったのだが、エスポワールのレストランには冷麺はなかった。一番手頃なジャンバラヤというのを頼んで、お茶とサラダはバイキング方式ということで、サラダをたっぷりと頂く。レストラン中央の席にはおじいさんがたたずんでいて、のんびりとテレビを見ていた。そのテレビがXゲームのようなものをやっていて、ちょっと旅気分ではない。支払いの時に聞いたら、エスポワールというのは要するに地方公務員会館だった。
地下駐車場を出るときに、いつも出口で支払いをする駐車場しか使っていないものだからそのつもりで車を動かして、係のおじさんにびっくりされた。ここは事前精算方式だった。
今日は、6時に山寺に着かなくてはならないので、計算上は、3時には盛岡を出なくてはいけない。MapFanの時間計算で3時間半と出たのを3時間あればいいだろうと見積もってのことなのだが、携帯のナビでは、たっぷり4時間はかかると計算されている。ちょっとどきどきものである。
先人記念館へ向かう。市街地での地図に自信がなかったので、携帯ナビに頼った。結果的には、良くもあり悪くもあった。というのは、先人記念館は、高架の下にある感じなので、「目的地付近です」というばかりで、ナビは今一頼りにならなかったのだ。
途中通った川(たぶん北上川)は、上流でかなり雨が降った模様で、真茶色の水が川幅一杯にあふれていた。盛岡駅は、上が新幹線で下が在来線という立体構造になっているようだった。その真ん中を突っ切って道路が交差している。
先人記念館で、2館共通券というのを勧められる。入って、まずビデオ資料で、新渡戸稲造を見て、館内の見学に移る。まずはじめに金田一京助の部屋というのを見る。啄木と親交があったというのは知らなかった。続いて、2階の方を見るが、そこに飾られている岩手の先人たちは、知らない人ばかりで、ちょっと時間のゆとりがないもので、じっくりと見ていられない。肝心の新渡戸稲造の部屋はどこかと1階に下りてみたら、先ほどビデオを見たエントランスの左手がそうだった。ついでに、米内光政の部屋も見る。背くらべの銅像があったが、米内さんはかなり大きい人だということがわかった。
新渡戸の部屋は。感動的だった。クリスチャンというが、クエーカー教徒である。今の東京外国語大学の前身に学んで、その後北海道大学の前身に入学し、アメリカに留学したということ。アメリカ大統領のウィルソンは大学の同期生だということ。驚いた。かつての5000円札の第2号が展示してあった。造幣局から贈られたのものだという、これもまた感動的ではないか。
先人記念館を出て、原敬記念館へ向かう。当初徒歩で行こうと思っていたが。駐車場の心配がないということで、高速に向かう進行方向でもあり、車で行くことにする。昔の家、といっても実際よりは規模が5分の1に縮小したものだが、なかなか趣があってよいと思う。庭の栗の木とか由緒ある梨の木とか、往事の雰囲気を味わえた。中の展示物は、書が中心で、じっくりと見ていられないのが残念だった。そういえば、暗殺されたんだったなあと、気づかされるあたり、歴史の学習が足りない悲しさである。
2時50分、原敬記念館を出る。
投稿者:at Sushiat 14:55 | 日記 | コメント(0)
東北の旅 8 龍泉洞へ
朝起きたのは、6時だった。眠気覚ましに風呂に入る。ゆっくりとお湯につかると、気分がすっきりとしてくる。
朝食は、2階のホールでとのことで、行ってみると、すでに食事を終えて帰っていく人が多い。私はといえば、龍泉洞があく時刻に行けばよいのだからのんびりである。朝食も、結構盛りだくさんだった。特産の味噌は、自由に皿に盛って食べてくださいということで、おいしかったので、おかわりした。いったん部屋に戻って、出発の支度をしてから土産を買いに売店に行く。職場と教会用に南部せんべいを買って、家には、ウニ椎茸味噌というのを買う。ふと思いついて、龍泉洞が開く時刻を聞くと、8時半だという。しかも、前売り券を販売していてお得だという。もう8時半である。早速購入して、急いでチャックアウトした。昨日の生ビールは780円。結構高かった。
