2010年07月31日
東北の旅 9 盛岡観光
盛岡に向かう。MapFanの時間計算では、3時間近くかかることになっていたが、昨晩見直して、2時間と予想した。
途中山道が続く。前を走る車がのろい。急にスピードを上げてみるかと思うと、やたら遅く走ったりする。いらいらするが対向車や、見通しの悪い道路のせいで、抜くに抜けず、いらいらが募る。ようやくまっすぐな道路に出て、一気に抜き去ったときにはほっとした。その後はそこそこ走ってくれる車の後についたので安心して走れた。1台、どうもゆっくり行きたいらしい家族連れがいたが、すぐに停車して後ろの車に進路を譲ってくれた。こういう心遣いがうれしい。
走りながら思うのは、このあたりのコンビニはローソンが多いことだ。
盛岡には、予定よりさらに早く12時前に着いた。ただ、駐車場に困った。せっかくだから盛岡城址を見たいと思ったが、周辺の駐車場がよくわからない。城跡を通り過ぎたら、そこは一方通行の道路で、直進できず、道路脇のコンビニでUターンして、エスポワール岩手というビルの地下駐車場に駐車した。2階のレストランで食事をすれば、1時間無料とのこと。どうするかは後で考えようと思いつつ、岩手城址を目指す。
石垣の巨石が、在りし日のお城の姿を思わせるが。城址そのものは全く影も形もない。ここは石川啄木の歌にある不来方の城である。啄木の歌碑があった。また、盛岡は新渡戸稲造のふるさとである。記念碑があった。天守閣とおぼしきところには。巨大な銅像の台座が残っていた。しかし、肝心の銅像はない。戦時中に供出されたのだとか。戦後60数年になるが、未だに復元しようという動きはないのか。桜山神社との境目付近に烏帽子岩なるものがあった。桜山神社の額の文字は新渡戸という人物が書いている。稲造の子孫かと思ったが、後で先人記念館へ行ってわかったが、明治時代の有名な書家であった。稲造との関係はわからない。神社の脇に「戊申戦役殉難者慰霊の碑」とある。揮毫は南部利美という方。このあたりの歴史も、勉強せねばならない。裏には由来の碑文がある。光の関係で、写真に撮れなかった。これも後でわかったのだが、この文章自体が有名なもののようであった。
城跡を後にして、盛岡地方裁判所の石割桜を見に行く。なるほど、大きな石が真っ二つになって、その真ん中に桜の木がそびえていた。あまりに鮮やかで、感動するよりあっけにとられる感じがした。
エスポワール岩手に戻る。本当は盛岡冷麺を食べたかったのだが、エスポワールのレストランには冷麺はなかった。一番手頃なジャンバラヤというのを頼んで、お茶とサラダはバイキング方式ということで、サラダをたっぷりと頂く。レストラン中央の席にはおじいさんがたたずんでいて、のんびりとテレビを見ていた。そのテレビがXゲームのようなものをやっていて、ちょっと旅気分ではない。支払いの時に聞いたら、エスポワールというのは要するに地方公務員会館だった。
地下駐車場を出るときに、いつも出口で支払いをする駐車場しか使っていないものだからそのつもりで車を動かして、係のおじさんにびっくりされた。ここは事前精算方式だった。
今日は、6時に山寺に着かなくてはならないので、計算上は、3時には盛岡を出なくてはいけない。MapFanの時間計算で3時間半と出たのを3時間あればいいだろうと見積もってのことなのだが、携帯のナビでは、たっぷり4時間はかかると計算されている。ちょっとどきどきものである。
先人記念館へ向かう。市街地での地図に自信がなかったので、携帯ナビに頼った。結果的には、良くもあり悪くもあった。というのは、先人記念館は、高架の下にある感じなので、「目的地付近です」というばかりで、ナビは今一頼りにならなかったのだ。
途中通った川(たぶん北上川)は、上流でかなり雨が降った模様で、真茶色の水が川幅一杯にあふれていた。盛岡駅は、上が新幹線で下が在来線という立体構造になっているようだった。その真ん中を突っ切って道路が交差している。
先人記念館で、2館共通券というのを勧められる。入って、まずビデオ資料で、新渡戸稲造を見て、館内の見学に移る。まずはじめに金田一京助の部屋というのを見る。啄木と親交があったというのは知らなかった。続いて、2階の方を見るが、そこに飾られている岩手の先人たちは、知らない人ばかりで、ちょっと時間のゆとりがないもので、じっくりと見ていられない。肝心の新渡戸稲造の部屋はどこかと1階に下りてみたら、先ほどビデオを見たエントランスの左手がそうだった。ついでに、米内光政の部屋も見る。背くらべの銅像があったが、米内さんはかなり大きい人だということがわかった。
新渡戸の部屋は。感動的だった。クリスチャンというが、クエーカー教徒である。今の東京外国語大学の前身に学んで、その後北海道大学の前身に入学し、アメリカに留学したということ。アメリカ大統領のウィルソンは大学の同期生だということ。驚いた。かつての5000円札の第2号が展示してあった。造幣局から贈られたのものだという、これもまた感動的ではないか。
先人記念館を出て、原敬記念館へ向かう。当初徒歩で行こうと思っていたが。駐車場の心配がないということで、高速に向かう進行方向でもあり、車で行くことにする。昔の家、といっても実際よりは規模が5分の1に縮小したものだが、なかなか趣があってよいと思う。庭の栗の木とか由緒ある梨の木とか、往事の雰囲気を味わえた。中の展示物は、書が中心で、じっくりと見ていられないのが残念だった。そういえば、暗殺されたんだったなあと、気づかされるあたり、歴史の学習が足りない悲しさである。