龍泉洞に着くと、8時45分だった。あたりは薄曇りで、川霧が立ちこめている。すごく暑くはないが、けして涼しくはない。洞内は気温10度という情報だったので、一応長袖のシャツを持って車を出る。お姉さんがチケット売り場の案内をしていたが、、前売り券を持っているので、まっすぐ洞の入り口に向かう。入るとすぐに冷風のエアシャッター。これは半端な冷たさではない。いったんエアシャッターの外に出て、長袖を着直して洞内に入る。通路の幅は狭いが、上下の広がりがすごい。地底湖というのが想像を超えて神秘的で感動した。若者カップルが多いが、中に、老夫婦とその娘らしい3人組がいた。観光客そのものは多くないと思った。3番目の地底湖まで行くと、階段で洞の天井付近まで行って下りてくる構造になっている。洞内を上から観察することになって、視野が広がる。ちょっと老夫婦には階段がきついようだががんばって上っておられた。
洞内から出ると、気温と湿度の差に、カメラが結露して全く使えなくなってしまった。皇太子が訪問した際の碑文などをとっておきたかったが残念。土産物屋に入ってクーラーの風に当たれば結露は収まるのではないかと思ったが、残念、クーラーは入っていなかった。あきらめて、道路向かいの新洞科学館というところに入る。わざわざ洞内の自然環境を守るために撮影禁止と書いてあったので、期待したが、もうすでに洞内環境は痛んでいた。見るべきものはなかった。新洞を出ると、出口はかなり下手の道路に面していた。町営駐車場が、かなり手前にもうけてあったのはこのためかと納得。観光会館に戻ると、両親と自分のためにビールを、自分のために水を買う。お土産用のビールは箱入りを、自分用は冷やしてあるものを買う。今晩お宿で飲もう。
予定では、9時から10時半を龍泉洞見学と考えていたが、今日のスタートが早かった分、龍泉洞の出発も早まって、10時に盛岡へ向かうことにした。
朝食は、2階のホールでとのことで、行ってみると、すでに食事を終えて帰っていく人が多い。私はといえば、龍泉洞があく時刻に行けばよいのだからのんびりである。朝食も、結構盛りだくさんだった。特産の味噌は、自由に皿に盛って食べてくださいということで、おいしかったので、おかわりした。いったん部屋に戻って、出発の支度をしてから土産を買いに売店に行く。職場と教会用に南部せんべいを買って、家には、ウニ椎茸味噌というのを買う。ふと思いついて、龍泉洞が開く時刻を聞くと、8時半だという。しかも、前売り券を販売していてお得だという。もう8時半である。早速購入して、急いでチャックアウトした。昨日の生ビールは780円。結構高かった。
龍泉洞に着くと、8時45分だった。あたりは薄曇りで、川霧が立ちこめている。すごく暑くはないが、けして涼しくはない。洞内は気温10度という情報だったので、一応長袖のシャツを持って車を出る。お姉さんがチケット売り場の案内をしていたが、、前売り券を持っているので、まっすぐ洞の入り口に向かう。入るとすぐに冷風のエアシャッター。これは半端な冷たさではない。いったんエアシャッターの外に出て、長袖を着直して洞内に入る。通路の幅は狭いが、上下の広がりがすごい。地底湖というのが想像を超えて神秘的で感動した。若者カップルが多いが、中に、老夫婦とその娘らしい3人組がいた。観光客そのものは多くないと思った。3番目の地底湖まで行くと、階段で洞の天井付近まで行って下りてくる構造になっている。洞内を上から観察することになって、視野が広がる。ちょっと老夫婦には階段がきついようだががんばって上っておられた。
洞内から出ると、気温と湿度の差に、カメラが結露して全く使えなくなってしまった。皇太子が訪問した際の碑文などをとっておきたかったが残念。土産物屋に入ってクーラーの風に当たれば結露は収まるのではないかと思ったが、残念、クーラーは入っていなかった。あきらめて、道路向かいの新洞科学館というところに入る。わざわざ洞内の自然環境を守るために撮影禁止と書いてあったので、期待したが、もうすでに洞内環境は痛んでいた。見るべきものはなかった。新洞を出ると、出口はかなり下手の道路に面していた。町営駐車場が、かなり手前にもうけてあったのはこのためかと納得。観光会館に戻ると、両親と自分のためにビールを、自分のために水を買う。お土産用のビールは箱入りを、自分用は冷やしてあるものを買う。今晩お宿で飲もう。
予定では、9時から10時半を龍泉洞見学と考えていたが、今日のスタートが早かった分、龍泉洞の出発も早まって、10時に盛岡へ向かうことにした。