2時50分、原敬記念館を出る。
途中山道が続く。前を走る車がのろい。急にスピードを上げてみるかと思うと、やたら遅く走ったりする。いらいらするが対向車や、見通しの悪い道路のせいで、抜くに抜けず、いらいらが募る。ようやくまっすぐな道路に出て、一気に抜き去ったときにはほっとした。その後はそこそこ走ってくれる車の後についたので安心して走れた。1台、どうもゆっくり行きたいらしい家族連れがいたが、すぐに停車して後ろの車に進路を譲ってくれた。こういう心遣いがうれしい。
走りながら思うのは、このあたりのコンビニはローソンが多いことだ。
盛岡には、予定よりさらに早く12時前に着いた。ただ、駐車場に困った。せっかくだから盛岡城址を見たいと思ったが、周辺の駐車場がよくわからない。城跡を通り過ぎたら、そこは一方通行の道路で、直進できず、道路脇のコンビニでUターンして、エスポワール岩手というビルの地下駐車場に駐車した。2階のレストランで食事をすれば、1時間無料とのこと。どうするかは後で考えようと思いつつ、岩手城址を目指す。
石垣の巨石が、在りし日のお城の姿を思わせるが。城址そのものは全く影も形もない。ここは石川啄木の歌にある不来方の城である。啄木の歌碑があった。また、盛岡は新渡戸稲造のふるさとである。記念碑があった。天守閣とおぼしきところには。巨大な銅像の台座が残っていた。しかし、肝心の銅像はない。戦時中に供出されたのだとか。戦後60数年になるが、未だに復元しようという動きはないのか。桜山神社との境目付近に烏帽子岩なるものがあった。桜山神社の額の文字は新渡戸という人物が書いている。稲造の子孫かと思ったが、後で先人記念館へ行ってわかったが、明治時代の有名な書家であった。稲造との関係はわからない。神社の脇に「戊申戦役殉難者慰霊の碑」とある。揮毫は南部利美という方。このあたりの歴史も、勉強せねばならない。裏には由来の碑文がある。光の関係で、写真に撮れなかった。これも後でわかったのだが、この文章自体が有名なもののようであった。
城跡を後にして、盛岡地方裁判所の石割桜を見に行く。なるほど、大きな石が真っ二つになって、その真ん中に桜の木がそびえていた。あまりに鮮やかで、感動するよりあっけにとられる感じがした。
エスポワール岩手に戻る。本当は盛岡冷麺を食べたかったのだが、エスポワールのレストランには冷麺はなかった。一番手頃なジャンバラヤというのを頼んで、お茶とサラダはバイキング方式ということで、サラダをたっぷりと頂く。レストラン中央の席にはおじいさんがたたずんでいて、のんびりとテレビを見ていた。そのテレビがXゲームのようなものをやっていて、ちょっと旅気分ではない。支払いの時に聞いたら、エスポワールというのは要するに地方公務員会館だった。
地下駐車場を出るときに、いつも出口で支払いをする駐車場しか使っていないものだからそのつもりで車を動かして、係のおじさんにびっくりされた。ここは事前精算方式だった。
今日は、6時に山寺に着かなくてはならないので、計算上は、3時には盛岡を出なくてはいけない。MapFanの時間計算で3時間半と出たのを3時間あればいいだろうと見積もってのことなのだが、携帯のナビでは、たっぷり4時間はかかると計算されている。ちょっとどきどきものである。
先人記念館へ向かう。市街地での地図に自信がなかったので、携帯ナビに頼った。結果的には、良くもあり悪くもあった。というのは、先人記念館は、高架の下にある感じなので、「目的地付近です」というばかりで、ナビは今一頼りにならなかったのだ。
途中通った川(たぶん北上川)は、上流でかなり雨が降った模様で、真茶色の水が川幅一杯にあふれていた。盛岡駅は、上が新幹線で下が在来線という立体構造になっているようだった。その真ん中を突っ切って道路が交差している。
先人記念館で、2館共通券というのを勧められる。入って、まずビデオ資料で、新渡戸稲造を見て、館内の見学に移る。まずはじめに金田一京助の部屋というのを見る。啄木と親交があったというのは知らなかった。続いて、2階の方を見るが、そこに飾られている岩手の先人たちは、知らない人ばかりで、ちょっと時間のゆとりがないもので、じっくりと見ていられない。肝心の新渡戸稲造の部屋はどこかと1階に下りてみたら、先ほどビデオを見たエントランスの左手がそうだった。ついでに、米内光政の部屋も見る。背くらべの銅像があったが、米内さんはかなり大きい人だということがわかった。
新渡戸の部屋は。感動的だった。クリスチャンというが、クエーカー教徒である。今の東京外国語大学の前身に学んで、その後北海道大学の前身に入学し、アメリカに留学したということ。アメリカ大統領のウィルソンは大学の同期生だということ。驚いた。かつての5000円札の第2号が展示してあった。造幣局から贈られたのものだという、これもまた感動的ではないか。
先人記念館を出て、原敬記念館へ向かう。当初徒歩で行こうと思っていたが。駐車場の心配がないということで、高速に向かう進行方向でもあり、車で行くことにする。昔の家、といっても実際よりは規模が5分の1に縮小したものだが、なかなか趣があってよいと思う。庭の栗の木とか由緒ある梨の木とか、往事の雰囲気を味わえた。中の展示物は、書が中心で、じっくりと見ていられないのが残念だった。そういえば、暗殺されたんだったなあと、気づかされるあたり、歴史の学習が足りない悲しさである。
2時50分、原敬記念館を出る。
投稿者:at Sushiat 14:55| 日記 | コメント(0)